第5話 怒り

「ちょっとお母さん! 言っちゃダメだって!」

「ええ~、いいじゃない、減るもんじゃないし」

「そういう問題じゃなくて――」

「な~に? 優人のはバラすのに自分のは駄目なのー?」

「いや、それは……」


 由衣と母さんがそんなやり取りを繰り広げているが、それもどこか遠くの出来事のように感じる。

 目の前がスローモーションのように見え、現実感がまったく無い。

 それだけ母さんの落とした爆弾が、俺にとっては衝撃だった。


 ――由衣に彼氏がいる


 いつかはその時が来ると覚悟をしていたはずなのに、実際に目の当たりにすると激しく心を揺さぶられる。由衣が誰かのものになるという事を、真剣には考えれていなかった証拠だろう。

 何があっても、由衣はいつまでも俺の事を好きでいてくれるのではないかという、自分本位な考え方を捨てきれなかったんだ。本当に、最低な男だ。俺ってやつは。

 

 自制しなければならないのに、大好きな妹が誰とも知らない男としているのだと思うと、自分の中にドス黒い感情が溢れてくる。


「……彼氏だと? ふざけんな……」


 思わず自分の口から本音が漏れ出てしまったと思うほどに、その言葉は俺の気持ちとリンクしていた。

 実際は父さんが発したもので、俺のではない。

 父さんは身体をプルプルと震わせ、鬼の形相になっている。


「おい、どういうことだ……誰が彼氏をつくって良いなんて言った!!」

「そんなの私の勝手でしょ」

「お前にはまだ早い!」

「私もう高校生なんだけど」

、高校生だ」


 由衣と父さんの間にはピリピリとした空気が漂う。

 お互いに引く気はないようで、両者とも険しい表情だ。


「何でお兄ちゃんは良くて私は駄目なの?」

「こいつは関係ない」

「なんでさ」

「どうでもいいからだ」


 俺はどうでもいいらしい。

 息子と娘に対する扱いの差よ。


「とにかく! 彼氏なんぞ許さん!!」

「お父さんに許してもらう気なんてないから」


 二人の会話は平行線だ。収まる気配がまったく無い。

 このままでは互いに大爆発を起こしそうで恐怖すら感じる。

 その原因にもなった母さんに目を向け、どうにか仲裁してくれと念をこめるが通じないようだ。母さんはニコニコと笑いながら父さんと由衣を眺めている。


「俺がダメって言ったらダメなんだ!」


 まるで駄々をこねる子供のように叫ぶ父親。完全に冷静さを失っている。


「はあ……もう、めんどくさいなあ……」


 由衣は下を向き、呆れたようにそう呟いた。


「いいか由衣。男子高生なんてもんは四六時中くだらない事を考えているような生き物なんだ。お前に釣り合うような男がいるわけがない。高校生になって浮かれる気持ちは分かるがな、考え直すんだ」


 父さんはとんでもない偏見を、大真面目な顔で力説している。

 当然、由衣がそんなもので納得するわけも無く、余計に反発を生むだけだった。


「私が自分で決める事だから、一々首突っ込まないでくれる?」


 由衣は非常に冷たい声色で、父さんに嫌悪感を向ける。

 そして話はこれで終わりと言わんばかりに勢いよく席を立つと、まだ半端に残った夕食に構うことなく自分の部屋に戻っていくのだった。


「おい! 由衣! 話はまだ終わってないぞ!」


 父さんの遠吠えが家中に響く。

 しかし、それで由衣が戻ってくることは無い。


「……くそったれ……どこの馬の骨だ……ちくしょう……」


 父さんはブツブツと恨み言を言いながら、重い足取りでこの場を離れていった。

 いったいどこに行くつもりなのかは分からないが、玄関から物音が聞こえてきたので外の空気を吸いに出かけたのだろう。少しはそれで冷静になってくれれば良いのだが……

 

 この場は俺と母さんだけになり、食卓には残されたおかずたちが哀愁を漂わせている。


「由衣は可愛いんだから彼氏くらいいても当然なのにね。むしろ遅いくらい」


 母さんは困り笑いを浮かべながら、空になった父さんの席を見てそんな事を言った。


「お父さんもそろそろ娘離れしないとね」

「……そうだね」

「優人は大丈夫? 妹離れ、できそう?」

「いや、できるもなにも――」

「顔に出てるけど?」


 母さんは得意げにそう指摘をする。

 どうやら俺が妹離れできていないのはバレバレらしい。

 動揺がそのまま表情となっていたのだろう。

 さすがと言うべきか、よく見ている。


「……すこし、驚いただけだよ」


 取り繕うように俺がそう言うと、母さんはクスりと笑う。


「そうね。お父さんと優人の顔、すっごく面白かった」


 なんとも意地悪な母親だ。

 ただ俺達の反応を見たいがために爆弾を投下したに違いない。


「……ちゃんと父さんのフォローはしといてよ。由衣、本気で怒ってるみたいだったから……」

「わかってるって」


 このままでは家庭内冷戦に突入しそうだし、母さんには何としても両者の間を取り持ってもらわねばならない。きっと俺では役に立たないだろうからな。

 

 その後は静かになった食卓で、俺と母さんは残りの晩御飯を黙々と食べる。



 俺の中にはいろいろな感情が渦巻いていた。

 悲しみや悔しさ、まだ見ぬ由衣の彼氏への怒りや嫉妬も全部が混ざり合っている。

 父さんが先に取り乱したこともあり、俺は少しだけ冷静になれたのだが、それでも許容できない思いがある。

 しばらくは心の整理がつきそうもない。


 俺に彼女がいると聞かされた時の由衣も、こんな気持ちだったのだろうか……

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