第43話 カフェのなかで

 落ち着いた空気が醸し出され、カフェ特有の香りが俺の鼻口を優しくくすぐる。


 俺は、今日が土曜日なこともあり、自宅の近くに設けられているカフェ、『グラッチェッ』に来ている。


 普段ならば、マスターに応対してもらうことが可能なカウンター席に座るのだが、今日は気分に従うままに、2人用のテーブル席に腰を下ろした。


 誰か連れがいるのではないだが、今日はなぜだか、テーブル席に座りたい気分だった。


 前方には、誰も使っていないイスと頼んだことで運ばれてきたオレンジジュースの入ったガラスのコップたちが見受けられる。


 俺は、オレンジジュースをストローを使って一口すすると、流れているBGMを耳に入れながら、このカフェ独特の空気感に身を委ねる形で瞳を閉じる。


 そうすることで、耳や鼻の神経が研ぎ澄まされ、心地よいBGMの音色が鼓膜を刺激し、コーヒーやホットケーキなど、カフェで用いられるモノが混合した特有の匂いが、鼻の中に飛び込んでくることで、すごくリラックスした気分になれる。


 俺は、ここでしか感じることがない感覚を楽しむように、閉じていた瞳を開き、再度、オレンジジュースに口をつける。


「子供のときに好きだったモノは大きくなっても好きでいることが多いって聞くけど。それは、本当みたいね」


 俺が、ストローを口に咥えてオレンジジュースを飲んでいる最中、耳慣れた声色が俺の鼓膜を刺激してくる。


 その声は、凛としており、口調から堂々として、自分に自信を持った性格をした人間であることが想像できる。 


 その声の主は、「失礼するわね」と1言断りを入れて、俺が腰を下ろしていない方のイスに座る。そうすることで、その人物と俺は対面する形になる。


 突如、相席するように座ってきた女性は、大手アパレル店で買えそうなピンクの無地のTシャツに上品な肌色のジャケットを前のボタンをとめずに着ており、下は、濃い茶色のジーパンらしきパンツを履いている。その服装は、男性寄りの服装だが、素材がいいからなのか、きちんと違和感なく着こなしているように見える。まるで、この衣服は、この女性のために作成されたのではないかと思うほどに。


「なんだよ香恋。いきなり俺の座っていたテーブルの席に座って」 


 俺は、席に座った女性の名前を口にすると、心中で率直感じたのは疑問を口にする。


「知人がいたから同じテーブルの席に座った、ただ、それだけ」


 香恋は、平常運転の調子で、淡白な返答によって俺の疑問に答えてくれる。


「それにしても・・・」


 香恋は、そこまで言うと、1度言葉を止め、大きな目を若干細めてジトーと、俺の付近にあるガラスコップに視線を注ぐ。


「改めて言うようだけど、まだ好きだったのね。オレンジジュース・・・あなた、小学生の頃から全く味覚が変わっていないんじゃないの?」


 香恋は、呆れた表情をしながら、俺にそれだけ言うと、テーブルに置かれたメニューを手に取り、三つ折りのメニューを物色するように眺めている。


「そんなことはないよ。さすがに少しは変わってるよ」


 反抗するように言い返すが、内心では痛いところをつかれたと感じている。なぜなら、俺は、香恋の述べた通り、小学生からまったく味覚が変わっていないからだ。小学生のときから好きな物は今でも好きだし、嫌いな物は当然、変わっていない。


「どうだか」


 香恋は、訝しむようにそう言うと、メニューが決まったのか、カフェ内をうろうろしていた店員に声を掛ける。

 

 香恋は、「カプチーノを1つ」と店員に注文すると、メニューを型に従うように折り畳み、元のあったところに戻す。


 店員は、注文を受けた品の名称の正誤の確認のため、口頭で名称を口にし、香恋の反応を見るなり、俺たちのテーブルから離れていった。おそらく、受けた注文の品をマスターに伝達にいったのだろう。


「その服装で暑くないの?」


 注文をし終えた香恋を認識するなり、今度は、俺が、気になったことを口にする。


 現在、真夏とまではいかないが、非常に外の気温は高くなっている。先週、1週間の気温の平均値を出してみると、37度は超えているだろう。そのため、街の人たちは、半袖、半ズボンで外出していることが多い。しかし、そのような人たちでも、暑さにうんざりしたような表情を浮かべていることが多い。そのため、香恋の服装は、世間的にはズレているように見える。いや、おそらく、ズレているな。


「暑くないわけではないけど。そこは我慢よ。肌を露出させないためには仕方のないことだし」


 香恋は、普通に座った状態から足と腕を組んだ姿勢になると、当然のことだと言う風に言葉を返してくる。


 そうか。確か、香恋は、小さいときから肌を露出するのが嫌いだったイメージがある。それが原因なのか、香恋が、肌を大きく露出させた女の子らしい服を着ているのを見たことがない。そのような性格が変化してないからか、今でも、季節関係なく、長袖、長ズボンを着用しているのだろう。


 こんなことを思っているけど、俺も人のことを言える立場ではない。その理由は、俺の今日の服装は、白の無地のTシャツに青のネルシャツ、下は黄土色のチノパンを履いているためである。


 しばらくすると、香恋が注文した品が店員の手によってテーブルに置かれる。カプチーノが淹れられていると思しきコーヒーカップの中から上昇するように湯気が立ち昇っている。


 香恋は、コーヒーカップに視線を向けた後、すぐにそれを外し、テーブルに事前に設置されている、ストロー状の形の紙で包装された砂糖を3つほど取り出す。


 そして、それらを1ずつ開封し、流し込むように、砂糖をコーヒーカップの中に投入していく。その際、サーッという流し淹れられる音が俺の耳の中に心地良く入り込んでくる。


 結局、香恋は、5つ分の砂糖を投入し終えると、ようやく、コーヒーカップに口をつける。


 ズズッという音を立てて飲む香恋のその姿は優美さがあり、様になっていた。その情景は、まるでドラマのワンシーンを見ているようだと錯覚してしまうほどだ。


「それと聞きたいことがあったんだけど、敦宏、最近なにかした?」


 香恋は、コーヒーカップから口を離すと、突如、抽象的な質問をこちらに投げ掛けてくる。


「なにかって?」


 俺は、言葉の真意が理解できず、思わず疑問を疑問で返してしまう。


「あー。あのー、男子バスケ部で敦宏とあまり身長が変わらない・・・小柄な人・・・」


「新田のこと?」


「そう。多分そうだと思う。その人が最近、敦宏とかなり距離が近く、親しそうじゃない。以前までは、そのようなことはなかったから、なにかしたのかと思って気になったのよ」


 俺は、『新田の名前知らなかったんだ』と心の中でつぶやくと、香恋の言葉の真意を理解する。


「ああ、なるほど。・・・確かに、あったよ」


 その後、俺は、ここ最近にあった出来事である、新田のいじめに関すること、山西先輩を含む先輩たちが新田をいじめていたこと、その問題が解決したことなどを香恋に対して話した。


 香恋は、頬杖をつきながら俺の話を最後まで聞いてくれた。


「なるほど。そんなことがあったのね」


 香恋は、変な感覚がしたのか、テーブルに備えられた紙のティッシュで口を拭くと、感想を淡々と述べる。


「とにかく、迷惑かけないよう気をつけてよ」


 自分にめんどくさいことが降りかかるのが嫌なのか、または、俺のことを心配してくれているのかはわからないが、とにかく謝った方が良さそうだ。


「ごめん香恋。心配かけて」


 俺は、素直に謝ることを選択した。こうすることで、香恋の恋持ちが少しでも落ち着くと思ったからだ。


「な、なに言ってのよ。別に心配なんかしてないわよ。か、勝手に決めつけないでくれる!」


 香恋は、俺の言葉を聞くなり、動揺した様子で、早口に捲し立てると、コーヒーカップに淹れられたカプチーノ(5個分の砂糖がはいった)を呷る。


「うぇ。甘あー」


 一気に飲み干したためか、コップの下方に溜まった砂糖を口内に入れてしまったのだろう。あまりの甘さからか、香恋は、目を細め、口元を斜めに歪める。


「フッ」


 俺は思わず、軽く噴き出してしまい、香恋にジロリと視線を向けられてしまう。こちらに視線を向ける際、香恋のきれいなピンク色の髪が軽く緩やかに左右に揺れる。


 香恋の髪から伝わってくる柑橘類の色香の匂いが俺の鼻腔をくすぐる一方で、ガラスコップに入った氷は、時間をかけて自分の身を崩しながら、カシャンッと音を反響させた。

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