25. レリッサの葛藤4

(びっくりした)


 レリッサはそっと胸を押さえた。

 反対側の手は、サマンサにぐいぐいと引かれて、広間の端へといざなわれていく。


『…俺じゃだめなのか』


 そう言ったアイザックが、とても真剣な顔をしていて。

 そしてどこか、哀願するような響きで。

 レリッサは一瞬苦しくなった胸を、そっと撫でる。


(アイザックったら…、間違って本気にしてしまうところだったじゃないの)


 これでは、彼に想いを寄せる令嬢が絶えないわけだ。


『お前も、十分手に負えない女だよ。…だから、良いんじゃないか』


 告げられた言葉を思い出す。

 何をとは、彼は言わなかった。

 けれど彼がレリッサの背中を押そうとしてくれたのは確かだった。


 レリッサは小さく息を吐く。

 覚悟は決まらない。

 けれど、さっきアイザックが自分にしておけ、と告げたその一瞬で、レリッサは思い知ったのだ。


 他の誰かじゃ、代わりにできない。

 レリッサは、リオネルが良いのだ。


 そのことを、たったあの一瞬で、心が深く理解した。


「姉様」


 サマンサが、レリッサの腕にもたれかかるようにしがみついた。


「もう帰ろう? 疲れた」

「そうね…」


 レリッサは広間を見回す。

 まずライアンが見つかった。ちょうどダンス待ちの令嬢の列が切れたところだったのか、レリッサの視線を受けて、人混みをかき分けながらこちらへとやって来る。

 一方で、パトリスの方はまだ踊っている最中だった。相手はどこかのご婦人だ。濃い化粧に、露出の多いドレス。もっともパトリスが苦手とする部類だが、涼しい顔でダンスの相手をしているのは、さすがの一言だった。


「あれは、ちょっと抜けるのは無理じゃないかしら…」


 次のダンスを狙って、パトリスを待っている令嬢たちが、まだたくさん残っているようだった。

 パトリスは伯爵家の嫡男でありながら、未だに婚約者もいなければ浮ついた噂一つない、令嬢たちに言わせれば超がつく優良物件だ。未来のラローザ伯爵夫人の座を狙う令嬢は数多く、狙ってはいなくても、ダンスが上手いと評判の美青年の手に自らを委ねてみたいという淑女たちが山ほどいるようだ。


「私行って来る、ちょっと待ってて」

「あ、サマンサ…」


 止める間もなく、サマンサがちょうど曲が終わったばかりのパトリスの方へと行ってしまった。

 踊っていた女性が、何かパトリスに言い寄っている。それを受け流すパトリスの腕に、サマンサが抱きついた。その顔はよそゆき用の、お人形のごとく愛らしい笑顔だ。


「あーあ」


 隣までやってきたライアンがつぶやく。

 その言葉もなるほど納得というほど、サマンサに向けるパトリスの表情が、優しくそれでいて少し浮かれたものになる。

 家ではよく見せるパトリスのデレ顔だが、おおよそ周囲が抱くパトリスのイメージとはギャップがある。そのギャップに、パトリスを囲んでいた令嬢たちが、ぽわんと頰を赤らめた隙に、サマンサがそのままパトリスを令嬢たちの輪から連れ出して、こちらまでやって来た。

 サマンサの手は、指を二本立ててピースサインをしている。全て計算の上だとしたら、かなりたちが悪い。


「さ、帰りましょ」


 ぱっとパトリスの腕を離して、サマンサがさっぱりとした口調で言った。


 夜会はここから終盤といった空気だった。

 帰り支度を始める者や、恋人と連れ立って早々に出て行く者、まだ踊り足りないとダンスにせいを出す者がいる一方で、酒を飲むのに腰を据え始めた者もいる。


 レリッサ達も帰ろうとする人の列に加わって広間を出る。

 玄関ホールではレクサとスタングレー侯爵が、屋敷を出て行く人々と軽い挨拶をかわしていた。


「貴方達もう帰るの?」


 名残惜しそうにレクサが言うのに、レリッサ達は軽くハグをして答える。


「またお茶でもしましょう。次はエメリアも一緒にね」

「伝えておきます」


 馬車寄せまで出て見送ってくれたレクサに、馬車の中から手を振る。

 馬車はぐるりと馬車寄せを回ると、やがて門を抜けて、来た時と同じ道を戻り始めた。


「疲れた」

「サマンサ、君、何もしてないじゃないか」

「ああいう場所は、立ってるだけでも疲れるの」

「僕だって、踊りすぎて足が痛いよ」


 双子が、お互いを支えにするようにぐったりともたれかかっている。

 その様子を、レリッサとパトリスは顔を見合わせて笑う。


「何事もなかったようで良かったよ」


 パトリスがレリッサの方を見て言った。その心から安堵したという言い方に、レリッサは苦笑する。


「お兄様、心配しすぎです」


 そうそう毎回、こうして家族に守ってもらうわけにはいかない。

 以前、セルリアンが厳しく諭したことでレベッカ達も大人しくなったことだろうし、もうああいうことは滅多に起こらないだろう。…少なくとも、そう思いたい。


 外はすっかり暗かった。

 しかも街灯も何もない森の中だ。御者と、馬車の前後を行く護衛の二人が掲げるランタンの灯りが、ようやく馬車の周囲を照らすだけ。

 おまけに今日は空に暑く雲がかかって、より一層重苦しい暗さだった。


 路面は来た時と同じか、あるいは来た時以上に悪かった。

 もともと舗装されていない道を、たくさんの馬車が通ったからだろう。わだちの跡がたくさんついて、その上をまた馬車の車輪が通るので、ひどく揺れる。

 だがその揺れがかえって心地いいのか、サマンサとライアンがうとうとし始めた。

 寄りかかりあって眠るその姿は、幼い頃のいつかの姿のようで愛らしい。

 レリッサとパトリスは、顔を見合わせてふふと笑った。


「お兄様」

「ん?」


 双子の寝顔を愛おしそうに見ていたパトリスに、レリッサは呼びかける。


「リオン様のことですけど」

「うん」


 パトリスがこちらを向く。

 レリッサが口を開こうとした瞬間、ガタンッと馬車が大きく跳ねて、馬が速度を緩めた。


 そして、コンコンコンと鋭く三回、御者席から馬車を叩く音がした。


 その瞬間、ライアンとサマンサが、ぱっと目を覚まして飛び起きた。

 パトリスはソファにもたれかかっていた背を浮かし、慌てて窓の外に目をやる。

 レリッサも緊張して、身を固くした。


 馬車を三回鋭く叩くその音は、緊急事態を知らせる合図だ。

 ラローザ家の子供達は、この音を聞いたら瞬時に反応するように躾けられている。

 御者が遊び半分でその音を立てるはずもなく、それはすなわち、何かがあったことを示していた。


 馬はすっかり歩みを止めていた。

 隣で立ち止まる護衛の乗る馬の、荒い息遣いがやたらと大きく耳に入る。


「兄さん…」

「うん」


 パトリスがライアンに促されて、窓に隙間を作った。


「どうした?」


 小さく声をかければ、護衛が顔を近づけた。


「皆様は決して馬車をお出にならないように。野盗かと」


 野盗。

 その言葉を聞いて、レリッサとサマンサは顔を見合わせた。

 サマンサはすっかり顔を強張らせている。そしてそれはおそらく、レリッサも同じだった。


 隙間を開けた窓の外から、前衛を守る護衛が何かを話している声がする。

 何を話しているのかまでは分からないが、それにじっと耳をすませていると、不意に、鋭い馬のいななきが森に響いた。


 続いて、野太い、男の、それもたくさんの男の、吠えるような声と。

 たくさんの息づかいと、地面を擦るたくさんの足音と。


 そして、まもなく響いたのは剣戟けんげきの音。


「若君!」


 窓の外から、護衛が殴りつけるように声をかけてきた。


「戦闘になります! そのまま、絶対に外に出ないように! すごい数です!」


 戦闘という言葉に、いよいよレリッサとサマンサは手を握り合った。


 馬車の外からは激しい剣と剣の混じり合う音と、殴り合うような鈍い音とが絶え間なく響く。

 激しい争いになっているのか、馬車が何度も揺れ、レリッサとサマンサはその度に小さく「きゃっ」と声をあげた。


 一分一秒が長く感じられる。


(早く…早く終わって…)


 祈るように思うが、終わらない。

 ラローザ家の護衛は、父が選んできた腕利きだ。それがここまで苦戦するのだ。パトリスを見れば、顔がこわばっている。


「兄さん、僕、行ってきます」


 ライアンが、馬車の中に乗せていた、自分の細剣を握って腰を浮かした。


「何を言ってる! だめだ!」

「でも、このままじゃダメです!」


 パトリスが押しとどめようとライアンの肩を掴むが、ライアンは聞かずに馬車の扉に手をかけた。


「ダメよ、ライアン!」

「行っちゃだめ!」


 レリッサとサマンサも声をかけたが、ライアンはやはり聞きもせずに扉を押し開いた。

 その瞬間、見えた光景にレリッサは、ライアンを引き止めるのも忘れて息を飲んだ。


 松明の火が燃えている。

 野盗が掲げる松明だ。

 それが、幾つも馬車の周りを囲んで、襲ってくる男達の顔を照らしていた。


 外はひどい乱闘で、護衛が必死に剣を振るって馬車に近づく野盗達を蹴散らしているのが見えた。


「兄さんは、姉さんとサマンサを守ってください!」


 そういうと、ライアンは剣を抜いて飛び出していった。


「ライアン!!!」


 サマンサが悲痛な声でライアンを呼んだ。だがそれも、閉じた扉が受け止めた。


「ライアン…」

「あの、バカ…」


 普段口にしない言葉で、兄が窓の外を睨む。


 レリッサはぎゅっと手を握りしめた。

 今はもう、弟の無事と、早く戦闘が終わることを祈るしかない。


(終わって…お願い…もう、終わって…)


 剣戟の音は次第に減って、殴り合うような鈍い音が増えてきていた。それがどういうことを示すのか、レリッサには分からない。

 固く握りしめた手に、爪が食い込み始めた頃、唐突に、馬車の外が静かになった。


 サマンサとパトリスと、顔を見合わせ合う。

 馬車の扉が揺れた。外からガチャリと取っ手が引かれて、レリッサ達は、ほっと息を吐いた。

 だがそれも束の間、すぐに顔を引きつらせた。


「出ろ」


 顔を覗かせたのは、無精髭を生やした男だった。

 身なりは、お世辞にも綺麗とは言えない。不潔と言えるレベルだった。


「ライアン!」


 レリッサ達は言われるままに馬車の外に出て、その惨状に息を呑んだ。

 ライアンが、馬車の外で横たわっている。護衛も、御者のギャランも。野盗らしき男達も多く地面に転がっていたが、その代わり、まだ立ち上がっている者もたくさんいた。


「ライアン! ライアン!」


 ライアンを呼ぶサマンサの悲痛な声が、森に響く。

 だがライアンはピクリともしなくて、レリッサは嫌な予感に背筋が凍りつく。


(まさか…嘘よ…)


 パトリスも同じ想像をしたのだろう。顔面は蒼白だった。


「おい、どっちだ」


 野盗達が話し合う声が耳に入る。

 レリッサはそちらに視線を動かして、目を見開く。

 野盗はまだまだいた。両手で足りる人数ではない。地面に転がっている人数を足せば、護衛二人とギャラン、そしてライアンだけでは多勢に無勢だったことが分かる。


「おい、こっちへ来い」


 野盗の一人が、レリッサへ向かって手を伸ばした。

 レリッサが思わず身体を引いたのと同時に、パトリスが間に割って入る。


「妹に触るな。お前達の目的はなんだ? 金か?」

「金? まぁそうだな」


 そう言うと、野盗は無精髭を撫で付け、舐めるような目でレリッサを見た。その視線にレリッサはぞわりと悪寒を感じて、身体を抱きしめる。


「男はいらねぇ。女は来い」


 野盗が前触れもなくパトリスの腹を蹴りつけた。

 自分の横に倒れこむパトリスに、レリッサは「お兄様!」と悲鳴をあげた。その間に、野盗はレリッサと、サマンサの腕を掴んで引っ張り始めた。

 倒れ込んだパトリスに、野盗達が群がっていく。鈍い音がいくつか響いて、野盗達が退いた後には、ぐったりと地面に倒れ込んだパトリスが見えた。


「お兄様!」

「うるせえ。お前も斬られたくなきゃ、黙ってろ」


 ちらりと剣をちらつかされて、レリッサは黙り込む。

 隣を歩くサマンサは、ライアンの様子に相当なショックを受けたのか、呆然としてほとんど歩けていなかった。そのサマンサを連れて歩くのが面倒になったのか、野盗がサマンサを肩に担ぐ。それすらも、サマンサはされるがままだった。


(サマンサ…)


 野盗達は、森の中に分け入っていった。足元には枯れた葉が幾層にも降り積もり、レリッサの細いヒールが沈み込む。ドレスを着ただけの身体を、冷たい風が容赦なく冷やす。緊張と冷えで身体が上手く動かない。足を地面に取られ、腕を強引に引かれながらしばらく行くと、木々が折れて重なり、その分、地面が少し開けた空間に出た。

 そうは言っても、人が二人ほど手を広げて立てば、木と木にそれぞれの手が触れてしまう程度の広さしかない。

 そこに、レリッサは乱暴に地面に転がされた。


「きゃっ」


 強く転がされて、身体が痛む。

 サマンサは木の下に降ろされて座り込んだ。放心状態だ。


「サマンサ…」

「おっと、お前は待て」


 立ち上がってサマンサの方へ駆け寄ろうとしたレリッサの足首を、野盗が掴む。

 引き倒されて、レリッサは野盗の方を睨みつけた。


「良い目だ。そう言うのが良い。いきなり従順じゃつまらねぇ」

「おい、どっちが言ってた女だ?」


 野盗達がレリッサを見下ろしながら話し合い始めた。


「薄い茶色の髪の女って言ってたぞ」

「暗くて髪の色がよく分かんねぇな」

「さぁ。どっちでも良いだろう。どっちもヤっちまえば良い話だ」

「それもそうだな」


 野盗達の会話に、レリッサは身体が凍りつく。

 鼓動がばくばくと胸を打つ。


「来ないで」

「そう言われてもなぁ。あんた、見てみろよ」


 くいっと、レリッサの足首を掴んだままの野盗が背後を親指で差した。

 素直にそちらに目を向ければ、松明の明かりに照らされて、あからさまに期待をするような不躾なニヤケ顔で、下卑た視線を寄こす男達の顔が見えた。


(いや…)


 気持ちが悪かった。

 こんなところで、こんな男達に。


 野盗の手がこちらへ伸びてくる。

 身を捩るが、ぐっと足首を強く握られて、その痛みに動きを思わず止めてしまう。

 男の手がレリッサのドレスの、肩に触れる。


 不意に、ぱちっと何かが爆ぜた。

 パチッ、パチッ、と音は次第に強く、鋭くなって、レリッサははっとして木の根元に座り込んでいたサマンサを見る。


 サマンサの髪が青白く発光して、少し浮き上がっている。

 男達は、まだ気づいていない。


「…るな…」


 レリッサは首を振った。


「だめ…サマンサ…」

「ね…様に…さ…な…」


 サマンサが青白く発光する。

 その周囲の空気が、強い魔力の発露で強く震える。


 男達が、サマンサの様子に気づき始めた。

 ざわっと男達がざわめく。

 レリッサのドレスを脱がそうとしていた男もまた、手を止めていた。


「だめよ、サマンサ!」


 レリッサの静止は、遅かった。

 サマンサの身体が青白く光る。


「姉様に触れるな!!!!!」


 その瞬間、辺りを光が満たした。



**********



 ドオンッ!


 突如、森を震わす、地響きに似た爆発音が響いた。

 リオネルは、ハッとして音がした方を振り向く。


「今のは!?」

「なんだ!?」


 連れてきた兵士たちが突然のことにざわつく。


「落ち着け!」


 だがそれも、リオネルがそう声をかければ、一人、また一人と平静を取り戻して、足元に転がる野盗達を縛り始める。


「閣下!」


 後ろから、アイザック・シンプトンが慌てて声をかけてきた。


「先ほどの爆発、ラローザ家の末の妹の、魔力暴発ではないかと…!」

「っ! 行こう」


 リオネルはすぐに身を翻す。

 歩き出そうとしたリオネルの手が、不意に引かれた。


「待ってください、リオン。僕も…行きます…」

「パトリス」


 パトリスが、腹部を抑えながら立ち上がった。

 だが立ち上がってすぐに身体がぐらついて、隣で手当てをしていた兵士がパトリスを支えた。


「お前は、今は邪魔だ」

「でも、行きます。僕の妹だ」


 今は一秒すらも惜しかった。

 パトリスを押しとどめている時間もまた惜しく、リオネルは「行くよ」とだけ告げて、足早に森に分け入った。

 後ろをアイザック、そしてその後ろを兵士に支えられたパトリスと、他、兵士数名が付いてくる。


 暗い森の中だったが、明かりは相手にこちらの存在を気づかせる。リオネルはランタンの灯りを隠すように指示した。それでも十分、リオネルには周囲の様子が見えている。夜目が利くように訓練してあるのだ。


『閣下にご報告したいことが!』


 そう言って、アイザック・シンプトンが軍の本部に駆け込んできたのは、一時間程前のことだった。

 普段、リオネルは軍の奥にいて、下級士官と顔を合わせることはない。リオネルに取次ができるのも、軍の上層部のわずかな人間だけだ。

 だが、アイザックのただならぬ様子と、彼が口にした「レリッサ・ラローザ」の名に、応対した将官が慌ててリオネルを呼び出した。


『父が、レリッサ・ラローザを狙っています。彼女を傷つけようと』


 彼は、床に額を擦り付けんばかりに頭を下げて、『助けていただきたい』と言った。

 彼の父親が用意した手駒の数はあまりに多く、一人では無理なのだと言って。


『スタングレー侯爵の別荘だな?』

『その途中の森の中のはずです。父のやり方はいつもそうだ』

『行こう』


 リオネルはすぐに動いた。

 スタングレー侯爵の別荘は王都の外れにある。

 アイザックが早馬でここまで駆けてきたとしても、すでに事は起こっている可能性があった。


 すぐに集められるだけの兵士を連れて、スタングレー侯爵家の別荘に向かっている途中、見慣れた紋章の馬車と、周囲に転がる有象無象の中にパトリスの姿を見つけて、リオネルは血の気が引く思いがした。


 幸い、パトリスは殴られて昏倒していただけで、すぐに意識を取り戻した。肋骨くらいは折れているかもしれないが。

 一方、弟の方が重症で、殴られた上に肩を切られていた。だがこちらも命に別状があるというほどでもない。

 酷かったのは、御者と護衛だった。

 将軍にも伝えるように言い置いて出てきたので、おそらくすぐに人手を連れて到着するだろう。それまで持ちこたえれば良いのだが。


 それよりも、今は。


(レリッサ…)


 奥歯を噛み締める。

 抑えようもない不安と、抑えがたい怒りで目の前が赤く染まる。


 よほど森の奥へと入ったのか、見渡す限りは木々しかなかった。

 リオネルは一度足元を確かめるために座り込んだ。


(人が踏みしめた跡。そう時間は経っていないな…)


 相当な人数だということが分かる。

 リオネルは立ち上がり、半ば駆けるように足元の痕跡を追って足を動かし始めた。



**********



 目も眩む閃光の後、レリッサは目を開いた。強烈な光を至近距離で浴びたせいで、視界がぼやける。それでなくても、先ほどの衝撃で、松明の明かりは全て消し飛んだらしく、周囲は暗闇だった。


 立ち上がろうとして、片足がいまだに野盗に掴まれたままだと気づく。

 後ろに控えていた野盗達は、軒並み倒れ込んでいた。サマンサの魔力に満ちた衝撃を全身に受けたのだ。おまけに、周囲にそびえていた木々までもが、なぎ倒されていた。


 レリッサはそっと野盗の手の中から足を引き抜いた。


「っ…」


 立ち上がろうとして、足首の痛みに顔をしかめる。

 だがそれも歩けないほどではない。

 レリッサは、足を引きずりながら、木の根元にぐったりと倒れ込んでいるサマンサに駆け寄った。


「サマンサッ」


 サマンサはすっかり気を失っていた。

 全身に力がなく、魔力の余韻が残っているのか、わずかに肌が青白く光っている。

 それがまたレリッサに怖い想像をさせて、レリッサはサマンサをぎゅっと抱きしめた。


「サマンサ、起きて…お願い…」


 身体はまだ温かい。

 そのことに僅かばかりほっとして、サマンサを目覚めさせようと軽く揺らす。


「サマンサ…サマンサ!」


 野盗達はまだ目覚めない。

 その前に逃げなければいけなかった。

 だがレリッサには、サマンサを担いでいくだけの余力はない。


「起きて!」


 少し強めに声をかける。

 ペチペチと頰を叩くが、サマンサはなんの反応もしなかった。


 その代わり、レリッサの背後で微かに人の唸り声がした。

 慌てて後ろを振り返ると、野盗達が、一人、また一人と起き上がり始める。最初はレリッサと同じように視界がぼやけるのか、きょろきょろと視線を彷徨わせていたが、それも視界が定まってくると、レリッサに視線を留めた。


 瞬時に、野盗達の目が怒りのそれになる。

 レリッサはサマンサをぎゅっと抱きしめた。


「来ないで」

「そういう訳にいかねぇんだよっ」


 男の手が伸びる。レリッサの肩を掴もうとする。

 触れる。そう思った刹那だった。


 ぴゅっと空気が切れた音がした。

 男が驚愕の表情を浮かべたまま、崩れ落ちていく。男の身体の後を追うように、血飛沫が立った。


「あ…」


 起き上がっていた男達がざわめく。

 それと同時に周囲が、不意に明るい松明の光で照らされた。


「一人残らず捕らえろ!」


 気づけば、崩れ落ちた男の向こうに、リオネルが立っていた。

 彼が持つ剣の刃が血で濡れていて、彼が男を切ったのだとレリッサはようやく理解した。


 リオネルがレリッサを見下ろす。

 彼は無言で羽織っていたマントを脱ぐと、レリッサの前に跪いて、肩にマントを羽織らせた。


「リオン様…」

「ちょっと待ってて。終わらせてくる」


 周囲が騒がしい。

 逃げようと慌てふためく野盗を、兵士たちが取り押さえていく。

 中には抵抗してやむなく斬られている者もいた。

 リオネルがその指揮を取りながら、時折野盗を斬り伏せるのを、レリッサは視線で追いながら、腕の中にいるサマンサを強く抱きしめた。

 そうしないと、手が震えて、止められないのだ。


「レリッサ! サマンサ!」

「お兄様!」


 お腹を押さえた兄が、兵士に肩を担がれながらレリッサ達のそばにやってきた。

 パトリスは崩れ落ちるようにレリッサの前に座り込んだ。


「お兄様、ライアンは…」


 レリッサは一番気がかりだったことを尋ねた。


「無事だ。怪我はしてるけど、命に別状はなさそうだよ」

「…よかったっ…」


 一気に安堵して、目に涙が滲む。

 パトリスは少し微笑んでレリッサの頭をポンと撫でると、腕の中のサマンサを覗き込んだ。


「サマンサ!」


 強く揺するが起きない。

 こうしたことは今までなかった。サマンサが感情的になって魔力を暴発させることは、過去にも何度かあったが、ここまでの凄まじい威力を発揮したのは初めてだったのだ。

 先ほどまでサマンサを包んでいた青白い光は、今は無くなっていた。


「サマンサ!」


 名を呼び続ける兄の肩を、兵士の一人が掴んだ。


「今は休ませましょう。お運びします」

「頼む」


 レリッサの腕から、兵士がサマンサを抱き上げる。

 パトリスは少しレリッサのことを気にする素振りを見せたものの、別の兵士に肩を貸されながら、サマンサについていく。


 捕物はすっかり終わっていた。

 悪態を付きながら野盗達が兵士に連行されていく。


 最後の一人を見送って、リオネルがレリッサに駆け寄ってきた。


「レリッサ!」


 立ち上がって答えようと、身体を動かす。

 だが、動けない。

 腰から下が、すっかり抜けてしまっている。


「すみませ…」


 腰が、抜けたみたいで。と、レリッサは恥じ入りながらつぶやいた。

 リオネルがレリッサの前に座り込む。ランタンの灯りがふわりと辺りを包み込む。

 レリッサは、リオネルがかけてくれたマントの前を握りしめた。けれど、どれだけ強く握りしめても、手が震えて止まらない。

 震える手を抑え込もうと、両手をぎゅっと握る。それでも、止まらない。


 もし、あのまま…あのまま、彼が来てくれなければ…。

 しなくても良いのに、嫌な想像をした。


「大丈夫だから」


 リオネルがレリッサの肩を抱いて、レリッサの目を肩口に押し当てた。その途端に、涙が溢れて止まらなくなった。


「こわっ…かっ‥」

「大丈夫。もう、大丈夫」


 はい、と返事をしたいのに、嗚咽が邪魔をして、音にならない。

 レリッサはしゃくり上げるように泣いて、リオネルの肩を濡らした。


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