第7話 交渉
――放課後の化学実験室
机を挟んで向かい合う形で、先輩と俺は席についている。
いつまでも地面に押え付けられていたのでは、ろくに会話も出来やしないので、取りあえず拘束だけは解いてもらった。
ただ俺の後ろには先輩の弟が立っていて目を光らせている。
暴れようとすると、こいつに手酷くやられるわけだ。
由衣の事を持ち出されて思わずカッとなってしまったが、ここは冷静に話を進めるべきだろう。
お互いに少しヒートアップしすぎていた。
「もう一度言いますけど、俺はこの件に関して誰かに喋ろうなんて、そんなつもりは全くありません」
この言葉を信じてもらえれば、この件はすんなり解決するわけだが……
「なら私ももう一度言うけど、君を信用できないの」
やっぱりというか平行線になる。
「だからといって由衣を盾にするのは逆効果ですよ。そんな事をされたら俺は絶対にあんたらを許さない」
それだけは譲れないところだ。先輩の目をまっすぐと見て言い放った。
彼女は俺から目を逸らし、机に視線を向けて大きく息を吸った。
「…………澄谷君、私はね、貴志のことが好きなの。どうしようもないくらいに……」
先輩はゆっくりと語り始めた。
「もし私たちの関係がバレたりしたら、周りからは蔑んだ目で見られる事になる。私がそう見られるのは構わないけど、貴志がそう見られるのは絶対に嫌」
先ほどまで俺を脅していた邪悪な表情が嘘のようにしおらしい。
「こんな関係は誰にも理解してもらえないの。もし誰かに知られたりしてしまったらって、ずっと不安だった……だから君に見つかった時……すごく怖かった…………君が怖かった」
不安だった、怖かった……というのは先輩の本心だろう。
だからといって暴力に頼るのは理解できないが。
「……そんなに不安ならこんな所で始めないでくださいよ。学校なんですから」
「そうね……人払いはしたつもりだったけど……まさか君がいるとは思わなかった」
先輩は表情を切り替えて、俺の顔を見つめる。
「君のことを信じたい気持ちはあるけど、それでもやっぱり不安なの…………だから私は保険が欲しい、君を脅して安心したい」
これを真顔で言ってくるから頭が痛くなる……
どうしても俺の弱みを握りたいらしい。
「それで一番効率的だと思うのは由衣ちゃんを襲ってそれを動画にする事なんだけど……」
「だからそれは論外だって言ってるだろ!!」
先輩の言葉を遮って、俺は声を張り上げた。
冷静に会話を続けようとしていたが、由衣の事を持ち出されると頭に血が上る。
俺の感情の高ぶりを見て、妹を使うのが効果的だと思っているのだろうが…………
「澄谷くん、君の気持は分かったから……由衣ちゃんには酷いことをしない前提で話を進めましょう」
「…………人道的なもんをお願いしますよ……」
俺は額に手をあて、溜息まじりにそう言った。
先輩からまともな提案が出るとは到底考えにくい。
大した期待はせずに話を聞こうと思ったのだが……
「君が由衣ちゃんを襲うというのはどうかしら?」
「………………はい?」
想像していた遥か下の提案をされて、思わず間抜けな声が出てしまった。
「正確には
開いた口が塞がらないとはこの事だ。
「……やっぱりあんた狂ってるよ」と
そう言わざるを得なかった。
「…………そうね……実の弟に恋をするくらいには狂っているわね」
先輩は自嘲気味にそう言った。
「でも、そんなに悪くない案だとは思うんだけど……後の事は悪戯でした! って、それで誤魔化せばいいわけだし」
軽いノリで言ってくれるが、そう簡単な話ではないだろう。
ふり……ふりをするだけと言っても、そんなことされたら由衣はきっと傷つく。
「駄目ですよ……そんなのは……」
俺は露骨に落胆した表情を先輩に見せた。
「そう……」
先輩は口を手で押さえ、真剣に考えているようだ。
もっとも、熟慮しても良い案が出るとは限らない。
「それなら、告白のふりはどうかな?」
「こく、はく……?」
「そう、『
何度も言うがそんな事しなくても俺は言いふらしたりしない。ただその事を言っても堂々巡りになるだけだろう。
先輩はどうしても俺の弱みを握らないと安心できないわけだ。
だからこそ暴力に頼って必死になっている。
「由衣ちゃんには友達との罰ゲームでやらされたって、後で説明をしておけば大丈夫よ」
自信ありげに先輩はそう言うが、はたしてそうだろうか……
本来ならこの提案も即断るべきなのかもしれないが、俺は言葉が出なかった。
無茶苦茶な事を言われすぎて、頭がマヒしてるってのもあったかもしれない。
断ったらさらに酷い無理難題が飛び出るかもしれないし、先輩たちがこれ以上暴走したら何をしでかすか分からないという恐怖心も少なからずあった。
「だめかな?」
何も言わない俺に再度問いかける。
「……その条件を飲んだら、由衣には今後何もしないと、誓えますか?」
数分悩んで出た言葉がそれだった。
「もちろん。君が今回の件に関して口を噤んでくれるのなら」
「…………わかりました」
俺は先輩の提案を受け入れることにした。
理性では馬鹿らしい、アホらしい、無茶苦茶だと思っていても、心の奥底ではそう思っていない自分がいた。
実のところ、俺は先輩に同情していたのだ。
同じ穴の狢として……
俺も実の妹に恋をしているのだから。
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