第9話 お似合いの二人

 昼時になり、由衣達は遊園地内のフードコートで食事をとっている。

 そして俺達はというと、あろうことか、由衣達の隣の席に陣取っていた。


「……」

「……」 


 俺と父さんは息を殺し、聞き耳を立てている。

 こんな近くでバレてしまわないかと俺は心配したのだが、父さんは絶対に気づかれないと謎の自信をみせていた。

 そこらへんの出店で買ったお土産用の帽子を深くかぶり、簡易的な変装をしているとはいえ、この距離で顔を見られてしまえばすぐに正体を見破られるだろう。

 そうなれば修羅場は必至だ。

 何をしているのだと問い詰められ、すべての信用を失うであろう。

 それだけは何としても避けたい。

 俺は必死に存在感というものを消そうとしていた。


「これ凄くおいしいよ」


 隣の席からは元気な声が聞こえてくる。

 首を振り向けずに横目で様子を窺うと、相羽君が豪快な食べっぷりをみせていた。

 一口一口が大きく、大盛の料理は見る見るうちに減っていく。


「お腹減ってたの?」

「いやもうペコペコで――」

「朝は食べてこなかったの?」

「……実はさ、その……緊張しちゃって、朝はあんまり食べられなかったんだよね」


 相羽君は恥ずかしそうに笑い、頬をかいて照れ隠しをする。


「へえ、あがり症なんだ?」

「いや、ていうか……女の子とデートするの初めてだし……相手が澄谷だって考えると意識しちゃうって言うか」

「ふ~ん……ちなみにどんなふうに意識しちゃうの?」

「えっ? いや、なんていうか、その……」

「言えないような事なの?」

「いやっ! 変なことを考えてたわけじゃないよ? そういうんじゃなくて――」

「変なことってなあに?」

「えっ、いやっ、変なことってのは、決して変なことじゃなくて――」


 由衣の質問攻めに、相羽君は慌てふためいている。

 そんな彼の様子を見て、由衣はクスクスと楽しそうに笑っていた。

 

「ふふっ、慌てすぎじゃない? 顔真っ赤だよ」

「……あんまからかわないでよ」


 相羽君は勘弁してくれといった様子で口元を手で覆い、視線を逸らす。

 完全に由衣に振り回されている。

 

「ごめんね。怒った?」


 由衣は意地悪な笑みを浮かべたまま謝罪の言葉を口にした。

 どうみても楽しんでいるようにしか見えない。


「怒ってはいないけど……なんだか澄谷は余裕がありそうで……なんか悔しいな」

「そんな事ないよ。私もこういうの初めてだから……凄く、ドキドキしてる」

「……本当かなあ……」

「ホントだよ? なんなら触って確かめてみる?」

「えっ、いや、それは……ちょっと…………遠慮しとくよ……」


 由衣の発言に相羽君は狼狽して視線を泳がせている。

 完全に由衣のペースだ。

 いつの間に、いたいけな男子高生を手玉に取れるようになっていたのだろうか……なんだか複雑な気持ちである。


「……」

「ッ……!」


 そして、そんなやり取りを父さんはどう思っているのだろうかと視線を正面に戻すと、まるで限界まで便意を我慢しているかのような表情になっていた。

 買ってきた食事に一口も手を付けることなく、じっと耐えている。

 そんな顔するくらいなら、盗み聞きなど止めてしまえばいいのに……


「大和はもっと女の子慣れしてるのかと思ってた。」


 由衣の自然な名前呼びに、少し胸がざわついた。


「俺ってそういう風に見えてたんだ」

「女子の間じゃ大和は結構人気なんだよ?」

「……そう、なんだ……」

「嬉しくないの?」

「……嬉しいけど――」


 相羽君は少し間を取ってから、小さな声で言う。


「俺は、澄谷に好きになってもらいたいかな……」

「……うん」


 少し、しんみりとした空気が流れる。

 今のやり取りには、何か二人にしか分からない意味が込められているのかもしれない。

 

「……あのさ、ごめんね。……あんまり時間作れなくてさ」


 相羽君の表情に、少し影が落ちる。

 弟くんから教えてもらった情報では、相羽君のバイトが忙しくて二人の時間が取れていないとの事だった。おそらくはそれについての謝罪だろう。


「しょうがないよ。人手が足りてないんだよね?」

「うん……これから夏休みになるのに、学生のバイトがいっぺんに辞めちゃって……」

「私は気にしてないからさ、叔父さんのお店なんでしょ? だったら力になってあげないとね」

「……ありがとう」

「頑張ってね」


 伏し目がちになる相羽君を元気づけるように、由衣は飛び切りに明るい笑顔を作って見せた。

 ただ、相羽君はそれでも後ろめたさが消えないようで、表情は晴れない。


「本当にごめん。……俺、あんなこと言ったのに……澄谷を放っておくような事して……」

「もう! 気にしてないってば! そんなことよりも、『澄谷』じゃなくて、私の事は何て呼べばいいんだったかな?」


 由衣は彼を気遣ってか、分かりやすく話題を逸らしてあげる。

 ほんとうに、できた妹だ。


「ええと…………由衣」


 相羽君は少し照れをみせながらも、しっかりと由衣の名を呼んだ。


「何回も言ってるのに、油断するとすぐに苗字で呼ぶんだから」

「いやあ、まだ慣れなくて」


 相羽君は今まで本当に女性経験がなかったのだろう。

 俺も先輩と同じようなやり取りをしていたので、馴れ馴れしく異性の名前を呼ぶことができない気持ちはよくわかる。

 

「じゃあ、もっと慣れないとね」


 由衣は優しくそう言って手を伸ばし、テーブルの上にある彼の手に重ねた。


「は、早く慣れるように、するよっ!」


 相羽君はドギマギとしながらも、由衣の手を握り返す。

 由衣は満足そうな顔をし、相羽君は頬を赤く染めている。

 悔しながらも、お似合いのカップルだなと、思ってしまった。


「……そろそろ行こうか」

「そうだね」


 二人は席を立ち、この場を離れていく。

 そして、それと同時に、妹という存在が、俺の中から遠ざかっていく感覚を覚える。

 由衣が俺の手の届かない所に行ってしまう。そんな気がした。

 

 二人のあとを追うため、手つかずの昼食を片付けようとするも、肝心の父さんが微動だにしていない。


「……父さん?」


 先ほどまでの、怒りを耐えに耐えている表情とは違い、今では全く生気を感じさせない顔だ。

 えらく静かで、呆けているようにさえ見える。

 そしてゆったりとした動作で、冷めきった料理を食べ始めた。


「どうしたんだよ、行かないのか?」 

「……ああ……もう、いいんだ。……あいつ、良い奴そうじゃねえか……」


 由衣達の関係を認めたのか……はたまた燃え尽きただけなのか、力のない声で父さんは言った。


「これ食ったら帰ろう」

「……ああ」


 肩を落とした父さんの姿が、いつもの一回りは小さく見える。


「なあ、覚えてるか? 昔さ、家族みんなで、ここに良く遊びに来てたのを……」

「……覚えてるよ」

「あの頃は二人とも小さかったよ……でも、お前らも成長したんだよな……」


 きっと俺なんかとは比べ物にはならないくらいの複雑な感情が渦巻いているのだろう。言葉の端々と、一つ一つの動作がそう告げてくる。

 

 そして消え入るような声で、尊ぶように言う。


「大きく、なったなあ……」


 父さんは自分の中の相反する気持ちに、折り合いをつけたのだろう。

 俺は未だに、それができないでいる。

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