第10話 かりそめ世界の『のりしろ』

 頭夜の指差す先、そこには天まで突き抜けんばかりの巨大な塔が出現していた。


「何が、どうなってるんだ?」

「あんな所に塔なんか無かったわ」


 ヒトの常識では認知できない事が起こっている。誰もが動けない中、ただ一人ヒトでは無い存在が暴言を吐いた。


「いやあんな塔はどうでも良いんだが」

「どうでも良いことなんですか金魚さん」


 じゃあ何が気になるんですか、との問い掛けに、金魚は頭を掻いてそびえ建つ塔の横辺りを指した。


「あれは何だ?」


 指し示す先には何も無かった。




 なにも なかった。




「なっ……!」


 仲間たちが再度絶句したのも無理は無い。色・形・質感、いや空間すらない場所などあり得ないはずだったのだから。『虚無』と呼ぶのにふさわしいそれは、見つめていると吸い込まれてしまいそうな妙な気分になった。


「気付いたかしら。あれは空間――いえ、この世界が蝕まれているの」

「世界が蝕まれている? なんだそりゃ? 誰にだよ」

「……まさか」


 ぼそっと呟いた頭夜は、金魚と同じく魔女へと詰め寄った。


「全てを喰らう者か? そんなバカな! あれはおとぎ話じゃ無かったのか!」

「おい頭夜、何の話だ!」


 騒ぐ二人の後ろで灰音と雪流は困惑して立ち尽くしていた。そんな彼らを見て魔女はようやく語りだした。


「『おとぎばなしを紡ぎましょう、あなたがよく眠れるように』」

「!」

「どうしたのよ? 青ずきん」

「同じだ、昔ばあさんから聞いたおとぎ話と……」


 顔色の変わった頭夜を一瞥し、魔女は続ける。


「むかしむかし、これはまだ妖精たちが人と仲良く暮らしていた頃のお話です……」




 そこは何もかもが平和な世界 変化もなければ争いごともない、穏やかな世界でした


 そんな世界に飽き飽きしていた人たちは、ある日妖精たちにお願いをしました


『どうか楽しい事を』

『おもしろい事を』


 妖精たちはイタズラ好きでしたので、ほんの少しだけ面白そうなことをしてしまいました。


 その世界には居ないはずの『悪』を呼び出してしまったのです。


 そうして現れた『悪』は、まず手始めに妖精たちを殺してしまい、元いた場所に送り返されないようにしました。それから後はやりたい放題です。


 『悪』はとても珍しいことに、空間を食べる生き物でした、人々が「もうやめてくれ」と頼むものの、『悪』の食欲は止まりません。




「そうして虫喰いだらけになった世界は、ちりぢりに別れてしまったのです」


 語り終えた魔女は、立ち尽くす4人の視線を一身に受けていました。半分笑った顔の灰音は、こう尋ねます。


「それは……おとぎ話でしょう?」

「いいえ史実よ。むかしむかし本当にあった」


 生ぬるい風は、不気味に吹き続けそれぞれの服をはためかせる。一息いれ、彼女は打ち明けた。


「だから本来ならば、あなた達は出会うはずの無かった別世界の住人なのよ」


 あっけに取られると言うのは正にこのような感じなのだろうか、彼らは仲間たちを……この場合は別世界の存在を見つめながら立ち尽くすのみであった。


「お前らが、別世界のニンゲン? 私の世界には存在しないって言うのか?」

「正確には別のおとぎ話の世界、ね。今はそれぞれの世界を行き来できているみたいだけれど。それは本来あってはいけないことよ」


 ふぅっと軽く息をついた魔女は、そうなってしまった原因を口にしました。


「『悪』は動き出した。時空の狭間を飛び回り、理由はハッキリしないけれど分かれた世界を再びいくえにも折り重ねて繋げてしまったの」


 気持ちの整理がつかないままに、魔女淡々と続ける言葉が耳に入ってくる。


「おそらくは一度に喰らい尽くすためでしょうけど」

「魔女」

「わたし達が今いるこの場は『悪』の手によってつながっているかりそめの世界、ムチャクチャに折り重ねているだけだからいつ崩壊してしまうか分からない。そうなる前に分離させなければならないの。『悪』を倒してね」

「待てよっ、そうしたらもう私たちは――」


 会えなくなるのかと、問いかけた金魚をさえぎり魔女は冷酷に告げた。


「本来の形に戻るだけよ」


 言葉を切り上げた魔女は塔に眼をやる。世界は徐々に蝕まれて居た。空は欠け、地は亀裂が走り、全ては無に返されかけている。


「まずいわね……思ったより時間が無いわ」


 辺りのただならぬ雰囲気に、頭夜は頭を切り替えることにした。


「深海の魔女。要点を話して欲しい。あの塔は何か、このまま放置したらどうなるのか、それから悪の正体だ」

「おぉ、それだったら私にも分かるかもしれない」


 早くも頭が爆発しそうだった金魚は、思わぬ助け船に感謝しつつ質問を重ねた。


「あと私たちにできる事、だな」


 ようやく微笑を浮かべた魔女は、肩にかかる髪を払った。


「そうね、貴方たちなら」

「待ちなさいよ、私はまだ納得してないわ」

「僕も正直……」


 慌てたように声をあげる灰音と雪流は焦っていた。訳の分からぬ内に事が運びそうになるのだから当然の心理とも言えるが。しかし金魚は瞳に真摯な色を浮かべ、キッパリと言い切った。


「私だって分からないさ。ただな、このままだと大変な事になりそうな気がするんだ」


 分かっている。それは重々承知しているが――


「魔女が時間無いっつーんならその通りなんだと思う。だけどな、大丈夫だ、 何とかなるさ」


 二カッと笑うお馴染みの笑顔に毒気を抜かれた二人は、渋々ながら型破りな姫の意見に従う事にした。


 『何とか』なりそうな気がしたのだ


「まったく……しょうがないわね、手伝ってあげない事も無いわ。勘違いしないでよね、アンタたちだけじゃ不安だからよ!」

「ぼ、僕も微力ながら助太刀させて頂きますっ」


 この娘は本当に良い仲間を持った。小さく呟かれた言葉は風にかき消された。


「そうね、このまま放置した場合だけど、あの塔を拠点にして『悪』は今度こそ世界を喰い尽くし滅ぼすでしょうね。今は微妙なバランスを保っているけれど、そんな事をしたら間違いなく全ては壊れてしまう。空間って言うのはそう何度もくっつけたり穴あけたりして良いものじゃないもの」

「じゃ、『のりしろ』は――」


 ガツンッ


 強烈な勢いで地に沈められた金魚は動かなくなった。同時にボケるのも命がけだな、とも悟ったという。


「はわわわっ 金魚さぁん!?」

「悪いな」

「続けてくださる? 魔女さん」

「え、えぇ」


 少しだけ前言撤回したくなった魔女だった。


「それから『悪』混沌の媒介とも呼ばれる神よ。名前はヨグ」

「ヨグ……」


 幼い頃に聞いた神話。いつか神殺しの金魚と呼ばれる日が来てしまうのだろうか。ふと不安に駆られた金魚だったが、無造作に頭を掻くとフッと笑った。


「いや、ほっといたらそんな未来も来ないんだよな」

「あなた達に出来ることはとても簡単よ。ヨグを倒してこの世界を救ってちょうだい。ま、サクッと倒してきなさいな」

「軽く言うなっつーに」


***


 仲間の後を追った金魚の背中を見送る影は、いつの間にか3つに増えていた


「賭け事が好きなのかい、麗しの魔女さん」


 魔女が答える前に、その横に立った老婆は魔法使いへと言い放った。


「賭けでも無かろ。家の頭夜をナメたらイカンよ」

「灰音ちゃんをたぶらかす男がかい、マリアばーさん」

「勝手に惚れ込んだのは小娘の方じゃ」

「断じてそれは認めない!」


 ニセモノ童話の守役……いや監視者たちは小さくなっていく4人を敢えて見つめないようにしていた。


「深海の魔女。ホンモノは一体どこに消えたんだい?」


 老婆は最後まで分からなかった疑問点を口にした。今まさにヨグを倒しに塔へと向かっていく彼らは言うなれば『代役』だ。本来ならば人魚姫・赤ずきん・シンデレラ・白雪姫が担うはずだった役目をなぜ彼らが背負うこととなったのか。


「彼女たちの行方が依然として分からないの。まさかその代わりに複製されたあの子たちを行かせるはめになるだなんて思いもしなかったけれど……」


 その答えは明解である。数日前より『ホンモノ』の彼女たちは跡形もなく姿を消していたのだ。


「エドワルド。貴方雪流くんの監視者を知っていて?」

「いんや? 見た事ねぇなぁ」

「ワシも無い」


 監視者の居ない雪流の話で消えたヒロインたち。塔。不穏の空。言い様のない不安が胸をよぎった。


「金魚、頭夜、灰音、雪流」


 もう見えぬ彼らの名を呼ぶその声はどこか懺悔めいて、ある感情だけが彼らの心を支配していた。やりきれない気持ちと、一縷の望みがないまぜになったような複雑な感情が。


「あなたたちは確かにニセモノだけれども。その自由さ故の無限の可能性を信じるわ」

「虫の良い話だよな、まったく」

「そう思うのも仕方なかろ」


 やるせない気持ちを抱え、魔女と魔法使いと老婆は心の中にて繰り返すのみであった。



 我らは監視者。ただ見守るだけの存在

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