第44話 夏休み前日

「それでは、明日から夏休みに入る。全員、勉学に励みつつ、羽目を外しすぎないように」


 担任のその言葉が伝達されたことで、室内では、机やイスが引かれる音が反響する。


 生徒たちは、教室を後にしたり、親しい友人と会話をしたり、帰りの支度をしていたりする。


 俺は、そんな騒がしい環境の中、周囲に目も暮れることなく、自身のカバンに教材やノートを詰め込んでいた。


 周囲から多様な人間の声色が聞こえているが、マニュアルの作業みたいに、机に敷き詰まった教材ないしノートを投入していく。


 カバンの中に、それらが入っていく感覚が手に直接的に伝達される。


「赤森君。ちょっと、いいかな?」


 朝本さんが俺の机に歩み寄ってきた。


「いいよ。なにかな?:


 作業を1度、止め、朝本さんに視線を傾ける。


「あの、夏休みなんだけど、空いている日はないかな?」


 朝本さんはこちらを窺うような瞳を向けている。


「うん。全然空いている日はあるよ。いつかなその日は」


 今のところ、夏休みの中で、予定が入っている日はない。そのため、俺はいつでも空いている。


「本当!じゃあ、7月30日は大丈夫?」


 俺が首肯すると、朝本さんは、1段と大きく弾んだ声を出す。


「私の女友達を何人かいるけどいい?」


 俺に対する配慮なのか、朝本さんは、そのような言葉を投げ掛けてくる。


「うん。大丈夫だよ」


 微量の抵抗感はあったが、そんなことのために誘いを断るは申し訳ない。


 朝本さんは、俺の反応を視認したのか、口元が綻んだ満足げな表情をする。


「詳細な連絡は、また今度するね」


「詳細な連絡ってどういうこと?」


 つい最近、カフェでも耳にした声が俺の鼓膜を刺激する。


 声のした方向に視線を傾けると、こちらに歩み寄ってきている香恋の姿が目に見えた。今日は私服でも部活の服装でもなく、制服を身に纏っている。


「赤森君と約束したことだよ」


 朝本さんは、含みのある言葉を返答に利用する。


「は?約束ってなに?」


 香恋は不機嫌を露にする。


「夏休みに海に行く約束だよ!」


 朝本さんは、目を細め、口元を緩ませる。


「敦宏、そのことついて詳しく聞きたい」


 香恋は、こちらに視線を直視しながら、問いただしてくる。


「えーと、簡単に言うと・・・」


 俺は、先程した約束について簡潔に説明をする。


「なるほど。そういうことね」


 香恋は納得ができたのだろう。


「私も行く」


「は?」


 俺は無意識に間抜けな声を出してしまう。


「なんで香恋が来るんだよ!それに、その日に部活はないの?」


「それはどうとでもなる。7月30日・・・絶対に行く」


 香恋は、静かにぼやくと、朝本さんに視線を傾ける。


 朝本さんと香恋の視線がぶつかる。2人の間では、目に見えない火花が散っている風に見える。


「私の友達もいるけど大丈夫なのかな?」


 笑顔ではあるが、目が笑っていない朝本さんが、牽制する。


「ええ。それは心配いらないわ。私、そんなに人見知りはしないから」


 不穏な空気が俺の付近で醸成される。俺は、居心地の悪い気持ちになる。


「おーい赤森!今日、部活ないから一緒に家まで帰ろうぜ」


 元気でワクワクが帯びた声が、悪い空気を断ち切るように飛び込んでくる。最近、頻繁に耳にする男の声。


 俺たちは、その声の主に目を向ける。


「ん?赤森、今どんな状況だ?」


 新田は俺の机の付近まで来ると首を傾げる。


「い、今はな・・・。」


 俺は、新田に今の状況を必要最低限の言葉で説明した。


「なるほど。わかった。そういうことだったんだな」


 新田は首を2、3回縦に揺らす。


「それと、俺から1つ質問したいことがあるんだ」


 新田はこちらを遠慮がちに見つめてくる。


 俺は、質問を促すために、周りを一瞬見渡した後、短い相槌をうった。


「その海に行くの、俺も行っちゃダメかな」


 新田は、俺たちの様子を窺うように見つめてくる。その表情からは、若干の緊張を内包していることが見て取れる。


「いいよ、大歓迎だよ」


「あなたが着たいんだったら好きにすればいいじゃない」


 朝本さんは微笑みかけ、香恋は新田に視線を向けていない。そっぽを向いている。


「それで、最終的にどうなったの?」


 俺は、1度全員の顔を視界に捉える。


「赤森君、新田君、西営寺さん、私の友達、私が一緒に海に行くことになったんだよ」


 クラスの何人かが様子を伺っている中、朝本さんの明るい声色が、俺や周囲の人間の耳に飛び込んだ。

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