第59話 訪問

 バスが目的地に到着する。何の変哲も無い公共機関のバスが。


 俺は運賃を支払い、前方の出口から降車する。先ほどとは異なる感覚が俺の足に押し寄せる。


 運転手は俺の動向を確認すると、すぐにバスのエンジンを掛け、次の目的地に向かって発進する。


 排気ガスの臭いが周囲で充満している。ガソリンと煙が混合した臭いが。


 俺は辺りをぐるりと眺める。バス停の付近には2つの長いベンチが設置されて

おり、そこから少し離れたところに警備員が待機するために設けられたオフィスが存在する。ここは、ある大学の最寄りのバス停だ。


 俺は靴をレンガの地面を使って叩くと、それらを他所に歩を進める。数秒後、エスカレーターと階段が見受けられたので、流れのままエスカレーターを利用する。


 2度エスカレーターに誘導され、軒下を抜け出せば、陽の光が照らされる。校庭のような開けた場所に出る。そのエリアには大きなビルのような建物や学校の校舎がまばらにテリトリーを作っている。


 そして、自己主張するかのように左端に大きな門が存在する。門の上の箇所には、書体で「村水大学(むらみずだいがく)」と文字が彫られている。


 ここは地元で有名な私立大学。この地元に籍を置く人間の中でこの大学を知らない者はいないと断言しても過言ではないだろう。


 学校は広大な土地を所有している。この大学に入学した場合、移動教室のとき迷いそうだ。


 俺は大きな門(正門)の直近に設けられた受付で入構許可証を完成させると、指示に従い、正門を通過する。さらに開けたエリアに足を踏み入れる。そこには、先ほどよりも多くの建物や校舎がそれぞれ肩を並べていた。


 俺は、その中でも一際目を引く10階以上ある高層ビルのような形をした建物に入る。エレベータに差し掛かると、すぐ左に上り用のエスカレーターが捉えられ、その他にも高級な素材を原材料とした壁が全体を彩っている。


 俺は30メートルほど直進すると、左折し、次はエレベーターに乗り込む。目的の階である7をプッシュすると、到着するまで体を脱力させる。そうした方がエレベーター内では楽だからだ。


 ピンポーン。エレベーターが到着の合図を吐き出す。出て行けと言わんばかりに、ドアが開放される。


 俺は機械の意図を汲み取り、そそくさと狭小の空間から退出する。


 そして、研究室の名称を確認しながら、足を前方に動かす。


「・・・山西研究室・・・・・。村水研究室・・。あった!ここか」


 俺は1度吐息をつくと、きれいな白色のドアをノックする。ドアの強化ガラスから室内の情景が見て取れる。奥の方でイスに座り、パソコンを注視していた人物と目が合う。その人物は目を見開き、驚いた仕草をすると、こちらに入るように促進する。


「失礼します」


 俺はドアを手動で引き上げ、研究室に足を踏み入れ上げ


「お久しぶりです。直一(なおいち)おじさん。今日は突然、研究室に訪問する形になってしまい、すいません」


 俺は軽く頭を下げる。さすがに、謝罪をしておくことがいっちょ前の礼儀だろう。


「ああ~、そんなにかしこまらなくいいから。とにかく、そこにいったん座りなよ」


 直一おじさんは、俺のすぐ近くにあるイスを指さす。これは来賓用のモノだろう。そのためか、その向かい側には机とイスが備え付けられている。


 俺は指示通り、イスに臀部を付ける。


「何かいる?」


「では、オレンジジュースをお願いします」


「はいよ」


 直一おじさんは、紙コップを取り出すと、その中に冷蔵庫から取り出したオレンジジュースを注ぐ。ペットボトルから液体が吐き出される音を俺の耳が拾う。


「はい」


 俺の目の前にオレンジジュースの入った紙コップが置かれる。


「あと、追加として、俺に対して敬語は禁止な。親戚なんだからそんな言葉使わなくていいから」


 直一おじさんはもう片方のイスに腰を下ろす。


 村水直一(むらみず なおいち)。この人はこの野水大学の理事長の息子であり、大学の教授である。専門はマーケティングの研究である。マーケティングとは、経営の研究領域の1つである。そのため、この学校の教壇に立った上で、新たな事柄を明らかにする研究に勤しんでいるのだ。その上、俺のお母さんと直一おじさんは兄弟であり、本大学の理事長は、両者の父親といった続柄である。


「それでいきなり訪問して来てどうしたの?」


 直一おじさんは、穏やかな口調でごもっともな疑問を投げ掛けてくる。


「うん。実は、直一おじさんに相談したいことがあって今日ここに来たんだ」


 俺は紙コップから直一おじさんに視線を変化させることで、視野が拡がる。書籍、書類、デスクトップ、といった様々なグッズが室内の1部を占領している。


 俺はつい最近の出来事を詳細に話した。不良3人が襲ってきたこと、幼馴染が

誘拐されかけたこと。そして、その事件には黒幕と思しき人間がいるだろうと自分が思っていることも。


「なるほど」


 直一おじさんは言葉を挟まず、最後まで俺の話を聞いてくれた。


 俺は紙コップを口につける。濃厚なオレンジジュースの風味が渇いた喉を潤してくれる。


「それで、黒幕の見当はついているのか?」


「それが全くわからないんだ、わかるとしたら、主謀者たちが叫んでいた言葉ぐらいかな」


 実行者は、明らかに指示されて行動に移したような発言をしていた。


 「紺色の長い髪奴が!」、「上手いこと復讐できるって言ってたから」、「あの野郎、騙しやがって!」。奴らが残したものが確固たる証拠になっている。自分たちで計画したら、このような言葉は発さないはずだ。


 「う~ん」っと呻きながら、直一おじさんは、顎に手を当てる。そうした結果、皮膚から生えた顎ひげが30度程度折れ曲がる。


 エアコンの音が室内で遠慮なく反響する。


「黒幕に関してはまったくといっていいほどわからない。しかし、もしかしたら、大きなヒントになることは伝えられるかもしれない」


 直一おじさんは、両腕を胸の前でクロスさせる。


「え、本当に?」


 俺は食い気味に前方目掛けて身体を出す。


「うん。それは研究では非常に重要なことなんだ」


 直一おじさんは、1度前置きをする。俺は生唾を飲み込む。


「研究においてモノの見方というのは非常に大切なんだ」


「モノの見方?」


 俺はオウム返し、言葉を反芻させる。


「うん。モノの見方。ほとんどの人間が、同じようなモノの見方をしていたとする。しかし、その場合、1つしか見方がないことになる。つまり、異なる見方をした結果、生まれる新たな発見や価値は見つけられない。それが新境地を切り開く可能性があるにも関わらずね。研究では、人とは異なるモノの見方をすることで、新たな研究領域を開発することもできるし、既存の研究を拡大することもできる。このような考え方に従えば、黒幕の思惑はもしかしたら、敦宏が想像している内容とは異なる可能性がある」


「異なる可能性がある?」


「うん。これはあくまで憶測だけれど、黒幕の目的は、敦宏の幼馴染を狙うことではないかもしれないよ」


「えっ。でも、それはさすがにそれはないんじゃない。でないと、香恋に危害を加えた意味がないよ」


 頬から1滴の汗が垂れ、机に衝突する。


「もしもの話だよ。それに、実行のタイミングも適切ではないと思う。わざわざ、複数人で帰っているところを狙う必要はない。単独行動をしているところを狙った方が成功率は高いはずなのに」


 確かにそうだ。直一おじさんの説得力のある言い分に現実味を感じる。


 言われてみればその通りだ。香恋は1人で帰宅することも多々あるはずだ。それならば、おじさんの言う通り、そのとき狙えばいいはずだ。なのに、俺と新田がそばにいるときに行った。なぜだ。不思議だ。


「まぁ、可能性の話だよ。もしかしたら、違うかもしれない」


 直一おじさんは、顎ひげを手の指でいじる。


 黒幕の目的が俺の想像と違う。その可能性はある。だが、その目的が皆目理解できない。まるで、迷路に迷っている感覚だ。


 とにかく、一旦頭を整理する必要があるな。


「直一おじさん。多忙な中、ありがとう!家に帰ってもう1度考えてみるよ」


 俺は腰を上げて立ち上がる。


「そうか。そのほうがいいかもしれないな。ごめんな。おじさん、大した力になれなくて」


 直一おじさんは申し訳なさそうな顔をこちらに向ける。


「ううん、大丈夫。おじさんの考え方はすごいためになったよ。それに、もしかしたら、おじさんの推測は的を射ているかもしれないし」


 俺は笑顔を見せると、挨拶をして、村水研究室を後にした。









 

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