第26話 秘密の小箱
ドレスの裾をちょっとつまみ、優雅に腰を落として挨拶をする姿は、この幽霊だらけの広間にはいささか不似合いです。
ですがそんな事もお構いなしに、灰音はさっそく喰ってかかります。
「出たわねゾンビ姫、さっさとこの茶番を終わらせて青ずきんを解放しなさいよっ」
「まぁ、ゾンビ姫とは酷い。そうは思いませんこと? 頭夜さま」
そう呼び掛けられて、ビロードの垂れ幕の影から出て来た男は、間違えようがないほど、見慣れた人物でした。
「頭夜さん!」
「青ずきんっ、何やってんのよ 帰るわよ!」
大股でズカズカと歩み寄った灰音は、彼の目を見た瞬間ゾクリとしました。まるで生気のない瞳で、こちらを見ていたのですから。
「どうして来たんだ」
「そ、それは……っ」
一瞬、さまざまな思いが灰音の胸を駆け巡りました。
どうして?
そんなの
でも
「私はただっ、青ずきんがどんな面して結婚式なんかするのか見てやりに――」
「帰れ」
短く、小さな声でしたがそれは確実に灰音の心に鋭く刺さりました。
「俺が誰と結婚しようがお前には関係ないだろう」
「何よその言い草! こっちだって、仕方なしに」
「頼むからっ」
呆然と立ち尽くす彼女の肩に手をかけて、搾り出すような声だけが頭夜の口の端から漏れ出します。
「何も言わずに立ち去ってくれ。俺はお前たちを失いたくない……!」
「な、によ、それ」
知らず知らずの内に喉の奥からこみ上げる熱い何かを、灰音はこらえることも出来ずにただ涙をこぼしました。
「馬鹿じゃないの……どうして、私たちが死ぬのよ。どうしてそれを、よりにもよって私に言うのよ」
ドンッと頭夜を突き放した灰音は、ただ叫びます。
「たとえ体を縛られたとしても、心は自由であるべきでしょ!? 頭夜ぁ!!」
乱暴に涙をこすり落として、怒りをにじませながら迫っていく様子は、鬼気としたものがありました。
ツぅ、と伝う涙がぽたりと床に落ちては滲んでゆきます。
「たとえ体の小指さえ動かなくなったとしても、何を失うことになったとしても、私は自分自身の心に嘘をつかない。その瞬間 私は『灰音』ではなくなってしまうから」
「そんなこと言ったって――」
「よく聞きなさいよバカずきん。尊い自己犠牲に酔ってるところ悪いけど、そんなのただのエゴだわ。そんなこと絶対にさせない。結婚もさせない。アンタが自分自身の意思で判断を下すまでは!」
「あら面白いことを言うのですね。どうすると言うのです? もう式は始まっているのですよ」
優しく微笑む眠花姫へと、まっすぐに銃口を向ける彼女に、迷いはありませんでした。
負けないくらい優しく微笑み、穏やかに言います。
「ブチ壊してやるわよ」
***
「ハッ……はぁッ……」
長く白い髪を振り乱しながら、雪流は赤いビロードの続く回廊を全力疾走していました。
(この城のどこかに必ず金魚さんはいるはず。灰音さんがひきつけている間に僕ができることはこのくらいだから――っ)
階段を転げそうな勢いで駆け下りた雪流は、自分と出会いました。
「っ!?」
驚いて身を引くと、向こうの雪流もビックリして後ずさりをしました。
なんということはありません、階段の踊り場には大きな鏡がかけられていたのです。
「かっ、鏡ですかぁ~」
張り詰めていた緊張が切れたのか、へたっと座り込んだ彼はそのまま荒い息を整えようと深く息を吸い込んで――
――本当にこれで良いんですか?
グッと詰まりました。
「……え?」
あたりを見回すのですが、自分の他には誰も見当たりません。
もしかして、と正面の鏡を見た雪流は、不安が当たったことを知りました。鏡の向こうの彼は、どこか悲しげにこう聞いてきたのです。
――もしもこのまま灰音さんと頭夜さんを二人で残しておいたら、お互いの気持ちを露呈してしまうことに成りかねない。
――そんな状況で、今まで通りの生活をしていけるとでも思うんですか?
――そんな二人を見て、あなたは気持ちを抑えられるのですか?
それは雪流だけが知っている秘密の小箱。
心の奥底に秘めていたその蓋が、ほんの少しだけ軋んだ音をたてたような気がしました。
――あれあれ? 不思議ですね。そうなるとあなたにとっては実に都合が良い
――愛しいあの人を、自分だけの物にできるチャンスじゃないですか
鏡の中の彼は、わざとらしく驚いてニタリと醜く笑いました。
今まで気付きもしなかった悪魔のような誘惑に、一瞬どす黒い感情が雪流の小箱に渦巻きました。
けれどもその感情に優しく蓋をして、座りこんでいた雪流はふと笑みをこぼしました。
「僕は今まで友だちも居ないひとりぼっちの寂しい子だった。でも、みなさんはそんな僕を暖かく包んでくれる。僕には無縁の春を与えてくれた」
ポツリと呟いた言葉に、心が暖かくなっていきました。
初めて心の底から好きだといえる仲間たちのことを思い、立ち上がりました。
「そんなみんなを失いたくない。僕は今のままで良いんだ。今日から何かが変わってしまったとしても、この小箱の蓋は開けるつもりはないから」
――その感情に気付かない振りをして、これからも生きていくと?
「みんなで幸せに笑っていられることが僕の一番の幸せだから。それに比べたらこんな気持ちちっぽけなものだよ」
優しく聖人のように微笑みながら、おだやかに雪流はそういいます。
それは真実でもあり、同時に大きな嘘でもありました。
彼は少しだけ苦笑を浮かべて、牢を目指して再び走り出します。
その場に残された鏡の向こうの彼は、ため息をついて背景に溶け込むように消えていきました。
***
「金魚さんっ」
何かに導かれるように地下牢への階段を下りた雪流は、ぶあつい格子の向こうであぐらを掻いている目的の人物をようやく見つけ出しました。
当の本人はと言えば、こっくりこっくりと舟をこいでいたところですが、聞きなれたその声にパチッと眼を開けます。
「よう雪。なんだか久しぶりだな」
「そんな場合じゃないんですよぉ~っ、灰音さんと頭夜さんが……」
「ちょいまち、とりあえずここから出してくんねーかな。こんなんじゃ会話もままならないし」
壊そうにも歪んではじかれてしまう檻のことを聞いた雪流は、少し考えたあと金魚に下がるように言いました。
ビュウウウ……
はらはらと流れる涙と共に、薄ら寒かった地下はますます冷え込んでいき、そして
「今です金魚さん!」
「おうっ」
氷ついたゴム状の檻は、すさまじい轟音と共に蹴りでバラバラに砕けてしまいました。ようやく解放された金魚は着物の裾をかき寄せながら震えます。
「おー寒。早いとここんな湿っぽいとこは出るに限るな。で、アイツらがどうしたって?」
「それがですね……」
手短に説明を受け、めずらしく真剣な顔になった彼女は励ますように雪流の肩を叩きました。
「大丈夫。そんなにヤワじゃないさ、灰音も頭夜も。自分をしっかり持っている」
「そう……ですよねっ」
「とは言え眠花がちょっかい出してる心配もあるしな、とにかく行こう」
と、牢を出ようとしかけるのですが、ふと思い立ち牢の暗がりの方へと引き返します。
「金魚さん?」
「……」
足元に落ちていた数枚の紙を拾い上げた彼女はわずかに目を見開きました。
ですがそれをクシャッと懐に突っ込んだかと思うと気持ちを切り替えるように走り出します。
「悪い、なんでもない。行こう!」
そして今度こそ仲間の元へと走り出したのでした。
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