IV

2020年の春節は1月25日だった。旧正月では、この日が元旦にあたる。僕とママはこの2日前に、日本にいるパパの家に向かった。毎年春節の日付は変わるけど、例年の習慣で春節の休み~中国の長い冬休み~はパパのいる東京で過ごすことにしているからだ。

この頃は、武漢でコウモリを食べた人の間で変な肺炎が流行っているとか、小さなニュースになっているくらいだったと思う。


2月に入ってからも、中国の友達のことは心配だったけど、僕が住む町は武漢からは遠く、あまり深刻なニュースは聞こえてこなかったし、日本にいる僕は、パパにハンバーグを食べに連れて行ってもらったり、映画を観に行ったり普通に遊びに連れて行ってもらっていた。


2月の上旬に、僕の大好きなFC東京とオーストラリアのチームの試合があった。どうしても観たかった。ママは、東京でも新型肺炎の流行を心配して、調布の味の素スタジアムに行くのを「感染しに行くようなものだ」と試合当日まで許さなかった。パパも説得してしぶしぶ観戦しに行くOKが出たのは、お昼過ぎだった。会社をフライイングして帰宅したパパと急いで調布まで行ったのを今でも思い出す。パパは「AFCチャンピオンズリーグが当日券で入れるなんて」と感動してたけど相手チームのパース・グローリーの観客席、アウェイのスタンドにはほとんど客がいなかった。この頃からコロナ禍の波は忍び寄っていたのかもしれない。ドラッグストアの店頭からマスクが永久欠番になったのはこの頃だ。

2月の間は、qq(中国のSNSの先駆け)に省ごとの感染者数を集計するホームページが話題になったくらいだった。東京では、普通にいろんなとこに電車に乗って遊びに行ったし、レストランで晩御飯を食べたりもしていた。

ママは一人で中国の状況を心配していた。2月の間は冬休みだけど、新学期が普通に始まるのか、武漢以外の都市にも感染は広がり中国全土が封鎖されるのか、などをだ。


2月の終わりころ、ママはパパに

「あの子の学校、日本で探さなきゃならない」

と言ったそうだ。パパは

「そんな心配ないんじゃない?君の実家と武漢は離れてるし・・・すぐに中国に戻って、学校も再開・・・」


3月に入ったころ、パパは予定していた出張が急にキャンセルになった、と言っていた。

ママも会社の仕事でよく近畿、関西の方に新幹線で出かけていたけど、この頃はだいぶ出張も減っていたように思う。


ママは僕を日本のインターナショナルスクールに入れようと考え始めた頃だ。

僕はせっかく苦労して入った今の高校を簡単にやめる気はなかったけど。


3月の中旬が過ぎてからくらいだったろうか、パパが

「明日から会社に行かない。家で仕事します。いわゆるテレワークというやつです」

と言った。

パパは週末も会社のパソコンを家に持ち帰り、時々メールのチェックしたり仕事はしていたから、「家で仕事するって言ったって、これまでと変わりないんじゃない?」と思ったけど、僕がまだ寝ぼけている間に会社に出かけて行ってしまわず、ずっと家に一緒にいられるのは嬉しい。


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