2章/暁の茨姫

第22話 森の中の英雄たち

 深い深い森の中でした。

 青く澄んだ空さえ飲み込んでしまいそうな木々たちが、ほんの少しばかり途切れる広場の中心。


 そんな場所に彼女は立っていました。


 眼を閉じているにも関わらず、そのたたずまいから高貴な雰囲気が感じとれる少女――金魚は薪割りの真っ最中でした。

 風にサラサラとなびいていた金髪がゆらり、と止まった瞬間、彼女はカッ!と、眼を見開き、構えていた愛刀を振り下ろします。


「どっせ――ぇぇええ!!」


 ドゴォッ!


 とても刃物を突き立てたとは思えない音をたてて、刀は地面にめり込みました。


「あ」


 ズバババババッ


 なんと言うことでしょう、超人的な身体能力を持つ彼女は地面を割るほどの腕力を余すことなく発揮してしまったのです。

 薪を割り損ねた蒼穹刀の衝撃波は、そのまま森の緑の絨毯を引き裂いていきました。そしてその先にあった物とは――


「あー」


 呑気に腰になんか手を当てて金魚は立ち尽くしています。衝撃波は一直線に小屋へと疾走していると言うのに。傍観している場合ではないと言うのに。


 ズバシュッ!!


 いっそすがすがしい程に小屋に切れ目が入ります。

 ちょうど寝室の辺りだったのでしょうか。布団の羽根が小屋の中から空へと舞い上がりました。


「……ケーキ入刀」

「バカ言ってんじゃないわよぉぉお!!」


 ボソッと呟いた金魚の頭は、突然後ろからバシッとはたかれました。

 振り向けばそこには、薄紫色の髪を高い位置で二つに結い上げた女の子、灰音が怒ったように仁王立ちしていました。走ってきたのか、その頬はほんのり桃色に染まっています。


「よう、おかえり。今夜の夕飯なんだ?」

「そうね、今日は卵が安かったから――って違うわよ! アンタ何やってんのー!!」

「うぐぐぐぐ」


 襟元を掴まれて揺さぶり続ける灰音は、小屋を指しこう続けました。


「中で雪流が寝てんのよ!?」

「あっ!」


 二人は慌てて小屋の中へと走り込みました。


「ゆきッ!」


 勢いよく寝室の扉を開けたその先に横たわって居たのは、雪のように白い髪をシーツの上に散らしながら眠り続ける少女、いえ少年でした。

 幸せそうに『むにむに』と寝返りを打つ雪流のベッドは、右半分だけ見事にスッパリと切断されていました。そんなことが在ったと言うのに、よくまぁ起きずに眠っていられるものです。


「ちょっと、起きなさいよ」


 灰音が揺さぶると、雪流はその長いまつげを二、三度震わせ、ルビーのような紅い瞳をゆっくりとあらわにしました。そして二人の姿を網膜に結ぶと、へにゃりと笑います。


「あれぇ、おはようございます~」

「ます~、じゃ無いわよ! アンタ自分の状況分かってんの!?」


 そこでようやく辺りの惨劇に気付いた彼は(なにせベッドはまっぷたつ、天井からは青い空が覗いています)えヘヘ~と笑って頬をかきました。


「老朽化してたんですねぇ」

「ちがぁぁぁう!!」


 堪忍さんの尾がブチ切れた音を聞き、灰音は銃を引き抜いて雪流のこめかみに『ぐりぐり』と押し当てました。


「それ以上ボケた事いってるとねぇ~~、間違えてこの引き金動いちゃうかもしれないわよぉぉお??」

「ひぃぃ~!? な、な、な、なんでですかぁ~灰音さぁんっ」


 ぷるぷると震える小動物のような雪流を見て、灰音はふぅっと溜め息を吐いてから銃をホルスターに戻しました。


「ハァ、少しは危機管理ってものを身に付けなさいよ。……いや違うわね、この場合いっちばん悪いのは――」


 くるりと振り向いた彼女は、堂々とベッドで高イビキをかく金魚目掛けて容赦なく一発打ち込みました。


「アンタ家こわすのこれで何度目になるのよ――!!」


 ビシュッ


「どわっ! 寝てるヤツになんてことすんだよっ、灰音!」

「夜勤明けの雪流に衝撃波放ったのは何処のどいつよ!」


 金魚は絶望的とも言える短い時間で銃弾を回避します。そんな動く的目がけて、灰音は叫びました。


「とにかく屋根を修理してきなさぁぁあい!!!」


 ***


「ったくよー、人使いが荒いんだよなー、ツンデレ姫さまは……よっ!」


 そんな事をブツクサ言いながらも、金魚は屋根の上でトンカチを釘にトン!と、振り下ろしました。


「ま、これも共同生活の苦労ってヤツかね」


 キラーンとかポーズを決めますが、ダレも居ないので少々の虚しさが心のスキマを通り抜けてゆきます。


「……やーれやれ」


 トンテン カンテン



 それはほんの少し前の事。

 おとぎ話の世界を救った4人の英雄は、なんやかんやで一緒に住む事になったのです。

 それぞれがそれぞれ、帰る場所を失ったのですから、当然の成り行きとも言えるのですが……もちろん英雄と言えど働かずに喰っていけるはずもありません。

 黙ってりゃ食事が出て来る生活なんてのは、お姫さまでもなければなかなか無いシチュエーションなのですから。



「んんん~~っ、おーわった! っと」


 そんなお姫さまの立場を蹴って捨てて来た代表とも言えるこちら、金魚さん(17)

 こんな彼女でさえ現在は『なんでも屋』として働いているのです。いやまったく世知辛い世の中ですねぇ


「金魚さ~ん、終わりましたぁ?」

「おう! こんなもんで良いだろ」


 下から雪流が呼びかけて来たので、金魚は工具一式をまとめて箱にほうり込みました。そしてそれを肩に担ぎ屋根から飛び下ります。


 タッ


「とぁ! 10.0!」

「すごいです~」


 のほほんと拍手なんかする彼と連れ添いながら、金魚は唐突に話題を振りました


「雪、ごめんな、さっき起こして」

「良いんですよ~、昨日はそこまでキツい仕事じゃ無かったですし。起きなきゃいけない時間でしたからね」

「や~さしいなぁー雪は~」


 ふざけて肩を抱きよせた金魚は、そのままふと固い表情になりました。


「それにひきかえ……灰音のヤツ最近とくに機嫌が悪いと思わないか?」

「やっぱり、頭夜さんが居ないせいでしょうかね?」


 そう、今まで毛ほども姿を見せない残り一人、青ずきんの頭夜は実家に帰省の真っ最中でした。

 4人で暮らし始めても、唯一帰る家がある彼だけはこうして1ヶ月にいっぺんは帰る事にしているのです。


「もう連絡が途絶えて3日ですよ? 何か在ったんでしょうか、心配ですね」

「うーん、アイツ方向オンチだからなぁ」


 ですが帰ってくる気配が微塵も無いのです。今日もこうして終わろうと言うのに。


「しゃーない、明日にでも迎えにいくか」

「そうですね」

「差し当たっては、腹ごしらえだ! よく食べよく寝る。これに勝る体力づくりは無いからな」


 工具箱を持ち直し豪快に笑った金魚は、家のドアをこれまた豪快に開け放ち入っていきました。そして台所をひょいとのぞき報告します。


「灰音ぇー、屋根の修理おわったぞー」


 後ろからひょこっと台所を覗いた雪流は固まりました。灰音が涙ぐんでいたからです。


「っ、バカ! 入るならノックくらいしなさいよね!」

(灰音さん……そこまで頭夜さんのこと――)


 彼はグシッと袖で目元をぬぐった彼女を見て心を痛めます。

 金魚も眉を八の字に曲げて、悲しそうな顔で言いました。


「灰音……」

「な、なによ」

「タマネギを剥くなら水の中が――」

「マメ知識をどーもありがとう金魚」


 涙も引っ込んだ、と灰音は手を振ります。


「もうっ、アンタと居るとシリアスな気分にもオチオチなれないわ」

「いやぁ、それほどでも~」

「褒められてはないですよ金魚さん」


 ***


 夕飯を囲んだ3人の話題はやはり頭夜のことが中心のようでした。ちなみに今日はとろとろふわふわのオムライスのようです。


「まったく、どこをほっつき歩いてんのかしら!」

「アイツのことだから、あのばーさんにしごかれでもしてるんじゃ?」

「マリアさんに? 確かにそれは有り得そうですね」


 彼のおばあさんは、オオカミを従える森の王です。

 もしかしたら孫の頭夜を鍛え直してる……なんてことも有り得そうですね。


 ですが不機嫌なままスプーンを動かしていた灰音は眉をつりあげて文句を言いました。


「それにしたって連絡くらいくれたって良いじゃない」

「恋人を待ちわびる彼女みたいだな」

「なっ! 何いってんのよ!! わたしは後々めんどうになるのがイヤだから――っ」


 あはは、と金魚が受け流しかけた時でした。


 ブッパパーパーぷぱぱぱっぱパッパピー!


「な、なんだぁ?」


 なんとも間の抜けたラッパの音が家の外から聞こえてきました。そのあまりの唐突さに雪流はオムライスを詰まらせ、灰音はポカンと口を開け、金魚は間の抜けた声を上げました。


 いったいぜんたい、こんな時間に誰でしょう?


「取りあえず、様子みるか?」


 警戒心もあらわに、金魚がそっとドアを開けようと手をかけた時です。


 バぁン!

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