第35話 マッチョ売りのオッさん
「しかもかなりの実力者と来た。オレには匂いで分かるんだ」
舌なめずりをする猫耳男の舐めるような視線にぞわわと総毛が立ちます。よく見るとネコ耳の彼には細長いしなやかな尻尾がついているようでした。
金髪の女の子が進み出て来て、とろけるような極上の笑みを浮かべます。そしてハチミツのような甘い声でこんな事を囁きました。
「実力も顔も申し分ない。ねぇあなた達、あたしの傘下に入らなぁい?」
「傘下?」
おびえて怖々と覗いていた雪流が問うと、女の子はパッと両手を広げました。
「そう! あたし今からこの世界を乗っ取るの! 誇っていいわよぉ、あたしの国には美形しか要らないんだから。あなた達なら文句ないわぁ」
「アンタ頭おかしいんじゃないの? 夜中にいきなり押しかけてきてミョーチクリンなセールスしてんじゃないわよっ」
金色の目をキュッとつり上げた灰音がいつものように撃退文句を吐きますが(意外とこんな森の中でも怪しげな行商人は来るのです)彼らはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべたまま返事を待っています。
「付き合ってらんないわ、新興宗教のキョーソ様ってわけ?」
「そうよ、あたしカミサマだもん」
きゃっ、と女の子は可愛らしいポーズをします。美少女なので絵にはなりますが灰音はイラッと来ただけでした。
「お引取り下さい」
扉を閉めようとするのですが、引っ掛かりを感じ顔を上げます。
「あのさぁ、何様?」
「!?」
いつの間に移動したのでしょう。ネコ耳のチェシャと呼ばれた男の人が扉に手をかけこちらを見下ろしています。
口元はニマァと笑っているのですが、その目はひどく冷たくこちらを見据えていました。
「偉大なるアリス様じきじきの勧誘だよ? 地に頭を擦り付けて感謝するなら分かるけど、断るとかありえないんだけど?」
「っ、あのねぇ! アリス様だかクリス様だか知らないけど、私たちは誰の元にも付かないの! 悪いけど他を当たって――」
チュインッ
風が吹きぬけ、一拍置いて灰音の頬から鮮血がプシッと散りました。
「ふぅぅ~ん、それってぇつまりぃ、あたしに逆らうってこと?」
流れる血を拭うことすら許さないプレッシャーが、場を支配します。
じわじわと喉を絞められるようで、灰音たちはただ立ち尽くすのみでした。
「チェシャ、」
構えていたカサを下ろした女の子は、親指を立て首を右から左に一文字に切るジェスチャーをしました。
「殺っちゃって」
「我らがアリス、お望みのままに」
瞬間的に高まった殺気に、頭夜が叫びます。
「逃げ――!!」
次の瞬間、森ごと揺るがすような破壊音が響き渡りました。
「あーっはははは!! 覚えておきなさい、あたしはこの世界の新たなる女王『アリス・ヴィトラクチェ』様よっ!!」
***
「何なのよあの女はぁぁぁっ!?」
「良いから走れっ、街まで逃げるぞ!」
「うわぁぁぁあん」
アリスとチェシャの襲撃から命からがら逃げ出した3人は森の中を疾走していました。その顔は小屋が崩れたときの煤で真っ黒です。
「小屋がぁぁ、僕たちの家がぁぁ!」
「また建てればいいだろっ、命がありゃ百個でも二百個でも作れる!」
雪をまき散らかしながら泣く雪流を叱咤しながら、頭夜はめまぐるしく考えていました。
ひとまず一番近い街まで逃げて――逃げて? それからどうすればいいのでしょう。
あれだけ得体のしれない破壊力を持った敵のことです。どこへ逃げようともいつかは追いつかれてしまうのではないでしょうか。
(いや考えるのは後でいい、人ごみに紛れて時間稼ぎを――)
ところが一足先に森を抜けた灰音が木にすがり、ヘタリと座り込みます。
「うそ!? そんな……!」
何事かと追いついた頭夜は、眼下に広がる街を見下ろし言葉を失いました。
いつもお世話になっている馴染みの街は、真っ赤に燃え上がり大量の兵士に制圧されていました。
銀色の甲冑に身を包んだ兵士たちは、ハート・ダイヤ・スペード・クローバーのマークがついた旗を掲げては鬨の声を上げています。
「トランプ兵って、まさかあの女の兵士か!?」
その時、こちらに気付いた兵士の一人が弓に矢をつがえます。ヒュンッと放たれたそれが近場の木に刺さり3人は後ずさりしました。
「ここはダメよ、他の街に行きましょ!」
背後からの追っ手の気配を振り切るように、彼らは走り出しました。
***
結局、一晩中走り続けた3人は夜明けの頃になって別の街にたどり着きました。
まだ誰も居ない噴水広場に入るともう限界とばかりに倒れ込みます。
「も、もういや……なんだってあんな数の追っ手が……」
「灰音さんが最初に喧嘩腰で対応したりするからじゃないですかぁ~」
「わ、私のせいだって言うわけ!? ならアンタあの女の配下にでも下りたかって言うの!? 見損なったわよっ」
「そういうことじゃなくてぇ……えぐ」
雪流は半ベソで噴水にもたれ掛かります。近場のベンチに倒れこむように据わった頭夜はこれからの事を考えました。
「とりあえず金魚を探そう。アイツももしかしたら危ない目に――」
「そうね! 危険だし早めに合流しましょ」
「金魚さんだったらあの人たちに勝てるかもしれませんからね!」
「……」
少しだけ、仲間たちとの気持ちのすれ違いに戸惑いながらも頭夜は立ち上がりました。
続けて二人も歩き出します、ところが噴水広場を出ようとしたその時でした。
「えーマッチョー、マッチョ要らんかねぇー……」
どこからかヘロヘロとした、今にも力尽きそうな男性の声が響きます。
見れば茂みにもたれかかるようにして、見知らぬ茶髪の男の人がこちらを見上げていました。
全体的によれた恰好のだらしない男性です。その浮浪者のような格好に灰音は顔をしかめました。
「何? 悪いけど私たち先を急いでるの。物売りなら他を当たってくれないかしら」
「マッチを売ってるんですか?」
「あ、こら」
不思議そうに問いかけた雪流を見た男の人が無精ひげの生えた顔で弱々しく微笑みます。
「あ~お嬢ちゃんかわいいねぇ、お兄さんのタイプ。ところで何か食料持ってないかなぁ……俺さー、もうお腹減っちゃって一歩も動けないんですよぉ……」
「雪流いくわよっ、そんな変質者に構ってる余裕ないんだから!」
「変質者って……あとオレが売ってるのはマッチじゃなくてマッチョで……」
よっこらせと立ち上がった変質者さんは膝を押さえながらイタタと顔をしかめます。
そして茂みの中から腰の高さほどの杖を拾い上げるとそれによりかかりました。よく見ると右足だけ不自然に歪んでいます、足が悪いのでしょうか。
かばうように雪流の前にズイと進み出た灰音は、腕を組んでおっかない顔をしました。
「マッチ売りだかマッチョ売りだか知らないけど、押し売りする気ならその尻けっとばすわよ」
「おーこわ。ツンツンツンデレ、素直じゃないねぇ」
相変わらずニヤニヤとした笑いを浮かべながら自称マッチョ売りのおじさんはポンと手を叩きました。
「よし、こうしよう。3分以内に俺を撃退できなかったら朝飯おごってくれ」
「はっ?」
「さぁどこからでもどうぞ? お嬢~さぁぁん?」
小馬鹿にした呼称に、決して沸点が高いとは言えない灰音のこめかみからブチン!と、音がしました。
彼は杖に体重をかけたままチョイチョイと挑発するように指を動かしています。完全に舐め腐った態度です。
灰音は腰につけたリヴォルバーを引き抜き、薬莢を全てリリースして変わりに威力の低いゴム弾を装填していきます。
「お、おい」
焦った頭夜が後ろから声をかけますが、シリンダーをガチンとセットした音でそれに答えを返します。
(念のため……本来灰音は優しい性格です。ここまで挑発されなかったら片足を悪くした相手になど挑みかからなかったでしょう)
キッと相手をにらみつけたツンデレガンナーは目にも止まらぬ速さで照準を合わせました。
「失せろ変態――ッッ!!」
すばやく一発、撃ち込んだ先で
男は消えました。
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