第15話 疑問

そこから彼の剣術指南が始まった。足さばきと姿勢、刀の握り方。それらを踏まえながら素振りを行っていく。



はた目から見れば楽そうに思えるだろう。私も最初は登山よりましかと思っていた。

けれどそもそも木刀自体がかなり頑丈な木を加工したものらしく、長さはそこまででもないがかなり重量がある。既にヘロヘロの状態でそれを振り上げるという動作がどれほどの苦痛か。



更にその状態で姿勢を一定の基準に保たなければならないのである。疲労で背筋や足筋が弛緩しようものなら、彼は目ざとく指摘して矯正させた。お陰で体中の筋肉が悲鳴を上げて今にも千切れそうだ。



その様な有様なのだから、私の姿も見るも情けないものなわけで。大量の汗で髪が顔に張り付き、あまりのキツさにべそをかきながら歯を食いしばり、足りない酸素を求めて聞くに堪えない程喘いでいる。



「そこまで。」



行命様が止めの言葉を掛けた瞬間、私はその場に倒れ伏した。握っていた木刀が乾いた音を鳴らして転がる。



「急に寝ると肺を痛めるぞ。……その様子だと聞いてないか。」



倒れた私を見下ろして彼が何か言ったようだけど、私にはそれを考える余地もなかった。鞴の様に動こうとする肺を落ち着かせなければ。痛む喉に無理を効かせて息を吸い、吐き、時折せき込む。



暫くそうしていると、酸素不足で狭まった視界も次第に広がって周囲の様子が窺えるようになる。既に太陽は沈みかけていて茜色の光が差し込んでおり、彼が熾したであろう焚火の橙色と重なって周囲は温かな光に包まれていた。



「立てるか?」



行命様は私の視線に気付いたらしく、手元を止めて面を上げた。いつの間にか鍋を用意して炊事を始めていたようだ。



「……何とか。」


「少し下った所に湧き水が出る池がある。そこで身支度しなさい。」



彼はそう言うと手ぬぐいを取り出して放り投げ、それは丁度倒れ伏す私の頭に降りかかる。それを引き寄せて顔を埋めながら数拍の間呻くと、私はのそりと起き上がった。


*****


身綺麗にして戻ると、既に支度が済んでいて食べるばかりになった夕餉があった。

いつの間に捕ってきたのだろう、そこには串に刺した川魚も焚火に炙られている。香ばしい香りに誘われて忘れていた空腹を思い出した。途端に彼が憎たらしく感じる。


わざとですか、これ……。


山登りの罰則は覚えている。今日のペースだと晩飯は無しだろう。空腹を我慢する私の目の前で食べるつもりなのか。



「今日はまぁ……初日であるからな。勘弁してやろう。」



私の心情を察したのか、彼が苦笑いして告げた。途端に私の感情は浮き上がる。先程までの鍛錬でごっそり生命力を削られたような心地だったけれど、その事で少し気力が回復したような心地がした。



「ほれ、丁度食べ頃だ。」


「ありがとうございます。いただきます。」



 彼はそう言うと向かいに座った私に焼き魚を差し出した。私はそれを受け取り、湯気を上げるそれにかぶりついた。パリッとした皮の下に詰まった旨味が舌に広がる。じゅわりと熱が舌を焼くが、はふはふと口の中でそれを冷まして飲み込む。じんわりと胃が温かくなるのを感じて、私はその余韻に浸った。その様子を眺めて行命様はニヤリと笑う。



 「旨そうに食うな、お前は。」


 「旨いですもん。」


「まぁな、今は格別だろう。」


「はい。」



私は頷いて二口目にかぶりついた。



「食糧が持つあと二日までは今日の繰り返しだからな。勿論罰則は明日から有効だ。」


「げぇっ!」


「嫌なら励むことだ。」



顔をしかめる私を揶揄うように言った彼だが、ふと場を切り替えるように真面目な表情になった。



「鍛錬はきついか。」


「そりゃもう。死んじゃうんじゃないかってくらい。」


「……ならお前は何故素直に従っている?」


「へ?」



私は彼がどうしてそのような事を聞いてくるのか訳が分からず、キョトンと首を傾げた。



「山を登る際に儂の監視は外れたのだ。その間に逃げる事も出来ただろう。」


「それは……そうかもしれないですけど。」


「出会って数日だ。儂の事もよくは知らないだろう。それで何故儂を信用できる?儂が僧に化けた人攫いとか有りうるやもしれんのに。」


「……。」



私は口を噤み手に持った串を下ろして思考する。



私は異世界に来てしまった。何も分からない環境で導いてくれる存在は此処で生きていく上で重要だ。けれど彼の言う危険も十分考えられた筈だ。すんなりとついてきてしまったけれど、自然と彼を信用する様になった要素は何だったんだろう。あの時の自分の心情を考える。



そんな様子の私を、行命様は答えを待つようにじっと見つめていた。



「──私、人の顔を伺うのが得意なんですよ。」


「は?」



今度は行命様が怪訝な顔をした。



それを他所に私は過去へ記憶を巡らした。




かつて、まだ親しくしている友人とも呼べる人がいた頃。

運動が苦手だった私はその日もミスをしてばっかで、それ以上恥をかきたくなかったからチャイムが鳴るまで態度は消極的だった。


その私に体育が好きな彼女は言った。



『運動苦手でもやっていけば慣れていくよ。』



そう言った彼女の眼に、私に対する憐みが混じっているのを察した途端、私は思わず手を振った。



『違う違う。私汗かきたくないんだよね。髪もぼさぼさになるし。』



それを聞いた彼女は私の全身を眺め、そして急速に瞳に宿る温度が下がっていくのを感じた。

まずい、と思ったけれどもう遅かった。



『へぇ……そうだったんだ。ごめんね、勘違いして。』



そう言った彼女の笑顔は、取り作ったのがありありと感じられて、私には人形の笑顔と重なった。



それから彼女から話しかける事は無くなり、次第に疎遠になって友情と呼べるものは消失した。



表情から何を考えているのか分かるから、良く見られようとして失敗する。今思えばそうやって私の周囲から人は居なくなっていった。




「助けて貰ったとき、行命様が本当に私を気遣ってくれているのが分かったんです。だからこの人は本当にいいひとなんだなぁって思って。」



彼は眼を見開いた。あまりに私が黙り込むから、鍋が焦げ付かないようにかき回そうとした匙が手から離れて縁にこつんと当たる。……この人本気で驚いてるな。



「というか村の人たちの様子見ればわかるでしょう。」


「……何がだ。」


「着物用意してくれた奥さんもしきりに行命様の事褒めてましたよ。村の人たちが私達に食糧を恵んでくれたのも、私と会う前に行命様が彼らと良い付き合いをしていたからでしょう。」


「僧として当然の事をしただけなのだが。」


「そういうところじゃないでしょうかね。」


「むう……。」



今度は彼が考え込むようになって、私は思わず口元が綻ぶのを感じた。行命様は他人の好意に鈍感な所がある。この時知った彼の一面。



刹那、過去の記憶と目の前の彼の事を考えるとまるで水底の汚泥に一石が投じられたかのように淀みが広がっていった。


「あの……。」


「うん?」


「話のついでというか……その、これからお世話になる上での信頼関係を築くっていうか、えーと……。」


「何だ、はっきりしなさい。」


「懺悔?のような?一つ教えてもらいたい事があるんです。」


「……言ってみなさい。」


「私、どうしたら良かったんでしょう……。」



口から零れるように言って項垂れる私を眺めて、彼は黙って続きを促した。



「例えば、なんですけど。何をやっても上手く出来なくて、人からも馬鹿にされるような人間が、どうやったら上手く生きていけると思いますか?」


「上手く生きていくとはどういうことだ?」


「その……単純ですけど周囲から褒めてもらったり、頼られたりするような生き方ですかね?」



行命様はため息を一つ付いた。


「それに答えるには、お前の根本的な考えから聞かなければならんな。」


「え。」



面を上げた私を彼は見据える。



「お前はそんなに体裁が大事なのか。」



金床に金槌を叩き付けたような衝撃が響いた。



「お前が言っているのは自分の見掛けが他人にどう映るか、つまり体裁だ。だがな表面の皮など少し関わればすぐに剥げるのだ。その時余計に醜態を晒すことになるのだぞ?」


逆を言えば、と彼は続けた。


「それは体裁しか見せる気がない、即ち他人にそれ以上踏み込むことを拒絶している。それが”上手い生き方”とは儂には到底思えんな。」



私は呆然と彼の眼差しを見返す。彼の言葉で気付いてしまったのだ。今自分の心の中で広がった淀みは”嫉妬”だ。



「先程の鍛錬の事もだが伊織、お前は自分で限界を決めている節があるな。人に努力する姿を見せるのが恥だと考えて、そこで境界線を引いている。だがな、何故師の儂にそれを隠す必要があるのだ。むしろ努力している所を積極的に見せるべき相手ではないのか。

その考えは成長には繋がらない。あるのは停滞もしくは劣化のみだ。そこから改めなければ、自分が納得できる生き方はできんぞ。」



あぁそうだ、私は他者から認められる事に飢えていた。私が欲してやまない人望を、彼が簡単に手に入れている様に見えて嫉妬したんだ。



私は努力しなければ何もできない人間だと思われたくなかった。こんな事も出来ないのかと馬鹿にされると思ったから。

だから体裁に拘った。努力してなくても形だけは綺麗に見えるから。



けれど、彼の言う通りじゃないか。それは他人との関わりを拒絶している。かつて仲良くしていたはずの彼女の名前が思い出せないのが良い証拠だ。そんな人間が他人からの称賛を受けたいだなんて、馬鹿にしている。



「それが儂からの答えだ。お前の疑問には答えられたか?」


「……はい。」



私は自己嫌悪に駆られながら小さく頷く。彼の言葉は私の根本に鋭く撃ち込まれた楔のようだ。自分がどれだけ駄目な人間であるか、まざまざと思い知らされた。

だからこそ、思ってしまう疑念がある。



「あの……自分から言っといてなんですが、何故行命様はここまでしてくれるのですか?私の愚痴など聞いても面白いものではなかったでしょうし……それに弟子をとりたかったと最初に言われていましたけど、私なんかよりも良い人が見つけられた筈です。同情で引き取られたようなら……」


「それは違う。」



言いかけた私の言葉を彼はきっぱりとした口調で遮った。気落ちしていた心情に合わせて落ちていた視線を上げると、彼は私に向かって手を伸ばした。



「だが秘密だ。またの機会にな。」



そう言って行命様は私の頭に掌を乗せてくしゃくしゃと撫でる。そんな彼の表情に何処か寂しげな感情が滲んでいたのが、私の胸をちくりと痛めた。

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