第18話 嘘

 ずっと恐れていた。

 一番知られたくない秘密を、一番知られたくない人に知られてしまうという悪夢のような出来事を――

 

 夢であるなら覚めて欲しい……でもこれは確かな現実だ。

 酷く眩暈がする。

 先輩の助けを借りて必死に隠してきた事がこうもあっさりと崩れてしまうとは予想もしていなかった。

 

 どうして――こんなことになったのだろうか?


「新庄君が大和のことを聞きに来たの。それでどうしてそんなこと聞くのって聞き返したら……いろいろ教えてくれたよ」


 全てを知られてしまったという焦りと同時に、弟くんへの怒りがふつふつと湧き上がってくる。

 あいつは俺が由衣との関係に悩んでいたのを知っていただろう。

 それなのになぜ全てを話してしまったのか……

 俺と弟くんは仲が良かったわけではないし、むしろ悪かったと言うべきくらいではあった。

 ただそれだとしても犯してはならない領分というものがあるだろう。

 これはあきらかな不当行為だ。

 非常に腹が立つ。

 今すぐにでも弟くんを呼びつけて一発殴ってやりたい気分だが、目の前にいる由衣はそれを許してくれそうもない。


「ねえ……お兄ちゃんの口から、本当のことが聞きたいの……」


 由衣はそう言いながら小さく一歩前に踏み出し、さらにもう一歩と距離を詰めてくる。

 そして逃がしはしまいと俺の手首をぎゅっと強く握った。


「……何か言ってよ」


 潤んだ瞳でまっすぐと見つめられ、耐えきれずに目を背けてしまう。


「私のこと……ちゃんと見て」

「……もう……こんなことは……やめよう……」

「お兄ちゃんがちゃんと答えてくれるまで……やめないよ」

「なんでだよ……由衣には相羽君がいるだろ……それでいいじゃないか」

 

 どうしても俺じゃないといけない理由なんてないはずだ。そこまでこだわらなくても良いだろう。

 相羽君のような奴に好かれているというのに何の不満があるのか。

 実の兄にうつつを抜かして貴重な青春を無駄にするなど愚の骨頂だ。

 由衣ならもっと素敵な恋愛をして、輝かしい日常を過ごせるだろう。


「お兄ちゃんはそれでも良いの?」

「……良いに決まってるだろ」

「私がになっちゃっても……平気なの?」

「そ、れは……」

「想像してみて? 私が大和とキスをして、抱きしめ合って、愛し合うの。お兄ちゃんはそれでも平気なの?」

「……」


 平気なわけがない。

 嫌に決まってる。

 俺は由衣のことが好きで好きでたまらないんだ。

 

 想像してみろだって?

 考えただけでも吐き気がする。

 今すぐにでも相羽君のところに行ってぶん殴ってやりたくなってしまうほどに嫉妬に狂いそうだ。

 

 でも……だからといって、俺達が兄妹という事実はどうやったって消えっこない。


 どうしようもない……どうしようもないじゃないか。


「私はね……お兄ちゃんに彼女ができたって知った時……すごく悲しかったし、すごく嫌だったよ。……今だって悔しくて悔しくてたまらないの」


 気持ちは痛いほどよくわかるさ。

 でも俺達はそれを乗り越えていかないと駄目なんだよ。

 もうわがままが許される子供じゃないんだ。


「だからお願い……お兄ちゃんの本当の気持ちを……聞かせて欲しいの」


 何度お願いされたって無理なものは無理なんだ。

 これ以上、俺を追い詰めるような真似はしないでくれ――


「……ね? ……お願い」


 由衣は俺に身体を密着させ、腕を俺の背中に回しキツくシャツを握りしめた。

 互いの息が触れ合うくらいに顔が近づき、より一層と熱気が立ち込める。


「お兄ちゃん」


 哀れを誘う表情で俺に訴えかけてくる。


「キスして」


 破滅の道へと誘うように――


「私のことが好きなら……キスして」


 したいよ。

 俺だって由衣とキスがしたいさ。

 今まで必死に抑え込んできた想いが爆発してしまいそうなくらいに。

 ここで全てを投げうってキスをしてしまいたい。

 大好きな妹を自分だけのものにしてしまいたい。

 誰よりも由衣のことを見てきたし、誰よりも由衣のことを大切に想ってきた。

 どこぞの馬の骨なんかよりも俺の方が相応しいはずだ。

 あんなやつに由衣を任せられない。


「お前さ――」

 

 少し、ほんの少し前に顔を突き出すだけで、由衣の軟らかく気持ちの良い唇に触れることができる。

 優しくキスをして、抱きしめ返して、もっともっとたくさん触れ合って、愛し続けたい。

 誰よりも大切な妹の、誰よりも大切な人になりたい。

 

 ――なりたかった。

 

「気持ち悪いよ」


 俺は、世界一最低な男だ。


「おにい、ちゃん……?」


 大好きな妹の崩れゆく表情。

 頬を赤く染めていた由衣の顔からは生気が失われ、青ざめたものになっていく。

 信じられないといった様子で俺を見つめ、力なくよろよろと後退る。


「あいつに言われたこと全部信じちゃったわけ?」

「だって、それは――」

「馬鹿みたいな冗談真に受けてさ、頭おかしいんじゃないの?」

「で、でも……! あの時のことも知って――」

「いい加減にしろよ!!」

 

 由衣の言葉を遮り、震える声を誤魔化すように俺は怒鳴り散らした。

 あの遊園地でのデートをした時の先輩のように、悪者になりきって由衣に向かう。


「何度も何度もこっちが黙ってれば調子にのってさあ! 迷惑だって分からないのかよ!」

「……お兄ちゃん」


 由衣の表情は酷くゆがんだものになり、ボロボロと大粒の涙が流れ始める。

 こんな答えを期待していたわけではないだろう。

 きっと俺なら本心を打ち明けてくれると思っていたはずだ。

 

「気持ち悪いんだよ! 気色悪いんだよ! もうウンザリだ!!」


 こんなふうに由衣に怒鳴ったことなど初めてだった。

 俺が一言大声を出すたびに由衣は肩をビクつかせ、身を縮こまらせていく。


「私、は……お兄ちゃんが、好きな……だけで――」

「それが迷惑だって言ってんだよ!」

「わ、わたし……その……ご、ごめん、なさい……ごめん、なさい……」


 由衣は何度も何度も涙を拭うも、止めどなく流れる涙に顔を濡らし続ける。

 俺は兄として失格だ。

 大切な妹を悲しませて、泣かせて、追い詰めて、俺が目指した理想の兄とは程遠い。

 俺にできるのは喚き散らして誤魔化すことだけだ。

 なんて情けない。


「お前の恋愛ごっこには付き合ってられない」


 最後にそう言い捨てた。

 泣きじゃくる由衣にとって、それはキツすぎる一言だったろう。

 由衣は声にならない声で小さく「ごめんなさい」と呟き、逃げるようにこの場から立ち去って行った。


 俺は小さくなっていく由衣の後姿を眺めながら、取り返しのつかないことをしてしまったと激しい後悔に襲われる。

 良い解決策が思いつかず、関係ごと壊してしまうという方法しか取れなかった。

 俺に器量があったのなら、もっと上手く回避できる方法があったのだろうか?

 考えても考えても、胸のつかえが無くなる事は無い。

 酷い罪悪感から懺悔でもしたい気分だが、神様はそんな暇を与えてはくれない。

 

 問題というものは、次から次へとやって来るのだから――

 

「優人くん」

「えっ?」

 

 聞こえるはずのない、ここにいてはいけない人物の声が後ろから掛けられた。

 驚いて振り向いてみると、浴衣姿の女性が街路樹の陰から現れる。

 ただでさえ由衣とのやり取りで神経をすり減らしたばかりだというのに、まだ終わりは見えない。


「いつから……そこにいたの?」

「……ごめんなさい……最初から」


 福山日菜子がそこにいた。

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