第12話 浴衣

 気候は相変わらず暑いままに、夏休みが始まっていた。

 世の学生たちは思い思いの長期休暇を過ごしている。

 自由気ままに遊んだり、部活動に力を入れたり、勉学に励んだりとさまざまだ。

 そしてとうの俺はと言うと、どうにも有意義な休みを過ごすことができずにいた。

 俺の学生生活において、夏休みというものは由衣と一日中一緒にいられる素晴らしいイベントのはずだったのだが、そうではなくなってしまっていたからだ。

 由衣には彼氏がいて、俺には彼女がいる。

 当然そうなれば、兄妹の時間が優先されることなど無くなっていく。

 今までの夏休みならば、一緒にゲームをして遊んだり、宿題を教えたり、兄妹二人でいることが多かったのだが……それは交際相手との時間に置き換わってしまった。

 それが悲しくて、悔しくもある。

 俺も福山さんとデートをしているわけだが、どこかそれには義務感のようなものが付きまとい、楽しめるようなものではなかった。

 毎日が退屈に感じられ、少し苦しくもあるのが俺の夏休みだ。


「優人くん? あの、もしかして体調悪いの?」

「え? あ、いや、大丈夫だよ」


 福山さんが目の前にいるというのに、俺は陰鬱な様子を見せてしまう。

 彼女を不安にさせるような事は避けるべきなのに、それができないでいる。

 いい加減、福山さんとの関係も清算するべき時が来ているのかもしれない。


「外暑かったでしょ? わざわざ迎えに来てくれて……熱中症だったら大変」

「ホントに大丈夫だって! 水分はたくさんとってきたからさ!」


 福山さんは本気で心配をしてくれているようだ。

 もちろん俺の身体は健康そのものである。


「そんなことより! 浴衣! 良く似合ってるよ!」

「えっ? う、うん。……ありがとう……」


 俺は慌てて話題をそらし、彼女の浴衣姿を褒めてみる。

 福山さんは心配そうな表情から一転、はにかんだ笑顔をみせ、顔を紅潮させた。

 

 なぜ彼女が浴衣を着ているのかというと、今日は夏祭りで、例のダブルデートの当日だからだ。

 現地に二人で向かう予定で、少し早めに福山さんの家にお邪魔している。

 彼女の自室にて一足先に浴衣姿の披露会といったところだ。


「上品な感じが日菜子にピッタリだね」


 淡い紺色の生地に小さな花柄がちりばめられていて、派手さや目立った可愛さはないが、落ち着いた雰囲気が彼女に良く合っているだろう。

 

「そんな……上品だなんて……」


 俺の言葉にすっかり照れてしまった福山さんは顔を背ける。

 そして丁度彼女が後ろを振り向いたタイミングでドアの向こうから声が聞こえてきた。


「日菜子~。飲み物持って来たんだけど、ドア開けてくれない~?」

「う、うん。今開けるから」


 福山さんがすぐにドアを開けると、おぼんで両手の塞がった彼女の母親が立っていた。

 ニコニコと笑いながら俺達を一瞥し、部屋の中に入って来る。


「優人くん外暑かったでしょ? これ飲んで頂戴。せっかくのお祭りデートなのに熱中症になったら大変でしょ?」

「ありがとうございます」


 そう言って福山さんの母親はおぼんに乗せた飲み物をテーブルの上に三つ並べる。

 

「えっと……なんで三つも用意してるの?」


 何故か三人分の飲み物を用意する母親に、不思議そうに福山さんは尋ねた。

 たしかに、俺と福山さんの分だけなら二つで良いはずだが……


「私の分に決まってるじゃない」


 さも当たり前だろといった感じに福山母は答え、その場にゆっくりと座った。


「ね、ねえ……用が済んだら出てってよ」

「嫌よ。私も優人くんとお話したいし」


 困惑する福山さんをよそに福山母は俺の目を真っすぐと見つめてくる。


「どう? 日菜子の浴衣。似合ってるでしょ?」

「ええ、良く似合ってます」

「この娘ったらコレ選ぶのに二時間もかけたんだから」

「ちょ!? お母さん!? 変なこと言わないでよ!」

「変なことじゃないでしょ。ホントのことだもん」

「ホントのことだから駄目なの!!」


 母親に思わぬ暴露をされ、顔を真っ赤にして福山さんが食って掛かる。

 いつもの遠慮がちな彼女からは想像もできない姿だ。

 

「それに一昨日から何度も試着しては鏡の前で唸ってたのよ? 変じゃないかな? 変じゃないかな?って」

「もう! お母さん! やめてってば!!」


 福山さんは母親の背中をペシペシと可愛く叩きながら抗議をしてみせるも、どうにも福山母はそれを面白がっているようだ。


「優人くんに褒めてもらえるかな? って不安がってたんだから」

「ホントにやめてってば!」


 母の止まらぬ言動に福山さんは涙目になってしまっている。

 自分の恥ずかしい話をバラされて可哀そうだとは思うのだが、なんだかそんな母娘のやり取りが面白く、少し笑いが込み上げてきてしまった。


「ほら、優人くんに笑われちゃってるよ?」

「お母さんのせいでしょ!」


 福山さんは母親の腕をとり、この部屋から閉め出そうとグイグイと引っ張っている。

 

「もう気が済んだでしょ! ほらっ、早く戻ってよ!!」

「なによ意地悪ね~」


 どちらかというと意地悪していたのは福山母ではあるのだが……

 なんにせよ仲の良い母娘であるようだ。


「優人くんみたいな男の子が彼氏になってくれて良かったわ」


 福山さんの母親は少しホッとしたような、やさしい眼差しで俺を見つめる。


「日菜子の事、よろしくね」


 去り際のその言葉に「はい。まかせてください」と、心にもない返答をする。

 そんなどうしようもない俺だというのに、福山さんの母親は安心したような微笑みを向けてくれていた。

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