第70話 おせち料理とお雑煮、そして、あ~ん。

 

 あれから、ようやく解放されると、着替えのため、2人を自室から追い出した。


 2人の衣服または身体から生まれた残り香を知覚しながら、彼らが好き放題触れた感触が残る肉体に上下の部屋着を通す。


 衣服に皺が存在しないか確認すると、トップスのパーカーが基調とする純粋な赤色が目の前に浮上する。


 肌が露出した足首や足の平に寒気を感じつつ、自室を後にし、歩を進めるごとに少しばかり景色を変化させる階段を下る。


 2階から1回に足を踏み入れると、窓から直射する黄色と白が混合した日の光が、俺の目と部屋のフロアを照らす。それが要因となり、目に若干の痛みが生まれ、視界がぼやける。


 しかし、その現象も一瞬で終焉を迎えに、即座に視界が空ける。


 フロアから足に熱の温かみを受けながら、テーブルの設けられらたエリアに歩を進める。


 テーブルと俺の距離がだんだんと縮まり、何かが火に掛けられ、その結果、生まれた煙に含まれた匂いが俺の鼻腔をくすぐる。その匂いは、前方に進むごと濃くなっていく。


「あっ!来た。敦宏も料理、テーブルに載せるの手伝って」


 キッチンに設けられた料理(お母さんが作った)をテーブルに置く作業を反復して行う香恋が、料理の匂いと一緒に視認される。


「わかった!すぐ手伝うよ」


 俺は、返答した後、早歩きでキッチンに向かう。その途中、香恋の行き違いなる。


 煙を上方に漂わせる鍋の直近に身を置く母親からお雑煮が投入された味噌汁の器を手渡しで受け取る。


 母親の熱さ(器の熱さ)への警告と器から発せられる温度が同時に俺の触覚と聴覚を刺激する。


 じわっと拡がる熱さを10本の指が抱きながら、テーブル付近に到着すると、適当な場所に器を置く。指から熱さが消え失せる。


 休む暇もなく、それから、キッチンからテーブルへとお雑煮の入った味噌汁の器を移動させる。その繰り返しで、指に鈍い痛みを感じるようになる。


 ようやく、終了すると、香恋と共にイスに腰を下ろす。


 視線を下方から前方(座る際、床に目を向けたから)にスライドさせると、テーブルに不規則的に配置された料理たちがテリトリーを作成していた。


 木箱に詰められた、エビ、紅白かまぼこ、鰤(ぶり)、栗きんとん、たたきごぼう、黒豆、といったおせち料理と味噌汁の器に投入されたお雑煮がその場を占領する。


 お雑煮の湯気が、俺と香恋の間で立ち昇る。それはまるで資源や物を焼却する煙の如く、香恋の顔を白く濁った気体は霞める。


 仕事が終了したと思しき母親が、俺達同様テーブルのイスに腰を下ろす。


「それでは食べましょうか」


 料理を担当したお母さんがそう俺たちに呼び掛ける。


 俺たちは、お互い首肯すると、独自のタイミングで両手を合わせる。


 勢いよく手を合わせたため、やや強い衝撃が生まれ、手の痛みと同時に、ぱちんっといった音が俺の鼓膜を刺激する。


「「いただきます!」」


 タイミングを図らず、各自で食事の挨拶をしたが、偶発的に3人の言葉が重なる。その際、自分の声色と共に香恋とお母さんの声色を耳が同時に察知する。


 3人は、気にせず各々、自分が気になる食材に割り箸をつける。


 俺はまず最初に、お雑煮の中に入ったかまぼこを割り箸で掴み、そのまま口に放り込む。


 かまぼこから出る熱さと割り箸の木の感触が、歯と唇を舐めるように刺激する。熱さからかまぼこ特有の甘味に変化し、舌が喜びを覚える。うん、美味しい。


 お母さんに「美味しい」と伝えると、口元を綻ばせ、嬉しそうに微笑む。


「おせちは市販だけど、お雑煮は私が作ったのよ」


 お母さんは、そう口にして、割り箸を使って、俺の口元付近ににんじんを差し出す。


 お雑煮に入っていたためか、湯気と熱を帯びており、唇と口周りにそれらが伝わる。


 毎年の恒例であり、拒否した場合、お母さんから悲壮感が放出されるため、面倒になる。そのため、素直に従う。


 てかる液体が付着した割り箸を視野ににんじんを口に召す。


 ある一定の距離まで前方に直進すると、程よい地点で引かれ、割り箸が俺から距離を作って行く。


 柔らかく、火に通し、生まれる甘味が口内にじんわりと充満する。食感も悪くなく、心地よいふにゃふにゃした咀嚼音が歯を伝って耳に及ぶ。


「うん。新鮮な野菜って感じがして、美味しいよ!」


 俺は舌に熱さを覚えながら、率直な感想を口にする。


「あらあら、相変わらず、嬉しい言葉をかけてくれるわよね。これだけ、息子に料理を振る舞うことはやめられないのよね」


 お母さんは、左頬に手を当て、上品な笑顔を見せると、俺の唾液が浸透した割り箸で黒豆を木箱から掴むと、一切逡巡する様相無く、口へと運ぶ。


 平然な顔で黒豆を咀嚼する様子が見受けられるが、これも毎年恒例なため、特に咎めない。物心ついたときには、この光景が展開されていた。


 俺は、テーブルに座る2人を他所に、お雑煮の主役である餅に齧りつく。


 歯で餅を引き裂き、気分を害さない、ねちゃっとした感覚が唇を覆う。


 弾力の持った餅が上下の歯でバウンドし、回数が増えるごとに、口内において、お雑煮特有の餅の風味が存在感を発揮する。


 20回ほど顎を稼働させ、細かく砕いた餅を少しずつ喉に収める。喉に詰まらないように丁寧に咀嚼して。


 1分程度で喉に力を込め、餅を飲み込む。ごっくんっと喉が音を鳴らし、耳に信号を送る。


 次、体内に放り込む食材を決めるため、おせちが器用に組み込まれた木箱の食材を物色する。


 その最中、突如、栗きんとんを挟んだ肌色の割り箸が俺の視界に姿を見せる。



 俺は、その割り箸を経由して、行為者の特定を試みる。


 肌の色の割り箸から人間の肌を覆ったピンクの長い袖に情景が変化し、さらに、以前より肩にかかる割合が増加したピンク色の髪を所持した人物の顔に到着する。


「ん」


 その人物(香恋)は、頬を朱色に紅潮させ、俺と視線を合わそうせず、割り箸だけこちらに接近させる。


「いや、香恋。それは色々とマズイんじゃ」


 俺は、目下に立ち塞がる状況に苦笑する。


 割り箸には人間の体から生まれたと思しき液体が付着したと推測できるかの如く、てかりを発する。食べさせるだけでも結構なものなのにこれは。しかも、恋人でもなく、家族でもない人間に対してこれは。


「は、早くあ〜んされなさいよ!」


 俺が胸中と表面で狼狽する中、香恋は、目線はそのままに心情を正直に自白する。おそらく、俺の胸中を推量した上での言動に他ならない。


 俺は、心の中に不安を募らせつつも、意を決する。


 こんな状況で、「あらあら」と愉快に声を上げる母親が腹立だしい。


 俺は、心と頭を無にして、差し出された割り箸を口に咥える。


 栗きんとんが口内に侵入した感覚のみが生じる。


 香恋が俺の様相を窺い、割り箸を優しく抜いてくれる。


 栗きんとんの甘味が舌、歯を攻撃するはずなのだが、それは無く、味をまったく感知しない。


 その上、咀嚼音、上唇と下唇が付着する感触、歯と歯が衝突する体感も発生しない。あるのは、栗きんとんが口内から少量ずつ減少する感触だけだ。


「・う、うん。美味しいよ。ありがとう。食べさせてもらって」


 緊張の面持ちをした香恋の顔を一瞥し、再び、自身の顔を向け、偽りの感想を口にする。味は一切しなかったけど、それが筋というものだ。


「そ、それはよかったわね」


 香恋はなぜか一段と顔と頬を赤くし、まんざらでもない表情をぎこちなく披露した。


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