第6話 深夜の訪問者

 一波乱あった夕食も終わり、片付けを手伝い終えた俺は自分の部屋へと戻った。

 父さんは外出したまま戻っては来ず、由衣も部屋にこもっているので家の中は静かなもんだ。

 落ち着いて勉強するにはもってこいの環境となり、俺は机へと向かったのだが、集中など出来るはずも無く、早々に諦めてベッドに身を投げた。

 横になり、心を静めようとしても、由衣の彼氏の幻影がチラついてくる。

 それを知ったところで意味は無いし、何も出来ないだろうに、どうしようもなく思いが巡ってしまう。

 結局そのまま、就寝時間まで悶々とすることになってしまった。


 静まり返った真夜中。

 雑念を振り払えずに、俺は眠る事さえできない。

 目を閉じると瞼の裏側に由衣の姿が浮かんでくる。

 夕食前までは福山さんの事で悩んでいたというのに、今では妹の事で頭がいっぱいだ。

 なんとも薄情な事だが、俺の優先順位は常に由衣が一番なのだと気づかされた。


 そして、いつまでも考えることを止められずに、時間が過ぎていく。

 今日はもう眠ることができないだろうと、そう思い始めた時だった。


 なにか、小さな物音が聞こえてきた。

 ドアの向こう側、誰かの気配がする。


 俺の心臓がドクンと跳ねた。

 また、由衣が来たのだろうか?

 あの時のように……

 俺が寝ている間に、キスされた時のように……


 ドアノブに手を掛ける音が、小さく響く。

 そして、ドアが静かに開かれた。


 俺はあの時と同じように目を瞑り、寝たふりをする。

 静かに呼吸を整え、気を落ち着けようとするが、緊張からか激しい鼓動は抑えられない。

  

 由衣はどんなつもりで俺の部屋にやってきたのだろうか?

 彼氏とやらの事で俺に話がある、とか?

 いや……それにしたってこんな夜中に忍び込む必要などないだろうし……

 

 混乱する俺をよそに、静かな足音はゆっくりとゆっくりと近づいて来た。

 小さな足音が聞こえるたびに、俺の心臓は大きく鳴る。

 そしてその足音はベッドの真横に来ると、ピタリと止まった。

 

「…………」


 微かな呼吸音が耳に届いて来た。

 誰かが俺の横に立っている。

 背中には嫌な汗がジワリと滲む。

 

 頼むから何もせずに部屋から出て行ってくれ――


 その願いも虚しく、ベッドが大きく沈み込んだ。

 俺の胸のすぐ横に腰かけたのだろう。

 そしてそのまま俺の肩に優しく手を乗せて、ゆっくりと揺らしてきた。

 大きくてゴツゴツとした硬い手のひら。

 間違いなく、由衣のものではない……


「おい、優人。起きてくれ」

「……なんだよ……父さん」


 訪問者は、まさかの父親だった。

 由衣ではなくてホッとしたような……すこし残念なような、複雑な気持ちだ……


「お前に、その、な……相談があってな……」


 こんな夜中に息子の部屋に忍び込んでする相談とはいったい……


「……いま何時だと思ってんだよ……ったく……」


 俺は眠くて仕方がないという表情を作りながらそう言った。

 

「悪い……由衣と母さんには聞かれたくなくてな」


 その言葉に、相談事というのは由衣の彼氏のことだろうと察しがつく。

 はたしてこの相談に乗って良いものか……

 あれだけ反対していた父さんの事だ。とんでもない事をお願いされるかもしれない。

 できれば何も聞かずにおきたいのだが……


「それは俺じゃないとダメなのか?」

「もうお前しか頼れないんだ」

「……嫌だよ」

「話だけでも聞いてくれッ。頼むッ」


 父さんは小さいながらも芯のしっかりとした声で懇願してくる。

 そして俺の手をとり、両手で強く握りしめてきた。気持ち悪い。


「なんのつもりだよ」


 俺が手を振り払おうとするも、父さんはかなりの力を込めて離さない。

 そして何かをポケットから取り出し、俺の手の中に握り込ませる。

 くしゃくしゃに丸め込まれた紙きれのようなものを……


「これでどうだ」

「……」


 暗闇の中、目を凝らしてそれを見つめる。

 お札だ……しかも万札である。

 必死過ぎないか、父さん……


「由衣の彼氏の情報を持ってきてくれ」


 そうきたか。


「……俺は探偵じゃないぞ」


 手渡された万札を返そうと、手を突き出すも押し返されてしまう。


「頼む」


 父さんはそう言いながら、もう一枚の万札を俺の手に入れ込む。

 合計二万円だ。

 息子を買収しようとは……

 

「なんでそんな必死になってんだよ」

「お前は平気なのか? 由衣に彼氏がいるんだぞ?」

「高校生なんだから、そんくらいは普通だろ」

「相手がとんでもない糞野郎だったらどうすんだ」

「知らねえよ。それも含めての経験だろ」


 本音を言うと心配で仕方が無い。

 しかし、だからといって俺達が口出しするのは間違ってるだろう。

 父さんはすっかり暴走状態になっており、冷静な判断をできないでいるようだ。

 まあ、それだけ自分の娘が可愛いということなのだろうが……


「何かあってからじゃ遅いんだ。ちゃんと見極めておきたい」


 そう言って父さんはもう一枚の万札を渡してきた。

 これで合計三万円。

 高校生に軽く渡していい額ではないだろうに。


「……本気で言ってんのか?」

「俺は本気だ」

「……もし調べてさ……由衣の彼氏が糞野郎だったらどうすんだよ」

「別れさせる」

「じゃあ、良い奴だったら?」

「そん時は…………あれだ…………その…………わからん」

「…………」


 無茶苦茶だ。

 自分でもどうしていいのか分かっていないのではないか。


「とりあえず情報だけでいい。集めるだけ集めてくれ」

「いや――」

「その金は好きに使え。成功報酬は別で出す。頼んだぞ。じゃあな」

「おい――」


 父さんは俺の返事を聞くことなく、言いたいことを言って、逃げるように去って行った。

 

 俺は、どうするべきだろうか……

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