第55話 体育祭

 文化祭の翌日。11月19日、日曜日。季節は快晴。太陽はギラギラと地上を照らしている。


 パンっといった音が運動場で木霊する。レーンに並んだランナーが一斉にスタートを切る。あちこちから声援が鳴り響く。1人の人間がゴールテープを突き抜けると、辺りは鳴りを潜める。


 競技が行われるグラウンドから区画された場所にそれぞれクラス専用のテントが設置されている。そのテントはクラス順に横に並んでいる。


 在校生は、首回りの部分に青色のラインが入った白を基調とした半袖のトップスに膝よりやや上に伸びた紺色のハーフパンツの体操服に、クラスを象徴するはちまきを頭に巻き付けている。俺のクラスの色は赤であり、他にも黄色や緑、白などがある。


「キャー、野水君がんばってー!」


 付近に存在する女子たちが黄色の声援をグラウンドに送る。それを皮切りに、違うクラスのテントからも似たような声色が聞こえてくる。おそらく、野水君が走っているのだろう。そして、1位だろう。


 俺は結果を見届けることなく、立ち上がり、青色のビニールシートの付近に揃えられたサイズ24センチの靴に足を挿入する。


 テントの軒下から抜け出すと、グラウンドを横断する。


「あのー、すいません。2年生が待機するテントはどこにあるのでしょうか?」


 校舎近くのコンクリートの道に出ると、後方から何者かに声を掛けられる。どうやら、俺に救けを求めているようだ。


「2年生のテントですね。それはですね・・・」 「カシャッ」


 俺が振り返った直後、カメラのシャッタ音がする。


「宏君の普段私に見せない顔、撮っちゃた」


 肩甲骨より下まで伸びたロングヘアーの黒髪に茶色のレンズのサングラスを耳に掛けた女性は、スマートフォンの液晶を眺めながらご満悦な様子だ。嬉しさからなのか、口元をななめに曲がっている。


「お母さん何してるの?」


 ジト目のままその女性を直視する。


「あら、それはかわいい息子の晴れ姿を目に焼き付けるためにきたのよ」


 白のチェスターコートにアップルグリーンのロングスカートといったコーディネートのお母さんは、掛けていたサングラスを鼻のあたりまで下げ、自身の瞳をこちらに向けてくる。


「そうなんだ。それはいいけど、恥ずかしいことだけはしないでね」


 俺はジト目を継続させる。小。中と結構目立ったことをやってたからな。釘を刺しておかないと。


「それと、お母さんきれいだから。サングラスずらしたら目立っちゃわない?」


 未来を先読みした上で、お母さんに忠告する。


「ちょっと宏君!きれいだなんて。私ももう若くないのよ。上手い言葉使っちゃって」


 お母さんは両手を頬に当て、満面の笑顔を浮かべる。どうやら、のぼせているようだ。


「うん。そうだね。じゃぁ、俺はもう行くから」


 このままだと埒が明かないと思ったため踵を返し、お母さんを視界から消す。


 「あ、待って待って。渡すモノがあるのよ」


 「渡すモノ?」


 俺は怪訝な表情を露にする。


「そうこれ!」


 お母さんはこちらに手提げの弁当袋を差し出してくる。


「これは?」


 お母さんと弁当箱に対して交互に視線を向ける。


「なにって。お弁当よ。今日、宏君忘れていったでしょ」


「あ」


 確かにそうだ。登校中、何か忘れていると思っていたが、その答えが出てこなかった。なるほど。お弁当を忘れてたのか。


「お昼ごはん抜きだと力が出ないでしょ」


 お母さんは柔和な笑顔を創り出す。


「ありがとう。助かったよ」


 弁当袋を手渡しで受け取る。


 お母さんは、サングラスを元の位置に戻す。


「頑張ってね宏君。お母さん応援しているから」


「うん。頑張るよ」


 俺たちは、会話を終えると、それぞれ逆方向に歩を進めた。


         ・・・


 グラウンド内では、玉入れが行われるための準備が今現在されている。


 係の人間たちは、協力しながら、白いラインで囲まれた5メートル程のサークルの中に玉入れのカゴ、赤色の玉を配置している。


 これから、玉入れが始まろうとしている。俺を含む競技の参加者達は、入場ゲートの前で列を作って腰を下ろしている。


 周囲からは汗ではなく、砂の独特の臭いが充満している。


「それでは準備が終わりましたので、参加者の皆さんはグラウンドに入場してください」


 一同が腰を上げ、先導者の指示に従い、歩き始める。辺りが騒がしい。その声援が、なぜかグラウンドの自分に向けられているふうに錯覚する。グラウンドがとてつもなく広大に思える。


 先導者によって目的地に誘導された。白いサークルの中には、玉入れのカゴが高々と背を伸ばし、地上には赤色の玉が不規則に置かれていた。


 俺以外にも、同じクラスから4人の生徒が玉入れに参加する。


 ドクンドクンッと心臓が激しく脈を打つ。今現在、サークルの外側で体育座りをしているのだが、心臓の鼓動が耳の中で嫌なほど反響するため、落ち着かない。


 まさか。体育祭の競技で緊張しているのか。そんな馬鹿な。誰にも聞かれない心中でつぶやく。


「それでは皆さん準備を始めてください」


 ようやく始まるみたいだ。待ち時間の体感時間は普段の状態とは異なるだろう。


 日差しに直接照らされているのだが、暑さを感じない。その上、視界も若干だがぼやけている。緊張とは恐ろしいものだ。


 周囲を見渡すと、皆が臨時体制に入っている。スイッチが入っていないものはこの場に存在しない。


「それでは始めます。よ〜い・・・」


 恒例のタメが作られる。


「ドン!」


 パーンッと歯切れの良い音が響き渡り、一同はいち早く、サークルに散らばった玉を手に取りに向かった。


         ・・・


「やったぜ~」


 同じクラスの陽キャの男子の甲高い声が周辺に伝わる。


「やったね」


「1位なんかとれたの人生で初めてだよ」


 40人程度の生徒達がある地点にまとまった集結している。


 先ほど、閉会式が終わり、クラスメイト達が勝利の余韻に浸っている。特に、陽キャの人たちの騒ぎ具合がやばい。まるでお祭り気分だ。ちなみに、玉入れは2位だった。


「野水やったな!お前すげーよ」


 野水君と仲の良い生徒が彼の肩に手を回す。自発的なその生徒も受け身の野水君も幸せそうに目を細めている。他のクラスメイトも感化され陽気な気分になっている。しかし、そんな中突如、野水君は表情を笑顔から真顔へと変化させた。


「朝本さん。ちょっといいかな?」


 騒がしかったクラスメイト達が、野水の1言に反応して言葉をつぐむ。彼の声色からただならぬモノを感じたのだろう。


「いいけど、どうしたの?」


 野水君は朝本さんのもとに歩を進めている。


「これは、真剣な話なんだ」


 半径2メートル程にかつてない静寂が生まれる。


「うん」


 朝本さんは相槌を打つ。


 野水君は1度深呼吸をする。


「初めて見たときから君のことが気になってた。そして、クラスで君を見るたびにどんどん惹かれていった。結論を言おう。君が好きです。俺と付き合ってください!」


 彼は、朝本さんに対して誠意を込めて頭を直角に下げる。


 その光景を目にした生徒たちの反応は様々だ。驚愕する者、無関心な者、にやけている者、手を口元に当てている者、実にたくさんだ。その中でも、俺は驚愕した者だ。


 断れない空気がクラスメイトによって醸成されている。仲の良い友人たちは、野水君を祝福する気満々だ。


 そんな中、朝本さんは呆然としながら、パチパチッを目を瞬かせている。状況の整理ができていないようだ。


 だがしかし、その均衡はいとも簡単に破られることとなる。


「ごめんなさい」


 朝本さんは、野水君と同じように頭を下げ、この空気感で告白を断ってしまった。








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