28. レリッサの葛藤7
サロンに入ると、レリッサはいつもの自分の席に下ろされた。
|兄弟姉妹(きょうだい)はそれぞれ決まっている席に座り、父が普段座る、サロンの一番奥の安楽椅子には、父に促されてリオネルが腰掛けた。
ラローザ家のサロンは、伯爵家の屋敷に相応しく、それなりの広さがある。だがそれでも、家族に加えて、客人であるリオネルとエド、アイザックが部屋に入ると、途端に狭く感じられた。
普段は家族が団欒を過ごす部屋なので、余分な椅子がない。椅子を用意しようとしたダンに、エドやアイザックが断りを入れている。
父がダンに目線で何か合図をした。
「ダン」
「承知しております。我々はしばらくサロンには参りませんので、何かありましたらお呼びください」
ダンはそれぞれにお茶を給仕して、そう言って下がっていった。
アイザックはお茶も辞退して、サロンの一番隅で、後ろに腕を組んで直立不動で立っている。一方でエドは、壁に寄りかかって、立ったままお茶を飲んでいるのが、いかにも対比的だ。
父はリオネルの少し後ろで、控えるように立っている。
「さて」
そう言って、リオネルがゆったりと足を組み直し、椅子に座り直した。
その瞬間、ぴりっとした緊張感が、サロンに満ちる。
エメリアやアイザック、父が途端に表情を固くしたことで、レリッサはこの空気が、リオネルが軍で醸し出す、普段の姿なのだと悟った。
ホーリィやライアン、パトリスも、どことなく緊張した面持ちになって、場の支配者が、屋敷の主人であるはずの父ではなく、リオネルなのだと、誰もが理解する。
レリッサが、時折リオネルに感じる、圧倒的な存在感。これは、まさにその現れで。
生まれながらの王族。
つまりは、そう言うことだった。
「まずはそうだな…。昨日の事情説明をしよう。将軍」
リオネルに促されて、父が口を開いた。
「昨日のお前たちを襲った野盗だが、夜通し全員の尋問を行なった結果、ある貴族からの依頼であることが判明している」
レリッサは、野盗たちの言動を思い出す。
確かに彼らは、何か目的を持ってレリッサを傷つけようとしていた。
「その貴族と言うのが…」
ちら、と父が視線をサロンの隅に動かした。
「シンプトン公爵。父であります」
答えたのはアイザックだった。
驚いて彼の方を見たのは、レリッサだけではない。ラローザ家の
パトリスが苦々しげに顔を歪めた。
「シンプトン公爵ですか! 今頃になって、うちを貶めようと言うわけですか」
「違うんだよ、パトリス」
念頭にあったのは、シンプトン公爵家とラローザ伯爵家の積年の確執だった。
だがそれをリオネルが否定した。
「違う? だけど、シンプトン公爵がうちを狙う理由なんて…」
「シンプトン公爵は、君たちラローザ家を狙ったんじゃない。…レリッサを、狙ったんだ」
リオネルの目が、気遣わしげにレリッサを見た。
「昨日、俺が君をすんでのところで助けることができたのは、彼が知らせに来てくれたからだ」
彼、と、リオネルはアイザックをさして言った。
アイザックがレリッサの方に一歩進み出た。
「俺の父親は、姉を王太子妃にするため、お前を襲うように指示したんだ」
「だって、私を襲ったって…」
レリッサを襲ったからって、レベッカが王太子妃になれる訳ではない。
戸惑っていると、エドが口を開いた。
「でも、王太子がお嬢様を気にかけてるのは事実なんだよねー。この前の夜会の後、シンプトン公爵に、王太子から正式に抗議の手紙が届いてる。結構、強めの文言だったみたいだよ。それで、公爵は焦ったわけだ」
「そうだ。父は、他でもないラローザ家の人間が王太子に気に入られていることも気に食わなければ、姉が王太子妃になれない可能性が出てきたことにも、焦っていた」
だから、レリッサを襲わせた。
リオネルがうなずいた。
「これは表沙汰になれば、立派な醜聞だ。野盗に襲われた令嬢となれば、確実に王太子妃候補からは外される。もし表沙汰にならなくても、十分警告になる。だから、シンプトン公爵は、あえて、野盗を使ったんだ」
野盗はならず者の集団だ。守秘義務などまるで期待できない。その証拠に、軍の尋問でもあっさりと証言した。
だが、だからこそ、シンプトン公爵は野盗を使ったのだ。
「依頼主がシンプトン公爵であると知れても、問題ない。…いや、むしろ都合が良い。たとえ依頼主がわかっても、こちらとしては問題が問題なだけに、表立って糾弾はできないし、王太子妃候補を降りなければ、今後も同じような目に合うという警告の意味も伝わる…ということですか」
「そういうことだ。だから、この件に関して、シンプトン公爵の罪を問うことはできない」
パトリスの解釈に、リオネルが肯定を示した後、そう言った。
そんな! とパトリスが叫ぶ。
「このまま罪に問わずに、なんの咎めもなく野放しにするんですか!?」
「仕方がないんだ。シンプトン公爵は宰相だ。それほどの大物を捕らえようと思うと、絶対に理由を公表しないわけにいかなくなる。そうなると、自ずとレリッサのことが表沙汰になってしまう。…たとえ未遂でも。人の口と想像はいくらでも働く。未遂が、いつの間にか人の認識の中で、そうでなくなってしまうことだって、十分あり得るんだ」
リオネルは、申し訳なさそうにレリッサを見た。
「ごめんね、レリッサ。そのうち、別件でシンプトン公爵を捕らえて、絶対に罪は償わせるから。ちょっと待っててくれるかな」
「シンプトン公爵、叩けばいくらでも埃は出てくるだろうしね」
息子の前でなんだけどさ、と言いながらエドがウインクをして言った。
「いいえ」
レリッサは首を振る。
「そもそも、私がミルドランド公爵家の夜会で、レベッカ様に口答えをしなければ良かったのです。私が我慢していれば…」
レリッサがあの時、レベッカに対して反抗していなければ、セルリアンがレリッサたちのそばにくることもなく、レベッカがセルリアンに叱られることもなかった。
全ては、あの時レリッサが、短絡的に行動してしまったせいだ。
「違うよ、レリッサ」
リオネルが椅子から立ち上がった。
そしてレリッサの前まで来て腰を落とすと、レリッサの手を握った。
「君が言ったことは何も間違っちゃいなかった。君は正しいことを口にしたんだ。あの屋敷を出る前に見た、執事の涙を、君は決して忘れちゃいけない。君の言葉で少しでも救われた者がいるなら、後悔なんてするべきじゃない。何がどうあっても、今回の件は、悪いのはシンプトン公爵なんだから。その非を、君が背負う必要はないんだ」
「リオン様…」
リオネルの琥珀色の瞳が、優しげに細められる。
触れた手から、注がれる視線から、じわりと温かな気持ちが伝わって、レリッサは自然と微笑んだ。
「えーと…お二人さん。話、進めよっか?」
こほんとエドがわざとらしい咳払いをして。
レリッサとリオネルは、ぱっと手を離した。
「…まぁ、それで」
リオネルは席に戻りながら、誤魔化すように言った。
「今後のことだけど。レリッサ、君にはしばらく夜会を欠席して欲しい。表沙汰にできない以上、君の警護にあまり人を割くことはできないし、何より夜会は出入りする人数が多いから、道中も含めて護りにくいからね」
「分かりました」
レリッサとて、どうしても夜会に出たいというような夜会好きではない。なんの問題もなかった。
「それから普段の外出も、必ず護衛を連れて行くように。…将軍、護衛は昨日の怪我でしばらく休養の必要があるだろう。軍から何人か派遣する」
「お気遣い痛み入ります」
父が頭を下げた。
続いて、リオネルはサロンの隅にいるアイザックを見た。
「で、シンプトン曹長」
「は」
アイザックが一歩進み出る。
リオネルは肘掛に肘をついて、父の方をちらりと見た。
「将軍」
「は」
「考えてることは一緒かな?」
「相違ないかと」
父はそう言うと、アイザックを見た。
「アイザック・シンプトン曹長の官位を一階級昇格し、少尉とする。本日付で
「は…」
アイザックが、その口の形のまま、呆気にとられた表情になった。
「ま、待って頂きたい…。自分は、むしろ降格されるものと…」
「君と君の父親は別の人間だろう。君は父親の責まで負うつもりか?」
リオネルが、ふっと笑う。
「君自身が何を悔いているかまで
「…はっ」
アイザックが胸に手を当て、礼を取った。
それを見届けてから、リオネルは考え込むように口を開いた。
「君はしばらく自宅には帰らない方がいいな。今回の件、おそらくお父上の耳にも入っているだろう」
「もとよりそのつもりです。自分は宿舎住まいですし、今回の件があって、父親とは
「アイザック…」
アイザックは、レリッサの方を見て少し表情を緩めた。
「気にするな。お前のせいじゃない。元々、父のやり方には嫌気がさしていた。いつも同じやり方だからな。卑劣で、残酷だ」
アイザックは心底忌々しげにそう言った。
元から折り合いの悪かった親子だったが、今回の件はアイザックにとってそれだけ決定的な出来事だったのだ。
「さて、次の問題だ」
リオネルがすっと、レリッサの隣に視線を向けた。
そこには眠たいのを我慢して、なんとか話に集中しようとしているサマンサがいた。
「サマンサ嬢」
「サマンサで良いわ、
サマンサの言葉に、珍しくリオネルが驚いた顔をして固まった。
その様子に、サマンサはきょとんとした顔をする。
「あら、リオン様は義兄様になられるんでしょ? ほら、その指輪」
それって、そう言うことでしょ? とサマンサは、レリッサの指輪を指差してにこやかに言った。
「えっと…そう、だけど……」
レリッサはしどろもどろになりながら、助けを求めてリオネルを見た。
リオネルは苦笑して、「参ったな」とつぶやいてから、席を立ち、サマンサの前に立ち止まると、サマンサと目線を合わせるために腰を折った。
「君が俺を
「もちろんよ。ずっとそう思ってるわ」
サマンサはそう言うと、レリッサの方を見た。
「姉様があんなに幸せそうに笑ってるのを見られるのは、義兄様の隣だけだもの」
「僕も」
サマンサの隣の席で、肘掛け越しに身を乗り出して、ライアンが痛めていない方の手を挙げた。
「僕も賛成です。姉さんには、義兄さんくらい包容力のある人じゃないと。義兄さん、今度、僕に剣を教えてくれませんか?」
「こら、ライアン。調子に乗るな。閣下はお忙しいんだ」
エメリアがそう言ってライアンをたしなめる。
「良いよ、エメリア嬢。ライアン、今度、時間ができた時にね」
「はい!」
「それで、君は?」
エメリアが、隣に座るホーリィを見た。
ホーリィはにっこり笑って、肩に乗っていた金色の巻き毛を払い落とした。
「あら、私はずっと賛成よ。お姉様は幸せにならなきゃダメなんだから。他にお姉様をこれ以上幸せにできる方がいるって言うの?」
ホーリィはちらりとサロンの隅に視線をやってから、こちらに向き直してにこりと微笑んだ。
「だ、そうだよ。兄上」
エメリアは、そう言ってパトリスの方を見る。
パトリスはホーリィの隣で、
「父上はそれで良いんですか!?」
「閣下以上に、娘を嫁にやるのに相応しい方がいるわけないだろう」
淀みない返答だった。
多少味方になってくれるのを期待していたらしいパトリスは、一瞬口ごもった後、悔しそうに声を絞り出した。
「それでも…僕は認めない」
「兄上」
エメリアがたしなめるようにパトリスを呼ぶ。
だがそれに構わずに、パトリスはぐっと膝の上で拳を握った。
「みんな分かってないんだ。リオンの隣がどれほど危険か。命の危険に怯えながら生活するんだぞ!? リオンは平気そうな顔をしているけど、平気なわけがない! これからどれだけの苦労が待っているか…。僕はそんな思いを、レリッサにさせたくないんだ!」
「お兄様…」
パトリスの、曇りのないレリッサへの愛情だった。
「ありがとうございます。お兄様」
でも、とレリッサは首を振った。
「私は、リオン様と一緒に歩いていくと決めて、この指輪を頂いたのです。命の危険がどれほどのものか、確かによく分かっていないかもしれません。…でも、リオン様が苦労なさると言うのなら、なおさら、その苦労をリオン様お一人に背負わせたくない。共に苦労したいのです。一人で背負う荷物が重くても、二人で背負えば荷物は半分。…そうでしょう?」
レリッサの言葉に、パトリスがぐっと唇を噛んだ。何かを言おうとして、だが口をつぐむ。
その様子を見て、リオネルが先に口を開いた。
「パトリス」
「なんです」
「レリッサのことは必ず守る。確かに、苦労はさせると思うけど」
そう言って、リオネルはパトリスの方に視線を向けたまま、レリッサの手を握った。
「でも、必ず約束する。それでも幸せだと、レリッサに言わせてみせる。…それに」
ふっとリオネルが笑った。
「俺は、その苦労を、できればお前にも分かち合って欲しいと思ってるんだが?」
「あ、俺もお供しまーす」
話を見守っていたエドが、そう言って軽く手をあげる。
「ほら、これで荷物は四分の一だよ。だいぶ軽くなったんじゃない?」
「エド、僕はまだその荷物を一緒に背負うなんて言ってない」
「パトリス」
リオネルが、覚悟を促すように兄の名を呼ぶ。
兄は、ぐっと言い淀んで、それでも言った。
「じゃあ、レリッサの身を守ることに関してはどうするんです! 守るって言ったって、リオンがずっと側に居られるわけじゃないでしょう!」
「それは、それなりにやり方があるさ」
「それはどう言う――「俺が」
不意に、パトリスとリオネルの会話に、割って入る声があった。
サロン中の視線が、そちらに向く。
「俺が守る」
サロンの隅で、話を見守っていたアイザックだった。
「閣下のいない間、俺が守ります。これでも剣はそれなりの腕です。閣下、俺にやらせてください」
「アイザック、ちょっと待っ」
レリッサの言葉を、リオネルが押しとどめた。
「シンプトン少尉。それはどれほどの覚悟かな」
「お望みなら、身を投げ打ってでも」
アイザックが真剣な面持ちでリオネルを見つめる。
ペリドットの瞳と、琥珀の瞳の光が交錯する。
その一瞬を、サロンにいる全員が固唾を飲んで見守っていた。
ふっと、リオネルが息を吐いた。
「…君のその言葉ほど、信用に値するものはないな」
「閣下」
アイザックが初めて、少し姿勢を崩した。
驚いたように目を見開く。
もしかしたら、本当に意見が通るとは思っていなかったのかもしれない、とレリッサは思った。
「そう言うことだそうだ。将軍。さっき言っていた、この家の護衛を派遣する話、一人は彼に。他の人員の選抜に関しては貴方に任せる」
「承知いたしました」
父が頭を下げた。そして持ち上がった視線が、パトリスに向く。
レリッサも、そしてサロンの全員が、再び兄の方を見ていた。
「お兄様」
レリッサは、そっと兄を呼んだ。
きゅっとリオネルが握ってくれる手に、少し力が入る。
それに勇気をもらって、レリッサは口を開いた。
「心配してくださるお気持ち、本当に嬉しいんです。…でも、私は、私の行く道を自分で決めます」
はっきりとしたレリッサの言葉に、パトリスが唇を噛み締めて。
そして、小さく息を吐いた。
「わかった。…わかりましたよ」
パトリスは眼鏡を押し上げて、悔しそうにしながらも笑った。
「リオン。僕も貴方の行く道にお供しますよ。元からそのつもりでしたが…どうやら、貴方のそばから離れられない理由が一つ増えたようです」
「お兄様…!」
レリッサはリオネルと顔を見合わせた。
彼もホッとしたような表情をしている。
すると、「ほら」とレリッサの目の前に座るエメリアが、リオネルに向かって言った。
「言ったでしょう。閣下。兄は結局、妹に甘いのです」
「どうやらそのようだね」
リオネルはレリッサの頭をポンと一撫でして、再び席に戻った。
「話を戻そう。サマンサ」
「はい」
呼ばれたサマンサが、背中をまっすぐに伸ばして返事をした。
眠たそうではあるが、今のやりとりで多少脳が覚醒したのか、先ほどよりは目つきがはっきりした。
「君の魔力暴発の件だけど。あれ、軍としては放置できないんだ」
「あ…」
サマンサの表情が曇る。
「ごめんなさい…」
「咎めてるんじゃない。国防的な話だよ」
リオネルは苦笑いをしながらそう言うと、父の方を振り返った。
「将軍は、彼女の魔力量に関してどれほど把握していた?」
「申し訳ありません。あれほどとは、正直…。父親でありながら、申し開きのしようもございません」
今ひとつ何が問題か判然としない。
レリッサはエメリアやホーリィと顔を見合わせてから、リオネルに尋ねた。
「リオン様。国防的なお話と言うと?」
「うん。あのね、サマンサ。君の魔力は、強すぎる」
リオネルがきっぱりと言い切った。
「スタッグランドでは魔力持ちが少ないから、みんなピンとこないかもしれないが、あれだけの魔力量は、ちょっと普通じゃない。暴発しても、吹き飛ぶのはせいぜい四方二メートルと言うところだ」
それが、昨日のサマンサが放った魔力暴発による衝撃波は、四方十メートル以上を薙ぎ払っていた。
「それを放置してはおけないんだ」
そう言うと、リオネルは「将軍、紙とペンを」と父に向かって手を差し出した。
その手に、父がサイドボードから紙とペンを取り出して乗せる。
リオネルは何事か紙に書き込むと、簡単に折りたたんで、エドの方へと差し出した。
「エド。アザリアの国境へ届けてくれ。三日で」
「三日ぁ!?」
エドが壁から背中を離して、素っ頓狂な声をあげた。
「俺、今朝、帰ってきたばっかり!! しかもアザリアの国境って、乗り合い馬車で一週間かかるんだぞ!?」
「早馬で駆ければ三日で着くだろ」
「早馬でって…。それ、俺に寝るなって言ってんの?」
「帰りは宿に泊まればいい。支払いはしてやる」
「わーい。めっちゃ嬉しい〜。ついでに観光して帰ってこよ〜。…ってなるわけないだろ! なんだよその、飴と鞭のバランス!」
そう文句を言いながら、エドはしっかりリオネルから手紙を受け取っている。
手紙を胸ポケットに入れながら、エドがレリッサを見た。
「良い? お嬢様。こいつ、人の遣い方マジ荒いから。覚悟しといた方がいいよ」
「レリッサにこんなことさせるわけないだろ。レリッサなら馬車で観光しながら、ゆっくり二週間だよ」
「わー、飴がお嬢様に全振りされてるぅ」
何が何だか分からない。
そう思っているのはレリッサだけではなく、当事者であるサマンサが「どう言うこと?」と
「アザリアに、その道に詳しい伝手がある。彼の力を借りようと思ってね」
リオネルはそう言うと、椅子から立ち上がった。
「話は以上だ。長くお邪魔してすまない」
最後の言葉は父に向けて。父は頭を下げた。
「いえ。貴重なお時間を、我が家のために割いて頂き申し訳ありません」
もう帰るのだ。
父が、客が帰ることをダンに知らせにサロンを出て行く。
見送ろうと立ち上がりかけたレリッサを、リオネルが「良いよ」と押しとどめた。
「足、辛いでしょ。見送りはいらないよ」
「…でも」
レリッサが、リオネルを見送りたかった。
その気持ちを汲んだのか、リオネルはレリッサの目の前にやってきて手を取ると、さっと甲に口付けた。
「今日はこれで。…頻繁には来れないけど、また会いに来る」
「はい。お待ちしています」
リオネルはレリッサの頰をそっと撫でて、「じゃあ」と言ってサロンを出て行った。
**********
「良かったの〜?」
将軍が用意した馬車に乗り込んだリオネルに、隣に座ったエドが声をかけた。
「何が?」
御者が扉を閉め、程なくして馬車が動き出す。
「アイザック・シンプトン。あれ、お嬢様に惚れてる奴じゃん。わざわざ側にくっつけて、トンビに油揚げってなんなきゃ良いけど?」
車輪が石畳を踏む音が響く。
リオネルは窓に肘をかけて、昨夜のアイザックを思い出した。
『助けていただきたい』
そう言って、頭を下げた彼の姿。
どんな思いで、どんな表情で、
簡単にできることではない。そこには、レリッサに対する、真摯な想いがある。
リオネルだって、アイザックの気持ちには気づいていた。
デビュタントで、レリッサのエスコート役をしている彼を見たときには、憎らしく思った。
けれど、そう言う彼だからこそ、彼女を任せるに足ると思ったのだ。
「そんなヤワな気持ちの伝え方はしてない。…それに何かしようと思っても、多分レリッサは気づかなさそうだし…」
「あー、お嬢様、鈍そうだもんね…」
そう言うところも、リオネルは可愛いと思うのだが。
リオネルは窓の外を眺めながら、ようやく手に入れた恋人を想って、ふっと微笑んだ。
**********
「良かったの? アイザック様」
レリッサのすぐ下の妹――ホーリィがそう言って、アイザックの隣に立った。
サロンの中央では、レリッサと
アイザックは、指示があるから待てと言って出て行った将軍が戻ってくるのを、待っているところだった。
「…何がだ」
「お姉様のことよ」
ホーリィはどこか挑戦的な視線で、アイザックの目を見つめ返してくる。
よく見ればエメラルドの美しい輝きだった。
「好きな人が、自分ではない、他の誰かの手で幸せになっていく…。その姿をずっと見続けるのよ。耐えられるの?」
わずかに目を見開く。
知られていたのかと思う。
それが伝わったのか、彼女は呆れたようなため息をついた。
「気づくでしょ、普通。あんなに熱心にお姉様のことを見つめているんだもの。…気づいていないのは、お姉様くらいよ」
「…そうか」
そんなに、自分は彼女を見ていたのか。
人から見ても、そう思われるほどに。
「辛いと思うわ」
ホーリィは同情するようにそう囁いた。
やめておいた方が良い。言外にそう伝えるように。
だがアイザックは、それには気づかないふりをする。
「そうだろうな…」
レリッサへの想いが、突然なくなったりはしない。
手を伸ばしもせずに諦めてしまったと言う、ざらりとした後悔の念もある。
その横顔を見つめれば、まだ愛しさが募る。
だがそれも、父親を止めることもできず、彼女を守ることもできなかった自分には、当然の報いのように思えた。
アイザックは足を踏み出した。
椅子に腰掛けて、妹と語らっている彼女のそばに立つ。
愛しいアメジストの瞳がこちらを向く。
アイザックは、小さく息を吐いた。
「レリッサ」
彼女の名前を呼ぶことすらできなかった自分と、決別する。
「これから、よろしく頼む」
「こちらこそ、アイザック。あなたがいてくれて頼もしいわ」
淡い痛みとともに、彼女の笑顔を受け止めた。
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