20. レリッサと父の追憶1

 書斎の入り口に立った父は、眉間を揉みながら小さく息を吐いた。


「ホーリィ、お前は…まったく…」


 呆れ混じりにそう言うと、レリッサの手の中にある王族の系譜図を目に止めて、こちらに歩いて来た。その後ろにはパトリスもいて、父の背中を目で追っている。


「お父様…」


 レリッサは、目の前に立った父を見上げた。けれど視線は合わずに、父の目は系譜図を見下ろしている。

 そっと、父が系譜図に触れた。

 セルリアンの父、前王太子の名を撫でる。


「パトリス、中に入って扉を閉めなさい」


 そう言われて、パトリスが扉を閉めた。

 締め切った部屋の中、父が子供たちを見回した。


「少し話をしよう。ホーリィ、お前は…」

「嫌よ」


 ホーリィが、ぎゅっとレリッサの手を握った。


「ここにいるわ。私も話を聞く」


 その頑固な物言いに、父は諦めのため息をついて頷いた。

 促されて、それぞれ書斎の対面のソファに腰掛ける。父の隣にパトリス。父の目の前にレリッサ、そしてその隣がホーリィだ。


 書斎のローテーブルの真ん中に、父が王族の系譜図を乗せた。

 そしてもう一度、前王太子の名前に触れると、父は小さく息を吐いた。


「ハインツ・ディ・レ・スタッグランド。かつての王太子であり、現王太子であるセルリアン殿下の父君だ」


 そして、と父は言った。


「私の親友であり、幼馴染だった」


 父セドリック・ラローザと、当時の王太子ハインツは、たまたま生まれ月が同じで、誕生日が近かった。ただ、それだけのことだったが、母親というのは月齢の近い赤子を持つ母同士、語らいたい時があるらしい。


 ハインツを生んで少しした頃、王妃は、当時彼女に付いていた侍女のハンナから、彼女の夫が勤める伯爵家でも、初めての子供が生まれたばかりだと耳にしたのだ。


「王妃様は母と私を呼んで、小さなお茶会を開かれた。覚えているはずもないが、それが私とハインツ王子との初めての出会いだ」


 母…つまりレリッサの祖母ということになるが、祖母と王妃は母親同士、とても話が合った。共に同じことで悩み、互いの子供の成長を喜び合う、良い友になった。子供を交えたお茶会は定期的に開かれるようになり、物心付いてからも、父は頻繁に王宮に上がったという。


「ハインツ王子は優しくて勇敢で、とても優秀な少年だった。子供ながらに、彼がいずれ王になるなら、ぜひ彼の力になりたいと、そう思わせられる人柄だった」


 父は懐かしむようにそう言って、少し笑った。

 おそらく父とハインツ王子との思い出は、楽しいものばかりなのだろう。


「うちには、私の後に妹が二人生まれた」

「レクサ叔母様とココリナ叔母様ね」


 ホーリィの言葉に父が頷く。


 レクサはスタングレー侯爵家に嫁ぎ、ココリナの方はさる商家の長男と恋に落ちて今は平民に降りている。

 ココリナとはあまり親交はないが、レクサとはレリッサも夜会の機会にたまに顔を合わせることがある。ホーリィはレクサに何度かお茶会に招かれて親しくしているようだった。


「だが、王妃様にはハインツ王子以外にお子様が生まれなかった。いや違うな。…これは後からわかったことだが、あえてお作りにならなかった」


 レリッサは首を傾げた。

 王族である。子は多いに越したことはないのではないか。すでに世継ぎがいるとは言え、その世継ぎに何があるか分からないのだ。実際、今の王家はその問題に直面しているように思える。


「母は…今思えば大変不躾な質問だが…王妃様に伺っていたよ。なぜお二人目をおつくりにならないのかと。王妃様は悲しそうな顔でいつも答えられていた。王が作ることを許してくれないのだと」


 父はそこで言葉を切ると、子供たちの顔を見た。

 最後にレリッサの目を見ると、そっと目を閉じた。


 疲れが、深く刻まれた顔だった。眉間や目尻の皺がそこに居ついて、離れなくなったのはいつからか。

 レリッサが父の日頃の苦労をおもんぱかって痛ましく思っていると、父はそっと目を開いた。そして、レリッサの目を見据えてくる。


「ここからは、他言無用だ」


 こくんっとレリッサは唾を飲んだ。

 それはレリッサだけではなく、パトリスとホーリィも同様だった。それほどに、父の空気が変わったのだ。鋭く、厳しいものに。戦場で相対するかのような、怒りすら感じる冷たい空気だった。


「王族には、忌まわしい風習がある」

「…何です、それは」


 パトリスが、声を詰まらせながら言った。

 父が指でこつんと系譜図を叩いた。五回。国王の横に並ぶ、弟妹きょうだいたちの名前だった。


「レリッサ、お前なら気付いただろう。全ての文字を読まずにいられないお前なら」

「…はい」


 父の空気に圧倒されながら、レリッサは言った。声は緊張で、無意識に細く、小さくなる。


「国王陛下には、他に五人のご弟妹きょうだいがいらっしゃいますが…。皆様お亡くなりになられています。…同じ、年に…」


「そうだ」と父は頷いた。


「没年は今から六十三年前。――国王が戴冠した年だ」


 それがどういうことなのか、レリッサにはすぐには分からなかった。

 だが考え込んでいたパトリスが、ハッと顔を上げて父を見た。


「まさか…忌まわしい風習というのは…」

「そうだ」


 父から告げられた言葉に、レリッサは思わず息を呑んだ。



**********



 セドリック・ラローザがハインツ王子からそれを告げられたのは、共に参加した夜会が終わり、王宮の彼の部屋で二人、盃を傾けていた時のことだった。


 当時セドリックとハインツは、今のパトリスやリオネルと同じく二十四歳になっていた。

 親友は昨年、婚約者とめでたく結婚し、盛大に結婚式を執り行ったのはつい最近のこと。酒も入り、少々男同士の下世話な話をした延長で、彼の世継ぎの話になった。


「王族は大変だな。結婚するとすぐに世継ぎを求められる」

「お前も変わらないじゃないか。…というか、お前はまず相手を見つけた方が良いな。お前の母君が、つい最近母に嘆いていたぞ。お前が縁談という縁談を全て蹴ってしまうって」

「ああ、とうとう母上は、俺が男色なのかとすら疑っているようだ」


 冗談交じりに言ったセドリックに、ハインツは自身の胸に手を当てて体を引いた。


「まさか、お前…」

「違うぞ。…ただ、今は軍での仕事が忙しいだけだ」

「終わったと思ったら、またすぐに戦地だもんな。そんなんじゃ、簡単に婚約者も持てない…か。悪いな」


 申し訳なさそうにするハインツの、その胸を軽くセドリックは拳で叩いた。


「お前が国王になったら、絶対に平和な国にしろよ。俺たちに、これ以上人を殺させるな」

「分かってるって。犠牲の上に立つ国王なんて、虚しいだけだ」


 ハインツはそう言うと、持っていた盃を下ろした。

 どこか寂しげな瞳に、セドリックもまた盃をテーブルに置いてその顔を覗き込んだ。


「どうした…? 酔ったか?」


 ハインツの目は潤んでいた。

 それから彼は盃をやはりテーブルに置くと、ちらりと隣の居室に続く扉を見た。そちらは彼と奥方の寝室で、奥方である王太子妃はすでに眠りに付いているはずだった。


「どうしよう、セドリック…」

「おい…?」


 ハインツは潤んだ目を手のひらで覆った。


「ごめん。俺だけじゃ…抱えきれないんだ…」


 そう言って、彼はセドリックに話したのだ。

 王族の忌まわしい血の歴史を。


 スタッグランド王国の興りは、隣国テルミツィア王国から分離する形で始まる。


 スタッグランドの初代国王アンドロアスは、元々はテルミツィアの王であったが、弟であるマクシミリオンとの権力闘争に敗れ、廃位される。これに対し、テルミツィアの国民は世論を二分する賛否両論で、アンドロアス派、マクシミリオン派に分かれて、やがて内戦状態に発展する。


 長い戦争で、めまぐるしく戦局は移り変わっていったものの、最終的にマクシミリオンが勝利し、テルミツィアの国王になった。敗れたアンドロアスは、自身を支持する国民とともにテルミツィアを離脱。自身の直轄地であったテルミツィアの土地の五分の一と、当時まだ未開の地であったこの地を切り開くことで、スタッグランド王国を興したとされる。


 ここまでは広く国民が知る歴史だ。


「アンドロアスは考えたんだ。二度とこんなことが起きないために、どうしたらいいか」


 涙ぐんだ目を、赤く血走らせながらハインツは絞り出すように言った。

 酒はとうに抜けていた。

 セドリックはハインツの背中に手を置いて、彼が再び話し出すのを待った。


「そして、一つの結論に行き着いた」


 兄弟など、いらない。


 王になった時点で、兄弟など不要なのだと。

 アンドロアスは長男に国王の地位を譲位すると、息子に他の子供達を殺させたのである。


 そこから、忌まわしい風習は始まったのだ。


「父上が言うにはこうだ。戴冠式の夜、宰相が部屋に訪れる。そして国王の証であるつるぎを手渡してきて、囁くと」


 殺しておしまいなさい、と。

 血を分けた弟妹きょうだいは、やがて自身の立場を狙う獣になる。獣になるくらいなら、先に狩ってしまうべきなのだと。


 そうして、王は自身の弟妹きょうだいの血を劔に吸わせる。

 それで初めて王と認められると、宰相は告げるのだと言う。


「父も、そうして自身の弟妹きょうだいを殺したと言った。…俺には、そんな忌わしい血が流れてる」


 それを、子にも繋いでいくのかと。

 そう思うと、なかなか子供を作る気にはなれない。ましてや兄弟などと、と。



**********



「ハインツは悩んでいた。奥方にも言えるはずがない。だが、私はようやく納得した。王がなぜ、ハインツの下に弟妹きょうだいを作ることを許さなかったか」


 ぐっと父は膝の上の拳を握った。

 レリッサは何も言葉を発せなかった。

 だが、思ったのは、セルリアンのこと。そして、リオネルのことだった。


「だが結局、ハインツは子供を二人儲けた。一人はセルリアン王太子殿下。そしてもう一人は」


 父が、レリッサの目を見る。


「リオネル・カーライル。…本来の名は、リオネル・ディ・レ・スタッグランド」


 告げられた名に、心が震える。

 レリッサは唐突に理解した。


 彼を前にした時の、洗練された存在感。人を惹きつける何か。


 あれは確かに、セルリアンが持つ、圧倒的な王族の雰囲気に通ずるものがあったのだと。


「ハインツは数年悩んだ末、結局、奥方からの子供が欲しいと言う願いを叶え、そして吹っ切れたように言った。『自分が歴史を変えてみせる』と」


 父は静かに黙り込んだ。

 何かを噛み締めるように目を伏せる。

 レリッサ達は、再び父が目を開くのを待った。やがて少しの時間の後、父が目を開くとホーリィが口を開いた。


「ねぇ、不思議なのだけど。宰相に言われたからって、拒否すれば良いだけじゃないのかしら? すでに国王として戴冠している訳だし、国王は宰相よりも立場が上な訳だから…」


 最もな疑問だった。

 だが父がその疑問に答えようと口を開こうとしたその時。


「それは、私の分野ね!」

「あ、サマンサっ」


 バタン、と書斎の扉が開いた。

 サマンサが扉を開け放ち、その後ろから、慌てたようにライアンがついてきた。


「サマンサ、ライアン!」

「今日は姉様達がいつまで経ってもサロンに現れないから、おかしいと思ったのよね」

「…すみません、父さん。僕たち、夕食前にお茶でもどうかと、声をかけにきただけだったんですが…」


 サマンサが堂々と。ライアンが申し訳なさそうに父の顔を伺う。

 レリッサは呆れてため息をついた。


「もう、盗み聞きだなんて…」


 だが、そこまで言いかけて、そういえば自分も先ほど、その盗み聞きをしたばかりだったと思い直す。言える立場ではない。

 父は深くため息をつくと、自ら席を立って、開けっ放しの扉を閉めた。


「もう良い。私も迂闊うかつだった。話に夢中で、お前達の気配に気づかないとは」

「お前達、どこから聞いていたんだ? 良いか、あとで盗み聞きしたことについてはきっちりと…」

「兄様、うざい」


 サマンサが、パトリスをばっさりと切る。パトリスはショックのあまり黙り込んだ。


「話は、だいたい父さんがハインツ王子…前の王太子様と話してた、スタッグランドの黎明期の話の少し前あたりからかな」

「…つまり、大事なところはちゃんと聞いてたってわけね」


 ホーリィが呆れたように言った。

 ライアンは父の隣に、サマンサはレリッサの隣に腰を下ろした。


「それで、サマンサ、あなたの分野ということは、これは魔法なの?」


 レリッサが尋ねると、サマンサは顎に手を当てて「んー」と少し悩むそぶりを見せた。


「魔法っていうか、『しゅ』、かな? 違う? 父様」

「そうだ」


 父が頷く。


『呪』


 レリッサは詳しく知らないが、どこかでその文字を目にしたことはあった。魔法とは近接的な関係にある力だ。

 父はこれについてはサマンサの方が適任だと判断したのか、場をサマンサに譲った。


「魔法は、魔力のある人間にしか使えないけど、『呪』っていうのは誰でも使えるのね。ここが大きく違うところ」

「誰でも?」


 ライアンが首をかしげる。


「そう、誰でも。ただし、本当に誰でも良いわけじゃない。特定かつ多数の条件が揃った上で、かなり強い意思が繰り返されることで『呪』になる」

「なんとなくやっていたことがいつの間にか習慣になって、気づいたらそれをやらないと気持ち悪い…みたいなこと?」


 ホーリィが考え込みながら言った。

 だいぶ軽い表現だったが、サマンサは「ホーリィ姉様らしいなぁ」と言いながらうなずいた。


「ちょっと違うけど、ま、そんなとこ。今回の場合は…、まず戴冠式の夜であること。次に、宰相から囁かれる言葉――これも大事なファクターだから、同じ言葉のはず。それから、国王の劔」


 サマンサは一本ずつ指を立てながら言い進める。


「時制の条件と、言霊、それから呪を遂行するための道具…つまり劔ね。これが揃った上で、なおかつ、歴代国王に流れる初代国王アンドロアスの血――もしかしたら長男だっていうのも必要かも。多分こんなところだと思うんだけど、これが揃うと、抗いがたい衝動に駆られる。この一連の全てを『呪』と言うの」

「呪いということか?」


 パトリスが尋ねると、サマンサは首を横に振った。


「呪いよりももっと重い。さっきも言ったでしょ。繰り返されることで『呪』になるって。初代国王から何代か…多分百年くらいは、自らの意思でもって繰り返す必要がある。その連続性が、やがて強制力を持って、『呪』を実行する者の意思を奪う。――と言われている」


 突然サマンサは、先ほどまでの断定的な言い方から、曖昧な言葉を付け足した。

 レリッサ達の視線を受けて、サマンサは肩をすくめた。


「ちゃんとそれを立証した例がほとんどないの。『呪』って、基本的に、意図的にかけることができないんだよね。すごく条件が特定されるし、こうやって何代も繰り返す必要があるっていうのは、途中で誰かが『やーめたっ』ってなったら、その時点で『呪』ではなくなるから。だから、偶発的に『呪』になってしまった・・・・・・・んだと思う」


 ただ呪っただけではだめ。ただ条件が重なっただけでもだめ。


 かなり複雑な要素が絡まり合わなければ、『呪』は成立しないということなのだろう。多数の人の意思を介するために、それを意図的に成立させることはかなり確率の低い話ということになる。


 サマンサが話し終えたことで、父が再び口を開いた。


「概ね合っている。サマンサ、よく勉強しているな」


 父の言葉に、サマンサが嬉しそうに笑う。


「国王の戴冠に伴う『呪』の発動条件は四つだ。戴冠式の夜。宰相の言葉。国王の劔。そしてアンドロアスの血を引く長男」

「この場合、長男だっていうのが一番大きなファクターなんだと思う。どうやったって覆せないから。それだけ大きな力がかかる」


 サマンサが口を挟んで、追加で説明を加えた。

 父は頷く。


「話を戻そう」


 そう言うと、父はまた少し逡巡する様子を見せた後、レリッサの目を見た。


「ハインツは二人の子を儲け…、その二人をとても愛していた。どちらの方が…なんてことはない。どちらも、平等に。…だが、王は違った」


 祖父である王は、あからさまにリオネルを蔑ろにした。

 抱き上げるのはセルリアンだけ。笑顔を向けるのも。言葉をかけるのも。

 いずれ死んでゆく者に、何を与える必要があるのか。とまで言った。


「ハインツは憤っていたよ。奥方も王のその対応に傷ついていた。そしてハインツの母であり、王の妻、そして二人の王子の祖母である王妃様もまた、傷ついた」


 王妃はどうして王がハインツに弟妹きょうだいを作ろうとしないか、知らないままだった。そして、孫に弟ができたことをとても喜んでもいた。だが、王が下の孫に接する様子を見て、もし自分にもう一人子供が生まれていたら、同じ対応をされたのだろうかと考えたのだ。


「長い年月をかけ、二人目を儲けようとしない王と、もう一人子供が欲しいと願う王妃の間には、ずっとその問題がくすぶり続けていた。そして、とうとうこの、孫への王の扱いの差が引き金となって、王妃は王宮を離れ、離宮で多くの時間を過ごすことを選んだ」


 王も王妃も、王宮が生活の場であり、仕事の場でもある。公私入り乱れる環境で、日夜顔を合わせていられなかったと言うことなのだろうか。


「そして、あの事故は起きた」


 父が、膝の上で組んだ手に力を込めた。

 当時、父は軍の少将で、近衛部隊を指揮する立場にあった。当日の王太子家族の護衛も父が同行する予定だった。


「その日は王妃の六十歳の誕生日だった。王太子夫妻と子供達は、お祝いのため離宮に向かう手筈になっていた」


 たくさんの贈り物を手に馬車に乗り込もうとした夫妻は、出発の直前で下の息子…つまりリオネルに熱があることに気づいた。

 熱がある子供を、馬車で二時間半もかかる場所には連れていけない。しかもあいにくの雨とあって、夫妻は下の息子を侍女に託して、王宮に置いていくことに決めた。そして、


『僕も残るよ。リオネル一人じゃかわいそうだ』


 セルリアンもそう言って、馬車から降りた。


 王妃は孫に会えるのを楽しみにしているだろう。だが、それは今日でなくたって構わない。天気は悪いし、子供を一人だけ残していくよりも、二人の方がリオネルも安心だろう。


 そう考えて、王太子妃夫妻は数名の護衛と共に、子供達を置いて王宮を出た。


「私は、ハインツからのたっての願いで、王子達の方につくことになった。職務とは別に、友人として王太子と語らい、王子達と接することの多かった私がそばにいれば、子供達が安心すると思ったのだろう」


 リオネルは赤子の頃からよく風邪を引いたし、熱を出すのも頻繁だった。予定の直前で体調を崩してしまうのは、よくあることだった。

 幸いリオネルの熱はそう高くはなく、元気もあった。二人で仲良く遊びながら、両親の帰りを待っていた。


「予定では、夕食を終えてから帰ってくるはずだった。だが、王太子夫妻は夜中になっても戻ってこなかった」


 雨足は夕方から強くなっていた。

 何かあったに違いない。

 捜索部隊はすぐに編成され、父達は離宮へ向けて王太子夫妻を探しに出た。


「…すぐには見つからなかった。普段使う街道ではなく、馬車は街道の裏を行く森の中を通っていたのだ」


 街道は大きく森を迂回する形で通っている。だが、森の中を通れば時間をかなり短縮できた。


「おそらく…王子達が心配だったのだろうな」


 王太子夫妻は帰り道を急ぎ、森の中を通るように指示して、崖崩れに巻き込まれた。

 崩落した土の山から少しのぞくひしゃげた車輪を見つけた時には、朝になっていた。王太子夫妻の生存の可能性は絶望的だった。

 まもなく夫妻の死亡は確認された。


「私は王宮へと馬を走らせた。王にこれを報告するのは、近衛の隊長である私の役目だったからだ」


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