第33話 厄介な拾いもの
さっきは喋れたはずなのにと、不思議に思った直後、彼は口を開きました。
「君は……」
「私か? 金魚っていうんだ」
謎のウサ耳男は辺りを不思議そうに見回しています。
あまり気の長い方ではない金魚は覗き込むようにして尋ねます。
「なぁ、なんだってあんなところで血まみれで倒れてたんだ? 尋常じゃない刺し方だって医者が言ってたぞ」
「刺す……? 尋常じゃない?」
ぼんやりと言葉を繰り返すウサ男はそれっきり黙り込んでしまいます。金魚は眉を潜めました。
「お前だいじょうぶか? 頭でも打ったんじゃ」
そう聞くと彼は二、三度頭を振りました。それでシャッキリしたのか今度は普通に話し出しました。
「いや、少し混乱しているだけだ」
そりゃそうだよなと金魚は納得します。目を覚まして見知らぬ部屋に寝かされてたら自分だってこうなるでしょう。
上体を起こした彼は腕に巻かれた包帯をしげしげと見つめています。金魚は続けました。
「無事なら良いんだ。どっから来たか教えてくれたら村の人たちが送ってくれるって言ってたぞ」
ところが彼は至極まじめな表情でこう答えたのでした。
「どこだろう?」
「は?」
「私はどこから来たんだろうか」
なんということでしょう。どうやらこのお兄さんは想像以上に厄介な拾い物だったようです。
「なんだそれ、まったく覚えてないのか?」
「参ったな、まさか自分が記憶喪失になるなんて」
彼は眉間にシワを寄せました。なかなかに整った顔立ちですがなんだか生真面目そうな男です。
「しっかりしてくれよー。自分の名前は?」
「……忘れた」
「好きな食べ物は? 歳は? 好きな曲は? 今まで食べたパンの枚数は?」
「わからない……」
「襲って来たヤツとかどこかへ行く途中だったとか!」
半ばヤケクソに叫んだ問いに彼はフッと瞳を陰らせました。
「どこかへ……? そうだ、私は大切な誰かが居て、その人を守るために――ぐっ!!」
ところが急に頭を抑えたかと思うと身体をくの字に折り曲げてしまいます。
「あ、頭が!」
「おいっ、ムリすんな!」
ようやく落ち着いた彼は、途方にくれたように口を開きました。
「なぜこんなに記憶が欠落しているんだ……」
そこではたと気づいた様子で、金魚に意識を戻しました。
「君はこの村の人か?」
急に話題をふられた金魚はきょとんとしながらも素直に答えます。
「いいや、私は旅の途中で人探しをしてるんだ。お前を見つけたのは偶然」
「そうか……」
何か考えこんでしまった彼の横で、金魚のお腹が豪快に鳴ります。
「……すごい音だな」
「だぁあ腹へったぁぁー、そういや食いっぱぐれてた!」
バッと立ち上がった金魚は、窓をガチャと開けながら言い残します。
「とりあえず無事みたいで良かった! 私は朝メシ――いやもう昼か。喰ってくるから安静にしてろよ、じゃあな!」
それだけ言い残し、ひらりと窓枠を越え出て行ってしまいます。この場に仲間が居たならば「フツーに中から通っていけ!」と叱咤されたことでしょう。
「……」
ところが青年はそんなことを気にする性分ではないのか、もしくはただ単に考え事で忙しかったのか無言でそれを見送るのでした。
***
ライ麦パンに野菜スープという、素朴ですがしっかりした食事を取った金魚はとりあえず宿屋に戻ってみることにしました。おおざっぱに見える彼女ですがなんだかんだ面倒見は良いのです。
ところがウサ耳青年が寝ていた部屋からは妙に騒がしい声が聞こえて来ました。誰か焦っているようですね?
「おいおい、ケガ人の部屋で騒ぐなって――」
小言を言いかけて入った金魚は目を見開きました。ベッドがもぬけの殻だったのです。
「ああ旅人さん! さっきの彼を見てないか!?」
パン屋のおじさんが急いたように言います。隣にはちょびひげのおじさんが佇んでいます。それなりに上等の服を着ている点から村長さんでしょう。
金魚はベッドの下なんか覗き込みながらのん気に言いました。
「なんだよ、トイレか?」
「違う、ちょっと目を離した隙に消えてしまったんだよ! 代わりにこんなものが!」
書き置きとおぼしき紙には丁寧な筆跡で『ご迷惑をおかけしました。このご恩は忘れません』とだけ書かれています。
「なんだこりゃ」
「それに、あちこちで不思議な事が起きてるんだ」
その直後、村人たちがドヤドヤと駆け込んできます。
「いつの間にかオラの馬っコにキレーにブラシが当てられてご機嫌になってるだよ!」
「村じゅうのドブ掃除がされてるの! ピッカピカよ!」
「冬用の薪がすべて割られてすぐに使えるよう整頓されている!」
「壊れてた水車がいつの間にか直ってる!」
「錆びてたクワが!」
「屋根の雨漏りが!」
「橋げたが!」
次々と上がってくる報告に、金魚は半ば呆れたような感心したような声を出しました。
「靴屋の小人かアイツは」
「でも不思議だねぇ、あの人が一番世話になったのはアンタだろう? 何もなかったのかい?」
「ん? いや特には」
頭をポリポリと掻いた金魚は、気にした様子もなく言いました。
「手厚く看病してくれたのはこの村だからな。私は何にもしてないさ」
「いやいや、あなたのおかげで一つ葬式を出さずに済んだんだよ」
ニッと笑った金魚は、伸びをしながら立ち上がりました。
「それじゃ私も行くか。この村には手がかりもなさそうだしな」
「気をつけて、またこの村による事があったら歓迎しますよ」
そしてまた当てのない一人旅が再開されるはずでした。
村を出て歩き出すまでは。
***
「ん?」
ゆるやかに隆起する丘のふもとで、金魚はふと視線をあげました。木の根元に誰かが腰掛けているような気がします。
「あれは……」
近寄ると、その人物はスッと立ち上がりました。
「来たようだな」
「お前さっきの」
それはまぎれもなくさきほどのウサ耳男でした。こうして立つと結構な長身です。歳もいくつか年上のようでした。
「お前なー、黙っていなくなることないだろ。村の人たちが心配してたぞ」
ですが金魚は臆することなく腕を組んで小言を言います。彼女の辞書からは遠慮とか年上を敬うとかいうキーワードがすっぽぬけているのです。
「? すまない、書き置きは残したつもりだったのだが」
「いやケガ人が無言で抜け出したのが問題だと――まぁ大丈夫そうだしいいか。じゃあな、元気でやれよ」
軽く片手をあげながら去ろうとした金魚に、質問が投げられます。
「君はこれからどこに向かうんだ?」
「言っただろ? 人を探してるんだよ」
振り返ると、ウサ男は至極まじめな顔をしていました。
「……」
「な、なんだよ」
「私も同行させてくれないか」
意外な申し出に目を開きます。ウサギ男はまっすぐに見つめ続けました。
「まだ君への恩が返せていない。死ぬところを助けてもらったんだ、この借りはなんとしてでも返さなければ」
「お、大げさなヤツだなぁ、別にあんなのいいって!」
ところが男は真剣なようでした。ずいっと迫ってくると真面目な顔をして目の前に跪きます。
「私の力は微々たるものだが、あの場で君に拾われなければ死んでいた」
「いや、だからな?」
「一度は落としかけた命だ、君の為に使わせてくれ」
ぐっと言葉につまった金魚は、きゅっと眉を吊り上げました。
「ダメだダメ! だいたい、私は護られるようなか弱い姫じゃないんだ!」
どっちかっていうと護る側でしたからねぇ。
「護衛なんて要るかっ、もしお前が私より強いっつーんなら話は別だが――」
そこでピンときた金魚はおもむろに愛刀を抜きました。
「そうだ、これから強大な敵に立ち向かうことになるんだ。足手まといは返ってジャマだ」
本音を言うとあんまり巻き込みたくないのです。仲間たちすら残してきたのに、出会ったばかりの赤の他人を巻き込むわけにはいきません。
「さぁどうした、やろうぜ」
闘志満々な金魚を見て、男は少し怯んだようでした。困ったように眉を寄せ半歩退きます。
「無意な争いはあまり好かない……」
「なら諦めるんだな!」
脅しのつもりで切り込んだのですが、切っ先はマントをかすめたのみでした。
「……!?」
次の瞬間、男はすぐ真下に出現していました。繰り出されるナイフをギリギリのところで避けます。
「なっ――」
「だが、それが条件なら全力で挑ませてもらう」
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