吉祥寺の路上にて
灰色 洋鳥
路上の出会い
秋葉原で中央線各駅停車に乗り換える。黄色い階段を上っていくとちょうどホームに黄色い電車が走り込んで来るところだった。今日の目的地は吉祥寺なので次の御茶ノ水で快速線に乗り換える予定だ。電車が止まるとぎっしり詰まった人々が流れ出してくる。始めて見た時には混み具合にゲンナリしたが自分が乗り込むときには、座れはしないものの人々の間隔はゆったりしているくらいには空いていた。
あっという間に隣の駅のホームに電車は滑り込む。ほぼ同じタイミングでオレンジ色の電車もホームに滑り込んできた。乗り換える予定の中央線快速だ。お茶の水駅は同じ方向の電車に乗り換えるのは楽だ。向かいのホームに来るのでそのまままっすぐ乗り換えればいいのだ。反対を向くと白い橋を左手に川の向こうに赤い地下鉄がトンネルに消えていくところだった。その上に視線を振ると歴史のありそうな建物が目に入る。歴史を実証する様に敷地には巨木が林立している。
乗り換えようと電車を降りるとガランガランと轟音が響いてきて思わず身構えた。後で調べたら御茶の水ニコライ堂の鐘の音だった。ちょうど夕方のミサの時間だったらしい。
中央線快速に乗り換えるとすぐに四谷に到着する。途中お堀に沿った桜並木が目に入る。お堀の水面は桜の花びらでピンクに染まっていた。その中でボートを漕いでいる人が目を惹く。いいなあ、恋人がいたら絶対デートに誘うのにと心のノートに書き付けた。誘う相手がいないのが残念だ。
四谷を出たらすぐに新宿だ。新宿では降りたことはない。大学でできた友人に新宿で遊ぼうと誘われたことはあるが、何だか気が乗らなくて(怖くて)いつも断っていた。新宿を出てから吉祥寺は十五分位でつくはず。新宿で電車の中から左右に広がるホームの数に圧倒されているうちに電車は新宿を出発する。次は中野。右手に中野サンプラザの特徴的なビルを眺めているとすぐに発車した。
この先は荻窪に止まれば次は目的地だ。電車は何事もなく進んでいく。右を見ても左を見ても屋根、屋根、屋根、見渡す限り屋根が広がる。そこに暮す人々とその生活に想いを馳せて東京と云う都市の途方もなさに慄然とする。何かで読んだことがある。新宿から先は江戸時代には武蔵の国と呼ばれていた。当時は森と点在する集落が広がっていたのだろう。ぼうっとしていると、僕に今日の小旅行を決心させた伯父のことを思い出した。
伯父は変わった人で、東京の大学の理科系の学科に進学したのに文科系の部活にのめり込み留年した揚げ句中退して帰郷してきた人だ。そのことがあり、家族の中では孤立していた。敷地の離れで暮しており、自分の両親や祖父母とは折りが悪くしょっちゅう喧嘩していた。
僕はなぜか気に入られていて、遊びに行くと色々な話をしてくれた。それは、とても面白く小学校の頃から入り浸っては、東京での暮らしや専門分野の
今想えば何をして収入を得ていたのか判らない。いつも離れに居て、出掛ける姿はほとんど見たことはなかった。夜遅くまで起きていて、いつもPCに向かって何かを書いていた。
僕が東京の大学に進むと聞いたときにはたいそう喜んでくれて、色々な逸話を開陳してくれた。その中に、吉祥寺の話があり、とても惹かれて上京したらぜひ訪ねてみようと決心していたのだった。
僕が思い出に浸っているうちに電車は吉祥寺駅に到着した。快速線のホームから階段を下りると改札がありそのまま駅ビルの中に出てしまう。駅ビルで迷ってしまい京王井の頭線の乗り換え口の方に来てしまった。伯父がよく利用したと聞いた通りのスタンドカレーの店はまだあった。だがしかし、ここは自分の目的地の反対側だったはず。
館内地図を見つけ、何とか北側に出ることができた。駅を出て北に歩くとすぐにアーケードがある。サンロードという名で賑わっている。というか、人が多すぎて向こうが見えない。実家の街の商店街は寂れきっていて花火大会などのイベントの時でもがらがらな事を考えると圧倒される。自宅のアパートの最寄りの商店街さえ人が疎らなことを思えば、吉祥寺というブランドはすごいとしか言いようがない。
伯父の話ではここがアーケードになる前はバス通りでバスがすれ違っていたとはとても信じられない。さすがにおしゃれなお店が多い。自分はファッションはダメダメで、今も田舎のダさ兄ちゃんの格好をしている自信はある。
色々なお店の話(主に喫茶店や飲み屋)は聞いていたが、何せ伯父が通っていた頃は昔過ぎて参考にならない。聞いていた店は軒並み違う店になっていた。サンロードの中を宛もなく歩いていく。伯父の話では本屋があったはずだ。うん十年前なのだからなあ。まだあると良いけれど。何て心配しながら歩いていたらまだちゃんとその本屋はあった。あと三時間くらいは時間を潰せるだろう。ふらふらと本屋に入ってSFのコーナーに歩いていく。伯父の部屋にも沢山本があったけど、伯父の本棚は漫画と古いSFばかりで、僕は勧められるままに全て読破していた。
受験シーズンに突入してからはほとんど小説は読んでいなかった。母親に見つかると、僕がしかられるだけでなく、伯父にも突撃され兄妹喧嘩が始まるので気兼ねして読んでいなかったのだ。受験も終わったんだし、ひとり暮らしなのだから好きに読めば良いのだろうけど。それまでは本を読んでいないと落ち着かなかったのに、一度読む習慣が失われると本を読むのが億劫になってしまっていた。
J.P.ホーガンの新刊を見つけてすぐに購入した。星を継ぐものシリーズの最新刊が出ているのは知らなかった。本屋の向かいにカフェを見つけて飛び込んだ。
買ったばかりの小説を夢中になって読んでいるうちに閉店時間になってしまった。時刻は午後九時、ちょうど良い頃合いだった。
人通りがずいぶんと少なくなったアーケードを駅の方に歩いていく。今日僕が吉祥寺を訪ねてきたのは、伯父に聞いてぜひ参加したいと思った催しに参加するためだ。ずいぶん昔のことなのでもう、やっていないかもしれないと危惧している。
それは、毎月第一土曜夜九時から吉祥寺サンロードの路上で催されていた『路上飲み会』に参加するためだった。伯父の話では顔以外は素性も全く知らない若者たちが一升瓶を抱えて集まり、大いに飲んで語るイベントだった。伯父も良く参加していたらしい。参加資格は特にない、大騒ぎをしない、後片づけをすることが条件で、飛び入りで参加する勇気があればだれでもOKだと聞いていた。サンロードにある高級スーパーが閉じた後のシャッターの前で開催されるはずだ。話を聞いて人つき合いが苦手な僕でも参加出来そうと思ったのだ。なんでも、そこで仲よくなって結婚した人たちも居たそうだ。
早足で目当てのスーパーまで歩いていくと、その店は閉店してシャッターも閉まっていた。その前には……
誰もいない。さすがにもうやっていなかったようだ。
シャッターの前で立ち尽くしていると呟くような声が聞こえた。
「ああ、やっぱ、やっとらんようだ」
慌てて振り向くと女の人が僕と同じように肩を落としてシャッターを見つめてい
る。ジーンズにカーディガンを羽織っている。路上に座り込むことを想定したファッションなのだろうか。
「もしかして、あなたも、路上飲み会に?」
自分でも信じられないことに淀みなく声を掛けていた。ナンパなんてしたこともなかった自分が見知らぬ女性に声を掛けるなんて考えもしなかった。
「そうなんですよ。あんたもやけ?」
聞きなれないイントネーションで返事が返ってくる。自分の出身地と全く違う、何だか新鮮な感じがする。
「やっていたのはだいぶ昔のことだと聞いていたので、自分も期待はしてなかったんですけど。やっぱりもうやってないようですね」
「ほれは残念やわ」
その女性は僕と年齢はそう変わらない感じで、大学生だろうか。方便が抜けていないところを見ると僕と同じで上京してきてそんなに経っていないのだろう。好みのタイプで、僕が高校三年間片思いだった人にちょっと似た雰囲気がある。僕はこの縁を逃したくなくてさらに信じられない行動に出た。
「もし、お時間があればお茶でもどうですか? 路上飲み会の情報交換をしませんか?」
「いいですよ。ほれは願うてもないことや」
さらに信じられないことにすんなりと返事をもらえた。
カフェは皆閉まっていたけど、間違えて駅の南側に出た時に見つけていたファミレスに入ることができた。
色々聞いてみると彼女も叔母さんが吉祥寺に昔住んでいて路上飲み会に参加していたそうだ。
彼女が東京の大学に進学すると云うことで色々と話してくれた中に路上飲み会があって楽しみにしていたのに、来てみたらやってなくてがっかりしていたところに僕が声を掛けたらしく。普段ならナンパなんて絶対断るのに思わずOKしてしまったとほんわりと笑いながら教えてくれた。
その日は、互いに聞いていた思い出話を披露しあった。別れる前にSNSのアカウントを交換しあえたのが最大の収穫だった。後日待ち合わせして昼間の吉祥寺を散策してから、頻繁に会うようになって、読書の趣味も一致していて会うたびにどんどん好きになった。今度告白するつもりだ。
「ねえ、吉村君。ボート乗りたい」
「だめだよ。井の頭公園のボートはふたりで乗っちゃダメなんだって」
「ああ、そうか。そうだね」
伯父の忠告は役に立ったことは無かったんだけど、ひとつだけ守っていることがある。井の頭公園ではふたりでボートには絶対乗らないことにしている。伯父はそれは悔やんでいたのだが、奉られている弁天様が恋人達がボートで遊んでいると嫉妬して別れさせると云う伝説があり、その通り当時付き合っていた彼女と別れた話を聞いていたからだ。
実際には参加できなかったけど、その縁で出会った僕らも『路上飲み会』が結んだ縁になるのだろう。
吉祥寺の路上にて 灰色 洋鳥 @hirotori-haiiro
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