金魚むかしばなし
第29話 むかしむかし、あるところに小さな人魚がおりました
広い広い大海原。
どこまでも続く青い海の底で、その人魚の女の子はボンヤリとしていました。金色の髪の毛を腰まで伸ばし、海色の瞳はどこか虚ろに伏せられています。
彼女が赤い尾ひれで近くの海藻を揺らすと、細かな泡がキラめきながら水面へと昇って行きました。
それを何となく見つめていると、突然後ろから声をかけられます。
「小さい人魚さんは、どうやら一人遊びが好きなようね」
うろんげな表情で振り返ると、そこにはこの世の者とは思えないような美しい女の人が居ました。ゆったりとした黒い服と長い髪の毛が海の流れに揺れています。
見たところはヒトのようですが、ならばどうして水中で会話ができるのでしょう?
「……魔女?」
「あら、どうして分かったの?」
「海岸の岩場に……住み着いたってウワサを聞いたから……」
ボソボソと喋る人魚を見ていた魔女は、近寄ってくると隣に腰掛けました。
「そう、ところで小さな人魚さんは、どうしてこんなところで一人遊びなんかしていたのかしら。友達は?」
その問いかけに、人魚はうつむいて小さな声で答えました。
「友達なんか、居ない。みんな私を避けるから」
「ふぅん、どうして?」
「お母さんが居ないって、バカにするんだ。お前の母親は、卑しい地上の二本足だって。お前を産んで、さっさと逃げてしまった卑怯者だって」
人魚とは、ヒトに化けた魚とニンゲンの間に産まれる子供のことです。
通常、魚人に嫁いだニンゲンはそのまま海で暮らしわが子を育てていくものですが、まれに海の生活に嫌気がさして地上に逃げ帰ってしまう親が居ます。そしてどうやらこの人魚の母親も、そう言ったタイプのようでした。
「みんな私のことを金魚って呼んでバカにするんだ。海水じゃ生きられない、ぬるい真水育ちの軟弱者だって」
そこまで言った少女は、むせ返るような咳をしました。口から溢れた泡が、暗い水底から水面へと逃げるように昇ってゆきます。
「こんな軟弱な自分、いっそ泡にでもなってしまえばいいのに」
「身体が弱いのね」
辛そうに俯いていた少女を見て、魔女はフッと微笑みました。
「願いを叶えてほしい?」
「え?」
「私は魔女よ。願いを叶えることができるわ。あなたの望むような世界に変えることも難しくないの」
キュッと唇を結んだ小さな人魚は、しばらくしてゆっくりと口を開きました。
「強くなりたい。強くなって、お母さんが笑顔で帰ってこれるような海にしたいんだ」
この海でのニンゲンの地位はとても低いもので、心無い嫌がらせや陰口を叩かれることが少なくありません。
少女の母親が出て行ってしまったのも、おそらくはそれが原因ではないでしょうか。
人魚は、キッと視線を上げると、半ば睨みつけるような表情で願いを言います。
「魔女、私を強くしてくれ。この海で誰よりも強く、勇敢で、頑丈になりたいんだ」
「慌てないの」
目を細めた魔女は、人魚の鼻先を指先でつつきました。キョトンと目を丸くした少女は首を傾げます。
「対価って知ってる? 魔女は無報酬では働かないものよ」
「ホウシュウ? 宝石なんか持ってない……」
「私が望むのは金銀じゃないわ、そんなものいくらでも作り出せるもの」
「それじゃあ、何を?」
そうねぇ、と少しだけ考える仕草をした魔女は、こんなことを言いました。
「あえて言うなら、あなたのほんのちょっとの勇気かしら」
***
海の底にあるお城には、砂の下にもぐる宝物庫があります。
そこには普段使わない武器やお宝などを詰め込んでおき、用がなければ誰かが立ち入ることはありません。
ですが今まさに重い扉を開けて、中へと入っていこうとする影がありました。小さな人魚です。
上手く見つからずに侵入できそうだと、ほくそ笑んだ彼女でしたが、後ろから名前を呼ばれて飛び上がるほど驚きました。おそるおそる振り返ると、お城の警備兵であるシャークさんが歯をカチカチと鳴らしていました。
「何をなさっておいでで?」
「あ、あの、お父様に頼まれて、ちょっと」
しどろもどろで答えると、彼はズイッと顔を近づけてきました。鋭い歯が頭のすぐ側に迫るのを感じて鼓動が早鐘を打ちます。
「フン、荒らさないでくださいよ。片付けるのは俺なんですから」
不機嫌そうなまま去っていったシャークさんを見送って、人魚は今度こそスルリと中へ入り込みます。
「……」
宝物庫から武器庫に名前を変えるべきだ。
今にも崩れてきそうなトライデントの束をくぐりながら、そんなことを考えます。
苦労して一番奥へたどり着いた人魚は、お目当ての物を発見して顔を引き締めました。
そこにあったのは、鎖でがんじがらめにされた一振りの青い刀でした。
「これがあれば……」
しかし、これだけ頑丈に固定されているものをどうやって外したらいいのでしょうか?
途方にくれる人魚が、そっと鎖に触れたときでした。
「――!」
まるで柔らかい砂のように、鎖が崩れていくではありませんか。
驚いていた人魚の手に、刀がゆっくりと落ちてきました。
「魔女、とってきたぞ」
逃げるようにお城から帰ると、魔女はさきほどの体勢のまま岩に腰掛けていました。
彼女は小さくうなずくと、そこからふわりと降ります。
「それじゃあ、行きましょうか」
海の生き物である人魚のスピードにも負けずに、魔女は悠々とついて来ました。
しばらく泳いでいた二人は、ある洞窟へとたどり着いてスピードをゆるめます。
「ここが魔女の住んでるところなんだな」
「えぇ、あなたにはこの中に住み着いているマモノを退治して欲しいの」
わずかにブルッと身を震わせた人魚を見て、魔女は優しく微笑みます。
「大丈夫よ、マモノとは言ってもまだ孵化していない状態で、まったく動けない相手だから」
ポンと勇気付けられるように背中を叩かれ、人魚は落ち着きを取り戻します。
「私は、私は強くなるんだ! このくらいでくじけてどうする」
持ち出してきた青い刀をギュッと握り締め、人魚は薄暗い洞窟の中へと進んでいきました。
魔女が魔法の光を灯してくれているので、少しは視界が効きます。
「あっ」
やがて洞窟の奥にたどり着くと、話に聞いた通りのものが現れました。
薄青いクリスタルが宙に浮かびクルクルと静かに回転していて、その中には半透明な黒い卵のような物が収められていました。
黒い塊は人魚と同じくらいの大きさで、ゆっくりと深呼吸するように膨らんだり縮んだりしています。
「な、んだよこれ……何の生き物なんだ?」
「これは『闇の種』と呼ばれる悪しきマモノよ。今はまだ発芽していないようだけど、孵化する前に叩き潰さないと、この辺り一帯が死の海になってしまうわ」
強い毒性を持つこの生き物が生まれてしまえば、簡単に汚染されてしまうだろうと魔女は告げました。
人魚は震えながらも、力強く叫びます。
「そんなのダメだ!」
「だから、あなたが何とかするの。その刀でね」
キッと目の前のマモノを睨みつける人魚に、これまでのような臆病さはありませんでした。
本来の芯の強さが、そのマリンブルーの瞳の奥で煌めきます。
「そんなの、させない。私はこの海の王の……娘なんだからっ」
刀を振りかぶった人魚は、叫びながら青いクリスタルへと突進しました。
「やあああああ!!」
澄んだ金属のような音が響き、叩き付けた箇所からヒビが入ります。
「このっ」
武術の心得はまったくありませんでしたが、それでも人魚は必死に振りかぶりました。それは切りつけると言うよりかは殴りつけるに近いものでしたが。
そしてその努力の甲斐あってか、少しずつ青いクリスタルにはヒビが入っていき、とつじょ青い光があふれたかと思うと、弾けとびました。キラキラとしたカケラがあちこちに飛び散ります。
「よしっ、あとは中身だけだ」
意気込んで、もう一度刀を振り上げようとするのですが、彼女の身に予期せぬ事態が襲いました。
ドスッ
「え――?」
首の後ろに衝撃が走り、状況を理解できないうちに倒れてしまったのです。起き上がろうとするも、上手く力を入れられずに立つことができません。
「ま、じょ?」
信じられない思いでグググ、と首をもたげると、魔女は吹き矢を手にして満面の笑みを浮かべていました。
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