第46話 ぶった切れ!
アリスはその刀を怪訝そうに見ていましたが、フンッと鼻を鳴らすと一足飛びに裁判長席まで戻りました。どうやら高みの見物を決め込むようです。
「アリス女王は絶対!」
「生意気だぞ、金髪碧眼はアリスの特権だ!」
「パクリ女!」
盛大に野次を飛ばしながら拳を振り上げる住人に対して、金魚は顔の横で刀を構えるとニヤリと笑いました。腰を落とすと、その足元の血だまりが少しずつ大きくなっていきます。
「この金髪か? いいだろ、本物の王族の証だぜ」
そして敵の注目を引き寄せる為、この場で最も効果的な挑発をしてみせたのです。
「お前らのパチモン女王と違ってな」
裁判長席に座るアリスの、無表情ながらもイラっとした感情がその場に居た全員に伝わりました。親指を立てた彼女は無言で首を引き切るような仕草をしてみせます。
プリンセスオーダーを合図に、信者たちがわらわらとフィールドに降りてきます。彼ら一人ひとりが先ほどの塔の守護者と同じだけの強さを持っているはず。ですが金魚は不敵に笑うと走り出します。
すさまじい戦闘が始まりました。ボロボロの身体のどこにそんな余力があったのかと思うほど、金魚は次々となだれ込む男たちを跳ね飛ばしていきます。
しかし多勢に無勢、人だかりに埋もれ次第にその姿は見えなくなってしまいました。辛うじて敵が飛んでいる騒動の中心に居るかもと推測できるぐらいです。彼女が敵を引きつけている間に残りの四人は集まります。
「どうしましょう!? このままじゃ金魚さんがっ」
雪流の泣き出しそうな顔を前にして、因幡は焦ったような視線を戦いの中心に向け呟きます。
「あの雑兵たちはアリスの創造のチカラで強化されている。それを何とかしないことには……」
口にしたくはありませんが、想うだけでいくらでも強化されるというのならもはや太刀打ちできる術は無いのでは。
心が折れそうになったその時、追い打ちをかけるようにどこからかニヤニヤとした声が降ってきました。
「だからさっさと諦めて傘下に入っておけば、こんな事にはならなかったのにネーェ」
弾かれたように振り返った先には、見覚えのある(そしてあまりいい思い出の無い)ニンマリとした三日月型の口が浮かんでいました。すぐに姿を現したチェシャ猫は、傍聴席を隔てる柵の柱の上に座り、こちらを見降ろしています。一斉に身構える一行を前にしても、余裕な態度でしっぽをくねらせる彼は、口に手をやりながらクスクスと笑います。
「ムダムダ、オレにだって勝てないよ。この法廷場ではアリスが絶対でありルール。ここはワンダーランドそのものなんだから」
「何よっ、戦う気ないの!? 見下したいだけならさっさとどこかに行って!!」
カリカリした灰音が叫びますが、その両サイドにいた因幡と雪流はハッとします。
考えてみればおかしな話だったのです。なぜアリスがこの童話が重なり合う『かりそめ世界』においても、チート的な力を有しているのか。それも無制限に。
――ここはワンダーランドそのものなんだから
ようやく分かりました。つまり、自分たちは彼女がルールの盤上に自ら飛び込んできてしまったのです。丸ごと持ってきたハートの女王の城は、結界で守られた罠であり独壇場。手のひらの上で転がされていたに過ぎないのです。
「頭夜さん! 灰音さん!」
「ここから出よう!」
ならば、この勝ち目のない敵地で戦うのは無謀でしかありません。ですが、事態を理解した頭夜は仲間を止めました。
「待ってくれ。逃げ出すのはこれで何度目になる? ここで決着をつけるべきだ」
冷静な物言いでしたが、焦る灰音はその袖をグイグイとひっぱります。
「あのねぇっ、私だって逃げたくなんか無いわよ。でも策もないのに戦うなんて――」
「策ならある」
おたけびが上がり、金魚が居るはずの辺りからドシュッと血しぶきが上がります。ビクッとする一行でしたが、朱と金の見慣れた人物が鬼人のごとく飛び回り続けているのを見つけて胸を撫でおろします。頭夜は再び話し始めました。
「ここが不思議の国の一部だっていうなら、境界を壊してこっちの世界をなだれ込ませてしまえばいい」
「でも、どうやって?」
灰音は困惑して問い返します。なんだか途方もない話です、あのヨグ神ならいざ知らず、自分たちが世界を混ぜ合わせるなどどうすれば……。
じれったそうに二人の肩を掴んだ頭夜は、真剣な顔をして記憶を呼び覚まそうとしました。
「思い出せ。それぞれの話に分けられた俺たちを、世界の境界をブッ壊して迎えに来たのは誰だ?」
ハッとした灰音と雪流は、乱闘の中心に振り向きます。金魚が掲げる刀が薄暗いホールの中でキラキラと蒼穹色に輝いていました。
それに、先ほど金魚がタイルに突き立てた時に生じた空間の揺らぎ――その箇所に駆け付けた一行は目を凝らします。オーラをたどる事のできる二人は、そこから魔力的な何かがダクダクと流れ出ているのを感じました。素早くフロアを見回した雪流が叫びます。
「あ……わかった、分かりました! この床全体が不思議の国と繋がる魔法陣なんです!
「どれだっ」
目をすがめて指でたどった雪流は、右前方の白いタイルの元まで駆け付けました。振り上げた両手に沿うよう、氷の杭が二本出現し、ドスッとクロスして突き刺さります。
「タイルの破壊なら僕たちでもできます!」
「よしっ、二人は見極めるのに専念してくれ。俺たちで破壊するっ」
「わかったわ!」
ですが、その動きを察したアリスが立ち上がりました。上から一足飛びに降りて来ると、凄まじい形相で向かってきます。
「何をしてるの!? やめなさいッ!」
小賢しい真似をする虫けらたちを今度こそ叩きのめそうと、アリスは傘を構えます。
ですが加速しようとした瞬間、白ウサギが目の前に立ちはだかり、たたらを踏みます。元部下は何も言わずにこちらにまっすぐにナイフの切っ先を向けていました。
「くっ……どきなさい白ウサギ!」
「行かせはしない」
諭すような、最後まで自分を諌め続けたあのニガテな目で白ウサギは斬りかかってきました。すぐに返り討ちにしてやろうとするのですが、目の前の男は瞬間移動しているとしか思えないスピードで前から後ろから攻撃を仕掛けてきます。予想外の早さに防ぐことしかできません。
「なに、なんなのよその能力はっ! 『時止め』なんてあたし以下の能力しか与えてないはずでしょ!?」
アリスは知る由もありませんでした。ワンダーランドから追い出され、金魚という同等のライバルに巡り合えた因幡の能力は、己でも自覚しないほどに底上げされていたのです。そして、ここにきて主人を真剣に止めたいと言う忠義心が、彼の能力を開花させます。
因幡は斥力を発生させようとゆっくり構える手から――少なくとも彼にはスローモーションに見えました――傘を叩き落とすことに成功します。同じタイミングで、最後のタイルが破壊されます。
「金魚ォォーッッ!!」
咆哮しながら振り返った頭夜の視線の先で、吹き飛ばされた金魚が空中で目をパチリと開きます。脇腹からの血が、腰に巻いた二本目の帯のようにひるがえりました。
トッと、少し離れた位置に着地した金魚は、居合切りのように低く構えた体勢のまま足元をザリッと擦ります。頭をブルッと振るとようやく応答しました。
「悪ぃ、本格的に血が足らんくなってきた……フラフラする」
「切れっ、お得意のアレやっちまえ!」
「おい、『アレ』とか指示語やめろよ、いつもそうやって別のモン切ったら怒るだろみんな」
こんな状況でもすっとぼけた返しをしてくる金魚です。じれた頭夜はそちらに駆けだしながら叫びました。
「ぶった切れ! この空間ごと切っちまえ!!」
「やめっ……」
一瞬きょとんとした顔をした金魚でしたが、焦ったように手を伸ばすアリスを見て、ニマァと主人公らしからぬ笑顔を浮かべました。なんだかわかりませんが、頭夜が言うのなら間違いないでしょう。
グッと刀の柄を握る手に力を込めたかと思うと、目にも止まらぬスピードで振り抜きました。
「ダメぇぇええ!!」
音速よりも早く撃ち出された衝撃波が、周辺を切り裂きながら天井をぶち抜きます。落下するガレキの向こうに暮れ始めた空が見え、それと同時に辺りの様子も変化が起き始めます。おごそかな雰囲気だった法廷場のあちこちに、本来そこにあるはずの草原がジジッと混ざりこんだのです。
あちこちに転がっている不思議の国のイケメンたちも、ブルッと震えたかと思うと身体の一部分だけがデフォルメされた本来の姿へと戻っています。事態を理解していないな彼らは、なんともチグハグな見た目で顔を見合わせては首を傾げています。
「あ……あぁ……」
そして、何より特筆すべきなのはアリスの姿でした。輝くブロンドだった髪は肩口までのありふれた茶髪になり、大きな丸眼鏡に団子っ鼻、やや荒れた肌にはそばかすが浮いています。残念な事に袖口が緩んだ部屋着のトレーナーには毛玉がびっしりと付いていました。
目を見張るほどの美少女から、どこにでも良そうな素朴な女性に変化した彼女は、キッとにらみ付けると癇癪を爆発させました。地団駄を踏んで右手を掲げます。
「どうして!? どうしてあたしの夢なのに思い通りにならないのよ! 私はアリスなの! 主人公なんだから!!」
いくら無敵を剥がしたとは言え、その能力が消えたわけではなさそうです。彼女は再びジジッと美少女の姿に変化します。グッと握りこんだ手の中にあのレースのついた傘が顕在されました。ですが――
「キャア!」
もはや誰にも追いつけない存在となった因幡が、それを叩き落として折ってしまいます。それを見ていた金魚は、マリンブルーの瞳でまっすぐに彼女を見据えハッキリと宣言しました。
「違う! この世界では一人ひとりが主人公だ。お前ひとりのワガママに振り回される『不思議の国』はここにはない!」
つい数分前まで、アリスはこの場の絶対的女王でした。ですが、今や状況は逆転し劣勢に追い込まれています。
法廷場は静まり返ります。金魚たちはアリスの反省と謝罪の言葉を待っていました。ですが、ふてくされたように頬を膨らませた彼女はぷいっとそっぽを向き、一番の従者を呼び寄せます。
「もういい。チェシャ」
「なんだい、アリス」
それまで姿を消していたチェシャ猫は、呼びかけに応じてアリスの傍らに出現しました。しなやかな尻尾を彼女に巻き付け、愛おしそうに頬を撫でています。
まさか、まだ奥の手を隠しているのではと身構える一行でしたが、アリスの狙いは別のところにありました。見せつけるよう横の男にギュッと抱き着いた彼女はこんな事を言い出します。
「もう起きる。こんな思い通りにならない
最後にチラッとこちらを見たアリスは……とりわけ因幡の姿を目にすると、凶悪な笑みを浮かべてあざ笑いました。
「アハハハハ! アンタらみーんな巻き添えよ、ぜんぶぜんぶ、消えちゃえーっ!!」
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