第68話 平和かと思いきや

 あれから、野水君は、何日間か学校を休んだ後、家庭の事情という題目で転校した。その事柄を担任から通達された生徒の一同からはもの寂しい空気感が噴出した。このような情景を生成したことから野水君がいかにクラスで必要とされ、人気があったかを思い知らされる。


 いきなりのことだったが、推測するに、野水君なりにけじめをつけたのだろう。


 彼が行ったことは決して許容されない。これは主観的、客観的視点を設けても同様のことが言える。彼が原因で朝本さんや香恋は一生消えない傷を負った可能性がある。そのことに関しては今でも許せない。想像するだけで怒りの感情が胸中で渦を巻く。


 しかし、その感情以外も内心抱いているものがある。頑張ってほしい、といった感情だ。


 彼にも悲しい過去があり、憎悪があった。そして、その原因は少なからず俺にもある。でも、憎悪の対象が在籍した学校を転校する決断をしたということは、彼の心情に何かしらの変化が起こったのだろう。


 心の変化が起こると自身の成長や人生の転機が見込みとして生まれる。


 そのため、野水君は今までとは異なる生き方をする羽目になるだろう。


 シフトチェンジが起因して、逆境や挫折、苦しみなどを味わうかもしれない。


 しかし、それらを踏み倒すことで彼には真の喜びや楽しみを経験してもらいたい。


 たくさん。


 おそらく、今まで彼に対してそういうことはなかっただろうから。


 野水ロスがクラスに漂いつつも、時間は流れ、一同は、学校生活を無理なく謳歌する。


 その証拠に放課後に突入すると、友人や知人なりと仲睦まじく雑談するシーンが教室、昇降口などに多く見られる。ここは以前と変わらない。


 それにしても。


 ここでかもしれないが、今現在、俺は、昇降口の付近に足をつける。靴に履きかえてね。


 昇降口の軒下を抜け、日の光が当たった通路の邪魔にならない場所で、2人の容姿端麗の女子が俺を挟み込んでいる。


「ちょっと、あんたいい加減離れなさいよね!」


「そう言った方が離れた方がいいんじゃないかな?」


 朝本さんと香恋は、両者ともに俺の腕に両手を絡ませ、俺を他所に言い争う。


 どちらかが俺から離れろと意思表示し、どちらも引かない膠着状態が幾分か継続している。


 朝本さんと香恋は、我が校では有名人な上、その両者が大衆の場で争うなど稀中の稀である。いや、もしかしたら、金輪際起こらない可能性すらある。


 そのおかげか、女子生徒からは好機の目にさらされ、男子生徒からは嫉妬や妬みを帯びた視線を浴びる。


 両者の膨らんだ胸の塊が、両腕に当たる中、理性が爆発するのを制御しながら、そばにいる2人の顔を盗み見する。


 朝本さんと香恋は、意見のぶつかりが要因で苛立ち、もはやむきになっている。香恋は、その様相が一見してわかるほど表情に表れており、朝本さんは、見る人によってはわからないかもしれないが、顔の引きつりが生じている。


「もうそろそろ2人ともやめようよ。このままじゃ家に帰宅できないよ」


 このままではらちが明かないと予見した俺は、説得力を帯びた口実を提示し、彼女たちを諫める。


「・・・敦宏がそう言うなら」


「赤森君が言うなら仕方ないね」


 朝本さんと香恋も一瞬の逡巡をしたが、すぐに俺の言葉を受容してくれた。しかし、その代償として、2人の腕により力が籠められ、以前にも増して胸がさらに深く当たる。待って。なんでその行動に出るの。いいの?俺の理性が崩壊する可能性あるよ?


「あ、赤森君。・・今日、部活休みだから一緒に帰ら・な・・い・・」


 おそらく、靴を履き替えたばかりであり、俺の姿を視認したであろう名都さんが目を丸くする。


「ごめん、聞こえなかったんだ。もう1回言ってくれないかな?」


 俺は名都さんの目を見て要請する。


 だが、その声は名都さんに届いていなかったのか、返事はない。けれども、目は上下左右に激しく変動する。


「ご」


「ご?」


「ごめんなさいー-!また、今度ー」


 名都さんは、踵を返し、視界を変えると、そそくさと足を回転させ、駆け足で俺から立ち去った。


「待って。名都さんどうしたのー」


 俺は大きな声を上げ、呼び止めようとしたが、その努力も虚しく終わってしまう。俺の瞳には、徐々に小さくなる名都さんの後ろ姿が映る。なんかわからないが申し訳ない気持ちになる。


「敦宏?」「赤森君?」


 ハイライトが抹消された4つの女子の目を前にする。そこには表現不可能な底知れぬ恐怖が存在した。なんというか、ただただ怖い。


 俺、今日生きて帰れるかな。


 その後、名都さんに関して2人の詰問を受けたが、現実は、不安とは対照的な形(無事に家に帰れた)をとった。


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