第30話 人魚は魔女と出会います
彼女はそのまま、スキップでもしそうな足取りで闇の種の元へと駆け寄ります。
「やった、やった! こーんなに上手くいくとは思わなかったわ」
跪いた魔女は、愛おしそうに黒い種を抱えると、頬ずりをしながら言いました。
「あぁ、やっと闇の種を手に入れることができたわ、これさえあれば私はどんな軍事武力だって制圧できる。国を乗っ取る事だってできるのよ」
ようやく自分が騙されたことに気づいた人魚は、動けない身体で精一杯魔女を睨みつけました。
「騙したのか……!」
「助かったわよ~人魚ちゃん。なにせ、あのクリスタルの結界を壊すには、深海の王が持つ『蒼穹刀』しかなかったんだから」
取り返しの付かないことをしてしまったのだと、人魚は察しました。あのクリスタルは敵の一部ではなく、壊してはいけない結界だったのです。
「それじゃ、こんなしめっぽいところにはもう用はないわね。地上が終わったら、この海も征服しに来てあげるわ」
鼻歌まじりに、魔女は岩場の洞窟から出て行こうとします。
情けなさと悔しさで、人魚は歯を食いしばります。このまま見逃したくはありません。
ですが、まぶたは段々と重くなっていくばかり。どうやら打ち込まれたのは強い睡眠を伴う毒のようでした。
「う、うぅ」
今にも眠ってしまいそうな意識の中、うめきながら側に落ちた刀を掴んだ人魚は、それを逆手に掴むと思い切り自分の尾ヒレに突き立てました。
「ぐぁっ……!」
鮮烈な痛みが脳を突き抜けます。その痛みを手がかりに意識をたぐりよせた人魚は、這うようにして移動を始めました。
「眠って、たまるか……!」
こうなってしまったのは自分の責任でもあるのです。
気力だけで身体を動かした人魚は、洞窟の入り口で意外な光景に出くわしました。
とっくに去ってしまったと思った魔女が、こちらに背を向けたままで立っていたのです。どうやら彼女は誰かと対峙しているようでした。
「お嬢ちゃん、こんなところに何の用?」
「……」
魔女の前に立ちはだかる新たな人物は、まだ少女と言っても差し支えないくらいのニンゲンでした。
クセのない長い黒髪はさらりとなびき、ルビーのような紅い瞳が無感情に魔女を見据えています。
少女は口を開くと、ハッキリ言いました。
「孤島の魔女グリンダ。今すぐその卵を捨てなさい」
高圧的な態度ではありませんが、逆らいがたい何かがありました。
一瞬ポカンとしていた魔女でしたが、ハッとすると闇色の卵を抱え直します。
「冗談! 誰が手放すもんですか。2年間調べあげて、ようやくこの海の底に卵があるのを突き止めたのよ。それを捨てろですって?」
ニタリと笑った魔女は、ふところから魔法の杖をバッと引き抜くと、黒髪の少女に向かって先端を向けました。
「ホンモノの魔女の力を知りたくなかったら、そこをどきなさい。中途半端な正義心は破滅を招くわよ」
「……」
「そう、口で言ってもわからないなら、教えてあげるわ!」
勢い良く杖を振りかぶった魔女は呪文を唱え始めます。詠唱が進むにつれ、紅い光が彼女を取り巻いていきます。
「――かりそめに過ぎぬその魂の器を焼き尽くせ! エクスプロージョン!」
高らかに叫ぶと同時に、少女の居たところを中心に強烈な爆発が起こりました。少し離れたところにいた人魚のところにも衝撃波がやってきたほどです。
「あはははは! 私の邪魔をするからよっ」
ところが、爆風が収まった跡に立っていた少女は、驚くべきことに無傷でした。彼女は服のすそをポンポンと叩いて、わずかに汚れたところを払います。
「なっ……え、なんで? こっ、この!」
口をカクンと開けた魔女は、次々と追撃を繰り出します。その度に少女はわずかに手を動かすだけで、傷ひとつ付きませんでした。指の動き一つで的確に防御魔法を発動させていたのです。
「なんなのよ……アンタ!」
ついに魔力を出しきった魔女は、信じられないような顔で叫びます。対する少女は冷めた表情で告げました。
「自分が騙った魔女の顔も分からないの?」
「まさか、アンタ深海の魔女ドロ――」
「早く捨てなさい!」
少女、いえ本物の深海の魔女が叫ぶと同時でした。魔女が抱えていた闇の卵はブルッと震えたかと思うと突然大きな口を開けたのです。
「 オ イ シ ソ ウ 」
「え――?」
そう、卵が急に口を開いたのです。球体の真ん中がパックリと裂けたかと思うと無数の舌が飛び出し、抱えていた魔女を絡めとります。
「ひぃっ!?」
捨てようとするのですが、もうその時には身動きが取れないほどがんじがらめにされていました。
「いやああああ!!!」
闇の卵がブワッと膨らんだかと思うと、一息に魔女を呑み込んでしまいました。
ぐちゃぐちゃバリバリと、生理的に嫌悪をもたらす音が辺りに響きます。
「……」
その光景を震えながら見ていた人魚は、魔女が居た場所が何もなくなっていることに気が付きました。空間ごと切り取られてしまったかのように何も「無い」のです。
次は自分の番だと覚悟したのですが、闇の種はもぞもぞとしばらく蠢いていたかと思うと、発射される弾丸のように洞窟をブチ破って空へと飛んでいってしまいました。
「なるほど、ここにはもう食欲をそそる話が無いというわけね」
独り言のように呟かれた言葉の意味は理解することができませんでしたが、どうやらバケモノは行ってしまったようです。
切り取られた空間は、しばらくするとその周囲をつまんで寄せたかのようにピッタリと閉じました。ただしより合わせたかのように少しだけ歪みが残っています。
「まったく、とんでもないバケモノを解き放ってくれたわね」
振り向いて真っ直ぐみつめられ、人魚はドキリとしました。しかられる寸前の子供のように、おずおずと切り出します。
「私はただ、この海を守ろうと、こんなふうに、するつもりじゃなかっ……」
「あなたの言い分はともかく、アレを解放してしまったのは事実でしょう」
バッサリと切り捨てられ、唇をギュッと噛み締め、俯きながら視線を落とします。
こみ上げる嗚咽をこらえていると、深海の魔女は興味が無さそうにその横を通り抜けようとしました。
「私がなんとかするわ。心配しなくてもあなたに責任は問わないわよ。ただの人魚にそこまで求めるのは酷だもの」
その言葉がやけに耳に残り、人魚の心をざり、と擦りました。
とっさにその服の裾を掴んで引き止めます。見開かれた海色の瞳は冴え冴えと輝き、恐ろしいほどに澄んでいました。
「責任を取る」
「……」
「取らせてくれ」
そうでもしなければ死んだほうがマシだと言わんばかりの気迫に、魔女は軽蔑したような顔で聞き返します。
「責任を取る、ですって? 口でいうのは簡単だけど、あなたのどこにそんな覚悟があるの。三流魔女にラクして強くしてもらおうとしたくせに」
皮肉っぽく笑った魔女は、両手を広げると芝居がかった調子で言いました。
「願いを叶えてあげるわ。私は魔女だから、あなたの望むような世界に変えることも難しくないのよウフフ。だったかしら?」
怯むことなく、真っ直ぐ見つめ続けていた人魚はスパっと言い放ちました。
「願いはただひとつだ。私を殺せ」
「……」
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