第40話 意外な来訪者

 カシャンッと開放した扉が閉まる音が俺の鼓膜を刺激する。


 今、俺の目には、3年生専用の部室の中の様子が鮮明に映し出されている。


 縦5メートル、横5メートルほどある1部屋に、散乱するように、パイプ椅子やら、お菓子、ペットボトルやらのゴミが実存している。


 また、部屋には懐中電灯やランプ式の電球などが存在し、それらが、放射している光のおかげで、室内の状態を明確に視認することができる。


 ほかにも、バスケ専用のシューズを置くために設置された棚があり、そこには、いくつものシューズが無造作に配列されていた。その上、中に入ったらわかることなのだが、男性が体内から生み出す汗の臭いとその汗の臭いを打ち消すために用いられる制汗剤の臭いが混ざり合った何とも言えないすっぱい臭いが俺の鼻腔を嫌というほど刺激してくる。


 この臭いは、俺が部に所属していた当時、うんざりするほど嗅いでいた臭い。部員達が制汗剤を用いることが原因で発生する臭い。懐かしく感じつつ、同時に嫌なことが次々に思い出されることが要因で毛嫌いしている臭い。


 視線を移動させなくても、部屋全体を一望できる狭い部屋。その部屋に、山西先輩や他の先輩、さらに、新田は身を置いていた。


 彼らは、皆、突然現れた俺に対して、1点集中で視線を向けてくる。先輩たちは怪訝な表情をしており、残る新田は、今起こっていることが信じられないのか、目を見開き、驚いた表情をしている。


 俺が部室内に現れてから数秒の沈黙が生まれる。以前から部屋にいた人間はおろか、先ほど入室した俺自身も言葉を発してないからだ。


「部外者であるお前がいきなり来て何の用だ?」


 沈黙を破るように、山西先輩が俺の顔面をしっかり見ながらそのような疑問を投げ掛けてくる。他方の先輩たちも、口には出さないが、山西先輩と同じ疑問を持っていることを顔の表情が語っている。


 俺たちの心情に関係なく、懐中電灯やランプ式の電球は、輝かしい光を元気よく発している。その様は、植物に光を照らす太陽のようだと錯覚してしまうほどだ。


「先輩たちが、新田に対して良からぬことをしてらっしゃると思ったので、この部室を訪問させてもらったんです」


 先輩たちの顔を1人ずつ順番に視界に入れた後、宣言するように質問の返答をする。


「良からぬことってどういうことだよ?」


 山西先輩は、パイプ椅子に腰かけ、特に動揺した様子を見せることなく、淡々と普段の口調を保って疑問を口にする。


「パシリやら暴力といった、世間的にいじめと認識されているモノですかね」


 俺の言葉を聞いた途端、新田の肩がぴくっと上下に揺れる。そして、それに呼応するように、山西先輩以外の先輩の肩も新田の肩と同様、上下に若干揺れた。


「お前の言うことが、本当だとしたら、お前はどうするつもりだ?」


「もちろん、先輩たちのいじめを止めさせていただきますよ」


 俺と山西先輩の声だけが、ここ数秒の間、室内で木霊する。


「・・・そうか・・・」


 山西先輩は、そう一言つぶやくと、パイプ椅子から腰を上げる。山西先輩が立ち上がったことで、俺の目線は自然と上方に向く形になる。


「お前も前と同じ目に合うしかないな」


 その言葉が意味すること。俺が反抗するならば、暴力を行使する。つまり、いじめをやめる気はさらさらないということだ。


「おい。大丈夫かよ山西。確か、赤森の母親の親戚が、お前の父親の雇用主なんじゃなかったのかよ」


「そうそう。だから、赤森には危害は加えられねぇって、俺たちに言ってたじゃねえか」


 山西先輩以外の3人の先輩も、立ち上がると、その中の2人が山西先輩に対して口々に何かを小声で言っている。何を言っているのかは聞き取れないが、重要なことを発していることは2人の様子を見れば容易に想像できる。


「確かにそれは事実だ。だが、それも証拠がなければ解決することだ。この部室内では証拠を残すことはできねえだろ」


 山西先輩は、焦りを見せる先輩2人を安心させるためなのか、普段よりも語気を強めて言葉を発する。俺は、言葉の内に秘められた意味を理解することはできなかったが、2人対して返答したことだけはわかった。


 3人の先輩は、山西先輩の言葉を耳にし、しばし考えた後、納得した表情を浮かべた。


「確かに。山西の言うとおりだぜ」


「ここは、俺たちのテリトリー」


「好きなようにできる」


 そう言い終えた後、先輩たちは、憎たらしい笑顔を顔面に浮かばせる。目は顔が綻んだ結果、通常より細まり、口元は一般的な笑顔では決してできない歪みをしている。


 性格の悪い人間が形成する笑み。心中で抑えている悪い感情がそのまま表面に現れたモノ。心底、これから始めることを堪能するような気配。


「待ってください。赤森に危害は加えないでください。やるなら、俺だけにしてください」


 先輩たちが、これからしようとしていることを空気感で感じ取ったのだろう。新田は、俺を守るため、自分に注意を向けさせようとする。言葉とは裏腹に、恐怖に耐えるように体を震わせながら。


「安心しろ。赤森だけじゃねえ。赤森の後は、お前だ。お前ら2人とも俺たちの娯楽に付き合ってもらう」


 新田は、山西先輩の言葉を耳にするなり、絶望した表情をしながら、顔を下に俯かせる。その姿からは、虚しさと悔しさが醸成されている。


 先輩たち4人は、じりじりと俺に距離を詰めようとする。狭い面積の部屋なため、すぐに俺と先輩たちの距離は縮まるだろう。


「山西先輩、1つ聞いてもいいですか?」


 俺と山西先輩の距離がゼロ距離に達したとき、即座に俺は質問を投げ掛ける。


 山西先輩を先頭に、後ろに並列するような形で床に足を付けている先輩たちは、怪訝な表情を露にする。それは山西先輩も同様だ。


「どうして、このような、弱者をいじめるようなことをするんですか?教えてください」


 俺は、返答を待つことなく、訴えかけるように予め用意していた質問をする。


 新田をいじめている先輩の中に山西先輩がいるだろうということは予想していた。そして、その予想が間違っていないといった確信が俺にはあった。だから、部室に突入した後、どこかのタイミングでこの疑問を投げかけることを予め俺は決めていた。


 このような質問を投げかけようと思った理由。それは、単純に気になったからだ。高身長のイケメンな上、バスケが上手い、勉強もできる。特技が多く、弱点といった弱点の無い先輩がなぜ、このような行いをするのか。それが謎だったからだ。


 不満など感じることがないと思われるのになんで。


 俺は言葉だけではなく、目線でも訴えかけるため、山西先輩の瞳をじっと見つめる。


 山西先輩も俺に対抗するように瞳をこちらに直接向けてくる。上から見下ろされている感覚と彼の目つきの鋭さから若干ながら恐怖を感じてしまう。


「・・・ああ、いいぜ。答えてやるよ」


 俺の気持ちが伝わったのか、山西先輩は、俺に向けていた視線を1度外す。そして、再び視線を向けてくる。再び、山西先輩と目が合う。ただ、山西先輩の瞳は、普段とは違った感じを醸し出していた。


「俺は、誰かをいたぶってないと生きていけない性なんだよ。だから、俺は、小さい頃からずっと弱い人間をいたぶってきた。それは、自我を持ってからずっとだ。だが、そんな俺にも悲劇が訪れた。それは、お前が原因で生まれた」


 山西先輩は、そこまで言葉を紡ぐと一度間を開ける。


「お前と揉めた後、俺は危害を加える人間を失った。俺は、何日か誰かをいたぶらない生活を送ったわけだ。だが、それが苦痛で仕方がなかった。だから、俺は世間的にいじめと言われることをやっている。そして・・・」


「今から、赤森、お前も俺の餌食になってもらう」


 そう言い終えると、口元から歯を剥き出し、生き生きとした笑みを俺に向けてくる。その顔は非常に楽しそうである。そして、それは、獲物を見つけた肉食動物を彷彿とさせるような表情だった。


 狂ってる。俺はおろか、普通の人間では到底理解できないことである。そして、そのような性質を持っている山西先輩に対して多大な恐怖感を抱く。だが。


「痛い目を見たことがないからそんなことが言えるんですよ!」


 怒り、それとも憐れみから出たものか自分でもわからない。しかし、俺は普段では考えられない声を出し、山西先輩に物申していた。


 力がある人間は中々味わうことがなく、弱い人間のみが多々経験すること。痛い目にあったことがないから、そのときに受ける気持ちなどを押しはかることができない。だから、弱いものをいたぶる。残酷であり、世の中では日常的に起こっていること。


「なんとでも言え。どうせ、俺が痛い目を見ることなんてこれから一生ねえんだからよ」


 山西先輩は吐き捨てるように言うと、俺の胸ぐらを掴む。掴まれた結果、カッターシャツが前方に突出するような形で伸びてしまう。


 どうする?


 こうなることは、予め予想していた。だが、新田をいち早く助けることを優先して、計画なしに無鉄砲な形で突入してしまった。そのため、どうやって、この状況を抜け出すかまでは考えていない。抜け出さなければ、新田は助からないにもかかわらず。


 このような絶体絶命な状況のため、心臓の鼓動は速くなっており、脳も上手く機能しない。そして、俺の内部の状態などお構いなしに山西先輩以外の先輩たちは、俺を取り囲むような形でそれぞれ位置取りをしている。


 山西先輩に胸ぐらを掴まれ、周囲に取り囲むように他の先輩たちもいる。新田も何もせず、ただ俺や先輩たちを眺めているだけだ。


 これはダメだ。殴られるしかない。


 この絶望的な状況を受け入れ、俺は暴力を受ける覚悟を決める。部活に所属していた当時、暴力を振るわれたことで感じた痛みが脳内にフラッシュバックする。


 鈍く、体が熱く、唸るような声を口から漏らさなければ、耐えらない痛み。思い返しただけでも、体に震えを覚えてしまう。しかも、今回は前よりもやばいかもしれない。


 部屋は、酸っぱい臭いで充満し、明るさも変化していない。変化したのは、人の心理状態だけ。


「じゃあ、始めるか」


 開始の合図が出され、いよいよ暴力が開始される。


 ガチャンッ。


 その直後、部室のドアが再び何者かの手よって開放させられる。


 俺、先輩、新田は一斉に音の音源に視線を向ける。


 まだ明るい外からの光が室内に飛び込んでくる。


 視線を向けた先に存在したのは、身長190センチ、体重100キロ近くはあると思しき体格を所持した胴着を着用した巨漢の男だった。


「あの小柄な女子が言っていた部屋はここでゴスかな?」


 室内の状況とは裏腹に、巨漢の男の愉快で大きな声が、俺たちが身を置く部室内で大きく木霊した。

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