第8話 僧侶
「これ、いい加減に顔を出さんか。」
若干イラついた声が言うけど、私は体育座りで顔をうずくめながら首を振った。
だってどんな顔をしたらいいんだ。
下着姿のあられもない格好をいい歳のオッサンに見られるなんて複雑すぎる。
パチパチと焚き火が爆ぜる音を聴きながら、私は羞恥に身悶えていた。
その焚き火の向こうで、先程の僧侶オッサンは小さな鍋で何かをグツグツと煮込んでいる。その姿は袈裟の上着を脱いで身軽な格好になっていた。
その上着は今、私が制服の上に毛布のように頭から羽織っている。
この上着は、出会った時にこのオッサン僧侶様が投げ付けてくださったものだ。
もう一度言おう。投げ付けてくださったものだ。
悲鳴を上げる私に「とっとと服を着んか!」という怒声付きでこの上着を顔面に投げつけ、あのカオスな間をぶち切るという荒業をやってのけたのだ。
なんなんだろう……もっとお坊さんって紳士で優しい人だと思ってたのは私だけなんだろうか……?
いや、でもその後急いで着替えてる間にどっかに行って姿消してくれてたし、着替えた後もお坊さんがくれた上着に全身丸まって、まるで真っ黒な三角おにぎりみたいになってても放置してくれてたし、更には何事も無かったかのようにその前に枯れ枝を集めて焚き火を付け、炊事を始め出した。
さっき声をかけたのは辺りが暗くなってきた中で黒い着物に丸まった塊が暗闇に同化し、いい加減不気味に思えてきたからじゃないだろうか。
「まったく……年頃の女子が裸を見られて気にするのはわか「あ゛ーーーーーッッ!!」
恥ずかしさが爆発した私は思わずお坊さんの声を遮って、布を被ったまま天を仰いだ。
「無理です無理ですもう触れないでくださいこれ以上は死んでしまいます恥ずか死んでしまいますもうやめてください」
「お、おう……」
息継ぎも無しに呪詛のような言葉を叫びながらブンブン首を振る私を見て、彼は思いっきり引いた返答をした。
お坊さんからしてみれば真っ黒なクリーチャーが蠢いてるようにしか見えなかったんだろう。
「分かった、分かったから。一先ず腹を満たしなさい。七草粥だ、これなら口に入ろう。」
そう言ってお坊さんは私の前に何かをコトリと置いた。
そろりと布の隙間を開いて見てみれば、ホカホカと湯気が上る薬草らしきものが入った粥がお椀に盛ってあった。
湯気と一緒に立ち上るお米の匂いを嗅いだ時、私のお腹が盛大に鳴る。また恥ずかしさで顔に熱が集まるが、空腹に気づいてしまったら躊躇って居られるほど余裕は無かった。
「いただきます。」
「うん。」
きちんと手を合わせると、お坊さんは促すように頷いた。それを端目に確認しながら私は無我夢中で箸を引っつかみ最初の1口目をかき込んだ。
「あふっ」
「当たり前だ。」
途端に舌を火傷してはふはふする私を見て、彼は呆れたような顔をした。
2口目は箸の上にのせた粥を念入りに冷ましてからパクリと口に入れる。まだ火傷した舌がじんじんするが、懐かしいお米の味と塩味がじんわりと舌に広がり、呑み込むと久しぶりの熱が喉から胃までゆっくりと下りてじんわりとお腹から温めてくれる。
淀みなく3口目、4口目と進めていけばじんわりと目頭が熱くなり、5口目、6口目には耐えきれなくなった涙が零れ始め、遂には嗚咽を漏らしながら箸を進めてしまう。
ダメだこんなの、人前でみっともない。
何とか涙を止めようと涙を拭うけれど、後から後からとめどなく流れてきて止められない。
私、今絶対涙で醜い顔になってる。やだ、見られたくない。
そう思うと耐えられなかった。また黒い着物を頭から被り顔を隠す。
「やれやれ……やっと天の岩戸が開いたと思ったのだがな。」
着物の中でグズグズ鼻を鳴らしながら粥を食べる私を見ながら、お坊さんはそう呟いた。
*****
「それで?」
「はい?なんでしょう……?」
鍋の中身が空っぽになり、お椀に残った僅かな粥を名残惜しく啜っていた時、お坊さんが口を開いた。
それに対し私は今更ながらよく知りもしない他人の前でみっともない有様を晒していた事に気まずくなり、被っていた着物からそろりと顔を出した。
話しかけた彼に返事を返した声は鼻詰まりのせいで間抜けそのもので、ついでにズズッと鼻を啜ってまでいる。
それを聞いてお坊さんの眉がひくっと動いた。
……地味に傷つくなぁ。
いや、まあ下品なのは分かってるんだけども、ティッシュも持ってないし、制服の袖で拭う事も躊躇われるし、初めて会ったお坊さんの前で鼻ちょうちん垂らす程神経図太くない。しょうがないんだもん。
と不満に思いながらも、なかなか鼻水が止まらずグスグス、スンスン鼻を鳴らしていると、お坊さんは呆れたようにため息をついた。
「使え。」
「……いいんですか?」
「しょうがない、そのままだと辛かろう。」
お坊さんが懐を探り取り出したのは、使い古した手ぬぐいだった。まだ普通に使えそうなやつなんだけど。
じっとそれを見つめて躊躇っていると、鼻からたらりと感覚が。
いかん!
慌てて手ぬぐいを受け取るとビーッと盛大に鼻をかみ、お坊さんは今度は気が遠くなりそうな顔をした。
……いったい私にどうしろと。
少しムカッとしながらも私は頭を下げた。
「お礼が遅くなり申し訳ありません。温かい食事やこうやって気を使っていただいたことに感謝申し上げます。」
お坊さんは少し驚いた様子で目を見開いたが、思案するように無精ひげの顎をザリと撫でた。
「うむ、丁寧な謝辞痛み入る。こちらこそ礼を失する振る舞いであったことをお詫びいたそう。食料等は儂の気まぐれ故お気遣いなく願いたい。して、何故森にそなたのような娘御がおられたのか。しかもそのような格好で。」
え、あれなんかお坊さん言葉遣いが変わってない?丁寧って言っても、今日初めて会った人に対する言葉使いとしては適当だと思うけれど。
ってそれどころじゃない。
やっぱり聞かれた。まぁ、当然の質問だ。
しかしどう答えたものか。
私の今の格好は森で森林浴してましたが遭難しました、と言うには無理がある。
いや、修学旅行中に散策コースから外れて探検したら迷った、と言えば筋は通るかな?それでもかなり馬鹿らしいけれど。
それでも地獄から逃げ出してきました、と言ってキチガイ扱いされるよりかはマシだ。
「えっと、私中学三年生で、修学旅行の行程でこの森?に来まして──」
「『ちゅうがくさんねんせい』?」
すると途端にお坊さんは怪訝そうな顔になった。
「『しゅうがくりょこう』とは?言葉遣いが整っておられるので良い所の娘さんかもしれんとは思っておったが……。」
はい?
「官職の名ですかな?しかし朝廷にそのような位があっただろうか……?」
はい?!
話がかみ合わない。
「ならば護衛ぐらい雇っておりましょう。今頃必死になって探している所なのではないかな?」
「い、いやいやいや私はただの学生でして!!」
「『がくせい』……?」
彼の反応に胸の内がざわめいた。お坊さんは本当に意味が分からないといった表情をしている。
現代において中学生やその行事に関して知らない大人がいるだろうか。朝廷という歴史の教科書でしか存在しない政治組織の単語が当たり前に出てくるだろうか。
彼の言葉使いが妙に古くさい事は僧侶であるからと思っていたけれど、もしかしてそうじゃない……?
「どうしましたかな?顔色が悪いが。」
「いえ、なんでもありません……。」
私は急に襲ってきた不安に押しつぶされそうになって、お坊さんの言葉に消え入りそうな返事しか返せなかった。
「ひとまず休まれた方が良い。夜が明けなければ動き回るのは危険ですからな、明日麓の村まで送りましょう。運が良ければそこで護衛とも再会できましょうぞ。」
「え…よろしいのですか?!」
「儂も麓に下りるところですからな。」
やった、助かった!麓まで下りれば自分がどの場所にいるのか分かるだろう。連絡手段もある。そうすれば家族に会える!
私は依然不安を訴える心に蓋をして顔を綻ばせた。
「ありがとうございます!よろしくお願いします。」
「……うむ。」
深々と頭を下げると、それに対してお坊さんは思わしげに目を細めて軽く頷いた。
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