第2話 空から落ちてくる美少女を受け止めたら常識的に考えて死ぬ

「っ……くそぉっ!」


 うっそうと木々が生い茂る森の中で、一人の少年の声が響きわたりました。


「ババアん家はどこだ―――っ!!」


 おたけびの様な太い声に、辺りに遊んでいた小鳥たちがいっせいに空へと舞い上がりました。


 誰も答えはしない暗い森で、我に返った少年は荒い息をつきながら切り株にドッカと荒々しく腰を下ろします。


 夜のような黒い髪に鋭く光る黒いまなざし。真っ青なフードを後ろに払いのけた少年は、イライラとした様子でため息をつきました。


 その脳裏には、こんな森をさ迷うハメになった数日前の出来事が回想となって流れ始めます――


『頭夜、森の向こうに住んでいる病気のおばあさんの所にこのフカフカのパンと、とろけるようなチーズと、滴るような色をしたぶどう酒を持ってお見舞いに行ってちょうだいな。お母さんはちょっと用事があって行けないのよ』

『……なんでそんな説明臭いんだよ。断る、俺は今いそがし――』


 グッ


『うふふ。行くの? それとも逝くのかしら?』

『あ、いや、行きます。行かせて頂きます』


 彼、青ずきんの頭夜(トウヤ)はお母さんに頼まれ病気のおばあさんの所へお使いに行く途中でした。


「どれだけ深いんだよこの森は……」


 しかし彼が家を出てから3日が経ちました。早い話が迷子になってしまったのです。どうにも生きているとしか思えないこの森は日々姿を変えているようでした。


「あー、マジで死ぬ」


 空腹のためバッタリと仰向けに引っくり返った頭夜は、木々の合間から見える空を眺め永遠の眠りへと……


「ぎゃぁぁあ! そこどきやがれぇっ!」

「なぁ――っ!?」


 着くことはありませんでした。眠りずきんへとなりかけた彼は、なぜか空から降って来た女の子につぶされてしまったのです。


「ぐほぁっ!」

「うぎゃ! っあー、ビックリした」


 彼のお腹へと華麗にダイブを決めた少女は、頭夜の上に跨ったままキョトンとした顔で聞いてきました。


「お前、ニンゲンか?」

「一言がそれか!? ゲホッ」


 危うく人としての形を失いそうになった彼はその元凶を上からはらいのけました。


「ったく、何なんだお前は!」


 満面の笑みで少女は答えます。そりゃもう元気よく。


「金魚! 金魚姫だ。なぁ、観光案内してくれよ青ずきん」

「姫ぇ? ってオイ、俺は頭夜だ。青ずきんって言うな」


 そうです。空から落ちてきたのは、魔女に飛ばされ遥か遠くの森へと飛ばされてしまった金魚姫でした。反省の「は」の字もしていないような姫に、頭夜は空腹も手伝って脱力するしかありません。


「はぁぁ~~、言っとくが俺は案内なんかできないからな」

「なんだ、お前迷子なのか」

「くっ……」

「なんか方向オンチそうな顔してるもんな」

「あのな! ならお前はどうなるんだ」

「お? やるか?」


 初対面の姫に悪気もなくズケズケと言われ、いい加減頭にきた頭夜が一歩詰め寄った時でした。


 ガサッ


 何の前触れもなく、近くのしげみから茶色の何かが飛び出し、誘うように揺れ始めました。とがった三角形の……耳でしょうか?


「なんだあれ」

「声をかけてくれってことじゃないか。なんとなく」


 しばらく思案していた二人は、無言でチャキと武器を構えると茂みに向かってなぎ払いました。


「きゃああっ!?」


 女の子のような悲鳴を上げて飛び出したのは、おばあさんの自宅で3日も待ちぼうけをくらったオオカミでした。耳をそぎ落とされかけた彼は憤慨しながら抗議します。


「バカー! 確認もせずに攻撃するヤツがあるかっ!」

「なんだコイツ アザラシ?」

「犬だろ」

「オオカミだからっ!」


 どうやら海育ちの姫はオオカミを見た事がなかったようです。気の弱そうなオオカミはハッと気が付くと姫の方を指しました。


「お、お前が『赤ずきん』だな!?」

「あん?」

「まったくもう遅刻も良い所じゃないか! 主人公が来なくっちゃ進む話も進まないよ、まったく!」

「お? 道案内してくれんのか?」


 頼むぞ~、と、こだまの残るその場には、青ずきんだけがポツンと取り残されました。


「……なんだったんだアイツらは」


 帰りたい、と小さく呟く彼でしたが、そうも行かないのでオオカミたちが走りさった方向に足を向けます――と、そのつま先に何かがコツンと当たりました。しばらくその青い刀を見ていた頭夜は、自分の剣の横にそれをグイッと差し込むと後を追ったのでした。


 ***


 それからしばらくして


 頭夜がようやくたどり着いたおばあさんの家は妙に鼻をつく臭いに包まれていました。まさか本当に食べられてしまったのでしょうか?


「おい、ばーさん!」


 イヤな予感がした彼は、ハデな音を立ててドアを開けました。三日おくれての到着です。


「……!?」


 そして中のあまりの惨状に目を見開きます。部屋は熟したトマトをぶちまけたようになっていました。赤・赤・赤――子供が赤いクレヨンで塗りつぶしてしまったかのような部屋の中心には彼のおばあさんがグッタリした様子で倒れています。


「おいっ! 冗談じゃねぇ……起きろよ!」


 慌ててその身体を抱き起しゆさぶります。おばあさんはうっすらと眼を開けてニッコリ笑い、幼い頃よくしてくれたように頭夜の黒い髪を優しくなでました。


「あぁ、頭夜、よく来たねぇ」

「クソっ、誰がこんな事……」

「とう、や」


 ガクッと手が落ちたおばあさんを横たえた頭夜は、グイッと目元を拭いました。自分が迷わなければ、3日早くついていれば。


 静かに腰の剣に手をやった彼は、そこにある一振りの刀の存在を思い出しました。


「そうだ、あの女はどうしたんだ」


 自分と間違われてオオカミに連れらさられたのなら、彼女もまた食べられてしまったのではないでしょうか。パッと見たところ部屋の中には誰も居ないようです。


 ……いえ、寝室へと続くドアがほんの少しだけ開いていました。油断なく構えたままそちらへと入り込みます。


 薄暗いベッドの上には、向こうをむいて寝ている一つの影がありました。


「おばあさん、お見舞いに来たよ」

「あぁ、よく来たね、そばに来て顔を見せておくれ」


 頭夜は少しずつ近寄りながら決まり文句を出していきます。


「おばあさんの耳はどうしてそんなに大きいの?」

「それはね、お前の声をよく聞くためさ」

「それにとっても目が大きい」

「かわいいお前の顔をよく見るためさ」


 すぐ手前まで来た頭夜は、冷や汗が流れるのを感じながら、布団をグッと握り締め最後の質問をしました。


「おばあさんの口は、どうしてそんなに大きいの?」

「それはね」


 答えを聞き終る前に布団を剥ぎ取った彼は、グサリと剣を突き立てました。ところがおばあさんに扮していた誰かが串刺しになることはありませんでした。


 ひらりと飛び上がったその人は、そのまま頭夜のアゴにガツッと蹴りを入れます。そりゃもう強烈な一撃を。


「ッ――!!」

「あれ? お前さっきの?」


 痛みで転がる彼をフシギそうに見ていたのは、あろうことか金魚姫でした。頭夜の頭の中を「なぜ」とか「どうして」といった言葉がグルグルと駆け巡っていきます。


「こんな、ところで、何してるんだ! 何の真似だ!」

「わ、私はただ、何の罪もないオオカミを倒しに来る、極悪非道な青ずきんを倒せとお願いされただけで」

「はぁっ!?」


 その時、ベッドの下からはみ出す、茶色の尻尾が目に入りました。


「……おい」

「きゃあああ!?」


 それを掴んで引っ張り出すと、オオカミがずるずると引きずり出されました。彼は必死に泣きながら謝ります。


「ごめんなさいごめんなさい!! 僕ほんとうはイヤだったのに、ムリヤリおどされてこんな役目を負うはめになって」

「脅された? 誰に?」


 どうにも状況が分からなくて眉をひそめた頭夜は、聞きなれた声にバッと振り向きます。


「おやぁ、もうバレてしまったのかい? これでは試験にならんではないかー」

「ババァーッ!! 全部お前の差し金かっ」


 しっちゃかめっちゃかな状態の中、おばあさんは殴り飛ばしたくなるようなかわいらしい動作で言いました。


「タネ明かしをするとな、ドッキリじゃよ」

「……どういう事だ」

「牛追い祭りか!」

「黙ってろ!」


 トンチンカンな意見を言う姫を裏拳で沈め、頭夜はさらに追求していきます。


「なんだよそれ。だいたいあんなに血ぃ流してなんでピンピンしてる……ってトマトじゃねーか!!」

「適当な血のりが無かったものでのぅ」

「だからなんでこんな無駄な小芝居うった! オオカミまで用意して――」


 激昂しかけた頭夜の前に指をピン、と立てて、おばあさんは真剣な顔をしました。


「頭夜がの、あまりにもだらけて居るみたいだったから鍛え治してやってくれとお主の母さんから言われたんじゃよ」

「母さんが? はた迷惑な……」

「だからオオカミくんにも協力してもらって抜き打ちテストをしたのさ」


 それならば出掛けに見送ってくれたお母さんが、なぜか武装していけと剣を渡したのも納得できます。


「頭夜」

「あ?」


 ペリペリとしつこく貼り付くトマトの皮をはがすおばあさんはズパッと宣言しました。


「不合格」

「何がっ!?」

「貴様の動きを観察させてもらったが、あまりにも鈍い。そこのお嬢ちゃんにも蹴り飛ばされるようでは底が知れるぞ。ワシぁ情けない」

「何キャラだ」

「と、言うワケで未熟な頭夜くんは旅に出るべきじゃの」

「……なんですと?」


 何が「と、言うワケ」なのかは分かりませんが、肝心の本人を置いて話はまわり始めてしまいます。


「そういうワケだ。一緒にお供させてくれはしないかのう。嬢ちゃん」

「おう、いいぞ」

「コラぁー! 勝手に決めるなっ」


 一も二もなく即答した姫に引きずられるようにして、青ずきんは旅立つはめになったのでした。


 ***


「マリア」

「深海の魔女かい?」


 二人が去った後、なんの変てつも無い古ぼけた井戸の中から突然あの美しい魔女の声が響きました。もとより水に属する深海の魔女です。水さえ介せば距離がだいぶ離れていても会話程度ならどこへでも届けられるのでした。


「こんな具合いで良かったかの?」

「多少強引ではあったけど、オーケーよ。結果的には頭夜くんが金魚について旅に出たみたいだし。オオカミくんもごくろうさま」

「まさか部外者の金魚姫が入りこんで来るとはオイラ思いませんでした……」

「はて、弱腰になってその部外者に助けを求めたのは誰だったかのう」


 おばあさんの優しい口調にオオカミのしっぽはビクッと逆立ました。


「さぁ、部屋の掃除をしてきておくれ」

「い、イエッサー!」


 あたふたと部屋の中へ走っていく後ろ姿を見送りながら、おばあさんの顔付きは少し変わりました。


「何が起こっているんだい? 決して交わることが無いおとぎ話の世界が――」

「交錯しているわ。少しずつおとぎ話は統合され始めている」

「…………」


 おばあさんは不安そうに服のすそを握りしめました。それに気づいてか気づかずか、魔女は淡々と続けます。


「しかもあの子たちはその中でも【出来損ない】の主人公たち。話は徐々にずれていくわ」

「いったいヤツは何を考えているんだい!?」


 たまらず叫ぶおばあさんに、魔女はポツリとつぶやきます。


「分からないわ。何が起こるかは……誰にも」

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