第45話 夏休み初日
7月25日。夏休み初日。俺は、普段足を運ばない場所に身を置いている。
「いきなり誘ってきたからなんだと思ったら、なんでここなんだよ。・・・新田」
俺は、右に視線を向ける。
「うん?なんか不満なのか?」
新田は、微笑みかけてくる。
「いや、そんなことはないけど。ただ、部をやめた俺に、バスケの誘いをするとは何か違和感があってな」
太陽の光が差し掛かる夏の季節の中、わずかに吹くそよ風が、バスケットゴールのリングに備えつけられた糸製のネットを揺らす。ネットの揺れる音が少々耳の中に入り込んでくる。
「まあ、細かいことは気にせずにさ。部活じゃないんだし。気楽に楽しもうよ!」
新田は手に持っていたバスケットボールを地面に落として弾ませる。ドリブルをしているのだ。
「いってもなー。やっていたときも上手くはなかったが、今はそのときとは比較にならないほど下手になっていると思うぞ」
俺は、バスケットボールを持ちながら、不満げな表情を露にする。
新田の表情を一瞥するなり、俺は、近くに設置されたバスケットゴールにシュートする。
ボールは空中できれいな弧を描いた。しかし、リングをかすめることはなく、地面に直撃する。
ボールの弾む音だけが寂しげに木霊する。
「はは。やってなかったら。そんなもんだよ。俺もやってるからある程度できるだけだと思うから」
新田は苦笑しながら、励ましの言葉を掛けてくれる。おそらく、先ほどの言葉が、彼が掛けられる限界のレベルだろう。
「気にしなくていいと思うよ。バスケは1日でも練習を怠ると、実力がものすごく落ちるってよく聞くし」
幼さを残した女性の声が視界の外から聞こえてくる。
「確かにそれはよく聞くな」
新田は共感の意思表示をする。
「それは上手い人限定だろ」
俺は、コートに転がったバスケットボールを駆け足で取りにいく。ボールを手に持った後、上下白色のジャージを身に纏った小柄な女性の姿が視界の中に捉られる。
「そんなことないよ。上手な先輩たちもテスト週間空けとかに愚痴をこぼすように良く言ってるよ」
ジャージに身に纏った女性は、目が合うと、こちらに柔和なまぶしい笑顔を創って微笑みかけてくる。
「そうなのかな?でも、勇気づけられたかも」
俺は半信半疑ながら、新田と名都さんを安心させるために柔和な笑顔を振り撒く。
「おお、そうか。それはよかった。じゃあ、さっそく1対1しようぜ」
いじめられていたときでは考えられない明るいテンションで俺に誘い掛ける新田。そうだったな。最近のイメージが強すぎて忘れていたが、本来の新田は明るい性格をしていたな。
俺は首肯すると、持っていたバスケットボールをコートの外に転がす。
「いいよ。やろうか!」
俺は、新田が佇む地点まで歩を進めた。
・・・
「はぁはぁ。きつい」
ベンチに座っている俺に対して、陽の光や高い気温が襲いかかる。頭には、熱の光線が直撃しているのか、焦げるような痛みを少し感じる。その上、体全体から溢れんばかりの汗が止まることを知らずに噴出している。
自由気ままに行動する蝉や鳥の声が俺の鼓膜を刺激する。
「赤森君。お疲れさま!はいこれ」
名都さんがぐったりした俺にペットボトルを手渡してくれる。俺は、お礼を言うと、即座にペットボトルに口をつける。枯渇寸前の喉が飲料水によって潤う。体に水分を流し込むために、喉が小刻みに振動する。
半分ほど飲み干すと、キャップでペットボトルを施錠する。ペットボトルの表面からは大量の水滴が噴き出している。
中身が入ったペットボトルを自身の隣に置くと、今もリングにシュートしている新田の方に目を向ける。放られたシュートはリングに吸い込まれたり弾かれたりを繰り返していた。
『体力あるなー』と声に出さず、心中でつぶやく。
「前から名都さんに聞きたかったんだけど、なんであのとき、俺が新田を救けに行くと思ったんの?」
以前から気になっていたことが、ポンっと頭に湧き出てきたため、そのままそれを口に出した。
「いきなりだね。う~ん。なんでかな・・・」
名都さんは首を横に傾ける。
「明確な理由はないんだけど。赤森君はいち早く救けにいくと思ったからかな。あのときみたいにね」
名都さんは真剣な眼差しをこちらに向けてきた。名都さんの大きな瞳は、何かを訴えかけている風に見えた。
「あのとき?俺がそのときになにかした?」
率直な疑問を投げかける。あのとき?俺は、特に何もしていないはずなのだが。でも、それが予期できた理由なのか。
「・・それは・・・秘密だよ」
名都さんは俺から視線を外す。名都さんの顔ははっきりと認識できない。しかし、なぜか、左頬がほんのりと赤くなっている。
俺は奇妙に感じながらも、それ以上は聞かないようにする。
俺が名都さんの心情を推し量ったからか、2者間の中で沈黙が生まれる。その沈黙は、中々破られることがないと直感ながら感じた。静寂であり、虚しさを含んだ2人だけの世界。
そんな空気の中、コートで跳ねるバスケットボールの音だけが存在感を露に自己主張していた。
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