第三章 始まる夏、終わる夏
第1話 夏
「ああ~もう……ほんと暑いわね……」
生徒会室として使用している化学室にて、生徒会長である
「机、冷たくて気持ちぃいい」
いつもの威厳ある様子とは正反対の、なんともだらしのない姿だ。
しかしそれも仕方のない事だろう。
ここ最近は特に厳しい暑さが続いている。
俺、
季節は夏。
気温の上昇とともに、学校内の空気が少しずつ浮足立ってきたようにも思える。
おそらくはすぐそこまで来ている夏休みの気配を感じているせいだろう。
「ほら貴志~、もっと扇ぎなさいよー」
「はいはい」
先輩の弟である
「だらしないですよ。先輩」
「だって暑いんだもん」
「そらまあ暑いですけど」
「もう……汗がベタついて気持ち悪い……」
先輩はそう言うとうつ伏せていた上半身を起こし、おもむろにワイシャツのボタンを一つ二つと外し始め、それをパタパタと動かして空気を送り込む。そしてそのたびに、うっすらと汗ばんだ胸元がチラチラと顔を覗かせている。
「あんまり見ないでよね。えっち」
「み、見てませんて」
先輩の指摘に慌てて視線をそらす。
別に見たくて見ていた訳ではなく、自然と視線が吸い寄せられてしまったのだ。
決して悪意があったわけではないので許して欲しいところではあるのだが――
「姉さんに色目を使うな。殺すぞ」
この弟くんが許してくれるはずも無く、鋭く睨みつけてくる。
「こらっ。そんな乱暴な言い方はダメよ」
「……ふん」
そんな弟くんに対して先輩が優しく注意をする。
愛する姉には口答えが出来ないのか、弟くんは不機嫌そうな顔でそっぽを向くだけだ。
「優人は悪くないの。私が魅力的すぎるからいけないの。分かるでしょ?」
先輩は弟くんの頭を優しく撫でながらそんな事を言う。
どこまでも自分に自信のある物言いだが、実際にその通りだろう。
特に夏服の先輩は身体のラインが強調されていて目に毒だ。
「ま、だからって私の事をいやらしい目で見てたら、彼女さんに呆れられちゃうかもしれないけどね」
「そ、そんな目で見てませんって……」
そこまでいやらしい感情があったわけでは無いのだが、端から見ればただのスケベ野郎に見えているのだろうか? これからは気を付けなければな……
気を取り直し、煩悩を払い終えてから先輩に向き直った。
目線が下がらぬように、あくまで相手の目線に合わせる事に集中をする。
するとそんな俺の様子が面白かったのか先輩はクスリと笑った。
「どう? 彼女とはちゃんと上手くいってるの?」
先輩は柔らかな微笑みを浮かべたまま、しかしどこか不安を覗かせるような声色でそう聞いてきた。
俺が福山さんと付き合い始めたという事は報告していたのだが、その後の進展などについては話してはいなかった。
今までの俺は頼りないというか、情けない姿をさらしていたわけだし、おそらくは心配してくれているのだと思う。
「まあ……それなりですかね……」
「それなりって、どのくらい?」
「え~っと……それなりですよ……」
「……はあ」
俺の煮え切らない返答を聞いた先輩はわざとらしく大きな溜息をつき、ジトっとした目付きで俺を見つめてきた。
「優人のそれなりはあんまり信用できないんだけど」
「……そうですか」
「どこまでいったの?」
「ええっと……」
「エッチくらいはしたんでしょ?」
その質問はセクハラ案件だろうに、まるで「昨日のご飯何食べた?」くらいの感覚で先輩は言った。
「…………あの、普通そこまで聞きます?」
「優人には普通じゃない事情があるじゃない。何のために福山さんと付き合っているのか分かってる?」
「……分かってます」
「もう二か月以上も経過してるわけだし、優人が本気で由衣ちゃんの事を諦めるなら前に進んでないと不味いんじゃない?」
「そう、ですね」
「で、どこまでいったの?」
「……えっとですね……」
先輩の追及に、上手く言葉が続かない。
何から話すべきなのかと考えるが、実のところ、たいして話すようなことは無いのだ。
なぜなら俺と福山さんの恋人関係はあまり進んではいない。
「チューくらいはしているんでしょ?」
「えと……それは……告白した時に済ませました……」
「それ以降は?」
「え~……してませんね……」
俺のその答えに、先輩は「マジかこいつ……」という顔で見つめてきた。
「じゃあ一体何をしてるの?」
「……手を繋いで一緒に帰ったり……週末は一緒に買い物に行ったり、とか」
「それだけ?」
「……はい」
「デートの帰りに良い雰囲気になってイチャイチャのチュッチュしたりとか無いわけ?」
「……ないですね」
福山さんはとても奥手な人なので、そういった事はしてこない。なので俺から行動を起こさなければ特別なイベントは発生しない。
いつもデートの終わりは「今日は楽しかったね」で終わってしまう。
なんとも清らかなお付き合いだ。今時中学生でももっと進んでいるだろうに。
「ホント腑抜けだよな。お前」
俺と先輩のやり取りを聞いていた弟くんが口を挟んできた。
こいつに意見されるのは何かムカつくのだが、事実を突かれているので言い返すこともできない。
「まったく手出ししないとなると不信感を持たれるぞ」
「そうね……自分に魅力が無いのかと不安にさせる事だってあるかも」
新庄姉弟の視線が俺に突き刺さる。
「いかにも奥手な娘なんだし、優人がしっかりリードしないと」
「……はい」
本当は、ただ怖かっただけだ。
あのキスをした時も、一緒に帰っている時も、デートをしている時も、一度だって由衣の事を忘れるなんてことは出来なかった。
福山さんと一緒に居るだけで、由衣への罪悪感が積み上がっていく。
仮に彼女と唇を重ねて身体を重ねれば、それが消えてなくなるだろうか?
そこまでしても尚、この想いが無くならないのであれば、俺はもうどうしていいのか分からなくなってしまう。
福山さんと付き合い続けても、彼女の事を好きになれる自信が無い。
由衣の事を諦めきれる自信が無い。
いつまで経っても前に進めない。
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