第38話 昨年の1年生の春
(名都美奈視点)
時は遡り、1年前。
当時、私は1年生だった。そのため、上級生のマネージャーの先輩が2年生と3年生にいた。2年生には3人のマネージャーが部に所属していたが、それとは対照的というかはわからないが、1年生と3年生のマネージャーは、それぞれ1人のみ入部していた。
1年生は私が。3年生には、水川(みずかわ)先輩という最上級生が。
身長は女性の割に、170センチぐらいある長身で、ロングヘアの黒い髪、気が強そうな切れ長な鋭い目つき、高い鼻、日本人特有の、黄色と白が混合したような肌をした人物。
水川先輩は、1年生からバスケ部のマネージャーをしているため、マネージャー達の中では、1番の古参だった。その上、唯一の3年生であったため、彼女が必然的にマネージャーのリーダーというポジションを確立していた。そのため、水川先輩の言うことは絶対だった。
そして、私は、その水川先輩に、入部して数週間の経過後がきっかけとなったのか、そのときから様々な雑用やマネージャーの仕事を押し付けられた。練習の準備、部員やマネージャーが使用している部室の掃除、練習日誌の記録、部員の使用済みのユニフォームやビブスの洗濯など、分担、交代して行わなければならない仕事をすべて私に押し付けてきた。
一方、水川先輩は、デジタルタイマーの時間の計測、部員の衣服を畳んだりといった、部員の目に留まる仕事だけをしていた。そのため、部員達の水谷先輩に対する評価はどの学年を見ても高かった。「仕事をがんばりかつできる先輩」といったできるマネージャーを象徴するようなレッテルを持つように。
したがって、私の仕事は他のマネージャーと比較しても、圧倒的に多かった。
しかし、誰も私の手助けをしてくれなかった。
水川先輩は当然だとしても、他の先輩、2年生の先輩達は、アシストをしてくれてもよかったはずだ。ところが、そのようなことはしてくれなかった。水川先輩が恐かったのか、それとも、めんどくさいことはしたくなかったのか理由は今になってもわからない。
そして、このような環境に身を置き続けて、約2カ月が経過した6月半ば。
私は、その日、部活が終了した後、昇降口に設置されている水道を利用して、飲料水が以前まで投入されていたスクイズボトルを濯(そそ)いだ後に濯(ゆす)いでいた。1つ目が終わると、2つ目を、それが終わると、またその次を。
この日は、めんどくさいという理由から、水川先輩が通常、勤めている仕事を私が代替する形で担当した。
ボトルを濯いだ音が、何度も、耳に突き刺さるような形で鼓膜を刺激してきていたのを未だに想起できる。
20分ほどして、全てのスクイズボトルをきれいにし終わると、用を足し終えたそれらをかごに規則的に配列する形で挿入する。
実存するスクイズボトルをすべて入れ終えた後、部活に必要な道具が揃えられた部屋が設けられている場所へと向かう。
日陰の場所であった昇降口から距離をとると、周辺はいくらか明るくなる。しかし、真昼に比べると暗く、空は日が落ちるのを象徴するかのように、オレンジ色の光を放出していた。
私は、目的地にカゴを置き終わると、1年生専用のマネージャーの部屋に足を運ぶ。
中に入ると、理不尽さを感じながら、着替えを行い、ジャージから制服へと着替える。このときは、理不尽さを内心で感じながらも、男子バスケ部という社会の中で生きていくためには我慢しなければいけないと思い、割り切っていた。
「もう、みんな帰ってるだろうなー」
気の抜けた口調で言葉を漏らしながら、カギを掛けずに扉を閉める。扉が閉まったことを認知した後、歩を前方に進めて帰路につく。
正門に向かう途中で、3年生と2年生の部員が利用している部室の横を通過するが、何も聞こえてこない。静かで、何物も存在していないことを暗示する空気感を醸し出している。
突如、時間が気になってスカートの左ポケットから携帯を取り出す。流れるように、スイッチを押すと、黒い液晶から眩い光が放たれ、ロック画面と時刻が表示される。
19時00分。部活が終了して、30分が経過している。さすがに、この時間では、誰も残っていないだろう。私は、寂しさと虚しさといった感情を抱いたが、それを無理やり押し殺す。
ロックを解除し、母親にラインをすると、再び、電源を落とし、元の場所に戻す。
歩を再び進め、ある場所で右折すると正門が目に見える。茶色のどこの学校にもありそうな典型的な構造をした正門が。
私は、特に何の感情も抱くことなく、無造作に歩き続ける。
自分以外の生徒たちがいない寂しい道をとぼとぼと進んでいく。
すると、この高校の男子生徒であることを象徴するブレザーとズボンを身に纏った人物を目にする。
その人物は、正門付近に設置されるバスケ部の1年生の部室の前に佇むようにして立っていた。身長が低く、体格も中肉中背。
そして、その人物の前方には我が校の制服を着た女子生徒が立っていた。
私はその生徒のことを知っていた。私に仕事を押し付けてくる人物であり、見た目も良く、仕事をしっかりしていると誤認されていて、部員から信頼されている男子バスケ部のマネージャー。
水川先輩。
水川先輩を視認したことで、「なぜ、こんな時間までいるのだろう?」といった疑問が頭に浮かんだが、それはすぐに消え去ってしまう。
水川先輩は、部活があったときは、最後の見回りとして部員が利用している部室を確認しに行く。部員達に対して帰りの催促を行ったり、部室の戸締りをチェックする仕事。これは、マネージャーの仕事であり、その業務を水川先輩は他人に要請せず毎回遂行していた。
このような事実から、今までその仕事をしていたことが一見した様子から推測できた。そして、たまたま赤森君がいて遭遇したとかそのような感じかな。
私は、1人で事の顛末を妄想する形で想像しながら、目の前に現れた場面を凝視する。このときの私は、なぜか2人が対峙する光景から目を放すことができなかった。だから、水川先輩の視界に入り込むといった可能性など無論考慮していなかった。
「どうしたの?急に呼びとめてきて」
水川先輩は若干嫌そうな顔をしながら、その男子に声をかける。その様子から、私が見ていることは気づいていないように見える。
「すいません。1つ聞きたいことがあって」
部活動に勤しんでいる人間とは思えない口調でその男子と推測できる生徒は1つの謝罪を入れ、要望を伝える。
「ええ。いいわよ。ただし、手短にお願いね」
「ありがとうございます」
一連の流れの会話が一度終焉を迎える。ここからどのようになるのだろう?
「いきなりで申し訳ないんですけど・・・、水川先輩ってあんまりマネージャーの仕事やってないですよね?」
「は?」
「え?」
水川先輩と私は思わず口から声を漏らしてしまう。
水川先輩は、予想外の質問だったのか、呆けたような顔をしている。私はというと、内心の影響なのか、顔に驚いた表情が露われていた。
「な、何を言ってるの。それは間違いよ。私は、しっかり仕事をしているじゃない」
我に返った水川先輩は、諭すようにして先ほどの言葉を否定する。
「部員が直接視認する仕事は確かにしてますね。ですが、それ以外の仕事はすべてやっていない」
男子生徒は、水川先輩の言い分を大きく否定するような言葉を投げ付ける。
「全部たった1人の1年生のマネージャーに押し付ける形をとって」
水川先輩の反応など無視して、全てを知っているような口ぶりで淡々と述べる。
「・・なんであなたがそんなことを言い切れるわけ?何か証拠でもあるわけ?」
水川先輩は、普段では想像できない程の早口で捲し立てると、敵対視する視線をその生徒に向ける。
「決定づける証拠はありませんよ」
「何よ。それなら私が仕事をしていないって断言するのはおかしいんじゃない」
水川先輩は蔑むような目をして吐き捨てるように言葉を紡ぐ。
「確かにそうですね。ただ、ほかのマネージャーが忙しそうにしている中、水川先輩はいつも楽そうにしているですよね」
「みんな仕事をしっかりしていると思っているらしいけど」とその男子生徒は、体をほぐすためか左右に体全体を揺らし、私のところまで聞こえる独り言を発する。
「なにあなた?後輩のくせに生意気ね?」
怒りと冷たさが含まれた言霊が生まれる。
「3年の部員に伝えてもいいのよ、身長が低くて、部内でも目立っていない名前の知らない後輩に変な疑いを掛けられているって。そうしたら、あなたはどうなるでしょうね?」
「く、そ、それは。」
先ほどまでの自信ありげな口調から突如、人が変化したみたいに、情けない声を発する。まるで、演技をしていて、ボロが出たような。
「さあ、どうする。すぐに謝ったら許してあげなくもないわよ」
ついさっきまでの状況とは打って変わり、水川先輩が主導権を握る形となる。彼女もそれを理解しているのか、4メートル程距離が離れている私のところからでも、彼女の勝ち誇った顔が視認される。
再び、静寂な間が生まれる。その間の最中、男子生徒が、苦虫を嚙み潰すような表情を表に出している絵が私の脳内でイメージされる。
「はぁ・・・」
諦めから生まれた溜息なのかを断言できないモノを男子生徒は口から吐き出す。
そして、5秒程経過したところで、「水川先輩って、アルバイトしてますよね」と突如関係のない事柄を口走った。いや、意図的に言ったといった方が正しいのかな。
「わきかわといった書店の付近に存在するコンビニで。」
空気を読めない発言をしているにも関わらず、それを無視するように淡々と言葉を告げる。
「ここから、20分ぐらいかかりますかね」
男子生徒は、私と水川先輩の心情など気にしている様子もなく、つらつらと言葉を並べていく。
彼の行動が腹ただしいのか、水川先輩の表情が徐々に険しいモノになっていく。
いきなりだが、我が高校では、アルバイトは禁止されており、余程の理由がない限り、容認されない。その上、無断でアルバイトをしていたことが露見すれば、停学や内申の大幅減点といった処罰が高校から下される。そのため、この学校でアルバイトをする人間は実質いないに等しい。
「それと」。そうして、男子は、左ポケットの中に手を突っ込むとスマートフォンを取り出し、いじっている。何をやっているかは、男子生徒が、私に対して背中を向けた状態なため、認知することはできなかった。。
「これ」。そう言って、スマトーフォンの画面を水川先輩の視界に入り込むよう
な場所に手で調整して、見せる。
画面を見た直後、先ほどまで険しかった水川先輩の表情が変化し、顔色が悪くなる。ここからでもわかるほどにその表情は、劇的に変容した。
「先生に伝えときましょうか?」
挑発するように言葉を投げ掛ける男子生徒。ついさっきまでの情けない口調はうそみたいに、強気な態度をとっている。
「そ、それは、やめてくれないかしら。・・・本当にお願いだから」
水川先輩は、今まで私が見せたことがない焦った顔をして、途中で言葉をつまずかせながら、行動の抑止を図ろうとする。
「じゃあ、事実を認めて、今までやってきたこと、良くない行いをやめてくれませんか?そうしたら、このことは学校に伝えません」
水川先輩の要求を飲む代わりとして交換条件を提示する男子生徒。
「わ、わかったわ。・・それでいいのね」
「はい」
水川先輩は、悩むこともせず即座に了承すると、不安な瞳で男子生徒を覗き見る。まるで、不安や恐怖に遭遇したときの幼稚園生のように。
水川先輩は、高校3年生。世間的には、受験シーズンなため、自分の評価を下げることはしたくないのだろう。
「じゃあ、お願いしますね」
その言葉を置き土産のように残すと、男子生徒は、部室の中に消えていった。
水川先輩は、その男子生徒の行動を追跡するように目で追いかけ、男子生徒が入った後も、その人物が存在するであろう部室をただじっと見ていた。男子生徒が視界に入っていないのにも関わらず。
そして、次の日から水川先輩からの執拗な押し付けはなくなった。ただ、仕事が完全になくなることはない。だが、私の仕事量が以前よりもかなり減ることにはなった。練習の準備には、水川先輩は参加するようになったし、ビブスの洗濯も当番制になった。部室の掃除は、なぜか知らないが、部員の部室に対しては、ある1年生の男子生徒が受け持つことになった。
その男子は、身長は平均よりも低く、体格は中肉中背、黒髪で、前髪が眉毛を通過するようにして伸びた髪型をしていた。
みんな分かったと思う。そう。その人物が赤森君だった。
しかし、当時の私は、彼の名前を知っていたが、顔はうろ覚えだった。そのため、私は、赤森君に関することをほとんど知らなかったし、正直に言えば興味もなかった。もしかしたら、このときの私は、顔写真を見せられても、赤森君という人間を認識できなかったかもしれない。
ただ、彼は部内では目立つ人間ではなかったし、バスケのプレイにおいても目立つことはなかった。だから、私の視界の中に赤森君はほとんど入ってくることはこのときまでほとんどなかった。
だが、あのときの男子生徒が赤森君だとわかると、私は彼が気になり、幾度となく意識的に彼を視界に放り込んだ。
私のことを考えて行動したのかはわからなかったが、部員全員が気づいていなかったといったも過言ではなく、隠密に隠れていた事柄から私を助けてくれた人。
私は、水川先輩が引退するまでの間に、どのぐらい赤森君を視認したのかがわからない。そのぐらい、私は彼に夢中になっていった。
〇メッセージ
文字数が多いため、長くて申し訳ありません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます