44. 来たるべき時3

「反対だ」


 シンと静まり返るサロンの中で、アイザックが真っ先に口を開いた。

 当然、彼は反対するだろうとレリッサも分かっていた。


「でも、行くわ。リオン様は、陛下と戦ってはいけないのよ」

「危険だ。戦場のど真ん中に突っ込んでいくようなもんだ。言われただろ。閣下に、弱みになるなと」


『レリッサ。俺の弱点にならないで』


 リオネルの声が木霊する。

 けれど、レリッサは引くつもりがなかった。首を横に振る。


「私はリオン様の弱みにならない。だって、貴方が守ってくれるもの」

「…なにを…」


 アイザックが唖然とした顔をする。

 レリッサはふっと微笑んだ。

 思えば、彼がこんなにも表情豊かに感情を表すことなんて、今までなかった。

 レリッサたち兄弟姉妹きょうだいに感化されたのだろうか。だとしたら喜ばしいことだ。


「リオン様は貴方を信頼してる。だから私を貴方に預けているのでしょう? 貴方はそれだけ強いと言うこと」


 過保護なリオネルが、レリッサを預けたのだ。


「貴方なら私を守ってくれる。そうでしょう? アイザック・シンプトン。どうか私を守ってください。貴方のその剣で」


 アイザックの顔が朱に染まる。その顔を彼は手で隠した。

 指の間から、声が漏れる。


「…っとうに、手に負えないな、お前は…!」


 彼は赤く染まった顔をなんとか収めると、「分かったよ…」とつぶやいた。

 レリッサはふふっと笑う。


「いかがでしょう? ディートル様」

「良いよ。君が望むなら、いくらでも」


 ディートルはハナから反対する気はないようで、手をくるりと回してそこに杖を出現させた。


「ちょっ、ちょっと待て!」


 だがそこにパトリスが割って入った。


「何言ってる!? 反対だぞ、僕は!」

「お兄様」

「アイザックも、何陥落させられてるんだ!? もしかしたら今頃斬り合いをしてるかもしれないんだぞ!? そんな中に突っ込んでいって、何かあったらどうする!? ディートルも、レリッサの頼みを何でもかんでも聞くんじゃない!」

「…僕は、リオンとレリッサの願いは聞くけど、パトリスの願いは叶える気がないんだよねぇ」

「お前に振った僕が悪かったよ!」


 とにかく、とパトリスはレリッサの肩を掴んだ。


「絶対にダメだ」


 パトリスの瞳の奥には、レリッサを心の底から案じている様子がうかがえる。

 それでもレリッサは、今はそれに応えることはできない。


「お兄様。これがおそらく唯一の機会なのです」

「…唯一の機会?」

「はい。リオン様が玉座を手に入れようとするこの時が、政府派の膿を出し切る最初で最後の機会です」


 パトリスが黙り込む。


「シンプトン公爵とミルドランド公爵。このお二人の奸計かんけいを炙り出してみせます」

「…何かに気づいてるんだな」


 レリッサの、決して引く気がないという強い瞳の力に、パトリスの手が肩から離れる。


「それを、僕がリオンたちに伝えるんじゃダメなのか?」

「…私も、確証があるわけではないんです。それに…今はまだ、上手く言葉にできなくて」


 行って見て初めて確証が得られる。

 そんな曖昧な話だ。


 パトリスが葛藤しているのが分かった。

 だが結局、何かを決意したように小さくうなずいた。


「分かった。…ただし、僕もいく」

「…足手まとい…と言いたいとこだけど、そう言うやり取りしてる時間ももったいないね。せいぜい、レリッサにぴったりくっついとくことだ。そうしたら、二人まとめて、彼が守る」


 彼、とディートルが杖の先でアイザックを示した。


「お前は?」

「僕? 僕は自分のやりたいようにやる」

「…そうかよ」


 アイザックが嘆息する。

 ディートルが杖を回す。「良い?」とレリッサとアイザック、パトリスの顔を見た。

 それを、レリッサは止めた。


「ディートル様。もう一つお願いが」

「なに?」


 レリッサは、ホーリィとエドの顔を見た。



**********



 リオネルは剣に手をかけ、鞘から抜き去った。剣身が天井のシャンデリアの明かりに、鈍く光る。

 リオネルが剣を抜いたことで、リオネルたちを囲んでいた近衛が一瞬ひるんだ。いかに裏切ったとて、リオネルの強さを彼らも知っているのだ。


「引くな! 戦え!」


 宰相のその言葉を合図に、近衛がリオネルたちに斬りかかってくる。

 元は軍の兵士だ。傷つけるのは本意ではない。繰り出される剣の先を、刃で受け流しながら、胴体に拳や足裏を打ち込んで、して行く。

 だが致命傷には程遠く、すぐに回復して再び襲ってくる。

 キリがなかった。


 斬り合ううちに、近衛の顔に覚えがあることに気づく。


「そうか…。お前たち…クーデターの…!」


 二ヶ月前、リオネルたちの意思に反して、リオネルを早々に王位につけようと、クーデターを画策していた兵士たちだった。

 彼らは顔色ひとつ変えることなく、リオネルに攻撃を仕掛けてくる。


(どう言うことだ…)


 彼らは、リオネルを信奉しているが故に、事を焦ったのではなかったか。

 だが、リオネルに剣を向けてくる彼らに、その気配は感じられない。

 軍を解雇され、憤りが憎しみに転じたのだろうか。


 八方から斬り込んでくる剣先を、躱しながら攻撃を打ち込んでいく。

 だがリオネルは、唐突に背中から殺気を感じて、本能で身体を反転させた。


 振り上げた剣が、ガチンッと噛み合う。


「そなたの相手は、余である」

「国王っ」


 その細腕のどこにそんな力があるのか、噛み合った剣に力を込めても、押し戻すことができない。

 落ち窪んだ眼窩に、アクアマリンの瞳が興奮を宿して輝く。


「俺は、戦いに来たわけじゃない! 話し合いをしに来た!」

「世迷言を! 玉座を奪おうという者に、大人しくほだされる『王』がいるものか!」


 リオネルが力づくで押し通せば、国王は無事では済まない。

 仕方なく、一旦剣を引き、リオネルはたたらを踏んで下がった。


「余の椅子は、セルリアンのもの! 一国の長子がこの椅子に座るのが、アンドロアスから続くこの王家の伝統である!」

「そんな血塗られた伝統に何の意味がある! 今、玉座に座る者を交換しなければ、『しゅ』は永遠に続く!」


 劔が重いのか、国王はだらりと劔を引きずりながら一歩、また一歩と近づいてくる。


「『呪』…これはそう言うのか。良いことを知った」

「…何を」

「まさに呪い! 余のこの苦しみが! 玉座を交換する! たったそれだけで、終わりを迎えるなど!!」


 国王が床を踏み込む。

 足元は裸足で、老いて久しいと言うのに、一気にリオネルとの間合いを詰め、剣を振り下ろした。

 リオネルは、その剣を受け流す。

 斬り結びながら、少しずつ後退して行く。


「『呪』を終わらせるには、王位継承の順を一旦変えるしかない!」

「いや、方法はある! そなたが死ねば良いのだ!」


 ガツンッと再び剣が噛み合う。

 力と力がせめぎ合い、国王がリオネルをぎょろりと見た。


「死ね。リオネル。死ね…。なぜ生まれてきた。なぜ余にこれ以上の苦しみを与える。そなたが生まれてこねば、全てがうまくいったと言うのに…!」

「っ…!」


 それは、強い憎しみの言葉だ。


(なぜ、生まれてきたか…だと)


 そんなことは頼んでいない。

 言うなら、父と母に言えば良い。

 リオネルだって、生まれてきたことを何度も呪った。


 王に疎まれた王子。

 そこにどんな価値がある。どんな存在意義がある。


“リオン様…”


 レリッサの声が、聞こえた気がした。

 リオネルは琥珀の瞳に力が宿るのを感じる。強く国王を凝視する。


(たとえ、疎まれても。たとえ本当に生まれてこない方が良かったのだとしても)


「今更、おとなしく死んでやるものか! 俺には守りたいものがある!」


 噛み合った剣に力を込める。

 力に押し負け、たたらを踏んで下がったのは、今度は国王の方だった。


“リオン様、陛下。そこまでです!”


 不意に、声が降ってきた。

 覚えのある感覚が去来する。予感がして天井を見上げると、そこに風が渦を巻いて、穴が空いた。


「キャァっ」


 上から、見慣れた姿が降ってくる。

 それをリオネルは腕の中に抱きとめた。


「リオン様!」

「レリッサ!?」


 彼女の後ろに、パトリスが尻餅をついて床に落ち、ディートルとアイザックがこちらは華麗に着地した。

 リオネルはレリッサを床に下ろすと、その肩を掴んだ。


「何をしてるんだ!」

「言いつけを守らずに、申し訳ありません」


 レリッサは申し訳なさそうに眉を下げると、「でも」と微笑んだ。


「大丈夫です。リオン様の弱みには決してなりません。アイザックが守ってくれますから」


 あまりに純粋すぎる瞳だった。

 ちらりとアイザックの方を見れば、心底申し訳なそうな顔をしながら、頭を垂れた。

 それだけで、アイザックがレリッサの頼みを断りきれなかったのだと察せられた。


 仕方ない。惚れた女に、あんなに純粋な目で「守って」と言われて、陥落しない男がいるだろうか。…いや、いない。


「…君を守るのは、いつだって俺でありたいんだけど…」


 妬けるなぁ、と心の中でつぶやく。


 リオネルにしてみれば、レリッサには戦いからは最も遠いところにいて欲しかった。

『弱み』にならない、とは本来そう言うことだ。


(…それは後で言い聞かせるとして…)


「来てしまったものは仕方ないね」


 ディートルの表情を見れば、彼が納得してここにレリッサを連れてきたのがわかる。

 レリッサを自分の背後に立たせようとすると、レリッサが首を横に振った。


「いけません。リオン様」


 レリッサは国王に視線を向けた。


「陛下と、決して戦ってはいけません。それでは、本当にリオン様の死を望む者の思う壺です」



**********



 レリッサの言葉に、リオネルは目を見開いた。

 国王は、レリッサたちがやってきてから微動だにしていない。顔は床を見つめ、肩は忙しなく上下している。呼吸が荒い。


 あの弱り切った体で、リオネルを相手にするのだ。

 本来なら既に気力が折れていてもおかしくない。


 それでも決して倒れこみはしない。

 執念と言えば聞こえはいいが、その実は妄執でしかない。


「陛下も、これ以上はおやめください。何も意味がありません」

「そなたに…指図される謂れはない。そなたには話をしたはず。余はリオネルを殺す。そこに立ちふさがるのであれば、そなたも例外ではない!」

「レリッサ!」


 ドンっとリオネルがレリッサの身体を突き飛ばした。

 アイザックがレリッサの身体を受け止め、戦いの邪魔にならない位置に下がる。


 国王が繰り出す剣撃をリオネルが受け流して斬り結んでいく。


「やめさせないと…!」

「待て、あっちもまずいぞ」


 アイザックの視線は、国王とリオネルとは別の方向を向いている。

 レリッサとパトリスは、アイザックの視線を追いかけて、目をみはった。


「お父様!」「父上!」


 父が数十人の近衛を一人で相手していた。

 四方八方から切り込んでくる近衛を、絶え間なく剣で受け流している。

 だが、父を囲む近衛の輪が、ジリジリと狭まっているのがわかった。


 レリッサたちがディートルに連れてこられたのは、王宮内の一室だった。

 とてつもなく広大で、戦いが二ヶ所で行われていても、干渉し合わないほどの広さ。足元に敷かれた赤い絨毯。特別豪華な造りの内装。金の縁取りの施された赤いカーテンは締め切られ、天井は高く、歴史画が描かれている。


 ここが何に使われている部屋なのかは、赤い絨毯を視線で追っていけば分かった。

 玉座だ。

 金色に輝く玉座が、赤い絨毯の先、高い階段を上った一番上に鎮座していた。


 その脇に、レリッサは見たことのある人物を見つけて、隣に立つアイザックの袖を引いた。


「アイザック…あれ」

「…父か」


 シンプトン宰相だった。

 宰相はレリッサとアイザックの姿を見つけると、憎しみのこもった目でこちらを睨みつけてきた。


「ディートル様」


 レリッサは傍らで腕を組み、戦いの成り行きを見守っているディートルを見た。


「加勢をお願いできませんか」

「僕は戦闘員じゃないよ」


 ゆるりと珊瑚色の赤い瞳が、レリッサの瞳を見つめてくる。


(頼み方が違う、と言うことね…)


「では…戦いを止めてください」

「…いいよ」


 そう言うと、ディートルは杖の先でとんと床をついた。

 足元に魔法陣が広がる。魔法陣の形が楕円形に歪んでいく。そして円の先が、父を囲む近衛の足元にまで至ると、ピタリと近衛が動きを止めた。


「…これは!」


 父が驚愕に目を見開き、やがて魔法陣が終息していく動きを目で追い、レリッサたちに気づいた。


「レリッサ! パトリス! お前たち、何をしている!!」


 父が目を吊り上げてレリッサたちに駆け寄ってくる。

 とても怒っている。

 その様子にパトリスが一歩後ずさった。


「も…申し訳ありませ…」

「セドリック」


 謝ろうとしたレリッサの言葉を、ディートルが遮った。


「奴らの動きは、そう長く止めていられない。叱るなら後にして」


 ディートルはそう言うと、玉座に向かって声を張り上げた。


「ジング・リング・エヴァン! 見ているんだろ! 出てきなよ!」


 ゆらり、と玉座が揺れた。

 次の瞬間、あの、細い目をした、ひょろりと細長いざんばら髪の男が、宰相の隣に立っていた。


「これはこれは、ディートル・マーレ・クライスト。やはり私程度の魔力では、貴方の魔力には抗えませんか…。私の渾身の使役魔法が、こうも簡単に阻害されてしまうとは…」

「何をやっている! なぜ近衛の動きが止まるのだ!」


 隣に立つ宰相が、ジングを叱責する。

 だが彼は表情を変えずに、ローブに手を入れたまま頭を下げた。


「これは申し訳ない。宰相閣下。私はどこまでいっても五魔色の魔術師。十六魔色の使い手には、どうやっても敵わないのです」


 宰相は苛立たしげにこちらを見、まずアイザックに、そして父に視線を向けると、歯茎がむき出しになるほどの憎悪を見せた。


「ラローザ…ぁ! 貴様、どこまでいっても私の邪魔をするつもりか!」

「邪な理念しか抱けぬお前に、何を言われても俺は歩みを止めないぞ。シンプトン」


 父と宰相が睨み合う。


 レリッサはディートルに向かって囁いた。


「ディートル様。『あっち』は…?」

「まだだよ。サマンサの魔力がこちらを捉えられていない」

「…そうですか…」


 レリッサは一度目を伏せ、リオネルと国王の戦いに視線を戻した。



**********



 とっくに息は上がり、剣を持つ腕は震えている。

 それなのに国王は攻撃の手を止めようとはしない。


 噛み合った剣と剣が、国王の腕の震えを如実に伝えて、ガチガチと音を立てる。


「もう限界だ。やめろ」

「…やめるものか!」


 尚も国王はリオネルに力をかけてくる。

 全身全霊、まさにそう言う重さだ。


 一方のリオネルは、先ほどのレリッサの言葉から、攻めあぐねている。


 本当にリオネルの死を望む者の思う壺。レリッサはそう言った。


(レリッサには、何かが『視えて』いる…)


 それをリオネルは決して疑わない。

 だからこそ、決定打になる一撃を与えられないでいる。

 胴体に一撃入れてやれば、呆気なく国王は倒れるだろう。だがこれだけの衰弱ぶりだ。それがただの怪我で済まずに、死に直結してもおかしくない。


(どうする…)


 国王は、もはや劔の重さだけで攻撃を仕掛けているような状態だった。

 呆気なく攻撃をはじき返すと、国王はよろめきながら後ろに下がり、床に片膝をついた。


 劔を支えに、肩で大きく息を吐いている。


「まだである…」


 必死に立ち上がろうとする国王の膝が、ガクガクと笑っている。


「陛下。もうおやめください!」


 レリッサの声が、謁見の間に響いた。


 いつの間にか、近衛は動きを不自然に止め、近衛の相手をしていたはずの将軍は、玉座の傍に立つ宰相と睨み合い、そしてその隣には、いつ現れたのか、魔術師団の団長が立っていた。


「余に…命令をするな…!」


 国王が絞り出すように声を上げる。

 レリッサは首を横に振った。


「いいえ。陛下。もう意味がないのです。リオン様がお生まれになった時点で、陛下がかけようとした・・・・・・・・・・『呪』は破綻しています!」


 シン、と謁見の間が静まり返った。

 リオネルもレリッサが発した言葉の意味を、頭の中で考えようとする。

 だが考え始めないうちに、国王が身じろぎをした。


「まだ…間に合う。リオネルを殺せば…」


 震えながら、劔に体重をかけて立ち上がる。


「まだやるつもりか…」


 リオネルは苦い思いで剣を構えた。

 これ以上の戦いに意味がないことは明白だった。


 国王が、劔を持つ手に力を込めた。

 その時、ディートルの声が響いた。


「来るよ!」


 ひゅるりと風が舞う。

 風は渦を巻いて、宙に浮いた。


 空間に穴が開く。


「間に合ったわ…!」


 レリッサの安堵の声とともに、姿を表したのは。


 サマンサと、彼女を支えるように立つライアン。

 そしてエドとホーリィの間に、白に近い灰色の髪をした、小太りの老人が立っていた。腰が曲がり、杖をついている。


 彼らが現れた瞬間、国王が表情を歪めた。


「…な…ぜっ…!」


 劔を持たない逆の手で、頭を掻き毟る。

 劔が、カタカタと震え始めた。


 国王の手が震えているのではない。


 劔が、震えている。


「なぜ、余の前に現れた! ――セルゲイ!!」


 国王が、突如、ホーリィの傍らに立つ、老人に向かって斬りかかった。


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