第13話 正史が狂う時

 悲痛な呼び掛けが冷たいフロアにこだまする。慄きながらも反論しかけた彼らに、異変が起き始めていた。


「なに……」

『人の体を使うなんて、良い度胸じゃない!』

「どうなっちゃったのぉ!?」

『やめろ! 俺の体でその口調は止めてくれー!』

「何なのよコイツらは!」

『出ていって下さい!』


 それぞれが自分の体に語りかけると言う、奇妙な光景が出来上がった。


『何が目的で私たちの体を乗っ取ったんだ?』

「金魚姫には関係の無い事なんだよ」

『関係無いことで体乗っ取られたら堪ったもんじゃ無いわ!』

「うるさい、のよ」

『俺の体、返して貰おうか』

「それはダ~メ」

『お、怒りますよ!?』

「あらぁ~ん? 自分や仲間の体、傷つけるつもり?」


 4人のわめき声|(実際は8人分だが)が、ウワンワンと反響しては消えてゆく。それはもう大変な騒ぎだった。ところが


『私の知ってる人魚はこんなことするようなヤツじゃ無かったはずだぞ!』


 金魚のその叫びに、彼女を除く7人はシンと黙り込んだ。唐突すぎる静寂にも気づかず、彼女はそのまま疑問を、体に共存する相手にぶつける。


『大体どうしてお前、男になってるんだ! 前はあんなに可愛い――』

「うるさいっ! 私は、私は……っ」


 金魚の顔を歪ませて、人魚は拳をわなわなと震わせ経緯を語り出した。


「あの魔女の薬を飲んだ瞬間にこうなったんだ。こんな体じゃ王子にも会えない、元には戻ろうにも魔女にも会えない、オマケに声帯は取られる……何もかも上手くいかないっ、もう散々だ!」


 最後の一言と共に右拳を壁に叩き込む。その肉体は金魚のままなので、当然と言うべきか塔の側面には穴が開いた。パラパラと落ちるガレキに視線を落としたまま人魚は悲痛な声をあげる。


「なのになぜ!? どうしてこの体は女な上に喋れるんだ! 魔女とどんな取り引きをしたんだ金魚姫っ」

『どんなって……間違い?』


 勘違いで薬を飲んでしまった金魚は、どうしてそんなに人魚が取り乱すのか理解に苦しんだ。そのままの素の調子で尋ねる。


『人魚、男になったからって王子を諦めたのか?』

「……仕方が無いだろう、どう足掻いたって同性になってしまったからには愛してもらうことなどできない」

『本当に好きなら男同士だとしても思いは伝えられるはずだ。違うか? お前は戦う前に逃げたんだ』

「やめろっ!」


 己の中に響く声を悲鳴で掻き消しても、残るのは空虚のみ。


「もう、良いんだ」


 しばらく沈黙を重ねていた彼女は、ふと自嘲気味な笑みを浮かべ肩を落とした。


「何をやっているんだろうな、私は……」

「人魚ちゃんっ?」

「体を捨て、幽体になってまで」


 仲間の問い掛けにも答えず、人魚は呟きをもらす。


「時が戻るはずなんか無いのにな」

『! どう言う事だ?』

「金魚たちは、ニセモノ童話なのだろう?」

『らしいな』

「そして私たちはホンモノのハズだった」


 正史であるはずの童話が狂う。あってはならぬ事に灰音はおそるおそる口を挟む。


『まさかそっちの話もずれたの?』

「あぁ、私は見てのとおり私は男にな」

「赤ずきんはね、オオカミさんに食べられてからダレも助けに来てくれなかったの……」

「ガラスの靴を、姉が履いてしまった」

「お母様の魔法の鏡たたきわっちゃったの」


 絶望しきっていた彼女たちの前に、それは現れた。


「私たちの前に神の使者と名乗る男が現われ、契約を持ちかけてきたんだ。肉体を捨て、いずれ来るであろうニセモノ童話の主人公たちを阻止すれば、全てをリセットしてやると」


 なぜそのような真似をするのだろうか、いや、答えは分かっていた


『ヨグが私たちを阻止しようとしているのか?』

『おそらくは、な……』


 溜め息をついて頭夜は人魚らに事情を説明した。


『この塔の最上階に空間を喰うバケモノじみた神が居る。おそらくそいつが原因だ』

「空間がねじ曲がり、他の話が混ざり込んだとでも?」

『そうだ』

『僕たちはそいつを倒しに行くんです』

『だから頼む、体を返してくれ!』


 しばらくの沈黙の後、頭夜――いや赤ずきんが振り絞るような声を出した。


「いや……やだよぉ! おとぎ話の主人公は、幸せにならなくちゃいけないんだよ? いつまでも幸せに暮らしましたって……」

「赤ずきん……」

「おばあちゃんに会いたいよ、お母さんに『ただいま』って言わなきゃ! なんで?  なんで!? どうして……っ」


 気遣うように寄り添った仲間に抱きつき、赤ずきんは嗚咽を漏らした。


「うわあああーーんっ」


 その頭をなで、シンデレラはさとすように優しく語りかけた。


「っく、ひっく」

「赤ずきんは、良い子でしょう? 違う?」

「……うん、良い子だよ。お母さんが、いつも褒めてくれるもん。本当にあなたは優しい子ねって」

「世界がなくなる。それはお母さんをこれ以上悲しませてしまうかもしれない」

「……」

「我慢、できる?」


 しばらくした後、赤ずきんはこっくりとうなずいた。それが合図だったかのように、金魚達はふいに体の感覚を取り戻す。自らの足で床を踏み締めると、どこか遠くから聞こえるように彼らの声が伝わってきた。


 ――世界が無くなると言うのならば、私たちの願いを優先させるわけにもいくまい。すまなかったな

 ――お願い、ぜったいぜったい……悪いヤツを倒してっ


 赤ずきんのすがるような声を残して、悲しき亡霊の気配は完全に消えた。


「負けられない。絶対に、世界を元に戻すんだ」


 静かに力強くこぶしを握った金魚は、ふとあることに気がついた。


「お前ら、いつまでそうしてるつもりだ?」


 指摘された2人はハッと我に返る。灰音の胸に顔をうずめるように、頭夜が涙目で抱きついている。さきほどの、シンデレラと赤ずきんの体勢そのままだった。慌ててバッと離れた彼らをよそに、雪流は深刻な顔でつぶやく。


「さきほど人魚姫さん達は『フィガロ様に報告に行く』と、言ってましたよね」

「知り合いか?」

「むかし、うちの城で働いていた庭師なんです」


 その意外な事実に、灰音が赤い顔をしながらも乗ってくる。


「どうして庭師がこんな事に関わるのよ?」


 ワケが分からない、と言った灰音の言葉に頭夜が返した。


「ただの庭師じゃないな。おそらくは監視者だ」


 その言葉に三人はかんししゃ? と揃って首を傾げた。ここまで来て知らないのかよ……と、説明をしようと口を開きかけた時だった。


 ヒュッ


「っ、なんだ?」

「バラ……?」


 土で出来た床から突如として何かが彼らを襲った。しなやかにムチうつ枝の先には、見事な大輪の白バラが揺れている。


「青ずきん君、ダメだよ重要な秘密を喋っちゃ」


 暗がりから姿を現わした中年の男を一瞥し、金魚はぼやいた。


「噂の庭師か」

「それしか居ないだろう」


 それぞれ身構えるおとぎ話の主人公たちに対し、雪流の監視者は剪定鋏を振り回しながらこう言った。


「ど、どうしてあのまま大人しく体を明け渡してくれなかったんだ!?」

「なら逆に聞くけどな、どうして私たちの行く手を阻む?」

「監視者はあくまで俺たちを見守る立場のはずだろう。ウチのババアとかコイツのところの魔女のように。なんの目的で進んで悪役なんて――」


 グッと明らかに回答につまるフィガロ。うつむくと独り言のように何事かを呟きだした。


「……ドロシー、君を救い出せるのならば、僕は、神にだって」

「何を言っている!」

「そうさ、絶え間なく続く輪廻の輪を抜け出そう、一緒にあの空の向こうへ帰るんだ。そのためには――」


 どこか熱に浮かされたかのような顔の庭師は、装飾の施された優雅な鋏をまっすぐに金魚たちへと向けた。


童話の主人公見守る対象など要らぬ」


 パチン


 手元の一枝を切る。あっけに取られていた灰音と雪流はバラに押しつぶされる所だった。


「ひっ……!」

「うわわ」


 目の前で振り下ろされる『棘』の鋭さに冷や汗が流れる。引っ張られなければ切り裂かれていた所だった。


「どうする、いつの間にか囲まれてるぞ」


 即座に飛び出した金魚と頭夜は、いつの間にか不利な状況に追い込まれていたのを知った。庭師の切る枝が複雑に絡み合い、どこから攻撃が来るのかまるで分からないのだ


「下手にバラを切るとアイツらが危な――っ」


 一瞬、後方を振り返った金魚の足を棘がかする。鮮血が飛び散り白バラがほのかに色付いた。


「金魚!」

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