41. レリッサと不穏6

「皆様方は、屋敷の中へ」


 レリッサたちの後ろから、外套を羽織ったダンが現れた。


「ダン…。あれは?」


 パトリスが顔を引きつらせながら尋ねる。


「…貧民たちです。物乞いに来たものと思われます」


 物乞い、とは、あまりに生易しい表現に思えた。

 門の外にいる彼らは、施しが得られぬならば奪って見せると、今にもラローザ邸の門を破ろうとしている。

 その攻防は一進一退で、門が軋み、貧民たちが全力で力をかけると、格子の間に隙間ができた。

 その様子から目を離さずに、レリッサはダンに声を掛けた。


「ダン」

「なんでしょうか」

「正直に答えてちょうだい。…これが初めてではないわね?」


 以前、マグフェロー公爵家に行った帰りに、御者のギャランが言っていた。

 貧民たちが、子爵家のあたりを物乞いをしてうろついていると。


 あれからだいぶ時間が経った。その間にも貧民は増え続けている。

 この辺りにも、物乞いがうろつき始めていたのではないだろうか。


 今朝、玄関から入ってきたダンの疲れた様子。

 あれは、度々物乞いにやってくる貧民たちを追い返すのに、苦労していたからではないか。


 ダンは口ごもったあと、「はい」と答えた。


「レリッサお嬢様のおっしゃる通りです。近頃、頻繁に物乞いが…。その度に追い返しておりました」

「どうして追い返したの」


 レリッサはダンを見上げる。

 ダンは首を横に振った。


「お嬢様。ものすごい数なのです。とても相手にしていられません。一度施しを与えれば、彼らは味をしめて、何度でもやってくるでしょう」

「…そうね」


 ダンの言うことはもっともではあった。


 レリッサは空を見上げる。

 大きな雪の粒が、次から次へと降り注いでくる。曇天はどこまでも続いて、今宵は月も分厚い雲に覆われて見えない。

 夜から明日の朝にかけて、雪は降り続けるだろう。


 レリッサは、パトリスとアイザックの間をすり抜けて、外に出た。


「レリッサ!?」

「お兄様たちはどうぞ中へ。ダン、屋敷にある全ての毛布を用意して。倉庫に備蓄用の食料があったでしょう。それも持ってきてちょうだい」

「お嬢様!」


 ダンがレリッサを非難するように声を上げた。


「いけません! 申し上げたはずです! 一度施しを与えれば、彼らは何度でも参ります!」

「それでも」


 レリッサは、ダンを見つめ返す。

 その横に立つ、アイザックやパトリス、ホーリィたちが、信じられない、と言う顔をしている。


「今、この雪の中で彼らを助けないのは、非人道的だと私は思うわ」

「何人いると思っているのです! キリがありません!」


 ダンが叫ぶ。

 レリッサはすっと目を伏せた。


 リオネルならどうするだろう、と考える。

 そうしたら、答えは一つしか出ない。


 目を開くと、レリッサはきっぱりとした口調で言った。


「キリがないからなんだと言うの。今、この人たちを助けなければ、彼らは寒さと飢えで死んでしまう。明日のことは明日考えましょう。今、彼らに手を差し伸べなければ、次に救う機会は来ないのよ。今、目の前にいる彼らを救わなくて、他の誰を救えると言うの」


 ダンの瞳が、迷いで揺れる。

 その間にも、レリッサの後ろでは、貧民たちの怒号が響いている。


 意外にも、先に動き出したのはパトリスだった。


「ライアン、サマンサおいで。毛布を取りに行くよ」

「兄さん!?」「兄様!?」


 続いてアイザックが、隣に立っていたホーリィを見下ろす。


「倉庫はどこだ。案内してくれ」

「アイザック様!?」


 嘘でしょ、とホーリィが叫ぶ。

 パトリスとアイザックがレリッサを見た。


「僕たちは、レリッサに従う」

「あそこにあるのは、閣下の意思だからな」


 そう言うと、パトリスは戸惑った様子のライアンとサマンサを引っ張って、屋敷の中へと入っていく。


「…もうっ、分かったわよ! こっちよ、アイザック様」


 ホーリィが肩にかけていたストールを身体に巻きつけて、屋敷の外にある倉庫へとアイザックを連れ出した。


「お嬢様…」

「…勝手なことをして、ごめんなさいね。ダン」


 レリッサはダンに背を向けて、門に向かって歩き出した。


「お嬢様」


 使用人の一人が、レリッサに気づいて押しとどめようとする。


「良いの。通して」


 それをレリッサは首を横に振って制して、使用人たちの間を分け入って、門へと近づく。


「お嬢様」

「レリッサお嬢様…」

「いけません、お嬢様…」


 使用人たちが口々にレリッサを止めようとする。

 その一つ一つにレリッサは微笑みで返事をする。


 使用人たちが、レリッサの行く道を開けていく。

 門に殺到していた貧民たちもまた、様子が変わったことに気づいて、怒号を上げることをやめていた。


「皆さん」


 レリッサは、門の鍵に手をかけた。

 門の格子の向こうに、やつれた様子の老若男女様々な人々の顔がそこにあった。こんなに寒いのに、身体にまとうのは薄い布を重ねたような服一枚。靴はどこへやったのか、素足の子供もいる。


 レリッサは、こちらを、期待を込めて見上げてくる子供に少し微笑んでから、門の外にいる人々に話しかけた。


「今から門を開けます。…私が今お約束できるのは、一晩です。この一晩、皆さんに暖かい毛布と、お食事をご用意します。でも、ごめんなさい。明日のことは約束できません。うちにも、そんなに食料がたくさんあるわけじゃないんです。…それでも良いですか?」


 門の向こうの人々が、顔を見合わせた。

 そして、先ほどの勢いが嘘のように、おずおずと頷いた。


「い、いいっ」

「それで良い!」

「頼む。子供がもう腹をすかせて死んじまいそうなんだ!」


 レリッサは、門の鍵を引く。


「どうか走らないでください。ゆっくりと、歩いて中に入ってください」


 レリッサが門に手を掛けると、横から使用人たちの手が伸びてきた。

 横を見ると、侍女や侍従、そして料理人たちが、優しく微笑んで、重たい格子の門を開けるのを手伝ってくれた。


 敷地の中に、人々が足を踏み入れる。

 初めて立ち入る貴族の敷地に、彼らは一瞬空腹を忘れたのか、きょろきょろと辺りを見回している。


 パトリスと双子が、腕に毛布を抱えて屋敷の外に出てきた。それを見た侍女たちが、屋敷の中へ駆け戻って、やはり腕に抱えられるだけの毛布を持ってやってくる。

 裏の倉庫から、アイザックとホーリィが備蓄の食料を抱えてやってくると、それを見た使用人たちが、残っている食料を出そうと倉庫へと駆け出していく。

 料理長は、せめて暖かいスープを、と料理人たちを引き連れて厨房へと戻っていった。


「毛布をどうぞ」

「パンは足りてるか?」

「慌てないで。まだあるから」


 レリッサたちは手分けをして、毛布や備蓄のパンを配っていく。


「お嬢様」

「マリア」


 一通り配り終えると、マリアがレリッサの外套を持って側に立っていた。

 顔つきは呆れ顔で、それでも「仕方ない」と言いたげに笑って、レリッサの肩に外套をかけてくれる。


「まずはご自身の心配をなさってください。お嬢様が風邪を引かれては、救える者も救えませんわ」

「…ありがとう」


 外套に腕を通して、レリッサはまた人々の元へと戻っていく。


 人々は今、玄関ホールから外へとはみ出して、毛布でようやく暖を取っている状態だった。

 受け入れたものの、この寒空の下、外で寝かせるわけにもいかない。

 だがどう考えても部屋の数は足りていなかった。


「レリッサ、どうする? サロンと食堂の机をどけようか?」

「それでも足りないんじゃないか」


 パトリスとアイザックが、指示を求めてレリッサの元へとやってくる。

 レリッサは考え込みながら、人々に目を向けた。


 ようやく温もりに触れて、ほっと緩んだ表情。

 空腹が癒えると顔つきまでが変わって見えて、そこにいたのは、みんながみんな、素朴で善良な人々だった。


 レリッサの近くで、男の子が目をこすっていた。

 年の頃は五歳くらい。たった一人でいる。


「あなた、お母様かお父様は?」


 レリッサは毛布にくるまって今にも眠ってしまいそうな男の子に近づいた。

 男の子は、小さくあくびをしながら首を横に振った。


「いないよ。僕、一人で来たの」

「ご両親は今は、どこに?」

「死んじゃった」


 男の子は、何の感慨もなくそう言った。

 レリッサも、後ろで聞いていたパトリスたちも、その言葉の重さに黙り込む。


「パパはミルドランドで。借金が払えなくなって、領主様に鞭打ちの刑にあったんだ。それで死んじゃった。…ママは、一緒に王都まで来たけど、この前の雪で、僕を抱きしめて…」


 それ以上を、彼の口から言わせるわけにはいかなかった。

 レリッサは男の子に手を伸ばして、自分の腕の中に収めた。とても細い、軽い身体だった。


「話してくれてありがとう。…今は安心して眠ってちょうだい」


 とん、とん、と肩を叩いてやると、男の子がうっとりと目を閉じた。

 いつの間にか、視線がレリッサと男の子に集まっていた。


「…うちもおんなじだ。じい様が、借金が払えなくて…」

「うちは借金のカタに、畑丸ごと取られちまったよ…」

「私も、旦那が…」


 ぽつり、ぽつりと、人々が自分たちの話をしていく。

 聞けば、ここにいるのはミルドランド領の領民たちが多かった。他にもちらほらと政府派の領地の名前が聞こえてくる。


「借金…か」


 パトリスが少し考え込む様子で顎を指で撫でた。


「ねぇ、それよりどうするつもり?」

「…ディートル様」


 サロンからディートルが出てきた。

 彼は今までずっとサロンで変わらずお茶を飲んでいたのだ。

 これにはサマンサがムッとした顔をした。


「あんたね、ちょっとは手伝いなさいよ!」

「何でさ。見た所、手は足りてるみたいだし? それに、僕の仕事はそれじゃないからね」

「…じゃあ何だって言うのよ」


 サマンサが憮然とした顔をする。

 ディートルはくるりと手を回転させて、杖を出現させた。


「レリッサ」

「はい」


 ディートルは、レリッサの目の前にやって来ると、杖を支えにしてかがみこんで、レリッサの目を見つめた。

 珊瑚色の赤い瞳が、レリッサを意味深げに見ている。


「君にも、僕の使い方を教えてあげるよ」

「…使い方?」

「そう」


 ディートルは杖を支えに立ち上がり、「ついておいで」と言った。

 ディートルはそのまま玄関を出ようとしている。レリッサは腕に抱えた男の子を、アイザックに預けて、ディートルの後を追って外に出た。

 彼は迷わず庭園へと向かっていく。


「何をしようって言うの?」


 サマンサがレリッサの隣に並ぶ。気になって追いかけてきたのだろう。

 庭園の中程でディートルが立ち止まった。


「要は、彼らが一晩過ごせれば良いんでしょ?」


 ディートルはそう言うと、とん、と杖で地面をついた。

 その途端、青白い魔法陣がディートルの周りに出現した。


 光が魔法陣から漏れ出して、地面を滑るように広がっていく。

 やがて庭園の端に行き着くと、光は上へ上へと伸び、やがてすっぽりと庭園を包み込んだ。

 ドーム状の、淡い光の幕が庭園を覆っている。


「…暖かい…」


 先ほどまで、ピリリと肌を刺していた空気が、ほんのりと暖かみを帯びている。


「このドームの中は、春だ。春の夜なら、外で寝てもいいんじゃない?」


 冬の冷気にさらされて萎んでいた芝生が、春の温もりに触れて元気よく青々とし始める。芝生が身体を受け止めて、地面や床に寝るよりはずっと、良いベッドになるだろう。

 雪もこのドームの中には降り注がない。


「…やるわね」


 サマンサが心底感心した表情をする。

 レリッサは微笑んでディートルを見た。


「ありがとうございます。ディートル様」

「これくらい天才魔術師には大したことじゃないんだよ。君は、僕に願えばいいだけ」


 レリッサはさっそく人々を案内しようと、屋敷の中へと戻っていく。

 その後にサマンサも付き従い、庭園にはディートル一人になった。


 ディートルはふっと手のひらに息を吹きかけた。

 吐息が光を持つ。

 やがてその光が、鳥の形をとり、ディートルの人差し指に止まった。


「リオンのところへ行け。王サマのいるべき場所は、戦場じゃない。――玉座の中だ」


 鳥がディートルの指から飛び立つ。

 庭園を包む光の幕をすり抜けて、やがて消えて行った。



**********



 白が舞う。

 足元には降り積もった雪。踏みしだかれて、靴の跡が残っている。

 リオネルは暖かい天幕から出た。中にはエドと将軍がいる。つい先ほどまで、エドが入手してきた国王の書状を確認していたところだった。


(…間違いなく本物だった)


 国王の印章は特殊なインクで押されている。

 それは複製不可能なもので、偽造すれば、分かるものにはすぐ分かる。


 国王が、リオネルたち軍の本部を無視して、勅命を下したこと。

 テルミツィアに攻撃を仕掛ける。それだけを指示したこと。

 不可解なことばかりで、狙いがなんだったのかが分からない。


 準備も十分にされないまま、大義名分もなくテルミツィアを攻めて、痛手を食らうのはスタッグランドの方だ。分かりきっている。

 今頃、外交部ではテルミツィアとの交渉でてんやわんやだろう。


 リオネルは、はぁ…と息を吐き出した。

 吐息が白く染まり、やがて霧散していく。


 戦況は、スタッグランドの勝利だった。

 これ以上は無理だと判断したのか、夕方を前にしてテルミツィアは軍を引いて行った。明日には軍の支部を奪還する予定だが、そう苦労することなく取り戻せるだろう。

 そもそも、テルミツィアは全戦力を送ってきた訳ではなかった。兵力の差は歴然だったのだ。


 このあとは、戦場となったミルドランド領を復興していく作業に入ることになる。


 ミルドランドの領主からは、今回の件は国と軍の落ち度故、復興にかかる資金は全て国庫から出すようにと言う要求があった。

 領民の生活が脅かされたと、補償を行うようにと言う請求もある。

 王都に帰れば、今回の件でしばらく奔走することになるだろう。


 リオネルは後ろを振り向く。

 リオネルの大きな天幕の他に、小さな天幕がいくつも荒野に立っている。中からは、勝利に安堵した兵士たちのささやかな笑い声が漏れ聞こえてくる。


 早く彼らを家族の元に返さなければ、と思う。

 一人一人に、待ち人がいる。


 きらり、と視界の端で何かが光った。

 目をこらす。

 近づいてくる。


 雪の降る中、一直線にこちらに向かってくるのは、光り輝く鳥だった。


「これは…ディートルの…」


 鳥はリオネルの目の前で羽ばたいて、やがて消えた。

 その瞬間、脳裏に王都のラローザ邸が映る。


『王サマ。戻っておいで。機は熟した』


 頭に響く、ディートルの声。

 その間にも、ラローザ邸の様子が頭の中に入り込んでくる。


 押しかける貧民たち。

 今にも破られそうな門扉。


(…レリッサ…!)


 リオネルは身体を翻し、天幕に飛び込んだ。


「エド、将軍、王都に戻るぞ」


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