46. 来たるべき時5

 リオネルに暗殺者を仕向けていたのは、宰相だった。

 そう告げたレリッサを、父が慌てて振り返った。


「なんだと?」

「…確かに符号が合う」


 パトリスが顎に手を当て、考え込みながら言った。


「シンプトン公爵が宰相になったのが八年前なら…、リオンの元に暗殺者が来るようになったのも、確か八年くらい前のことだ」


 当時、リオネルとパトリスは十六歳だった。


 ハインツ王子の元に生まれた二人目の子供が、王子の死とともに何処かへ消えた。その後を追うことは、筆頭公爵家の公爵である彼には、容易いことだっただろう。

 リオネルが軍の元帥として収まっていることは知っていたはずだ。


 まだ信じられない、という顔をする父とリオネルに、レリッサは説明する。


「そもそも陛下は、ご自身の手でリオン様を殺そうとなさっていました」

「…いかにも。余は、来たるべき時が来れば、自らの手でリオネルを殺すつもりであった。…戦地で死すなら、それはそれで良いとも思ってはおったが。…暗殺者などは仕向けておらん。創始王の瞳を持つ者が、そうやすやすと殺せるものか」


 国王自身がそう証言したことで、全員の顔が宰相に向いた。


「二年前、リオン様がアザリアへ交換派兵されたことで、暗殺は止まります。それは、宰相にとって、戴冠式の夜にリオン様がスタッグランドにいない、ということだけが重要だったからです。そうすれば『呪』は実行されない」


 実際にはセルリアンがリオネルの生存を意識している限り、『呪』は効力を持ち続ける。

 だが国外であれば、すぐに行って殺すということも不可能だ。

 ずっと国外にいてくれれば、自分の安全も担保される。宰相はそう思っていた。


 だが、リオネルはスタッグランドに戻ってきた。

 しかも堂々と夜会に姿を現したのだ。


「暗殺者を差し向けても、返り討ちにあうだけで効果がないことは、宰相も分かっていました。…だから、一計を案じたのですね」


 レリッサは、リオネルを見上げた。


「リオン様、あの書状、お借りしても?」

「え? ああ…」


 リオネルが、胸元から国王の書状を取り出した。


「陛下、この書状、見覚えがおありですか?」


 国王が目を細め、書状を見た。そして首を横に振った。


「あるわけなかろう。余はもう随分と、その手の執務はしておらぬ」

「ですが、ここには国王の印章が押されております」

「ああ…であれば、セルリアンであろう。余の印章は、セルリアンに預けてある故」


 セルリアンに視線が集まる。

 彼は戸惑いながら「確かに…」と頷いた。


「陛下の印章は、私が預かっている。執務を行う際、陛下の代理として押している」


 レリッサは、王宮のセルリアンの部屋を訪れた時のことを思い出す。

 彼は、なんの感慨もなく、次々に書類に印章を押し続けていた。


 そう、中身を確かめることなく。


「セルリアン様。この書状には、『某日未明。スタッグランド西方国境軍による、テルミツィアへの進攻を強く望む』と書かれてあります」

「…なんだと…!?」


 セルリアンと、そして国王の顔が驚愕一色になる。

 セルリアンはレリッサの手から書状を奪うように取り、視線を落とした。

 その手が、読み進めるにつれ震え始める。


「これは…私は…こんなのは…知らない…」

「ですが、そこには確かに国王の印章があります」

「…国王の印章は、決して偽造できない。特殊なインクが使用してある。それは、誰もが知っていることだ」


 リオネルが、冷たい声でセルリアンに告げた。


「自分が何を承認しているのか、知らなかったのか? 大臣たちが今、何を問題として議論し、何を采配し、どう国を動かしているか」


 セルリアンの目は、書状から持ち上がらない。食い入るように見て、必死に何かを否定するように頭を振っている。

 リオネルは、レリッサの肩を強く握った。


「国は今、荒れている。民が飢え、この王宮の外に詰めかけている。それすらも知らないというのか? ――それでも王族か!」


 びくりと、セルリアンが肩を震わせ、リオネルを見た。


「この国は今、停滞している。王族は王宮に閉じこもり、他国との外交はほとんど行われていない。領主の資質に左右される領地運営によって、領地間の格差は大きく開き、貧しい民への救済は何一つなされていない。知ってるか? 孤児がどれほど溢れているか。医療院が国からの補助が一切得られず、日々、綱渡りの運営を強いられていることは? 一向に識字率が上がらずに、底辺から抜け出せずにいる者がどれほどいることか。知っているのか!?」


 レリッサは、リオネルを見上げた。

 琥珀の瞳が、悲痛な色に染まっている。


 孤児院への援助も、医療院の立て直しも、預かり所を建て子供たちに学ばせることも、どれもリオネルが一人で行ってきたことだ。

 だが、それは本来なら国の役目だった。


「国を見ようともしないで、何が『王』だ! 『王』になりたいなら、民を見ろ! 国を見ろ! 誠心誠意、国のために尽くしてみせろ!」


 セルリアンが震えている。

 リオネルは小さく、細く息を吐いた。自分を落ち着けるためだ。

 そしてレリッサを見下ろした。


「ごめん。話の続きを」

「はい」


 レリッサは頷いた。

 セルリアンはまだ震えている。


「この書状は、国境軍の支部にあったものです」

「…それがどうした。私になんの関係がある」


 宰相がフンッと鼻を鳴らす。


 レリッサは唇を噛み締めた。

 ここからは、確実な証拠があるわけではない。だが、少ない状況証拠で、何としても宰相を落とさなくてはならない。


「この書状。宰相閣下のお手元から、ミルドランド公爵に。そして、ミルドランド公爵から国境軍の元に届けられたものではありませんか?」

「…なぜ私がそんなことをせねばならない?」


 宰相がふてぶてしく言う。


「シンプトン! 貴様…」


 父が宰相をとがめようとするのを、「お父様」とレリッサは押しとどめた。

 宰相の目がレリッサを睨む。


「陛下もセルリアン様もご存知ないこの書状が、どうして存在するのか。それは執務の全てを取り仕切る貴方が用意したものに他なりません。そして貴方からミルドランド公爵にこの書状は渡った…。おそらく、テルミツィア側との交渉材料だったのではありませんか」

「…テルミツィアと繋がっているのか!?」


 パトリスがぎょっとした顔で宰相を見る。


「おそらくですが。…これはミルドランド領が今年政府に提出した収支報告書の写しです」


 レリッサはスカートの縫い目からそれを取り出して、宰相に向かって広げた。


「多額の支出で領の財政は大きく赤字に傾いていますが、出元不明の収益によってかなり補填されています。この収益、ミルドランド領がテルミツィアに借金を依頼して得たものではないでしょうか?」


 領の財政は火の車だった。

 領民に金を貸し付け、その利息を取ったとて焼け石に水だったことだろう。その貸し付ける金すら、ミルドランド公爵は用意するのに苦心したはずだ。

 かと言って、ミルドランド公爵が家財を売って金に変えた様子もない。だが、金は何もないところからは生まれない。政府派は、どこも財政が圧迫していて、国内に多額の融資ができる領地はない。


 となれば。

 土地が接している、他国ならどうだろう。

 ミルドランド領は国境にある土地だ。高台を一つ越えれば、そこはテルミツィアの領地となる。


「これは、テルミツィア側にも旨味のある話です。テルミツィアはずっとスタッグランドの西の国境地…つまりミルドランド領を奪還したいと考えていました。そこは、アンドロアスがテルミツィアを離脱する前は、かの国の土地だったからです」


 どちらが言い出したものかは分からない。

 だが、話の筋はこうだ。


 ミルドランド領は多額の借金が膨らみ、テルミツィアに返済を迫られている。だがそれを返す宛もなかっただろう。なにせ、今年のミルドランド領は近年稀に見るほどの不作だった。

 ならばいっそ、領地を手土産にテルミツィアに参入してしまえば良い。テルミツィアにとってあの土地は、借金を反故にしてでも得たい土地だ。


 スタッグランドからテルミツィアに向けて、予告なく攻撃を仕掛ければ、たとえテルミツィアが負けても、スタッグランドにはテルミツィアに負い目ができる。それを交渉材料にして、テルミツィアはミルドランド領を手に入れる。


 テルミツィアは借金のカタに、長年取り戻したいと考えていた土地を得る。ミルドランド公爵は借金をチャラにできる。


「…それを提案したのが、貴方ですね。シンプトン宰相」


 宰相は答えない。

 その代わり、父がレリッサを振り返った。


「なぜだ。シンプトンには何に利益もないだろう」

「いいえ。利益ならありますわ」


 そして、レリッサは隣に立つリオネルを見上げた。

 リオネルは戸惑った表情でレリッサを見下ろしている。


「宰相がテルミツィアに要求したことは一つだけ。大将であるリオン様の首を、必ず取ること。宰相は、暗殺者によってリオン様を殺すことが叶わないならば、戦地で多勢に無勢となる中でその首を取ろうと考えたのです」

「…確かに。敵の兵士が一直線に俺に向かってきていたのは、そう言うことだったのか…」

「だが、閣下は総大将だ。この方はすぐに前線に出てしまわれるが、本来なら総大将は陣営の一番奥にいて、そうやすやすと取れる存在ではない」


 父の言葉に、レリッサは頷く。


「ええ。だから、どちらでも良かったのでしょう?」


 宰相が、ピクリと身体を動かした。


「テルミツィアが、リオン様を取れればそれでよし。取れなくても…この状況を作り出せた」


 レリッサは、謁見の間を見渡した。


「この状況…? って、これ?」


 黙って聞いていたエドが首をかしげる。


「そうです。宰相は最初から、これを想定していました。陛下とリオン様が剣を合わせるこの状況を」


 エドが見つけてきた国王の書状。

 それを見たリオネルが、どう動くのか。想像するのは難しいことではない。


 当然、その書状を元に、国王の責任を問うだろう。

 そこで初めて、国王とリオネルが対峙する。


「陛下が勝ち、リオン様が亡くなれば、宰相にとっても最も理想的な展開です。ですがリオン様が陛下を討ち取った場合にも、リオン様を反逆者として捕らえる。…そう言う算段だったのでは?」


 どちらに転んでも、リオネルを排除することができる。

 そうすれば、『呪』は発動せず、宰相の命が脅かされることもなくなる。


「証拠がないだろう。ぺらぺらとそこの娘が話しただけの内容にすぎん」


 宰相は動じていない。

 確かにレリッサの話には、確たる証拠がない。


 書状の匂いから、ミルドランド公爵の責任を問うことはできても、シンプトン公爵までは今一歩届かない。

 何か。何かもう一つ。彼を着実に追い込めるものがあれば…。


 きゅっと唇を噛み締めたレリッサの肩を、リオネルが強く握った。

 レリッサはリオネルを見上げる。琥珀色の瞳が、自信に満ちていた。

 リオネルはふっと笑って、不敵に宰相を見据えた。


「証拠がないと言うなら、事実を知る者に証言させると言うのはどうかな?」

「何を…」


 がこんっと音がした。

 そして軋みながら、再び謁見の間の扉が開かれた。


 ぞろぞろと、人が入ってくる。

 それがいずれも政府の大臣を務める高官たちであると言うことに気づくのに、そう時間はかからなかった。


 先頭に立つのは。


「アイゼルフット侯爵」


 侯爵は、リオネルの前にやってくると胸元に拳を当てて頭を下げ、臣下の礼を取った。


「遅れまして申し訳ありません。殿下」

「…今は殿下じゃない。だが、良いタイミングだ。感謝する」


 リオネルが満足そうに頷いた。


「これはどう言うことだ!」


 宰相が、ここにきて初めて取り乱した。

 それをアイゼルフット侯爵が、冷笑と共に見据えた。


「どう言うこと…とは片腹が痛い。貴方に内政を好き放題にされて、忸怩じくじたる思いを抱いていたのは、何も私だけではない。貴方が今までに積み重ねてきた、不正、横領、権力の私的利用…さぁ、どの証拠から聞き出しましょうかな」


 アイゼルフット侯爵が手を上げる。

 行列の一番後ろから連れてこられたのは、縄を打たれたミルドランド公爵だった。


「貴様!」

「申し訳ありません。宰相閣下」


 ミルドランド公爵が頭を下げて床に崩れ落ちる。

 その身体に縄が食い込んだ。


「…こんな…こんなことは…!」


 宰相が身体を震わせる。

 謁見の間に集まる人々の目が、もれなく宰相に向けられる。


「こんなことが、あってたまるものか! ジング・リング・エヴァン! 近衛たちを解き放て!」


 ジングが杖を振る。

 すると近衛の動きを止めていた力が弱まり、動き出した。リオネルに一直線に向かってくる。


「レリッサ、離れてて」

「はい」


 レリッサは部屋の端にいたディートルとパトリスの元へと駆け寄る。

 マグフェロー公爵を連れたホーリィたちもレリッサたちの元へ退避してきた。

 国王は力なく跪き、セルリアンは呆然と戦いを見ている。

 大臣たちが突然始まった戦闘に動揺を見せたものの、アイゼルフット侯爵が先導して戦闘の邪魔にならない位置に誘導している。


 父とアイザックがリオネルの加勢に向かう。


 近衛たちの目には、光がない。

 ただ戦いを繰り返す人形のようだった。


 ディートルが舌打ちをした。


「リオン! こいつら、あの魔術師団長の使役魔法で動かされてる!」

「お前、どうにかできないのか!」

「こんな趣味の悪い魔法、専門外だよ!」


 そう言いながら、ディートルが玉座の横で成り行きを見ているジングに目をやった。


「お前の主人はそこの国王じゃないのか!」


 それにジングは目をさらに細めて、床に伏す王を見下ろした。


「ええ、本来であれば。私はそこにいる陛下の為に、長年王宮を魔法で彩ってきました。…でもね、実質的なこの国の『王』は、もうずっとこの方だったのですよ」


 ジングが顔を横に向ける。

 そこには、近衛に向かって喚き散らす宰相がいた。


「戦え! 戦って殺してしまえ!」


 近衛が、一人、二人と倒されていく。

 魔法で絶え間なく戦うように使役されていても、蓄積したダメージが確実に彼らの身体を痛めつけて、起き上がれない者が増え始めた。


 これなら、時間をかければ勝てる。

 誰もがそう思い始めた時、どこかで、カタリ…と音がした。


 カタ…カタ…カタカタカタ――


「劔が…」


 恐怖に満ちた顔で、ホーリィが呟いた。


 劔が震え始めた。

 震えながら、次第に国王の方へと移動していく。


「リオン!」


 ディートルが叫んだのと、劔が吸い込まれるように国王の手の中に収まったのとは同時だった。


 マグフェロー公爵を覆っていた光が散る。

 その姿が、国王の前に顕になった。


 国王が俊敏な動きで立ち上がる。

 瞳にはもはや色がない。

 先ほどまでよろめいていたはずの身体は突然活力に溢れて、剣を構えた。


 国王が足を踏み込む。


「公爵!」


 レリッサは咄嗟にマグフェロー公爵の前に飛び出した。


 意思を失った国王の瞳が迫る。

 その瞳から、レリッサは目をそらした。


 ガチンッと甲高い鋼の音がした。


 レリッサが慌てて目を開くと、リオネルの背中が目の前にあった。


「リオン様!」

「レリッサ。マグフェロー公爵を連れて、離れて!」


 リオネルの声音には余裕がなかった。

 ギチギチと剣が震える音が響く。


「公爵、こちらへ」


 レリッサは公爵たちを連れて離れた。



**********



 今までとは比べモノにならない程の剣の重さ。

 国王の瞳には、本人のものではない別の光が宿っている。


「…っく」


 たまらずに剣を滑らせて、身体を引く。

 すると国王は、リオネルには脇目もふらずに公爵のあとを追いかけていこうとする。


「待てっ」


 すかさず国王に斬り込んで、その行く先を止める。

 噛み合った剣と剣が、音を立てた。


 どす黒い血の固まった劔には、もはや鋭さなどどこにもない。

 ただの鈍器と化したそれが、禍々しいオーラを放つ。


「“余の邪魔をするな”」


 発された言葉は、人ならざるモノの声。


 六百年。

 身を裂くような絶望と共に、弟妹きょうだいの命を奪い続けた劔。

 歴代の王の悲痛が剣を合わせたリオネルに流れ込んでくる。


「リオン様!」


 不意に、レリッサの声が響いた。


「劔を、壊してください!」


 迷わなかった。

 リオネルは一旦身体を引き、身体の重さを全てかけて国王の持つその劔へと、剣を叩きつけた。


 劔が根元から折れた。

 固まっていた血がどろりと溶けて、霧散する。


 その途端、強い風が起こった。

 劔を源に出現した風が、謁見の間に吹き荒れた。


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