19. レリッサと夢の終わり6

 パタパタと廊下を駆ける音がして、レリッサの部屋の扉が忙しなくノックされる。

 マリアが扉を開けにいけば、入ってきたのはサマンサとライアンだった。


「姉様、リオン様お帰りになったわよ?」

「良かったの、姉さん」


 言外に、どう言うこと? とそっくりな顔に書いてある。

 今日リオネルが来ることは、屋敷のみんなが知っていて、そして少し進みすぎた勘違いをしていたのはマリアだけではなかった。

 学園がお休みのサマンサとライアンも、朝からレリッサの様子を気にしていたし、もしかしたら呼ばれることがあるかもしれないと二人は家の中で過ごすにしては、きっちりとした格好をしていた。


「良いのよ。お兄様ともお久しぶりだったと思うし、積もるお話もおありだったんじゃないかしら」

「えー。そんなのつまらないわ。せっかく、ちゃんとご紹介いただけると思っていたのに」

「パトリス兄さんも、本当にタイミングが悪いなぁ」

「本当。もうしばらく領地でゆっくりしてきたら良かったのに」


 二人揃って、パトリスが聞けば泣きそうなことを言う。

 レリッサは苦笑いをして、「そんなこと言わないの」とたしなめた。


「それで? 姉さん」


 ライアンがにこりと笑った。さながら良くできた彫刻のようだ。


「どうだったの? 姉様」


 今度はサマンサが、やはり人形のごとき可憐さで微笑んだ。

 いや、微笑むと言うには、唇の端がニヤついている。


「え、なに?」


 年頃のライアンは、甘えてくることはすっかりなくなった。

 サマンサは同性故の距離感で今でもレリッサに抱きついてくることはあるが、それでも昔に比べればだいぶあっさりしたものになった。

 それが、何故か今日は二人揃って、甘えるようにレリッサの両端を陣取って、顔を覗き込んできた。


「何って、リオン様よ」

「どんな話だった?」

「求婚された?」

「結婚するの?」

「「指輪もらった??」」


 今や二人の表情は、微笑ましい笑顔ではない。

 すっかり姉をからかう悪戯な双子のニヤついた顔だった。


「も、もうっ。二人してからかって!」


 レリッサがさっと頰を染めると、二人はパッとレリッサの両脇からよけて、仲良く肩を揃えて立った。


「ほらサマンサ、あの顔は絶対なんかあったんだよ」

「朝の表情とは大違いね。姉様って本当にわかりやすい」


 こそこそと、けれどあからさまに聞こえるように言ってくる。


「もう、二人とも!」

「「こわーい!」」


 けたけたと笑いながら、サマンサとライアンは部屋の扉に向かって駆け出した。


「じゃあね、姉さん」

「元気そうで良かったわ」


 そう言うが早いか、二人は部屋の扉を音を立てて閉めて出て行った。


「もう。いつまでも子供なんだから…」

「ふふっ」


 部屋の隅で控えていたマリアが、くすくすと笑いながらレリッサの後ろに立った。それからレリッサを鏡台に座らせて、髪の毛をいじり始める。


「お二人とも、本当にお姉様思いですわね。今朝のお嬢様が、あんまり緊張した面持ちでいらっしゃったので、気にされていたのでしょう」

「…そんなに顔に出ていた?」

「お嬢様の考えてらっしゃることを、お顔から察するのはそう難しいことではありませんわ」


 オブラートに包んでくれたが、わかりやすいということらしい。

 そう言えばホーリィにも、そして先ほどサマンサにも同じことを言われた。


「良いお話だったようで、私も嬉しいですわ」


 マリアは、レリッサの髪を軽く編み込んで、派手でない程度の髪飾りで髪を留めて言った。


「そうね…」


 悪い話ではもちろんなかった。

 けれど結局、リオネルの『話したいこと』は聞けないままだ。


 どうにも心の奥が晴れない。とても喜びたいのに、何かがつっかえて気持ちが悪い。


「そう言えば、先ほど旦那様がお帰りになられたようですわ」

「そう。じゃあ、お戻りのご挨拶をするわ」


 まだ陽は高い。

 こんな時間に父が帰ってくるのは、本当に珍しいことだった。


 レリッサは部屋を出た。

 一緒に部屋を出たマリアは、一階で用事があると言って階段を降りて行った。レリッサは上の階に向かう。階段を上がってすぐが、かつて母が使っていた部屋。その隣が主寝室、そして父の部屋はさらにその隣にあった。


「どうしたの?」


 レリッサは、父の部屋の前で立ち尽くすハンナとリズを見つけて声をかけた。


「レリッサお嬢様」

「それが…」


 唐突に、ばんっと中で大きな音がした。

 レリッサはハッとして、咄嗟に扉に手をかけて、動きを止める。


『父上は何を考えておられるのですか!』

『何度でも言うが、お前がとやかく言うことではない』


 中から、怒声にも似た兄の声と、父の、相変わらず落ち着いた、けれどどこか苛立ちの含んだ声が聞こえた。


「旦那様がお戻りになってすぐ、パトリス様が中へ…」

「それ以来、ずっと何か口喧嘩をされているようで…」


 ハンナとリズは戸惑った様子で顔を見合わせている。

 ハンナは父の身の回りの世話をしに来たのだろうし、リズは屋敷にいる間はパトリスに付くことになっている。それぞれに父と兄に用事があったのだろうが、今しばらくは無理だろう。


「二人とも、別の仕事へ行ってくれて良いわ」


 二人は小さく礼をして、階段を降りて行った。

 中の会話が聞こえるような位置にいない方が良いと判断したのだろう。


「私も、ご挨拶は後にした方が良さそうね」


 小さくため息をついて、扉から少し距離を取る。

 部屋を戻ろうと身体を動かしかけて、レリッサは動きを止めた。


『レリッサに――』


 中から、自分の名前が聞こえた。

 兄の声だ。

 気になった。どうしても。

 だから、逡巡しゅんじゅんした末に、はしたないことだと知りながら、レリッサは扉の前に立ってそっと扉に耳を近づけた。



**********



 セドリックは、軍服を脱いで椅子にかけた。

 いつもなら侍女のハンナが受け取ってくれるが、今日は私室に入るなり久しぶりに会う息子が部屋に飛び込んできたので、受け取る者がいない。

 部屋の外に、そのハンナと息子に付いている侍女の気配を感じながら、セドリックは息子の方を振り返った。


「帰って早々なんだ。着替えくらい待てないのか」

「待てません」


 約半年ぶりにあった息子は、目の下にうっすらと隈を作っている。

 先日リオネルから、パトリスに少し無茶な頼みをしたと、申し訳なさそうに言われたので、おそらくはその為だろう。


 だがそれで良い。


 目の下の隈がなんだろう。そんなもので彼の役に立てるならば、いくらでも作るが良いのだ。


「どう言うおつもりですか」

「何がだ」

「レリッサとリオンのことです」


 息子は怒りのためか、目の端をピクピクと震わせている。


「どうして今なんです! どうしてお許しになったんです!? 今はダメです! まだ何も成就していないのに!」

「あの方がレリッサを見初められたのだ。どうして止めることができる。それからパトリス。リオン…ではない。リオネル様、もしくは閣下と呼びなさい」


 そう言うと、パトリスはぐっと口ごもった。


「…嫌ですよ。今は、まだ…。リオンもそれを望んでない」

「…まぁいい」


 嘆息して、セドリックは頭を振った。

 息子は頑固だ。誰に似たのだろうかと思って、亡き妻の顔がふと浮かぶ。


「僕は反対です」


 セドリックの前に立って、パトリスははっきりとした口調で言った。


「リオンの側にいれば、レリッサは嫌でも危険に晒されます。命だって狙われかねない」

「閣下が見初めたのがレリッサで良かったと思う他ないな」

「どうして! 父上はどうしてそうなのです! いつも閣下、閣下、閣下! 父上が一番に思うべきは、家族ではないのですか!」


 セドリックは握った手を、さらに強く握りしめた。


 息子の言葉は、少なからず心に痛かった。

 幼い頃から、満足に遊んでやったこともない。パトリスやエメリアとは多少同じ時間を過ごしはしたが、レリッサが生まれる頃には、セドリックの生活の大半は軍の宿舎だった。

 夫婦仲は良かった。子にも恵まれた。それでも、家族よりも大事なことがセドリックにはあった。


「お前には分かるまい」

「分かりますよ。分かりたいですよ、僕だって。どうしてちゃんと話してくださらないんです! どうしてそれほどまでに、リオンを優先するんです!」


 パトリスが側にあった書棚を殴るように叩いた。書棚が揺れる。

 これが幼い子供の言動であったなら、単純なやきもちと言えただろうか。けれど息子は十分に大人であって、それでも彼がそう言うのも無理はないと思うほどには、確かにセドリックはリオネルに傾倒しすぎている。その自覚はあった。


「父上は何を考えておられるのですか!」

「何度でも言うが、お前がとやかく言うことではない」

「いいえ、今日は引きません!」


 パトリスは血走った目で叫ぶように言った。


「あの日、幼い頃、リオンと引き合わされた日のことを、僕は今でもずっと覚えています! 父上が、友達になって差し上げろと言った! あの日のことを!」


 セドリックの脳裏にも浮かんだ。


 生気のない顔付きをした、少年。

 瞳は輝きを失い、瘦せ細り、顔にも身体にもたくさん痣をこしらえていた。


 かつての、リオネル・カーライル。


「僕は今まで、父上の言う通りにしてきました。リオンと友達になったし、父上が言う通り、リオンが望むことにはできる限り応えてきました。リオンのために一人領地に戻り、領地の経営を学びもした。リオンのために…それ自体に否やはありません。彼はそれだけの人です。僕も彼を『王』にしたい。でも…」


 パトリスがぐっと拳を握った。


「こと、レリッサに関することは別です! 二年前、このままスタッグランドにいては危険があるからとアザリアに逃したリオンの状況は、今でも変わらないはずです! いや、一層危険は高まったと言っていい! それなのに、どうしてよりによって今、レリッサをリオンに近づけたんです! これじゃあ、レリッサまで危険に晒されます!」


 セドリックは大きくため息をついた。

 苛立ちを隠しはしない。

 そのため息に、パトリスは小さく肩を揺らした。それでも負けずに、息子は口を開いた。


「『王』とはなんです? 僕はそれすら知らされていない」


 セドリックの目を見つめてくる、同じ色の瞳には力があった。

 決して引く気は無いという、意思の表れ。

 セドリックはちらりと扉の外に意識をやった。

 そこにレリッサが立っていることには、随分前から気づいていた。


「私は、レリッサを『王妃』にする」


 気づいていて、あえて声に出した。

 息子にも、そして当事者である娘にも、もう話しても良い頃合いだった。



**********



 レリッサは、一歩、二歩と扉から遠ざかった。


(どういうこと…?)


 なんの話だろう。

『王』とか。危険とか。

 そして。


「王…妃…?」


 漏れ聞こえてきた会話だけだが、父が何を考えているのか分からない。


 知らなければいけない気がした。

 ちゃんと。それはリオネルの出自に関することだ。

 きっと、彼は自らの口で話そうとしてくれていたのだろう。


 けれどレリッサは、父と兄の会話を聞いてしまった今、このまま待つことはできそうになかった。どうしようもなく怖かった。


(ごめんなさい。リオン様)


 レリッサはきびすを返して、父の私室の隣、書斎に飛び込むように入った。


 両側の壁に沿って、ずらりと資料が並ぶ。その一番奥の、ガラス戸のついた書棚に近づく。そこに、軍に関連する資料が仕舞われているのだ。

 普段なら機密に関わってはまずいので、レリッサはこの棚には決して手を触れない。けれど今は躊躇いなくガラス戸を開け、急いで並ぶ本の背表紙に指を滑らせた。


「あった」


 軍の在籍名簿だ。

 毎年更新されていく物で、倉庫には過去数十年分が管理されているが、ここにあるのは今年発行された分。

 まずはリオネルのちゃんとした立場を知りたい。


(とりあえず佐官以上…)


 名簿は官位の順番に並んでいる。

 レリッサは、少佐以降のページを開いて、一枚一枚名簿をめくっていく。


 名簿には名前や胸元から上の絵姿、所属部隊、軍での経歴や、在籍年数、軍での主な功績などが載っていた。

 少佐、中佐、大佐とページをめくり、将官の欄に移る。少将、中将…と次第に少なくなっていくページをめくって、レリッサは小さく息を吐いた。


「ないわ…」


 佐官以上だと思ったのが、勘違いだったのだろうか。

 下級士官の欄も見てみるべきか。

 最後には見慣れた父の顔があった。


 セドリック・ラローザ。官位は大将。役職は将軍。軍には四十年前、学園の卒業と共に入隊し、わずか十年で少佐にまで登り詰めた。そこからまた十年で少将に。大将になると共に将軍の地位に就いたのは、ここ十年ほどのことだ。功績の欄は、びっしりと埋まっていた。レリッサが学園の授業で習った大きな戦から、小さな小競り合いまで。書ききれずに、最後には『その他、多数』とまとめられている。


 レリッサには軍の事情は分からない。けれど、父が恐らく他と比較してかなり早い速度で昇進して行ったのは間違いなさそうだ。

 レリッサはため息をついた。

 それから何の気なしにもう一枚ページをめくって、目を見開いた。


「あ…」


 リオネルの顔があった。

 絵姿が更新されていないのか、今より少し幼い。入隊直後だろうか。


 リオネル・カーライル。

 官位は――やはりここでも無記載。役職は。


「えっ」


 レリッサは、小さく声を漏らした。


『リオネル・カーライル。官位 (空欄)。役職――元帥』


 そう書かれていた。


 元帥。そんな役職は聞いたことがなかった。


 けれど、一つだけ言えることがあった。父の言動を省みるに、彼は父よりもさらに上の立場にあると言うことだ。

 それから、レリッサは指を下へと滑らせた。

 在籍年数十九年。


「十九年…?」


 そんな、ありえない。

 彼は兄と同い歳だと言っていた。つまり今二十四歳だ。もし記載された年数が間違いでなければ、彼は五歳から軍に入っていることになるのだ。


「流石にこれは何かの間違いね」


 きっと九年の間違いだろう。九年だったとしたら彼は十四歳。貴族なら皆、学園に通っている年齢だが、平民なら学園に通う者はそう多くないし、学園に通う代わりに軍に入隊すると言うのも無い話ではない。在籍簿の編集者が間違えたのだ。


 その他に、得られる情報は名簿からはもう何もなかった。リオネルの名簿は、恐ろしく白かったのだ。それ以外、何も書かれていない。

 レリッサは軍の在籍簿を閉じて元に戻した。


 リオネル・カーライルは軍の元帥である。そしておそらく、軍のトップだと思われていた父よりもさらに上に立場にある。それだけは分かった。

 けれど、これ以上のことはここから辿ることは無理なようだ。


「あとは…」


 レリッサはガラス戸を閉めて、隣の書棚に視線を移した。

 期待はできないと思いながら、貴族名鑑を手に取る。こちらは、数年に一度発行される物で、家族全員の絵姿と、名前と生まれ年が系譜に沿って簡単に記されている。薄っぺらいそれをぱらぱらとめくって、レリッサは閉じた。


(どうしよう…)


 手がかりはあっさりと途絶えてしまった。

 けれど、焦燥感にも似た何かが、レリッサに『探せ』と告げてくる。

 何か、何かを見落としている気がするのだ。


「カーライル…カーライル…」


 レリッサはつぶやきながら、書棚に並ぶ背表紙を目で追う。


 妙な予感があった。


 書棚の端にある、背に文字を刻印できないほど薄い、けれど装丁の豪華な書物。それを手に取った。

 頭に浮かんだのは、リオネルではなくセルリアンだ。この書物は、王族の系譜図なのだ。


(セルリアン様…)


 見なければと思った。


 スタッグランド王国の歴史は600年。辿るのはそう難しいことではなかった。

 つらつらと婚姻と血縁を示す線をたどり、一番最後、セルリアンの文字に辿り着く。彼の上に記された、かつての王太子夫妻の名の横にはすでに十九年前の日付で没年が書かれている。


 現王族で、没年が書かれていないのは、国王であるアンドローガ・ディ・レ・スタッグランドと、王太子であるセルリアン・ディ・レ・スタッグランドのみ。


「国王陛下はご弟妹きょうだいが多かったのね…」


 レリッサは系譜を見つめながら、ぼんやりと呟いた。


 セルリアンの父である王太子は一人っ子だったが、その上に国王と共に並列された名前はたくさんあった。ちょうど、ラローザ家と同じ六人だ。長男である国王を筆頭に、弟が三人と妹が二人いたようだった。


 妙な親近感を感じながら、レリッサは「あれ…」と呟いた。


(みんな同じ年に亡くなってる…)


 流行り病でもあったのだろうか。国王を残して、他の弟妹きょうだいは皆、同じ年に亡くなっていた。


(国王陛下、一人息子である王太子様も亡くなられて、ご弟妹きょうだいも早くに亡くされて、今はセルリアン様お一人…)


 なんと寂しいことだろうか。

 レリッサはたまらない寂寥感せきりょうかんを感じながら、国王と線を結ぶ、やはり今は亡き王妃の名を見る。


「あ…」


 レリッサは、目を見開いた。


(どうして…)


 どうして気づかなかったのだろう。

 国王の妻、今は亡き王妃の名前。


『ヒレリア・カーライル』


 王国の歴史は、必ず学園で学ぶ。その中の、最も近しい歴史に刻まれる名だった。

 レリッサにとってそれは生まれる前の古い出来事で。それ故に、すっかり失念していたのだ。


 カーライル侯爵家。今はもうないが、かつての王妃ヒレリアの生家であり、カーライル侯爵は国王が戴冠した際の宰相でもあった。当時、カーライル侯爵家には子供はヒレリアしかおらず縁戚もなかったため、彼女が王家に入ったことで血筋は途絶え、以降カーライル侯爵領は王家直轄地へと併合され、カーライル侯爵家は断絶した。


(どうして、リオン様がカーライルの名を…?)


 不意に、パタパタと廊下を走る足音が聞こえた。

 その足音が書斎を一旦、通り過ぎ…そして戻ってきた。


「お姉様! こんなところにいた!」

「ホーリィ」


 隙間を開けていた書斎の扉の向こうから、ホーリィが顔を出した。


「どうしたの。今日はお茶会でしょ?」

「違うのよ! 違う!」


 ホーリィは駆け寄って来て、レリッサの両肩を掴んだ。


「違うって何が…」

「リオン様よ!」


 見れば、ホーリィはこめかみに汗をかいていた。

 それほどに急いでここまで来たのだ。先ほどの言動から察するに、レリッサを探し回っていたのかもしれない。


「リオン様? どうしたの、一体…」

「落ち着いて聞いてね」


 ホーリィはそう言いながら、自分自身が一つ深く呼吸をした。

 そして、レリッサが持っている王族の系譜図に目を止めた。


「そう。お姉様も辿り着いたのね」

「辿り着いたって、何を…」

「リオン様はね」


 ホーリィは言った。


「王太子様の弟君なのよ」


 レリッサの肩を掴む、ホーリィの手に力が籠る。

 レリッサは瞬いて、告げられた言葉を頭の中で反芻した。


(弟君…? つまり…?)


 ふと、頭の中に浮かんだのは。

 セルリアンの私室で見た絵だった。銀髪の少年が、黒髪の子供に手を差し出している、絵。


(あれは…リオン様?)


「でも…だって…」


 系譜図には、セルリアンの名しか載っていない。

 ホーリィはレリッサの目を見つめながら首を振った。強いエメラルドの光だ。


「本当なの。私、マグフェロー公爵が言った言葉がどうしても気になって、いろんな人に聞いて回ったの」

「マグフェロー公爵…?」


 レリッサは首を傾げた。


「公爵は、王太子様とはそういう関係じゃないって言ったお姉様に、分かってるって言った。それでも尚言ったのよ」


 レリッサは思い出す。

 マグフェロー公爵のあの圧倒的な口調。


『王族はやめておけ。あれはロクな血ではない』


 レリッサはあの時、王族とはつまりセルリアンのことだと思った。

 けれどあれは。


「あれは、リオン様のことだったのよ。お姉様」


 ホーリィは断定的に言った。

 ホーリィはこの二日間、夜会で知り合った貴族達に会いに行っていたのだという。出来るだけ年嵩としかさで噂好きの淑女たちの元へ。そして聞き出して来た。


「二十四年前、王太子夫妻には確かにもう一人男のお子様が生まれていたって。けれど弟君はとても病弱で、生まれてからもお披露目はされなかった。名前だけが新聞に載ったの。その名前が、リオネル」


 弟王子は、いるらしいけれど、見たことがない。そういう存在だった。


 少し大きくなれば夜会などで目にすることもあるだろう。すでに王太子夫妻には後継である長男がいる。たとえ弟王子の様子が知れなくても、何も問題がない。人々がそう思っていた頃、王太子夫妻は馬車の転落事故で亡くなった。


 王太子夫妻の死は、国民に衝撃を持って伝えられた。

 国王の嘆きは深く、喪に服す期間は二年にも及んだ。

 喪が明けると共にセルリアンは王太子を継嗣し、立太子の儀式はそれは盛大に行われたという。だが、その場にも弟王子の姿はなかった。


 やがて、弟王子の存在は忘れられていく。新聞にも、人々の噂にも登らなくなっていった。


「でも確かに覚えている人はいたの。シーズン初めの夜会でリオン様が姿を表した時、気づいた人もいて、少しずつ噂になっていた。亡き王太子様にとても容姿が似てらっしゃるって」


 レリッサはなんと言えば良いか分からずに、王族の系譜図を見下ろした。


(リオン様が王族…? だから、『だめじゃない』っておっしゃったの…?)


 コツンと音がした。

 レリッサとホーリィは、ハッとして音がした方を振り返った。


 書斎の入り口に父が立っていた。


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