第38話 金魚のフン

 後ろから声がして振り向くと、くたびれたオッさんが相変わらずニヤついた笑みを浮かべながら立っていました。向こうに精根尽きた二人が倒れているところから休憩に入ったのでしょう。

 ぷいっと前を向いた灰音は不満たらたらの口調で返しました。


「こんな動かない的に当てろだなんて、目を瞑ってたって出来るわよ。修行にもなりゃしないわ」

「あのなー基礎の反復練習ほど大事なことは無いんだぜ?」

「言われなくたってこのくらい毎日やってるわよ」


 密かに努力家で負けず嫌いな灰音は、これまでも毎日の特訓を欠かさずに行ってきたのです。

 師匠は正確に撃ち抜かれた的を見て、その言葉がウソではないことを見抜きました。


「よし、じゃあこの特訓が終わったらお前さんは特別メニューだ」

「なによ、大道芸でもしながら射撃でもさせるつもり?」


 多少の皮肉を込めた半目にマオはククッと笑います。軽く手を掲げるとその手を中心に風が渦を巻きました。


「!」

「オーラって知ってるか? 雪流が無意識に使いこなしてる氷雪系魔法、ありゃ自分の中にあるオーラと空気中のマナと混ぜ合わせて表に放出させているんだ」


 目を見開いていた灰音を面白そうに見下ろしていた彼はこう続けます。


「多少は才能が必要だが、見たところお前さん少しは見込みがありそうだ。努力次第で何とかなるかも知れないぞ」


 頭夜はからっきしだけどな。と苦笑しながら続けますが、灰音は聞いていませんでした。

 自分が、魔法を使えるかもしれない?


「やるわ! 教えてっ」

「おわっ!」


 掴みかかる勢いで迫られ、バランスを崩したマオは尻もちをつきます。

 見上げれば金色の瞳を燃やした少女が一心にこちらを見つめていました。先ほどまでの無気力は消え失せています。


「まぁまぁ落ち着きなさんな、まず最初のノルマ、後700発終わらせてからだ」

「う……分かったわよ」


 ***


 静かな夜の湖面は風もなく、月明かりを反射してまるで鏡のようです。

 美しくも恐ろしい、吸い込まれてしまいそうなその景色を、灰音は湖のほとりに座り込んでぼんやりと眺めていました。

 リリリリ……と、虫たちのコーラスが鳴り響きます。その合間に少しだけリズムのおかしい足音が割り込んできました。


「いい夜ですね、お嬢さん」


 チラリと視線を投げればマオがびっこを引きながら歩いてくるところでした。灰音はまた視線を湖に戻すとぎゅっと膝を抱え込みます。


「そう思うんだったら邪魔しないでよ」

「相変わらずつれないことで」


 クックッと嚙み殺すような笑いをした男は少し離れた位置にドサリと腰を下ろしました。尻ポケットから取り出したスキットル(お酒を入れておく銀色のボトルです)を開けるとグイと呷ります。


「飲むか?」

「おあいにくさま、酒に頼るような大人にはならないって決めてるの」


 からかうようなお誘いを灰音はサラッと流します。その横顔はいつも結い上げている髪を下ろしているので少しだけ雰囲気が違います。


 再び虫たちのコンサートが始まりました。

 しばらく伏し目がちで湖を見ていた彼女は、感情を滲ませないような声音で尋ねてきました。


「ねぇ、アンタ少しは私たちより長く生きてるんでしょ」

「まぁな、苦労も喜びもすこーしだけお前さんたちより多く経験してきてるつもりだ」


 それを聞いた灰音は、どこか自嘲するような笑みを浮かべながら口を開きました。


「なら教えてよ、仲間だとおもっていたコに置いて行かれた時、次どういう顔して会えばいいの?」


 それは金魚が出て行ったあの日からずっと抱えて来たモヤモヤでした。


「私たち、もう一人仲間が居るのよ。バカみたいにまっすぐで、考える前に走り出してるような子がね」


 ここで一息入れた灰音は、めずらしく本心をそのまま吐き出しました。


「でも、まっすぐ過ぎるあの子だからこそ、今回置いて行かれたことが堪えるの」

「……」

「どうして一緒に行こうって言ってくれなかったのかしら。私たちは、仲間じゃなかったの?」


 泣きこそしませんでしたが、その金無垢の瞳に宿る色はひどく傷ついているようでした。


 少し風が出てきたのでしょう、押し寄せる水の音がちゃぷりちゃぷりと耳に優しく響きます。

 膝に顔を埋めてしまった灰音の表情は窺い知ることはできません。ですが次に聞こえてきたくぐもった声は苛立ちと哀しみの入り混じる複雑な物でした。


「きっとあの子にとって私たちはお荷物だったんだわ、置いていかれたことがいい証拠よ。仲間だと思ってたのに酷いじゃない……」


 長い沈黙が続きます。


 しばらくは気を使って黙ってくれているのかと思っていたのですが、それにしては余りにも反応がありません。

 不審に思って顔を上げた灰音が見たのは、ほろ酔い気分でコックリコックリと舟をこぐ男の姿でした。


「アンタね……」


 こめかみの辺りに青筋を浮かせ威圧をかけると、マオはハッとしたかのように目を覚ましました。


「いけね、寝てた」

「人生のセンパイだっていうなら、せめて聞こうとする姿勢を取りなさいよ!」

「わりーわりー、あんまりにも青くせぇ悩みだったもんでつい」

「こっちは真剣に悩んでるのよっ」


 青臭いと言われたことでいよいよ灰音のボルテージが高まっていきます。ですが彼はだらしない姿勢のままで飄々と答えます。


「うーん、おじさんからのアドバイス聞きたいか?」

「……聞いてやろうじゃない」


 ニシシとどこか既視感のある笑い方をしたマオは、すさまじい怒気をはらんだ視線を物ともせず再び酒を呷りました。


「お前さん、捨てられたと感じてるだろ」

「!」

「そいつぁ違うな、あっちがお前らを捨てたんじゃない。距離を置いたのはお前達側から、無意識に頼ってるお前らのことを察して金魚は身を引いたんだ。身に覚えはないか?」


 その言葉に灰音は――そして少し離れた茂みで様子を伺っていた雪流と頭夜もハッとします。


『とりあえず金魚を探そう。アイツももしかしたら危ない目に――』

『そうね! 危険だし早めに合流しましょ』

『金魚さんだったらあの人たちに勝てるかもしれませんからね!』


 あの時、金魚なら何とかしてくれると心のどこかで思っては居なかったでしょうか。

 彼女が居れば守ってもらえる。状況をひっくり返せる。手ひどく痛めつけてきたアイツらにきっと仕返しをしてくれるだろうと。


 その自分でも意識していなかった本音に恥ずかしさがこみ上げて来ました。これでは仲間ではなく保護者と子供ではありませんか。あるいはコバンザメ、虎の威を狩る狐。文字通り金魚のフン。


「頭夜はちょっと違うみたいだけどな。ま、そこは男としてのプライドか」


 あぐらを掻いたままよっこらせと向きを変えたマオは、きっと茂みの二人にも気付いていたのでしょう、楽しげに笑いながら大きな声でこう言いました。


「悩め悩めガキんちょ共! そんなすれ違いだっていつかは笑い話に出来る日が来るさ。っていうか向こうは案外気にしてねぇかもな、全部俺の憶測だし」

「なっ……無責任なこと言わないでよね!」


 少しは言い返せるきっかけを探していたのでしょう、灰音は赤い顔をしながらも食って掛かりました。


「まぁ後は本人と存分に話し合うこったな。言わなくても察してくれるだなんて、長年寄り添ったジジババでも難しいんだ。言葉にしなくちゃ伝わらないぞ」


 彼は少しだけ口の端をつり上げると、深い青の眼差しを柔らかく細めました。


「感謝も不満も、まっすぐにぶつけてみればいい。それくらいで壊れるような友情じゃないんだろ?」

「っ、当たり前でしょ」


 いつもの強気な瞳に戻った灰音に、マオは満足げに頷きます。


 と、その時。少し離れたところの茂みがガサリと動きました。

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