第43話 4つの鍵

 わずかにそよぐ風が森の梢をざわめかせます。ざぁざぁと耳に優しい音が森に響く中、明らかに一つだけ、風のせいではなく揺れている一本の木がありました。


「どうだ、見えるか?」


 ズバリその原因である金魚は、片膝を立てるという器用な体勢で座った枝を揺らしながら少し上に問いかけます。偵察のため木に登っていた因幡はわずかに目を細めそのとんでもない光景を見渡します。


「なんだこれは……」


 彼の視線の先には、昨日まではなかったはずの城が出現していました。しかもその造形は、因幡――いえ、白ウサギにとって非常になじみのある物だったのです。


「ハートの女王の城をそのままこちらの世界に持ってくるなんて……」


 どうやって、と目まぐるしく疑問が渦巻きだす彼の耳は、森の下草を踏み分けて近づいてくる三人分の足音を聞きつけました。一息に飛び降りたすぐ目の前で少女がビクッと跳ねます。


「ちょっといきなり降ってこないでよ、びっくりするじゃない!」

「む、すまない」


 銃に伸びかけた手を下ろしたのは、足の速い斥候二人にようやく追いついた灰音でした。その後ろから頭夜と雪流も現れます。

 怒られた因幡は大真面目な顔をしてこう言い放ちました。


「……どうすれば驚かせずに済むだろう」

「どうすれば、って」

「笑いながらなら怖くないだろうか、アハハハハハハハハハハ」

「顔と声が一致してないわよ! 声を掛けてから降りろって言ってんの!」

「どうです? 何か見えました?」


 コントのようなやり取りにくすっと笑いながら、雪流が優しく問いかけます。それに答えたのは、自らも平原の様子を見てから飛び降りてきた金魚の方でした。


「すっげぇぞ、昨日まで無かったでっかい城が出来てる!」


 詳しく話を聞いてみると、視覚から得た情報はおおむね昨晩マオから聞いた通りでした。

 占拠された四つの村や街にはそれぞれ巨大な塔が出現しており、それらを交差させたちょうど中央の位置にハートの女王の城がどかんと置かれているのです。


「城に向かって、ぞろぞろ村人たちが引っ立てられていくのも見えたな」

「おそらくはアリスのあらゆる欲望を満たすため強制労働させられに行くのだろう、私たちが元いた世界でも同じような事が行われていた」


 さすが、向こうの陣営に居た人の情報は頼りになります。切り株に腰掛け汗をぬぐっていた頭夜は単刀直入に解決策を提案します。


「つまりそのトップであるアリスをぶっ叩いて成敗すれば、こんなふざけた状況も元通りになるんだろ?」

「よっしゃ! カチコミだ!!」

「でもあの女がどこに居るか分からないじゃない。下手に突入して探し回ってるうちにトランプ兵たちにやられちゃうわ」

「確証が持てないと不安ですね、ものすごい数ですから……」


 うーんと頭を悩ませる一行でしたが、因幡だけは暗い表情をしてこう続けます。


「いや、確実にアリスはあの中央の城の最上階に居る、人を働かせて上から見下ろすのが好きだったから」

「なら決まりだな! 正面突破だ!」


 グッと拳を握りしめた脳筋姫様でしたが、そう甘いものではないと彼は首を振ります。


「力押しではまず無理だ。なにせあの城には――」

「あーらら、さすがに元警備隊長さんがいると情報つつぬけーぇ?」


 突然響いたニヤケ声に、皆はじかれたように立ち上がります。油断なく構えていると、その声の主はケラケラと笑いました。


「やーだなぁ、そんな殺気立たれるとゾクゾクするじゃーん、抑えて抑えて」


 変態チックなセリフと共に、さきほどまで金魚たちが登っていた木の上に口だけが現れます。続けてすぅっと見えてきたのは、やはりというかチェシャ猫でした。

 しなやかな尻尾をくるんと枝に巻き付けながら、彼はクスクスと口元を隠して笑います。どこか小ばかにされているような視線に気の短い灰音辺りはすでにピリピリしているようです。


「オレはぁ、伝令だよぉ。アリスがね、キミらをゲームにご招待するってさぁ~」

「ゲーム?」


 緊迫した現状には似つかわしくない単語に、頭夜は怪訝な顔をします。枝に足だけをひっかけて逆さづりになったチェシャ猫はニマニマ笑いを止めません。


「そう、アンタらを城に招待するけど城門には強力な結界が張ってある。入るためには各地の塔から四つのカギを集めてきてね。詳しくはそこのウサギさんに聞けばいいよ」


 ただし、と続けた猫は交差させた人差し指でバッテンを作るとそこだけを残して透けて行ってしまいます。


「アリスは待たされるのがお嫌い。謁見の時間が取れるのは今夜日付が変わるまで。急いでね」

「あっ、おい待て!」


 グッと足に力を込めた金魚は、消えゆく猫めがけて飛びかかりました。


「お前を捕まえて人質にすりゃ良い話だーっ」

「じゃ、お城で待ってるよ~」

「ゲホぁー!」


 あと一歩のところで逃げられた金魚は、そのまま落下して下の茂みに突き刺さります。脱出しようともがく足を無視して、一行は因幡に向き直りました。


「各地のカギってどういうこと?」

「……城の城門には内側から強力な結界が張られている。それを外から解除するには『ハート』『ダイヤ』『スペード』『クラブ』それぞれのカギを揃えなければいけない」


 カギは城を取り囲むように造られた塔にあるはずだと因幡は言います。そしてアリスを守るための親衛隊がおそらくは守護者で待ち構えているであろうことも。

 グズグズしている暇はありません、現在の時刻は午前十時を過ぎたところ。タイムリミットまで半日とちょっとしかないのです。


「仕方ない、ワナが待ち構えてるだろうがカギを取りに行くぞ。幸いこっちは人数が居る、分担しよう」


 頭夜がそう提案すると、残りのメンバーも力強くうなずきます。現在地から一番遠い奥にある塔を足の速い金魚が、左右それぞれを頭夜と灰音が、そして一番手前の塔を雪流が担当することになりました。

 そして因幡はというと、少し悲しげな顔をしながら囮役になることを申し出ました。


「私が暴れれば各地から兵を中央に集めざるを得ない、君たちはその隙に各地のカギを奪取してきてくれ」

「でも……」


 耐えられるのかと不安げなまなざしを向ける雪流を安心させるように、白ウサギは力なく微笑んで見せました。


「洗脳装置は昨晩マオ殿に取り除いてもらったが、別の装置が埋められていないとも限らない。私はその方がいいだろう」


 そっと触る右耳には、本人も気づかないくらい小さな装置が取り付けられていました。急に我を失い暴れ出してしまう症状を聞いたマオが、もしかしたら――と探り当てたのです。

 因幡の言う通りです、ここは彼の力量を信じて引きつけて貰うのが最適でしょう。


 カギを得たら即座に中央の城へ集まることを再確認し、五人は散開しました。

 午前十時二十七分――叩きつけられた挑戦状に真っ向から挑むべく、彼らは大地を蹴ったのです。


 ***


 ふわん、と気だるげな甘い匂いが香る室内で、アリスはゆるりとしたまどろみから浮上しました。

 彼女の一番のお気に入りであるチェシャ猫は、すぐ傍で片肘を突きながらこちらを愛おしそうに見下ろしています。


「どこに行ってたの? あたしに黙って居なくなろうなんて良い度胸ね」

「アイツらが攻めてくるよ、アリス」


 その首に手を回し、引き寄せようとしたアリスはその言葉に可愛らしく目をパチパチと瞬かせます。どの『アイツ』だろうと逡巡した後、クスリと笑って啄ばむようなキスをしました。


「もしかして、あの森で逃げ出した生意気なヤツらの事? ふふっ、いいじゃない、少しは楽しませてくれれば良いんだけど」


 チェシャ猫は予想通りの答えに心の中でほくそ笑みました。何よりも退屈を嫌うアリスにとって、これは好い知らせなのです。

 絹のようになめらかな金髪をサラサラと指で絡めとりながら、猫はかつての仲間の生真面目そうな顔を思い浮かべます。


「たぶん白ウサギは引きつけるためにこの城にまっさきに来るだろうね」

「装置は?」

「信号が途絶えた、気づかれて外された可能性が高い」

「いやだわ、土壇場で裏切る演出ができないじゃない」


 形の良い唇をツンと尖らせ、アリスは拗ねたように頬を膨らませます。ですが一転、醒めた目をすると残酷な命令をいとも簡単に下してみせます。


「じゃあもうアレをとっておく価値はないわね、壊しちゃいましょ。精鋭部隊を庭に集めなさい。あの子がボロボロになっていく様を上から見物してやるの」


 天使のような愛らしい微笑みを浮かべる彼女は、うっとりとした眼差しでクリスマスプレゼントを待つ子供のように叫びました。


「あぁ待ちきれない! もしそいつらがここまでたどり着けたのなら、あたしが直々に相手してあげるわ!」

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