45. 来たるべき時4

 ホーリィたちと共に、謁見の間に現れたのは、マグフェロー公爵だった。

 出現した途端、つるぎが妖しく震え、国王が公爵に向かって斬りかかった。


 その間に、アイザックが割って入る。


 ガツンッと剣と剣が混じり合う。

 だが劔がカタカタと震え、アイザックの腕を押し戻していく。


「ディートル様」


 レリッサは、アイザックに代わって、自分を守るように立つディートルに声をかけた。


「陛下にのみ、マグフェロー公爵の存在を見えないようにすることはできますか? …確か、存在不認識の魔法…と言うのがありましたよね?」

「よく知ってるね」


 ディートルは少し驚いた顔をすると、「できるよ」と言って杖を構えた。


「ただ、本来は対象の存在を、周囲の人間に認識させないようにする魔法だ。それを特定の個人だけに…なんて注文は、天才にしか受けられない。つまり、僕みたいなね」


 ディートルが杖に手を当て、小さな魔法陣を出現させる。

 青白く光るそれが、マグフェロー公爵の身体を包む。


「…なんだ…?」


 アイザックが声を漏らした。

 国王が繰り出すつるぎが力を失う。震えが止まり、それまでアイザックの剣を押し戻していた国王の腕の力が、急速に弱まった。

 剣に力をかけていたアイザックが、対抗する力がなくなって前につんのめる。


 アイザックは慌てて体制を立て直すと、国王が取り落とした劔を足で蹴り、国王から遠ざけた。


「レリッサ。対象不認識の魔法の持続時間は、そんなに長くない。今回は特に複雑な術式だ。保って三十分」

「わかりました」


 レリッサは頷くと、床にがくりとひざまずく国王に近寄った。


「レリッサ」


 リオネルが制止しようとするが、レリッサは微笑んで首を横に振った。

 国王に寄り添い、その背中に手を添える。


「陛下…。余計な苦しみを与えてしまい、申し訳ありません」

「…そなたが…そなたが呼んだのか…。『あの子』を…」

「はい」


 国王の手がぶるぶると震えている。

 その震えを痛ましい思いで見つめながら、レリッサはマグフェロー公爵に目を向けた。

 公爵は何を考えているのか、ただ無感動に国王を見下ろしている。


「マグフェロー公爵。貴方は――」


 その時。

 謁見の間の扉が軋んだ。

 重たいその扉が開く。


「これは、どう言うことだ!?」


 扉を開いたのは、セルリアンだった。

 セルリアンは、動きを止めた近衛、抜き身の剣を持つリオネル、跪く国王に寄り添うレリッサ、そして玉座の傍に立つ宰相に目を向け、戸惑った表情で謁見の間に入ってきた。


「陛下の私室に行ってみれば、もぬけの殻であったから、慌てて探しに来てみれば。…これはどう言うことだ! 宰相!」

「…侵入者です。殿下。彼らが、陛下に剣を向け――」


 セルリアンがリオネルに鋭い視線を向ける。


「リオネル! どう言うつもりだ! 親族に剣を向けるとは!」

「…俺は、親族だなんて思ったことはない」

「何を…」


 信じられない。そう言いたげにセルリアンが顔を顰めた。

 レリッサは、国王の側から離れリオネルの横に立った。


「セルリアン様」

「レリッサ! 彼の隣は危険だ。リオネルは変わってしまった。国王に剣を向けるような男だ!」

「いいえ」


 レリッサはリオネルに寄り添う。


「私は、ここにいます。ずっと」


 リオネルの手が、レリッサの肩を抱く。

 その光景に、セルリアンが目を見開き、傷ついた顔をした。


「なぜ…」

「この部屋の中で、セルリアン様だけが、何もご存知ないのです」

「…知らない…? 何をだ…」


 レリッサは目を伏せ、そして謁見の間の中を見渡した。

 全員が動きを止め、レリッサの方を見ていた。


「少し。お話をいたしましょう」



**********



 リオネルは、レリッサの細い肩が小さく震えていることに気づいていた。

 微笑んでいるようでいて、表情が固く、ひどく緊張しているように見えた。


 そこにあるのは、ただの緊張か、それとも恐怖か。

 少しでも安心させたくて、肩を抱く手に力を込める。

 するとレリッサは、少しほっとした顔をしてリオネルを見上げた。


「良いよ。聞かせて。君の話を」

「はい」


 レリッサは頷くと、ホーリィとエドが連れてきた老人に目を向けた。


「こちらはセルゲイ・マグフェロー公爵。…公爵位を賜るまでの名は――セルゲイ・ディ・レ・スタッグランド」


 国王陛下の、末の弟君です。と、レリッサは告げた。



**********



 部屋の中がどよめく。

 父も、宰相すらも驚いて、マグフェロー公爵を見ていた。


 そのことにレリッサが気づいたのは、様々な点を結びあわせた結果だった。


「公爵は、六十三年前、陛下が自ら手をかけた、末の弟君です。ですが彼は、死ななかった。生き長らえたのです。…違いますか、公爵」

「…いかにも」


 公爵は小さくうなずいた。そしてアイザックが蹴り飛ばした劔に視線を向けた。


「その劔で、私は、兄上に腹部を貫かれた。だが幸いにして、一命を取り留めたのだ。兄上は残虐な方法でその地位を確固たるものとし、一方の私は王族としての立場を追われ、臣籍降下し、以降マグフェロー公爵と名乗った。…よく気づいたの」


 公爵が片眉を上げる。

 わずかにアクアマリンの瞳が、レリッサのアメジストの瞳を捉えた。


「気づいた理由は、いくつかあります。マグフェロー公爵邸が、その爵位の割に貴族街の端に位置されていたこと。これは比較的新しい家柄であることを意味しています。第二に、マグフェロー公爵の生年と、陛下の末の弟君の生年が同じであったこと。そして、もう一つ」


 絵だ。

 レリッサは、回廊に飾られていた、銀髪の少年が、手押し車を押す黒髪の赤子に手を差し伸べる絵を、最初、セルリアンとリオネルだと思った。

 だが二回目に見たとき、セルリアンとリオネルに重ねるには、二人の年齢差が開きすぎていることに気づいたのだ。

 赤子に対して、少年は十歳くらいに思えた。


 スタッグランド王家は、昔から短命で子の数も少ない。

 短命であるということは、次の継承者が若いうちに王位につくということだ。事実、現国王であるアンドローガは十九歳で王位を継承し、その父親である先王が国王となったのは二十五歳だった。『呪』が国王の命すらも操るのか。それは分からない。

 だが、王位が早いうちに切り替わるということは、他の兄弟が子供を成す前に――つまり、王位継承者が増える前に、兄弟の長子が王位を継承することができるということだ。その分、新たな『王』が手に掛ける人数は減るということになる。


 父から子へ、王位とともに『呪』もまた継承されてゆく。

 おそらく歴代の国王、誰もが弟妹きょうだいを手にかけなければならないことに苦しんだはずだ。

 同じ思いを子に背負わせなくはない。だが、王位継承権を得た長男が確実に大人になれるという保証もないために、止むを得ず弟妹きょうだいを成した。


 だから、スタッグランドの王家の系譜を見ても、六人兄弟姉妹きょうだいというのは他に例を見ないほどの子沢山だった。


「陛下と末の弟君の年齢差は、九つ。過去の王族に、それほどの年齢差を持つ兄弟は存在しません。よって、あの絵は、陛下と末の弟君を描かれたもののはずです」

「その絵が、どう関係あるのだ」


 自身も覚えのある絵について話が及んだことで、セルリアンが興味を持って尋ねた。


「私はその絵から、陛下の末の弟君の髪色が黒であることを知りました」


 そして思い出した。マグフェロー公爵家で見た、マグフェロー公爵の姿絵を。

 今でこそ、公爵は灰色の髪をしているが、元は黒色だった。そして、厚い瞼の奥にあるのは、アクアマリンの瞳だ。


 アクアマリンの瞳は、スタッグランドの王族に縁のある者が持つ瞳の色として、国民に認知されている。レリッサは、最初にホーリィが公爵から贈られた大粒のアクアマリンの求婚指輪を見たとき、それほど違和感を感じなかった。

 マグフェロー公爵は、王族に近しい『公爵』の爵位を持つ。王族の血が臣下の血脈に混じることは、珍しいことではない。王女が生まれれば、当然、王女が降嫁して臣下の血族に入ることもあるからだ。――『呪』について知るまでは、そう思っていた。それが世界の王家では普通のことだからだ。


 だが、スタッグランド国内のことだけで言えば、これは当てはまらない。この国では、例外なく『呪』が実行されてきた。

 つまり、国内に『王族の血縁者』は、どこまでいっても国王とその子供たちしか存在しないということになる。建国以来、誰一人として、臣下の血脈に降嫁した王女はいない。


「つまり、このスタッグランド王国ではアクアマリンの瞳を持つのは王族だけということになります。…それを、なぜマグフェロー公爵が持っているのか…。導き出される結論は、単純なものです」


 マグフェロー公爵は、王族である。


「ちょっと待ってくれ…!」


 声を上げたのはセルリアンだった。


「しゅ…? とか、なんとか…。マグフェロー公爵が、祖父の弟であったからと言って、何が問題なのだ…?」


 セルリアンは戸惑った様子で、頭に手を当てている。

 彼は、『呪』について、何も知らないのだ。


 レリッサは一度目を伏せた。

 これを彼に告げるのは、とても残酷だ。…だが、彼は知らねばならない。


「過去、アンドロアスから続く六百年のスタッグランドの歴史の中で、王の戴冠と共に脈々と受け継がれてきた、悪しき習慣が、王家にはあります」

「それは…?」

「『呪』と呼ばれる力によるものです。『呪』には抗いがたい強制力があり、『呪』が完全に実行されるまで、決して終わることがない」


 レリッサは、かたかたと手を震わせ、顔を覆う国王を見た。

 必死に何かに耐えている。そういう様子だった


「スタッグランド王家にかかった『呪』――それは、戴冠とともに他の弟妹きょうだいの命を確実に奪う。というものです」


 セルリアンであれば、リオネルの命を。

 国王であれば、マグフェロー公爵他、四人の弟妹の命を。


 ディートルが憐憫のこもった目で、国王を見下ろした。


「この六十三年間、公爵への殺意をずっと自分の中で抑え込んできたんだろう。…その精神力に関しては、賞賛に値するね」

「…では、十九年間、陛下が執政から遠ざかっていたのは…」

「もともと、とても執務なんてしていられるような精神状態じゃなかったはずだよ。頭の中に、常に殺人衝動が滞在する。何をしていても。公爵の存在が、この世にまだ生き続けていると意識が知っている以上、決して『呪』は終わることがないからね」


 それでも、十九年前に王太子夫妻が亡くなるまで、国王は必死に自分を抑え込み、執務に向き合い続けた。

 それが、王太子夫妻が亡くなったことで、自分を必死に抑圧していたものが消えてしまったのだ。


 心の柱を壊された。

 国王はヒレリア王妃を語るときそう言った。

 だがそれは、国王も同じだったのだ。


 国王は苦しみ続けてきた。

 己の中にある衝動を必死で抑え込み、どうにかしてやり過ごそうと。

 それもこれも、国王が、弟妹きょうだいを愛していたからだ。


『そなたには決して分からぬ! いがみあっておるならいざ知らず、仲の良い、血を分けた弟妹きょうだいを手にかけねばらなかった、余のこの絶望など! 愛する者の顔が、絶望に染まり! 憎悪に歪む光景など!』


 国王の慟哭。あれは、まさに絶望の現れだった。


「『呪』の発動条件は四つ。戴冠式の夜であること。宰相が告げる言葉。受け継がれてきた劔。そして、アンドロアスの血をひく長男であること。…次代であれば、セルリアン様。貴方です」


 セルリアンが驚愕の瞳で、己の手を見下ろし、そしてリオネルを見た。


「私が、リオネルを…?」


 信じられない。そういう顔だ。


「…公爵が、陛下の末の弟であるという証拠がどこにある! その娘の推察と、瞳の色だけではなんの証拠にもならんっ」


 声を上げたのは宰相だった。

 レリッサは、劔を指差した。


「あの劔が、何よりの証拠です。今、再び公爵にかけた存在不認識の魔法を解けば、劔は陛下の手の中に戻り、今度こそ、公爵の命を奪うでしょう。…試しますか?」


 レリッサの視線を、宰相のペリドッドの瞳が受け止める。

 宰相は奥歯を噛み締めると、言い淀んだ。


「…試すには及ばぬ」


 絞り出すように、国王がつぶやいた。


「今のところ…その娘の言葉は、全て真実である」


 国王の瞳が、セルリアンを見つめる。


「そなたは、余のこの冠を受け取った瞬間から、リオネルを殺さねばならぬという、強い衝動を覚えるであろう。望んでおらぬのに、頭に霞がかかり、意思に反して身体が動く。…愛する者が、殺されていく。それを間近で見なければならない。加えて、それを実行するのは、ほかならぬ自分の手である…」

「そんな…」


 セルリアンがリオネルを見る。


 セルリアンは、おそらくリオネルに対して、未だに兄としての情を持っている。

 だからこそ、シーズン最初の夜会でリオネルを見つけた時、彼はリオネルに声をかけようとしたのだ。

 だが十九年も離れていた弟にかける言葉が見つからずに、直前で声をかける対象をレリッサに切り替えた。

 最初にレリッサを王宮に呼んだ時も、彼はリオネルの恋人から、リオネルのことを知りたくて、レリッサを呼んだのだ。


「だが…そんなことはさせはせぬ!」


 国王がリオネルを睨む。


「セルリアン! 余が、そなたの心を守ってみせようぞ!」


 国王がむくりと起き上がり、劔に向かってよろよろと走り出す。

 だが、近くにいたアイザックが劔を踏みつけた。


「陛下! 申し上げたはずです。陛下が』は、もうかかりません!」


 レリッサの声が謁見の間に響き、国王が立ち止まってレリッサを睨んだ。


「まだである! まだ間に合う! 余がリオネルを殺せば!」

「いいえ! リオン様がお生まれになった時点で、陛下の『呪』は破綻しています!」


 国王が喉の奥から、「ウゥ…」と呻き声を上げた。

 おそらく、国王も分かっている。


「…レリッサ、どういうこと?」


 リオネルがレリッサを見下ろして問うた。


「陛下は、おそらくどこかの段階で、これが『呪』であることに気づかれました。そして、この『呪』を破るため、新たな『呪』を上塗りしようとなさったのです」


 それは、『王家の子供は一人』という『呪』だ。


 国王は、頑なに子供をもう一人儲けようとはしなかった。そうすることで、己と同じ苦しみをハインツ王子に負わせないようにするためだった。

 だが、もしハインツ王子もまた、子供を一人しか儲けなければ。そして、その子供もまた、子供を一人しか成さなければ…。


 元々あった『呪』は二度と実行されないまま、やがて『王家の子供は一人』という『呪』が出来上がる。


 だから、国王はハインツに『呪』について事前に告げたのだ。おそらく子供は一人にせよと告げていたはずだ。


「王家を存続するには、あまりに不安定な『呪』です。王位継承者が常に一人しかいないだなんて、王家が常に存続の危機に晒されているようなものです」


 それでも、国王はその『呪』を望んだ。

 それほどに、己に課された『呪』が重く、苦しいものだったからだ。


「そうだ…。余のこの苦しみ。末代まで続いてなるものか! このような苦しみは、余で終わりにせねばならぬ!」

「それには同意いたします。けれど、何度でも申し上げます。陛下の『呪』は、もうかかりません」

「なぜだ。戴冠式の夜に、リオネルさえいなければ…」


 レリッサは首を横に振る。


「いいえ。『呪』には、その過程も重要なのです。そんな単純にかけられるものではないのですよ、陛下」

「『呪』には、確実な規則性と連続性が必要だ。『王家の子供は一人』という『呪』をかけたいのなら、確実に、王家に生まれる子供は一人でなければならない」


 ディートルがレリッサの言葉を補足する。

 そして彼は、玉座の横に佇む、ジング・リング・エヴァンをちらりと見た。


「どうやら、国王に『呪』について教えた者は、『呪』について大した知識は持っていなかったと見えるね」


 国王が、力なく床に崩れ落ちた。


「では…どうすれば良いのだ…。余は…なんのために…」


 国王のアクアマリンの瞳が、リオネルを見る。

 初めて、その瞳に、憎しみ以外の感情が乗る。


「…なんのために…」


 国王は、リオネルが生まれた瞬間から、いずれは自分が彼を殺さなければならないと、決意して生きてきた。

 だが、リオネルが持つ、創始王の瞳を言い訳にして、その時を少しずつ後回しにしていった。

 口で言うほどには、国王はリオネルに対して非情になりきれなかったのだ。


 レリッサはリオネルの顔を見上げる。

 国王の瞳を見つめ返す、その琥珀の瞳が何を思っているかは分からない。


「レリッサ、時間がないよ」


 ディートルがちらりと公爵の方へと視線を向けた。

 存在不認識の魔法が切れれば、国王は再び公爵に斬りかかる。それは阻止しなければならない。

 レリッサは再び口を開いた。


「公爵」


 国王を見つめていた公爵の顔が、レリッサの方を向く。


「陛下に毒を盛っていたのは、貴方ですね」


 ざわり、と謁見の間の空気が揺れた。

 公爵の両脇に立っていたホーリィとエドが、公爵からわずかに身体を引いた。


「…いかにも」


 公爵は隠し立てするつもりなどないようで、あっさりと頷いた。


「そしてそのことに、陛下…陛下も気づかれていたのではありませんか」


 国王が顔を持ち上げ、そして、頷いた。


「そうである。余は…気づいていた。余を、深く憎む者…。毒を盛って尚、憎んであまりある者。それがセルゲイであると」


 公爵と国王の、同色の視線が交錯する。

 そこにあるのは、一方には愛情、一方には憎悪。


「六十三年前、陛下が戴冠された時、公爵は十歳でした。きっと、それは恐ろしいことだったでしょう」


 レリッサの言葉に、公爵は口元を歪めた。


「恐ろしい、などという言葉ではぬるいわ。地獄である。慕って止まぬ兄が、次々と他の兄姉きょうだいほふっていく。足元には血が溜まり、兄姉きょうだいの叫び声と、劔が肉にめり込む音が耳から離れぬ。私は、私を守らんとする姉のおかげで、一命をとりとめた。…兄上は、姉の身体ごと、私を貫いた」


 わかるか? と公爵は周囲を見回した。


「この王宮で! 私たちは何不自由なく、仲良くやっておった! それが一晩にして、残忍な殺人者の手で一変した! さらに、その殺人者が血を分けた兄であるという事実! …私は、兄上を憎んだ。憎んで、憎んで、憎しみによって命をとりとめた」


 公爵はずっと国王を憎み続け、だが、幼い故に、どうすることもできなかった。

 そしてやがて、公爵は生涯の伴侶を得る。


 仲の良い夫婦であったのだろう。あの応接間に飾られた肖像画。後妻にと、容姿の良く似たホーリィを求めたことからもわかる。公爵はホーリィに妻を重ねて見ていた。


「その奥様は、昨年、亡くなられていますね」

「…よく知っておるの」

「最新の貴族名鑑に、奥様の没年が書かれておりましたので」


 それがきっかけになった。

 愛する妻が亡くなったこと。それが、公爵が再び憎しみを深くする原因になった。他に行く当てのない寂しさが、憎悪となって国王へと向いた。


 そして。

 レリッサは宰相を見る。


「公爵お一人では、どうしても王宮の奥にいる国王に毒を盛ることはできません。…そこで、公爵は宰相に囁いたのです」


 ここからは、レリッサの想像だった。

 だが、当たらずも遠からずだと思っている。


「『このまま国王が生き続ければ、王太子はまだまだ結婚を先延ばしにするだろう…。そのうちに、そなたの娘の適齢期は、過ぎてしまうのではないかな…』と」


 宰相は、レベッカをどうしてもセルリアンに嫁がせたかったはずだ。

 それが家の繁栄に繋がる上、国王が執政から距離を置く今のスタッグランドでは、宰相が国の実質的な統治者だった。

 そこに、別の家の者が王太子妃となれば、宰相よりもさらに発言力を持つことになる。

 それでは、長年政府を良いようにしてきた己の立場が危うくなる。


 宰相が強く手を握りしめ、顔を歪めた。

 おそらくレリッサの言った言葉は、真実からそう遠くない。


「そして、公爵は毒を盛って国王を殺すことを、宰相に提案したのです」


 毒はどちらが用意したものかは分からない。

 どちらにせよ、宰相は公爵の言葉に乗せられて、それを実行した。


「私は、兄上が苦しめば良いと思った。…私が兄を憎み、苦しみ続けたように、兄もまたできるだけ長く苦しんで死ねば良いと…」


 公爵の言葉は、レリッサの推察を肯定するものだった。


「シンプトン!」


 父が、咎めるように宰相を呼ぶ。だが宰相は憎悪のこもった目で父を見返すだけで、答えない。


 レリッサは話の続きを口にする。

 これだけでは、宰相を降ろすには足りないからだ。


「宰相は、以前から公爵と繋がりを持ってらっしゃいましたね。マグフェロー公爵家には、政府派の家門からの贈り物と思われる工芸品が、山のように飾られてありましたもの」


 マグフェロー公爵家の廊下にごちゃごちゃに陳列された、壺や彫刻などの工芸品。

 加えて、公爵が身につけている、やはり様々な装飾品はいずれも、政府派の領地の特産品だった。

 工芸品にも、その時々の流行が存在する。廊下に陳列された品々を思い返せば、それがかなり古くから贈られ始めたものだと分かる。


 アクアマリンの瞳を持つ公爵。

 確かな出自は分からなくとも、王族に連なる者だということは誰もがその瞳を見れば想像がつく。

 となれば、特別な便宜を図ってもらおうと、政府派の官僚たちがマグフェロー公爵に取り入ったのは想像に難くない。


「シンプトン公爵が宰相になられたのは、今から八年前。宰相になられた時、公爵からお聞きになったのでは? 王室の、忌まわしい歴史について」


『王族はやめておけ。あれはロクな血ではない』


 マグフェロー公爵が、レリッサに告げた言葉だ。

 公爵はおそらく、兄が残虐な方法で自らの地位を確固たるものとした理由に、気づいていたのではないか。

 仲の良い兄弟であったなら、兄の突然の豹変ぶりを訝しんでも無理はない。


 そして、宰相は知ったのだ。

 六十三年前、当時の宰相であるカーライル侯爵もまた、国王の手によって殺されていることを。


「宰相は、やはりそれが『呪』であることを知りました。…ジング・リング・エヴァン様、貴方によって」


 宰相はマグフェロー公爵から告げられた言葉の信憑性を確かめようとしたはずだ。そして彼は、国内で最も力のある魔術師に答えを求めた。それが魔術師団長であるジングだった。


 ジングは、相変わらずその細い目で、何を考えているのか、口元に笑みを浮かべて事態を見守っている。

 自分がレリッサに話しかけられているなんて、気づいていないような素振りで、表情を変えもしない。


「宰相は、自身もまた次代の王となられたセルリアン様に殺されることを、恐れたのではないでしょうか。だから、『呪』が実行されることを、どうしても止めたかった」


『呪』が実行されなければ、宰相が殺されることもなくなる。


 レリッサは、父を見た。

 そして、リオネルに目を向ける。


「ですから、リオン様にずっと暗殺者を送っていたのは、陛下ではありません。宰相なのです」


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