第45話 法廷場のアリス裁判

 ようやく処置も終わり、いよいよ最終決戦へと向かうため、一行はお城の大きな扉の前に立ちました。

 試しに武器でつついてみようとするのですが、扉に触れる前にバチン!と見えない何かに弾かれてしまいました。どうやら強力な結界が張ってあるというのは本当のようです。

 それぞれ四スートのカギを手にすると、横一列に並んでいる鍵穴向けて慎重に進んでいきます。何の抵抗もなく、素直にスッと収まったカギを左に回すとパァン!と音をたてて結界は破裂しました。


「行くぞ!」


 先陣を切った金魚が重たい扉を開け放ち、全員それに続きます。中は想像していたお城の内部とは違い、大きな段々状のホールのように周囲がせり上がっています。

 薄暗く、圧迫されるようなこの配置は……そう、まるで法廷の被告人にでもなったような気分です。


「よぉこそ、私のかわいいオモチャたち。ここまで来てくれて嬉しいわ」


 あのハチミツを垂らしたような甘い声が法廷に響き渡ります。正面を見上げれば裁判長の席に華奢な人物がいるようです。優雅に足を組んでこちらを見下ろしているのは、今回の元凶アリス・ヴィトラクチェその人でした。

 彼女はあの時と少しも変わらぬ完璧な愛くるしさで、コロコロと鈴を転がすような声で笑います。


「本当に来てくれるとは思わなかった。それに白ウサギまで! よくあの人数に耐えたわね、さすがは元隊長さんってところかしら」

「アリス! もうこんなことは止めるんだ!」


 どこまでも実直な男は、開口一番叫びます。それまで愉快そうな色を浮かべていた主人は、スッと表情を消しました。


「ここまでされてまだそんな事を言うの? 聞き飽きて耳にタコができそう。本当につまらない男」


 そしてニヤリと口を吊り上げると、指先を構えてバァンと撃つような仕草を見せました。


「もう分かっているでしょう? 私がアンタに期待しているのは、おせっかいな忠告なんかじゃなくて、華々しく散る事だけなのよ」


 緊迫するその場で、金魚の隣にいた灰音だけがその異変に気が付きました。油断なく構えていた金魚が、とつぜん眠たそうに目を瞬き始めたのです。そして急にカクンと俯くと、青い刀の切っ先が下がり始めます。ちょっと――と、声をかけようとしたその瞬間、よろけた一歩をダンッと踏み込んだ金魚は、跳びました。


「えっ……危ないッッ!!」


 反射的に叫んだ先で、目を見開いた因幡が身を躱します。ですが完全に避けきることはできず、長い右耳の先端が三分の一ほど吹き飛びました。プシッと鮮血が舞い散る中を抜けた金魚が、タッと着地します。


「金魚さん!?」


 ゆらりと振り向いた彼女を見た仲間たちは、予想外の事態にあんぐりと口を開けました。金魚は『すぴょすぴょ』と、締まりのない顔で眠っていたのです。


「何やってんのよアンタ!?」

「いいい、因幡さん、耳が、耳がぁぁ」


 こちらの陣営はもうパニックです。雪流はうろたえ、灰音と頭夜はアリスを横目で警戒しながら金魚へと向き直ります。

 真剣な顔で耳を抑えていた因幡は、襲撃者の背中で揺れる一枚の赤い紙に気が付きました。


「あれは……眠りネズミの呪符?」


 鼻ちょうちんなんか出し始めた金魚は、何の夢を見ているのでしょう、へへへと笑いながら刀を下段に構えます。ギクッとした一行が身構えるのとほぼ同時に彼女は襲い掛かってきました。


「起きろ金魚! このバカ!」


 冷や汗をかきながら迎えうったのは頭夜でした。毎朝、手合わせに付き合わされている彼は、彼女の攻撃がいつもより鈍いことに気が付きました。さすがに意識がない状態では力を百パーセント発揮できないようです。

 頭夜は一度キュッと足元を鳴らし、上段から振り下ろされた刀をスレスレに避けながら右下に入り込みます。しゃがんだ状態から左足を軸に思いっきり彼女の足元を払いました。


「っらぁ!」

「!」


 男性と比べ、どうしてもウェイトで劣る金魚は、軽々と空中に浮きました。電光石火、因幡が駆け抜け呪符を剥がします。ドシンと背中から落ちた金魚は、ぐふっとヘンな音を吐くとバネ仕掛けのように跳び起きました。


「いってえ! な、なんだ? 何が起きた?」

「金魚さん起きてください!」

「のわぁあ!?」


 雪流のダイアモンドダストを紙一重で避けると、ケラケラと笑う声が降ってきました。見上げればアリスがお腹を抱えて笑っています。


「もう解けてしまったの? あなた、面白いぐらい精神構造が単純なのねぇ、真っすぐな筒みたいに入り易いけど、同じくらい追い出され易いわ」


 操られていたのだと気づいた金魚は、気合いを入れてにらみ付けます。ですが視界の端で血を流す因幡を見つけると、ハッとしたようにそちらに向きました。


「悪い、まさかそれ」

「気にしないでくれ。君の脇腹の傷とで相殺だ」


 ぐっと出続けそうになる謝罪を呑み込んだ金魚は、その怒りを元凶にぶつけることにしました。にらみ上げると刀の先端をまっすぐに向けます。


「にゃろう、許さん! こすっからい真似ばっかしてないで下りてこいよ! でなきゃこっちから行くぞっ」

「あらぁ、余興はおしまい? まぁいいわ、そこそこ楽しめたし。それじゃあ――」


 あでやかに微笑んだアリスは、立ち上がるとトンッと椅子から跳びます。厚底の靴でふわりと降り立つと、左手に光が収束しレースのついた傘が現れます。


「処刑の時間と行きましょうか」


 片足に体重を乗せると、片手をチョイチョイと動かし、どこからでもどうぞと言わんばかりの態度を見せます。あまりの余裕ぶりに五人がためらっていると、傘をクルクルと回し始めたアリスは楽しそうに歩き出しました。


「どうしたの、怖じ気づいたぁ?」


 瞬間的に殺気が高まります。それは戦いに身を置く者ならば、誰しもが臆してしまいそうなほど強いものでした。


((来る――!))


 本能的にしゃがんだのは正解でした。アリスの構えた傘の先端から、まるでビームのような熱光線が発射されたのです。薙ぎ払うようにフィールドを走った攻撃が眩く、お尻をぺたんと着いた雪流は目を細めます。そして黒い影が視界に走ったと思った瞬間、オートで反応するようにしていた『氷塊・壁』が発動しました。パキパキと自分を守る氷に目を見開きます。


「氷の壁? 脆そう」


 ですがすさまじい音を立てて、傘の一振りで突破されてしまいます。立ち上がりかけた雪流の腹に強烈な一撃が叩きこまれました。


「あぐっ!!」

「雪!」


 地面に叩きつけられた白い体は、一度バウンドして横たわります。そちらに駆けようとした金魚の目の前に、煌びやかな金髪がひるがえりました。


「キャハハッ、あたしの方が美しいブロンド!」


 振り下ろされた傘が左肩にヒットし、巨大なハンマーで地面に叩き込まれたような衝撃が襲います。冗談ではありません、目で捉えることすらできませんでした。最速だと思っていた因幡の何十倍ものスピードです。

 思わず膝を突きそうになったその時、アリスの背後で紫の光が輝いたのを金魚は見ました。バチバチと帯電した灰音が、銃口を敵に向けながら叫びます。


「雷華-ライカ-!」


 疾風迅雷。弾け飛ぶ雷の弾がアリスに突き刺さります。ところがまともにくらったはずの彼女は苦悶の表情一つ浮かべることなく、光を帯びた自分の腕を眺めまわしています。


「ふぅん、悪くない技ね」

「うそっ!?」


 かすっただけで、まともに口を開くことすら出来なくなるはずの攻撃です。驚愕する灰音に振り返り、アリスは凶悪な笑みを浮かべました。


「だけど、雑魚に出来てあたしに出来ないことなんて無いのよっ」

「灰音!」


 自分の身体を覆う電気を右手にまとめたアリスは、お返しとばかりにそれを何倍にも増幅して撃ち出します。まともにくらった灰音は悲痛な声を上げながら壁に叩きつけられました。

 その瞬間を狙い、三方向から金魚たちは斬りかかります。頭夜が先陣を切り、完全な死角から金魚と因幡が斬りかかったはずでした――ですが


「なぁにぃ? コバエかしらぁっ」


 傘を下段に構えたアリスがクルッと一回転しただけ。それだけで彼女の周りに斥力が発生したかのようにこちらの攻撃の勢いが削がれてしまいます。

 振り上げた刀が空中で留まり、前にも後ろにも動けずにいる内にブン殴られてしまいました。他の二人も同様に宙を飛びます。

 因幡は空中で受け身を取る体勢に移行します。地面に着くまでのコンマ数秒で考えたのは、ガードした左腕がしばらく使い物にならないだろうなと言うことでした。肘から先の感覚がまったくありません。

 地面を擦りながらなんとか着地し、身体へのダメージを最小限に抑えます。その隣で派手に転がった金魚が脇腹を押さえながら刀を支えに立ち上がります。どうやら傷口が開いてしまったようで、法廷場の白黒タイルにポタポタと赤い模様が描かれました。それを見たアリスが勝ち誇ったように顎をツンと上げます。


「ふふん、英雄だかなんだか知らないけど、大したことないわね」


 幼い子供のような口調なのに、そこに居たのは紛れもなく怪物でした。圧倒的なチカラを前に、五人がかりなのにアリスに傷一つ付けることができません。

 頭夜は青いフードの下でこっそり汗を拭います。そこで己の得物を見下ろしぞっとしました。攻撃を受けたところから剣に亀裂が入っているのです。もう一度受けたら間違いなく折れてしまうでしょう。それは自分自身の今の心を表しているようで、拭ったはずの汗が再び噴き出して来るのを感じました。

 絶望を存分に植え付けたことを確認したアリスは、ますます勝ち誇ったように笑みを浮かべます。その容姿は美しさに磨きがかかったようで薄暗い法廷にキラキラと光り輝いています。


「あたしが気に入らないやつはそれだけで存在自体が罪なのっ、この世界ではそうなの!」


 宣言した途端、それまで無人だと思っていた傍聴席に無数の人影が現れ始めました。揃って輝くような笑顔をしていたのは、アリスを崇める不思議の国の信者たちでした。


「「「なんて素敵なアリス、強くて賢く、とびきり可愛い!」」」


 彼女を褒め称える声がホールに響きます。不気味な大合唱の中、ついに金魚が膝を突きました。苦しそうに息を吐き、その横顔には脂汗が浮いています。ようやく意識を取り戻した雪流はそのあり得ない光景を目にしてヒィっと息を呑みました。

 助け起こそうと因幡が駆け寄った時、傍聴人たちは面白そうな声で囃し立て始めました。


「裏切り者の白ウサギ!」

「今こそ忠誠心を見せろ」

「それでもアリス女王の側近か」


 ぐさりとやってしまえ。そんな声が次々飛んできます。


「お前なんか、こっちの世界で死んでいればよかったんだ!」


 因幡は瞳に一瞬だけ傷ついたような色を浮かべましたが、反論するよりも、と金魚に手を貸します。

 ところが金魚はその手助けを断ってすっくと立ちあがります。無言で刀を逆手に持つと、法廷のタイルに突き立てました。軽い動作に見えたそれは、すさまじい破壊音で法廷を一瞬の内に黙らせます。


「……裏切り者はどっちだ」


 低く這うような声は、普段の快活な声からは想像もつかないほどの威圧感を持っていました。よく通る声と共に、彼女は青い燐光の宿るまなざしを開きます。


「因幡は使い捨てられ、ボロ布みたいになって、記憶を失ってもなお、アリスの暴走を止めようとしていた。それが忠義じゃないってんなら何だってんだ」


 気のせいでしょうか、一瞬だけ金魚の周囲がジジッと変化します。おや、と目を凝らす仲間たちでしたが、すぐにそれは戻りました。金魚の怒号は続きます。


「褒めたたえて、おべっかを言うのが忠義か? アリスを本当にダメにしたのはどっちだ! 最後まで正気を保って彼女を正しい道に戻そうとしたのは誰だ!!」


 再び引き抜いた時、蒼穹刀はパチパチと音を立て始めました。刀身が普段の濃い青色から、跳ねるような澄んだ空色へと変化していきます。

 その切っ先を眼前に構えた金魚は、力強く言い放ちました。



「目を覚ませよ不思議の住人! それでも因幡をバカにするっていうヤツがいるなら降りてこい、私が相手だ!」

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