第16話 果たせぬ約束

「どうしてもか?」

「どうしてもよ」


 固い表情のまま、魔女は言いました。

 魔女はいじわるだ、とは思わないで下さい。彼女も世界のルールには従わなくてはいけないのですから。


「……分かった」


 察した金魚は眼を伏せて静かに言いました。他の3人も、何も言いはしませんでした。


「それじゃあ、送るわ。そうね、それぞれ四方に立ちなさい」


 ノロノロと歩み4人はそれぞれ北・南・西・東へと塔の端に立ちます。


「振り向いてはダメよ」


 そして魔女が中央に立ち、杖を振ると移動の五傍星が光り輝きながら塔の床に敷かれます。


 ――ル セイ エンデュラム


 常人にはまるで理解できない『古代語』を操りながら、魔女は手を振り続けます。

 金魚は南の海を向きながら泣きました。海の中では分かりもしない生理現象に戸惑い、拭いもせずにぼろぼろと


「あ、れ? なんだこれ、なんで眼から水が出んだよっ」

「バカねぇ、それは涙って……言うのよぉ」


 東の城下町を見つめ、灰音も泣いていました。


「えっ……ぁ……さびじいですぅ~」


 北を向く雪流に至っては雪が舞い始めています。その彼をしかる頭夜の声も、しっかりと震えていました。


「バカ泣くなっ! お前が泣くと、吹雪くだろ……」


 彼らが旅の果てに得たものは、名誉でも富でもなく、まぎれもない『仲間』でした。

 それはとてもとても大きな、何事にも変えられない大切なお宝でした。


「また、会えるの?」

「俺は――」

「僕は――」


 言いよどんだ言葉は、金魚の力強い声に掻き消されました。


「会いに行く。必ず行くから」


 ――ベイ ルァィツ


「あぁ!」

「金魚さぁん」

「……絶対よ?」


 見えないのに、

 見えるはずは無いのに


 確かに3人は、その時金魚が笑ったのを感じたのです。


「約束だ!」


 ――テレポート!


 ***


 世界を救った主人公たちを送った後、魔女はそこに居ない彼らに向かって話しかけました。


「薬の代金はチャラ。そうね、あなた達には世話になったからお礼をあげるわ」


 魔女は彼らの【記憶と関係性】を奪いました。

 それが二度と会うことは出来ない彼らに対する、魔女なりの優しさだったのでしょう


「待つのは辛いだけだから……」


 魔女の手の中にある小さな4つの小瓶は、ふしぎな液体で満たされました。





 そして1年が過ぎたのです。



 ***


 ここはとある海の底。ふかいふかい水の下には魚たちの王さまが暮らす宮殿がありました。

 泡がキラキラと光り、揺らめく水の間を魚たちが楽しそうに流れていきます。

 そこは海に住む者すべての楽園でした


「金魚ぉー金魚ぉー! 今日こそはパーチーに出るのだ!」


 今日も王様は、愛娘を公式の場に引っ張りだそうと必死なようでした。金魚姫ももう18。どこかの国の王子さまと結婚してもよい年頃です。


「さぁ! 今日ばかりは嫌とは言わせん、何せ夕暮れの君が――」


 勢いよく扉を開いた王様は、代わりに口を閉ざしました。いつもは王様を撃って出迎えるはずの金魚姫が、窓辺に腰掛けぼんやりと外を見ているのです。


「きんぎょ?」

「悪ィが今日は勘弁してくんねぇかな、オヤジ」


 それだけ言い残すと、姫は王様の側をうなだれながら通りすぎて行きました。


「あ、あぁ……」


 面食らった王様は、アッサリと引き下がってしまいます。それほどまでに、金魚姫は気落ちしていたのです。



「なんだろうなぁ、なんでこんなにも……」


 姫は『こんなにも』の続きを言い表すことが出来ませんでした。たゆたう海草を千切っては流し、千切っては流しを繰り替えします。


(例えるなら――そう、喪失感?)


 ぼんやりと潮の流れを眼で追う様からは、普段の活発さは想像もできません。まるで死んだ魚の眼をしています。

 そこに一匹の人魚と、一匹のヒトデと、一匹のイソギンチャクの子供たちが現れました。


「あっ、姫さまだ!」

「姫さま! 姫さま!」

「ねぇ、また海を割ってみせてよ」


 また今度な、と弱々しくほほ笑む姫に、子供たちは心配そうな顔をします。


「姫さまどこか具合が悪いの?」

「お腹がいたいの?」

「悲しいことがあったの?」

「いや、大丈夫だ」

「じゃあ」


 ――寂しいの?


「………」


 3人が揃えて口にした言葉に、軽く眼を見開きます。

 寂しい。そう、それこそが今の気持ちにピッタリの言葉だったのです。


「あぁ、そうだな、私は寂しいのか。涙が出そうなほどに……」

「なみだ?」

「なみだってなぁに?」

「悲しいと眼から出る水さ、海の中じゃ分からないけどな」

「ふぅん? 姫さまは物知りなんだね」


 可愛らしく首を傾げる人魚の子、その頭を撫でながら姫は哀しげにほほ笑みます。

 その時、妄スピードで子ダコが泳いできました。3人組に嬉しい速報を持ってきたのです。


「虹の渦潮ができるって!」

「スゴーい!」

「見にいこう見にいこう」

「姫さまも来る?」


 力なく首を振って、姫は4人を見送りました。


「……」


 そんな寂しい金魚姫に、近付く一つの影がありました。


「ごきげん如何かな? 金魚姫」

「……アロか」


 姫は振り向かずに相手を言い当てました。

 夕暮れの君、隣国の王子アロワナール王子は赤銅色の髪の毛が美しい美男人魚です。


「お前、私の婚約者に立候補したらしいな」


 海面に向かう姫を、アロワナ殿下は前髪を気障っぽく掻き上げながら追いかけました。


「そうさ。私は君が好き。だから婚約者になろうとするのは当然の流れだと思うが?」

「……人魚が聞いたら泣くぞ」


 幼い頃、人魚姫と金魚姫とアロワナ王子の3人は幼馴染みでした。確かにその時の王子はクールな人魚姫に夢中だったのです。夢に見るほど、それはそれは恋い焦がれていたのです。


 ほぼ同時に海面に出た2人は、夕暮れの浜辺を歩く人影を見つめます。


「泣くどころか、とても笑顔に見えるが?」

「確かに。すまんアロ、私が悪かった」


 しかし人魚であることを捨てた人魚姫は、いまや地上の王子と幸せに暮らしているのでした。


「しかし、よく海を飛び出して上手くいったよな。ハッピーエンドってやつか?」


 あらすじを喰われて変質してしまった人魚姫は、もう『人魚姫』ではありませんでした。

 ホンモノではなくなってしまいましたが、砂浜を歩く彼女はとても幸せそうに見えます。

 それを見ていた金魚姫は『左手』をアゴに添えながら首を傾げました。


「だけど、その時のこと全然覚えてないのはなんでだ」

「クッ、なぜ人魚姫は脆弱なニンゲンなどに成り下がったのだ! なぜなんだ!」


 アロワナ王子の悔しそうな声が海上に響き、ぼんやりと思います。


(脆弱? 違う、ニンゲンは――)


「強い。ココロが……」


 言ってから姫はハッとします。何を言っているのでしょうか? 自分は地上になど行ったことは無いはずなのに


「金魚姫! まさか君までニンゲンに憧れていると言う訳では無いな!?」

「ちょ、落ち着けアロ! 私はっ」


 ――お前……ニンゲンか?

 ――何なんだお前は!


「!?」


 ふと何かがツキン、と頭を突き抜けます。昔感じたような、忘れていたものが


「っくぁ、何なんだよ!」

「金魚姫?」


 ――また……会えるの?

 ――金魚さぁん


「っぐ、うぅ……!」


 かけめぐる 記憶のかけら


「……約束」

「え?」

「約束だ! 私は果たさなきゃいけない事を忘れてる!」

「や、約束? どんな?」

「知るか! くそー!」


 思い出せない苛立ちからか、金魚は一気に海へと潜り泳ぎ始めました。


 行き先は洞窟。

 尋ね人は、深海の魔女。

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