第31話 そして人魚は…
「もしあのマモノから逃げ、のうのうと生きるような未来が来たら、迷わず私を殺してくれ。それが私の覚悟だ」
魔女をまっすぐに見つめ、引っ込み思案だった人魚は堂々と喋ります。
「もう他人の力なんかに頼らない。私は私自身の力で強くなってみせる」
「……ずいぶんと殊勝なことを言うじゃない」
今までとは違った視線を人魚に向けると、魔女は尋ねました。
「一つだけ聞かせて。こちらが何とかすると言っているのに、なぜあえて首を突っ込むような真似をするの? つらいわよ、苦しいわよ、全てを投げ出して逃げておけば良かったと後悔する時がおそらく来るわ」
そう言われて、人魚は少しだけ誇らしげに笑いました。
「海の王家の者が死ぬのは心臓が止まった時じゃない、自分の心を曲げた時なんだ」
それは人魚が幼い頃から繰り返し聞かされてきた家訓でした。
「父さんが、耳にタコができるほど言ってたこと、今ならわかる気がする。今ここで逃げたら、私は――少なくとも誇り高き姫はここで死んでしまう」
しばらく目をつむって考えていた魔女でしたが、ふっと顔を歪めたかと思うとこれまでとは違った笑みを浮かべました。
「保険はひとつでも多いほうがいいかもしれないわね」
「じゃあ……!」
「やってごらんなさい。ただし私は何の手出しもしない。あなたの覚悟を見届けさせてもらうわ」
力強く頷いた人魚は、握っていた刀を突き出し、宣言しました。
「必ずだ、この刀に誓って必ずあのマモノを倒す」
ところが急に白目をむいたかと思うと、後ろにバターンとひっくり返ってしまいました。
そばに寄った魔女は、人魚のしっぽからドクドクと血が流れ続けているのを見て呆れた顔をしました。
「こんなに血を出し続けてたら、そりゃ気を失いもするわね」
手早く治癒の魔法をかけてやると、人魚の苦しそうな呼吸音は、深くゆっくりと眠るそれに変わって行きました。
魔女はぐっと顔を近づけると囁くように告げました。
「強くなりなさい。そうすればあるいは……」
***
数日後、毒と失血のショックから回復した人魚は、不思議なことにあの洞窟での出来事をすべて忘れていました。
ですが、その日から彼女は何かにとりつかれたかのように身体を鍛え始めます。
最初の頃「早く強くならなければ」という謎の焦りだけで鍛錬を続けていたのですが、時が経つにつれ純粋に身体を鍛えるということが楽しくなって行きました。
病気がちだった体質も改善され、自信をつけていくことで他人とも上手く話せるようになります。
「金魚姫、金魚姫、また海を割ってみせて!」
「よっしゃ、ついてこい!」
5年も経つ頃には、彼女は誰からも慕われ、敬愛されるようなお姫様になっていました。
もう彼女をバカにする者は居ません。軽蔑を込めた意味だった「金魚姫」も、今では単なる愛称となっていました。
「よぉ魔女! 相変わらず不健康な生活してんな」
「だから部屋に入るときくらいノックくらいしなさいと言ってるでしょう」
「悪ィ悪ィ」
あの魔女との交流も続いていました。人魚からしてみれば、出会いのことなどもうすっかり忘れていたのですが……
「そんなことより聞いてくれよ~、あのクソオヤジパーティーに出ろとか言い出すんだぜ?」
「それで、私の元に逃げてきたってわけ?」
――…
ふ、と目が覚めた魔女は、夢を見ていたことを知りました。懐かしい夢を見ていたのです。
そう、あの時から時間は流れ、金魚は見事に闇の種であるヨグ神を倒していました。
ですが、その後起こったある事件から、彼女は行方をくらましてしまったのです。
「頭夜くんから聞いた話では、眠花姫の運命を狂わせた犯人を追ったらしいけど……」
立ち上がった魔女は、机の上に置かれた水晶玉をみやり、ため息をつきました。水晶玉は中に白いケムリが渦巻いているだけで何の変化もありません。金魚の今いる座標が特定できないのです。
「金魚の気配が感じられない、すでにこの次元には居ない……?」
思案していた魔女は、ノックの音で我に返りました。
「……どうぞ」
ノックをする時点で金魚の可能性は低いだろうなと考えながら、身構えます。扉の外からの気配がまるでしなかったのです。
ゆっくりと開かれる扉の向こうに見えて来た姿に、魔女は軽く目を瞠(みは)りました。
「あなたは――」
金魚むかしばなし おわり
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