第6話 悪い子のための童話集

 カチャ、と食器が擦れ合う音がして、深い紅色の水面が揺れます。


「紅茶でよろしかったですか?」

「マスター、バーボンを頼む」

「困らせるような事いうんじゃ無いわよっ」


 雪流に連れてこられたのは、すっきりとシンプルにまとめられ、とても居心地の良い部屋でした。ただひとつだけ文句をつけるとしたら何もかもが小さいと言った点でしょうか。入って来た時に危うく頭夜は天井に頭をぶつけるところでした。


「だいたいアンタまだ未成年じゃない、なにがバーボンよ」

「おいおい、地上の常識を人魚にあてはめちゃいけねぇぜ。海でも未成年の飲酒は極刑ものだけどな」

「結局ダメなのかよ!」


 呆れた様子で頭夜は紅茶をすすりました。香り高いダージリンは冷えた体を暖めてくれます。


「……冷えた?」


 彼は自らの考えに疑問を抱き首を傾げました。部屋の中が妙に寒いのです。今は春うららかな若草月で、間違っても身震いするような季節ではありません。いったいぜんたいどう言うことでしょう?


 しかし些細な事はひとまず頭の隅に追いやることにして、4人はようやく本題に入りました。すなわち雪流が仮死状態になっていた事についてです。カップをソーサーに戻した雪流はこう語り出しました。


「私はとある事情で実家を追い出されてしまい、森の中をさまよう内に小人さんたちが住まうこの家にたどりつきました。それからここに住まわせてもらっているのですが……」


 ある日たずねて来たおばあさんがリンゴを差し出し、それを食べてからの記憶は無いと言うのが雪流の言い分でした。


「それにしても、小人さんたちが戻ってきませんねぇ。どこに行ったのでしょうか?」

「あーそれは」


 気まずそうな顔で灰音が言葉を濁します。いくらなんでも同居人に見せ物にされていたと言うのは気が引けます。


 ところが頭夜は一人、疑わしげな眼で雪流を盗み見ました。


(何かがおかしい。コイツが白雪姫だとすると話に沿いすぎている)


 彼はうっすらとですが自分達の存在を認識しているようでした。偽物としての、主人公と


(まさか本物なのか? なら……ば……)


 しかし次第に思考は鈍り、気づけばカクリと舟をこぎ始めてしまいました。


「お? 眠りずきんになったぞ カエルのキスで目覚めっかな?」

「バカ言わないでっ、カエルにさせるくらいなら私がしてやっても――って何言わせるのよ!」

「あ、あの……今夜は泊まっていかれては? この近くには宿屋も無いですから」


 今夜? と、2人がそろって窓の外を見ると、淡い銀色の月が、夜空のブローチのように冴え冴えと輝いて居ました。もうすっかりそんな時間なので、ここは雪流の好意に甘えることにしましょう。


「ではこちらへ」


 その時、雪流の美しい顔だちが一瞬氷よりも冷たくなったのを見たのは、夜空に光るお月様だけでした。


***


「すっげぇ! おい灰音、このベッド体半分しか入らねぇぞ!

「……アンタのお気楽さには勝てないわ」


 姫はミニマムサイズのベッドから、上半身をでろ~んと投げ出しながらキャッキャと笑い転げています。そんな姫に対して灰音は落ち着かない様子でしきりにそわそわ移動を繰り返していました。


「どうした?」

「べ、別に私はアイツらが気になってるワケじゃ無いわよっ!」

「頭夜と雪流のことかぁ~」


 雪流は彼女たちをこの部屋に案内してから、うとうとしている頭夜を抱えて別の部屋へと連れて行ったきりです。問題なのは


「どうして雪流は戻って来ないんだろうな」

「いやぁぁあ!!」


 めくるめく大人な世界を想像してしまった灰音は頭を抱えてブンブンと振ります。


「……行くわよ金魚」

「んあ?」


 キッと顔をあげた彼女は、とんでもない事を提案しました。


「偵察に行くのよ! 私が居る前ではそんな不埒なマネさせないんだから!」


 バタンとドアを開け廊下をズンズン進む彼女の後ろで、姫は愛用の刀を肩に担ぎノンキに言うのでした。


「愛されてんなぁ、頭夜は」


***


(ちょっと見えないじゃない! どきなさいよ)

(おぉぉ~~ お? 暗いな)


 コソコソとドアの隙間から覗く二組みの眼は……まぁ、言わなくてもお分かりですよね。目的の部屋の中には、たしかに二人の影がありました。ベッドの上で押し倒される形になっている頭夜は、焦ったように制止をかけます。


「おい待て、雪流!」


 しかしゆっくりと青ずきんの服をはだけさせてゆく白雪姫の顔つきはとろんとしています。やれやれ、悪い子のための童話ですね、まったく。これは不味いと判断した灰音は、立ち上がり部屋へのドアノブへと手を掛けます。


(もうガマンできないわ!)

(わぁー待て待て灰音! 私はもうちょっと見たい――じゃなくて様子見た方が良いと思うぞ)


 ところがキョーミ深々な怪力姫に捕まっては動けません。あわれ、このまま思い人を見守る事しかできないのでしょうか?


「頭夜さん……わたくしは」


(っ、ちょっと、押さないでよっ)

(う、うわ!)


 ついにバランスを崩した少女二人が、もつれあうように部屋の中へと倒れこんでしまいました。それにも気づかず、うつむき加減にふるふると震えていた雪流は、言葉を落としました。


「……出来ない」

「え?」

「やっぱり僕には出来ないです――!!」


 そしてそのまま大絶叫し、おいおいと顔をおおって泣き出してしまいました。途端に、部屋の中に猛烈な冬吹雪が吹き荒れ始めます。


「うわっ」

「なんなのよ!」


 まるで雪流の嘆きように呼応するかのごとく増していく寒さは、とどまることを知りません。


「おい見ろよっ」

「!?」


 これ以上驚くまい、と覚悟していた灰音ですが、姫が指し示す方を見て、その決意をアッサリ撤回しました。半裸状態のままの頭夜が氷付けになっていたからです。


「うわぁあんっ 僕は罪作りな人間なんですぅ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいぃぃぃ」

「良いからこの吹雪を止めなさぁーい!」


***


「しっかし見事なまでに凍ったなぁ~」


 驚愕の表情を浮かべたまま動かない頭夜の前で、ボソリと姫はつぶやきます。


「……頭夜じるしのかき氷ができるな」

「断じて阻止!」


 ぐすぐすといまだ泣き続ける雪流の隣あたりから、クワッと睨まれました。やめておきましょうか。


「それで? 一体あなた何者なのよ」


 腰に手をあて、呆れたような視線を投げる灰音に、少女と偽って居た少年は赤い瞳を潤ませました。


「ぼ、僕には雪女の血が流れているんですぅ」

「雪女ぁ? なんなのよそれは」


 首を傾げる灰音の横で、意外にも博識な金魚姫が口を挟みました。


「聞いたことがあるぞ。東のジパングに居るオバケの名前だったよーな……アレだろ? 男をたらし込んで凍らせる妖怪」

「身も蓋も無い言い方をすれば、そうです」


 さらに雪流は続けます。目じりにたまった涙をぬぐうと、それは床に落ちる前に雪の欠片になってハラリと散っていきました。


「僕の母はジパングからの旅行中、父との恋に落ちて僕を産みました」

「お父さんは大丈夫だったの? その……雪女さんとの結婚で」

「あ、父は雪男なので問題は無かったみたいです」


 つまり雪流は『雪女×雪男』の純血種のようです。


「すげぇ一家だな」

「アンタのとこも十分すごいわよ」


 魚と人間を両親に持つ金魚姫が言うセリフじゃ無いだろう、と灰音がツッコミを入れます。


「それでお前が頭夜を凍らせた手段は分かったけどよ、『どうして』の部分をまだ聞いてないぞ」


 下から覗きこまれ、雪流は泣き笑いのような微妙な顔付きを取ります。


「数ヶ月前、火を飛び越せるかどうかの賭けに負けて父は溶けました」

「……」

「……」


 なんとも言えない表情を取る女性陣2人はそれぞれ言葉を口にしました。


「それはお気の毒だったわね……」

「お前のとーちゃん雪だるまか何かだったんじゃね?」

「バカッ!」


 その無神経な発言に気付いていないのか、雪流はかぶりを振ってほぼ叫ぶように嘆いたのでした。


「それからっ、母は変わってしまったんです!」

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