第60話 私物の移動

(※朝本萌叶視点)


 私は、昇降口で友達と別れる。友達は女子テニス部に所属しており、これから部活動があるみたいだ。


 周囲は密集の全盛期を過ぎたためか、喧噪な様子はまったくなく、単独行動の生徒がまばらに行き来している光景が目に映る。


 私は、寄り道せず、自分のクラス専用の靴ボックスが設けられた場所に足を運ぶと、靴を取り出し、土足厳禁ではない区画されたタイルの上に優しく置く。これがいつもの日課である。


 そして、コトっとローファーの底の部分とレンガのようなタイルが軽くぶつかった音が毎回、耳に入ってくる。なぜだかわからないのだが、ささやかなものだがその音がやんわりと心を和ませてくれていた。


 しかし、今日それは叶わなかった。靴ボックスの中に私の靴が存在しなかったのだ。移動させた記憶もない。また、今日、靴を履き忘れて学校に登校したといったおっちょこちょいなことももちろんしていない。


 私は直面している現状に何とも言えない恐怖を感じた。まるで、日々の日常が失われるかのようなものが。


 場所を誤ったのではないかと、配列するほかの靴ボックスも確認する。それぞれ隈なく行ったが、場所の間違いはなかった。


 もう1度、ボックスを開放し、中を覗き込むが、そこには何もない。あるのは、空気とわずかな砂と砂利ぐらいだ。


 ボックスを閉めて生じた音を他所に、私は辺りを散策する。


 俯き加減で歩を進め、床やなぞるように目で追いかける。ボックス箱の周辺、昇降口付近の廊下には、靴はおろか物する落ちていなかった。


 私は忘れ物として届けられている可能性を信じ、職員室に向かったが、それも無駄足だった。


 再び、昇降口に戻ってきた。誰も人が視認できない。そんな中、あるところが目に入った。水道だ。


 この水道は細長く、蛇口が7個ほど設置されている。ここは、部活動のマネージャーが良く使用しており、彼女たちが、部員のドリンクを作っている情景を良く見る。


 確か、あそこは探してなかったかな。でも、あんなところにあるわけ。否定の言葉が即座に頭に浮上する。


 1瞬の迷いがあったが、断ち切り、腰を折り、足を屈め、水道の下方に目をやる。細長い水道の影が原因で黒みが掛かっていた。だが、下方の景色がまったく見えないわけではない。外の日の光がわずかに射すおかげで視認することができる。


 私は、吹奏楽部の奏でる楽器の音を耳にしながら、水道の下方を探索する。ほこりやごみなどが見受けられ、それらが鼻腔をくすぐり、鼻のむずむずを引き起こす。


 手を手さぐりに揺らして、しばらく、縦に細長い物体が無造作に置かれていた。色はブラウンを基調としており、サイズは24センチ程度と推測できる。


 私はそれを手に取ると、腰を伸ばし、立ち上がる。視界が黒から時間を象徴した明るいものに変化する。靴の底やサイドに付着したほこりを払うと、タイルの上に靴を密着させる。


 コトッと軽い音が耳に入ってくる。


 しかし、いつものように心は和まなかった。逆に、今まで体験したことがない不安と恐怖が煽られる。人生でこのようなことが降りかかったことはない。靴が靴箱から突然消えることなんてない。そうなると、誰かが意図的に行ったか、自分が移動させたかの2つが考えられる。だが、後者にはまったくといっていいほど覚えがない。となると。


 不快なことが頭に浮かんだが、それを顔を左右に揺らすことで脳内から抹消する。誰かを疑うことはあまり良いことではないと思う。これはたまたま起こったことなんだ。たまたま起こったことなんだ。


 自分に無理やり言い聞かせ、靴に足を挿入する。フィットしたことを認識すること顔を上げて前方に進む。マイナスの感情を打ち消すために。


 続けて同じようなことは生起しないと思っていた。2度はないだろうと。


 しかし、次の日、また靴箱からローファーは消えていた。


 






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