第8話 下へまいりまーす

 何もかもが白で統一された室内、いや玉座と言うべきか、その中央にその女は待ち構えていた。


「よく戻ったの、雪流」

「母上」


 雪女の名にふさわしい白く長い髪や、顔形こそ雪流と同じだったが決定的に眼が違った。雪流の母は、神秘的な紫の瞳で氷の中にいる俺を見据える。言葉は息子へと向けたまま。


「わらわは心配して居たのじゃぞ、まったく何の連絡もよこさずに……」

「母上!」


 苛立つように雪流は語調を強めた。御託はどうでも良いのだと言わんばかりに。


「あなたなら分かっているはずです。僕がなぜ直接戻って来たのかを」

「雪。そのような怖い顔をするでない。そなたはわらわに息子の心配すらさせてくれないと言うのかぇ?」


 クックッと喉の奥でかみ殺すような笑いを出した後、雪女は持って居た扇をパシッと閉じるとこちらを指した。


「そうじゃ、その男はなんじゃ? それをわらわへの献上に来たのだろう、え?」

「と、頭夜さんは違いますっ。僕は彼を戻す方法を探すために来たんですから!」


 わずかに震える声を聞き漏らす程、雪女は甘くない。文字通り氷のような微笑を浮かべて諭すように囁きかける。


「悪い子だのぅ雪流……いつからわらわに逆らう事を覚えた?」


 玉座から半身をグッと乗りだし、小声とも言える口調なのによく通る声。途端に雪はしどろもどろとなってしまう。


「僕、は、あなたを」

「なんじゃ、よく聞こえんわ」

「ぼく は……」


 くそっ、このままじゃ――


***


 と、氷づけの頭夜がそんな事を考えている頃です。ちょうどその真上では二人組みの少女が強盗ともとれる家捜しの真っ最中でした。


「寒っ!」

「冬の海はこんなもんじゃ無いけどな」


 氷の彫像を管理する為なのか、部屋の中は氷点下に設定されているようです。歯をガチガチ鳴らしながら灰音は物色中の姫にうさんくさげに問いました。


「本当にこんな所にこんな所に青ずきんを解凍するヒントがあるの? 氷の彫像だらけじゃない」

「よく言うだろ、カギはドアの側に隠せ」

「……一理あるわね」


 行動派な彼女たちは『雪流が女王に探りを入れてる間に私たちも何か手掛かりを探しましょう、そうするか』と、裏口から城に潜入したのでした。結果、数分前までは豪華絢爛だった展示室は、哀れ見る影もなくズッタズッタのボロボロのケチョンケチョンになってしまいました。


 あまり有効な手がかりが見つからないまま、ふと手に取った一枚の紙切れに、姫の顔は真顔になります。


「灰音のお母さんは、亡くなったんだよな?」

「えぇ、私が――4歳の頃だったかしら? 結核でね」


 突然の質問に疑問を感じつつも、灰音は背を向けたまま答えます。なので姫の微妙な表情の変化には気付くことができませんでした。


「あの時の私は小さかったからよくは覚えて居ないのだけど……それがどうかした?」

「知らないんだ」

「え?」


 姫が手にした紙切れは、雪流とお母さんとお父さんが笑顔で仲良く描かれている小さな肖像画でした。一番幸せそうな顔をしているのは、お母さん。ぼんやりとそれを眺めながら、姫は続けます。


「私の母さんはニンゲンだったから、海の中で育ってきた私に取って見た事も聞いた事も無い未知の存在だった。今も生きてるか死んでるのかすら分からない」

「あ……」

「だから、私には親子ってのがよく分からないんだ。なぁ、みんながみんな、雪流の家族みたいに簡単に壊れてしまう物なのか?」

「……」


 そこにある純粋な問いに、灰音は答える事が出来ませんでした。彼女自身、家庭には恵まれなかった子なのです。どんなに綺麗な言葉でさえ、陳腐なセリフに思えて来てしまうのでした。


「お願いよ金魚、私を困らせるような質問をしないで……」


 それはとてもとても苦しそうな答えでした。


「――悪い」


 胸を押さえて顔を上げようとしない灰音の元へと姫が行こうとした時でした。ふいに、さらなる冷気が彼女たちの足を撫ぜます。


「これは……」

「下だ!」


 あと一歩跳ぶのが遅かったならば、灰音の体は鋭い氷の槍に貫かれて居たでしょう。


「何なのよっ」

「やべぇ、もう始まったか?」


 長いスカートの裾を捌いて着地した灰音は、部屋の温度が、いえ城全体が急速に冷凍されていくのを感じました。


「雪流とかーちゃんの親子ゲンカだ」

「話し合いで解決はムリだったようね……」


 次々と巻き起こる物騒な音からすると、相当激しく戦っているようです。


「早く下に行かなくちゃっ」

「任せろ!」


 一刻も早く階下に行こうと訴えたはずだったのですが、抜刀し振り上げる姫の動作に灰音は青ざめます。


「ちょ――」

「今行くぞ雪流っ!」

「いやぁぁあ!」


 金魚姫は、轟音と共に城の床を丸々一階分ぶち抜いてしまいました。


 階下に行くのにこれほど手っ取り早い方法は有りません。ガレキと一緒に落ちてゆけば良いのですから。


***


「どうしても母に逆らうと言うのか、愚かな息子を持ったわらわは悲しいぞよ」


 縦・横・斜め。玉座はありとあらゆる場所が凍りつき、女王を守るように張り巡らされた氷たちは、まるで美しい鎧のようでした。


「哀れな姿よの」


 そして女王が見つめる先には、必死の応戦も虚しく、冷たい針にて壁に縫いとられた雪流が居ました。彼は氷の涙を流しながら必死で訴えます。


「母上っ、眼を覚まして下さい!」


 正気に、優しかったあの頃に戻ってくれとの叫びは、軽い嘲笑と共に撥ね除けられてしまいました。女王は雪流のほっそりしたアゴへと、病的なまでに白い手を沿えて笑います。


「雪。そなたは美しいのぅ、それが憎いのじゃ」

「っ……母上!」


 狐惑的な笑みのまま、ゆっくりと爪をすべらせてゆきます。真紅の生きた証がポタリ。床に落ちてすぐに固まってしまいました。それを見届けた女王は、凶悪な笑みを浮かべると、左手を天に掲げ巨大な氷の杭を生成しました。


「さらば我が息子……!」


 そして今まさに美しい凶器が雪流の胸へと突き立てられる――その時です


「雪流――ッ!」

「何じゃっ!?」


 この城で長い間生まれ育った雪流と言えども、天井が落ちてくるのはさすがに初体験でした。あの女王ですら、手を止めてそちらを振り返ったほどです


「金魚さん! 灰音さん!」


 天井をぶち抜いて突如舞い降りた乱入者に対して、女王は冷ややかに目線をやります。それはそれはうるさい子バエでも見やるかのように。


「何者ぞ」

「人に名を聞くなら自分から、だぞ。綺麗なオバさん」


 最後の一言は冷ややかな導火線に火を付けてしまいました。氷の女王は軽く頬を引きつらせながらゆっ~くりと問いかけます。


「童(わらし)、もう一度繰り返してみぃ。誰がオバさんじゃと?」

「お前」


 城の温度が一気に5℃は下がったでしょう


(ゆゆゆ雪流! と、止めなさいよっ)

(え、どちらを……ですか?)

(両方に決まってるじゃない!)

(いやですよ!)


 その間にコッソリ近付いていた灰音は、捕らわれの雪流を解放することができました。なんというか互いに半泣きでしたけれど。


「小娘が。わらわを怒らせた罪は重いぞ」

「ん、戦るのか? なんでこーも私に挑みかかるヤツが多いのかね、地上は」


 アンタが無意識の内に挑発してんのよ……灰音は心の中で呟きましたと。


「雹雨(ひょうう)・斬(ザン)」


 しなやかな手の動きに沿い、空中より無数の細かい氷塊が姫の周りに降り注いでいきました。極限にまで細かくされたそれらは、やすやすと肌を切り裂いてゆきます。下手な刃物よりもよっぽど切れ味は良いでしょう。


「っ、んにゃろー!!」


 刀をかざし、雹を防いでいた姫はがむしゃらに飛び出します。雨のように降り注ぐそれらの隙間を抜け、上から切りかかったはずでした。


「氷塊(ひょうかい)・壁(ヘキ)」


 キィン!


 冷たく厚い氷の殻に閉じこもった氷の女王は、その名にふさわしい冷笑を浮かべます。


「小娘、そなた雪の何じゃ?」

「仲間だ! 文句あっか!」


 ギリギリと硬い殻に刀を当てたまま、姫は言い切りました。何の迷いもなく、まっすぐに。それに対するものは、ただ歪んだ笑顔。


「仲間であろうが何であろうが、他人の家の事情には首を突っ込むべきでは在らぬわ!」

「金魚さんっ!」

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