12. ホーリィとエド1

 エドは、今日も手紙と花を携えて道を歩いていた。ここ数日ですっかり通い慣れてしまった道だ。

 花はいつもなら一輪だが、今日は夜会の前日ということもあって束でこしらえた。もちろん一本一本棘は削いである。

 エドはこの花束を差し出されたレリッサの様子を想像してみる。きっと控えめに、けれど華やぐように笑うだろう。その表情を送り主に見せてやれないのが残念だ。


 今日は、空気は冷えるがその分空が澄み切って気持ちが良い。そうなると自然、鼻歌の一つも歌いたくなると言うものだ。少し調子の外れた音を鳴らしながら、貴族の住宅街に繋がる通りに入る。大通りに比べるとぐんと人通りが減るが、その静けさがかえって心地良い。


 高い石壁に沿ってしばらく歩く。続いていくつか小さな四つ辻を過ぎ、やがてずらりと道に沿って植えられた生垣に辿り着く。その生垣に沿って歩いていけば、その生垣の向こうにシンプルな外面の屋敷が見え始める。それがラローザ伯爵家である。


「お」


 エドはふと立ち止まった。

 伯爵家の三階の角部屋。一番通りに面した部屋だ。その窓辺に飾られた花の間に、ふと本来ならそこにないはずの色合いを見つけた。


 エドは幸い目が良い。そこにあるのが何か、そしてそれが意図することをしっかりと理解をして、身体をくるりと反転させた。


「りょーかいっと」


 ふっと笑って、来た道を戻って行った。



**********



 その少し前のこと。

 ホーリィは自室の窓を開いた。そこには広大とまでは言えないが立派な庭園が広がっていて、すぅと細く息を吸い込めば、澄み切った空気が染み込んでくる。


 通りに面した三階の角部屋。本来はエメリアの部屋だったのだが、幼い頃、ホーリィがどうしても窓が沢山ある部屋が良いと駄々をこねた末に、ホーリィの泣き声に辟易へきえきしたエメリアが渋々譲ってくれた部屋だ。陽当たりは良いし、窓を開け放てば風の通りも良い。おまけに、窓を開けて身を乗り出せば、生垣の隙間に逢引の相手が待っているのを確認することができる。年頃の娘には、なんとも都合の良い部屋だった。


 葉を落として枝が露わになった庭から視線を手前に移せば、窓辺に飾られた花が目に入る。先ほど侍女が水をやったばかりで、水滴が花弁の上でキラキラと光を反射していた。


「ホーリィお嬢様。サロンにてお茶をご用意しております」


 ダンに背後から声をかけられて、ホーリィは「分かったわ」と返事をする。それから、後ろから見えないように袖口からスカーフを取り出すと、窓辺の花の外側、鉢植えを支える柵にそっとくくりつけた。

 青色のスカーフが風にはためく。地味でなんてことない色のスカーフだが、存外、花の中にあって人工的なこの色は目立つ。


 ホーリィはダンに促されて、自室の扉を出た。廊下を歩いて階段を降りればすぐそこがサロンだ。

 今日は午前中、お茶会があるはずだった。それが、主催者が流行風邪にかかったと、急遽キャンセルの連絡があったのは昨晩遅くのこと。シーズン中はほとんど毎日お茶会に出かけているホーリィは、突然空いた予定をどう過ごしたものかと、手慰みに刺繍をしてみたものの、今ひとつ乗り切らずに少し刺してほっぽり出してしまった。結局ぐだぐだと時間は過ぎ、もはや昼下がりだ。


「時間を無駄にした気分」


 小さくため息をつくが、それを拾う者はいない。


 サロンの扉をくぐれば、いつもの定位置でソファに浅く腰掛けて、前屈みで本を読む一つ上の姉の姿。ホーリィが記憶する限り、朝食後の団欒以降、ずっとこの体勢ではなかったろうか。昼食の席にも現れなかった。ローテーブルに置かれたお茶は、少しも減ることなく、すっかり冷めきってしまっているようだ。


 ホーリィはレリッサの少し後ろに控えて立つマリアを見た。彼女はホーリィの視線に気がついて、苦笑いで首を横に振る。『話しかけても無駄』と言うことだろう。彼女のことだ、主人に昼食を食べさせようと声をかけたには違いないが、梨のつぶてだったのだろう。通りで、お茶のポットの横に、申し訳なさそうに小さなサンドイッチが鎮座しているはずである。もちろん、こちらもそろそろ出来立ての美味しさを手放そうとしている。


 レリッサがそこまで集中して読み込む書物である。さすがのホーリィも興味を抱いて、姉の頭上からこっそり覗き込んでみた。


(なにこれ。さっぱり分からないわ)


 呆れるくらい難しい文字の羅列だった。数字やら図なども載っているが、ホーリィにはそれが何を意味するかはさっぱり分からない。


 妹のサマンサは自他共に認めるガリ勉で、勉強が大好きと言う変わった少女である。だが、あくまで好きなのは自分の興味のある分野に限り、守備範囲はおおよそ学園で習う科目と彼女特有の魔術関連に絞られる。


 ところが、姉のレリッサときたら、文字なら何でもいい。それが紅茶の缶の裏の但し書きだろうが、誰かの書いたメモだろうが、新聞に差し込まれた小さな広告でも。そしてそれが、いかに難しい専門書であったとしても。本人曰く、あまり専門性が高すぎると理解できるのは半分ほどらしいが、それでも読むのは楽しいらしい。本当に文字なら何でも良いので、外国語の本も分からないなりに読み始めて、結果的にいつの間にか苦もなく読めるようになっていたりする。唯一例外があるとすれば、新聞のゴシップ欄。一応ざっと目を通しはするが、下世話すぎてあまり内容を頭に入れないようにしていると、いつだったか言っていた。むしろ、そちらの方が読んでいて楽しいホーリィとは真逆である。


(もったいないのよねぇ)


 ホーリィは、マリアが注いでくれたお茶で唇を潤しながら独りごちた。


 スタッグランド王国には十二歳から十五歳の子女が通う学園以上の教育機関がなく、特に女子となれば、いかに勉学に優れていようとも、殊更にそれが何かに結びつくことはほとんどない。平民もしくは爵位の低い貴族の出で、稀に学園で成績優秀であった女生徒が、学園の教師の推薦をって政府の機関で働くこともあるが、ホーリィ達のような高位の貴族令嬢であれば、一番の仕事はやはり他家との縁を結ぶことにあり、文官として働く道を選ぶことは稀だ。


 故にレリッサは、その頭に蓄えた知識を活かすこともなければ、殊更にひけらかすこともなく、彼女がいかに優秀な人物であるかを知るのは彼女に近しい極少数の人間に限られる。

 彼女は、実は明晰なその頭脳を披露することもなければ、この王国ではやや珍しい色彩のその人目を引く容姿をずる賢く利用することもなく、ただただ真面目で控えめで温和な一人の少女だった。容姿に至っては、本人はむしろ劣等感すら感じている始末だ。


『岸壁に咲くリリカローズそのもの』とは、果たして誰が言い始めたのか。レリッサ・ラローザを表す言葉に、これほど適切な表現をホーリィは知らない。最初に聞いた時、『なるほど』と納得したものだ。


 岸壁の岩場に芽生えて、一枝につき一輪の渾身の花を咲かせるリリカローズは、凛として、その花弁の色はあくまでも自己主張のない白一色でありながら、控えめなその香りは、一度嗅ぐと脳裏に甘く残る。岩場に咲いて、なかなか手に取らせないのもまた、いかにも姉らしいではないか。皆、仰ぎ見ることはあっても、その『華』に手を伸ばすのを躊躇うのだ。


 ホーリィが、お茶のお代わりをマリアに所望した頃、ようやくレリッサが身じろぎをして、顔を上げた。


「ホーリィ? いたの?」


 いつの間に、と言いたげなレリッサに、ホーリィは呆れてため息をつく。


「さっきからずっといたわ。お姉様、いったいいつからそこにいるの? 椅子とお尻がくっついて、離れなくなってしまうわよ」


 そう言って、ホーリィはレリッサの傍にある小さなサンドイッチをつまみ上げ、レリッサの口元に差し出した。


「料理長がせっかく用意してくれたサンドイッチも台無しよ」

「…いただきます」


 レリッサは申し訳なさそうに眉を下げると、ホーリィの手からパクリとサンドイッチを食べた。二つ目からは自分で手にとって、口に運び始める。


「お姉様が本に夢中になって周りの声が聞こえなくなるのはいつものことだけれど、それ、そんなに面白い本なの?」


 そう水を向けると、レリッサは表情を輝かせて、本の表紙をホーリィの方に向けた。


「これ、アザリア公国の本なの! スタッグランドには入ってきていない経済書よ。隣国なのにどうして入ってこないのかしら? とても良い本なの。スタッグランドでも参考にできる点がたくさんあると思うわ。特に領地における税収の仕組みが…」

「ストップ」


 ホーリィは、手を上げてレリッサを止めた。このままだと、本一冊分の中身を延々と聞くことになってしまう。ホーリィが気になったのは、本の中身ではない。


「アザリアの本がどうしてここにあるのよ?」


 そう問うと、レリッサがふわりと微笑んだ。甘い香りが立つような、ほころぶような笑みだ。


「リオン様が貸してくださったの」


 ああ、と思う。


 最近、姉は件の『リオン様』と文通を始めたという。なんと古式ゆかしいことだろうかと思うが、そうやって緩やかに気持ちを育んでいく関係を、少し羨ましくも思う。ホーリィの知る恋愛は、もう少し即物的だ。


 思えば前の婚約者の時は、相手の押しがとにかく強くて、レリッサは終始流されっぱなしで、見ていて少し心許無くなるような恋愛だった。父が後押しをしたのが、かえって彼女の退路を奪ったようにも見えた。


 それが今は、毎日嬉しそうに手紙のことを話しながら、穏やかに微笑んでいる。


「明日の夜会で、何か進展すると良いわね」


 ホーリィは、マリアが新しく入れてくれたお茶の香りを楽しむため、カップを口元に寄せながら言った。


「進展…?」


 だが、肝心のレリッサは、はて、という顔をしている。

 ホーリィは苦笑いをしながら、お茶を一口飲んでから口を開いた。


「好きなんでしょ? そのリオン様のこと」


 そう言うと、レリッサの顔は悲しそうに微笑んだ。


「そんなことないわ」

「…お姉様?」


 てっきり、顔を赤くして否定すると思ったのに。

 レリッサの表情はホーリィが想像していたのとは、逆だった。


 それは、どこか、諦めにも似た表情で。泣きそうだと、そう思った。


 ホーリィは椅子から立ち上がって、レリッサの横に立つと、そっと姉の頭を胸に押し付けるように抱きしめた。


「ホーリィ?」


 くぐもった声が、胸の中から聞こえる。


「泣かないで、お姉様。私は、お姉様の涙は嫌いよ。お姉様を泣かせるものは、もっと嫌い」


 そう言うと、胸の中で、ふふとレリッサが笑った。


「嫌だ。泣いていないわ」

「嘘よ」


 つい昨日まで、『リオン様』の話をする姉は、とても幸せそうだった。兄弟姉妹きょうだいみんなが愛して止まない、あの緩やかに花咲く笑顔で微笑んでいたのに。今日のこの表情はどうしたことだろう。


(昨日、何かあったのかしら)


 昨日、レリッサは王宮から呼び出しを受けて、王太子に拝謁したのだと言う。どう言う用件だったのかまでは、レリッサは話さなかったが、恐らく今日にはこの話がどこかから漏れて、明日の新聞のゴシップ面を賑わすことだろう。


 何せ、父に言わせれば『王宮の情報統制はザル』らしいので。


 明日は夜会もあると言うのに、悩ましいことだ。

 けれど、妹のサマンサによれば、王宮からの帰りにサマンサをきっかけとした厄介ごとに巻き込まれたレリッサを心配して、リオネルが早馬で駆けつけたと言うではないか。


 わざわざ早馬で。何も想いのない相手に、そこまでする訳がない。加えて言うならば、なんの気もない女性にドレスを贈る男はいないし、ましてや手紙を贈るのにわざわざ花を添えて来るものか。

 夜会での様子を見ても、相手がレリッサに特別な想いでもって接しているのは明らかだ。


 レリッサだって、きっと同じはずだ。

 でなければ、リオネルが書いてきたカードを何度も大事そうに撫でたり、悩ましいため息をついたりなどしない。


(ああ…そうか)


「お姉様、自覚したのね。リオン様が好きだって」


 今までホーリィにされるがままだったレリッサが、身体を小さく震わせた。それが答えだった。

 レリッサを抱きしめていたホーリィの腕にレリッサの手が伸びて、そっと腕を剥がされる。

 腕を解いた後には、やはり悲しげな笑みがあった。


「ホーリィには隠し事なんてできないわね」

「…というか、お姉様は分かり易いのよ」


 ホーリィは絨毯の上に膝をついて、レリッサの手を握る。下から見上げれば、レリッサの目が少し赤いことに気づいた。


(ああ、そういうこと…)


 朝からずっと、家族の団欒にも加わらないで、本を読んでいたのは。昨夜泣き腫らした目を、家族に気づかせたくなかったからだったのだ。

 それがいつの間にか本に熱中してしまったのは、いかにもレリッサらしいことだが。


「何がだめなの? 何をためらうの? 良いじゃないの。好きなんでしょ? その気持ちのままじゃいけないの?」


 そう問うと、レリッサは小さく首を横に振った。


「リオン様は爵位をお持ちじゃないもの。好きになっても、それ以上は望めないでしょう?」

「そんなの…」


 どうだって良いじゃない。

 そう言えたら良かった。


 けれどホーリィにも、レリッサの言わんとしていることは分かった。恋人にするなら別に良い。けれど結婚となると、話は別。それが貴族令嬢のしがらみなのだ。先の望めない、一時の熱だけを求める恋愛なんて、レリッサは思いつきもしないだろう。


 ホーリィが二の句を継げないでいる間に、不意に玄関の呼び鈴が鳴った。

 ホーリィは小さくため息をつくと、レリッサの手を一度きゅっと強く握ってから立ち上がった。


「お姉様にお客様みたいよ」


 ホーリィが、予定が白紙になったのを良いことに、街にショッピングへ出るでもなく、流行りの芝居を観に行くでもなく、ただこうして家で時間を潰していたのには、それなりに訳がある。

 これから来る客はあくまでレリッサの客だが、ホーリィも『彼』に大いに用事があった。


 玄関先でわっと歓声が湧く。

 何事かとレリッサが扉の方を振り向いたところで、ダンが扉をノックして入ってきた。


「レリッサお嬢様。本日もエド様がお越しです」


 そうして開かれた扉の向こう。

 真っ白な花束を抱えて、ホーリィのよく知る優男がそこに立っていた。


「エド様。いらっしゃいませ」


 レリッサが立ち上がって、サロンに入ってきたエドに駆け寄る。


「こんにちは。今日はこれ、花束。明日の夜会、楽しみにしてるってリオネルが」

「まぁ」


 レリッサが花束を受け取る。

 それから仄かに頰を染めて花束を抱きしめた。


(あんなに嬉しそうにしているのに)


 レリッサの横顔を見つめながら、ホーリィは悲しくなって眉を下げた。姉の幸せを願ってはいるが、ホーリィにはどうしてやることもできないのだ。


 レリッサの表情を満足げに見下ろしていた男が、ついとホーリィの方に視線を向けた。そして、ダンからもう一つ別の花束を受け取ると、それを抱えながら、ホーリィの前にやってきて膝を折った。


「今日も麗しきスタッグランドの華。やっと会えましたね。せっかく用意した花も、君の美しさには叶わない」


 そう言って、ホーリィの手を取り、手の甲に触れるだけのキスを落とす。

 これだけ見れば、完璧な貴公子だった。

 だが、どこか芝居掛かったその所作に、彼の、口元の笑いを堪えるような小さな震えをホーリィは見逃さなかった。小さくため息をついて、さっと手を引き抜く。それから今まで自分の手を包んでいた手のひらをペチンと叩いた。


「そういうのは結構よ。ずいぶん久しぶりじゃない。言いたいことが山ほどあってよ」


 ホーリィの言葉に、エドは表情を崩すと「へへ」と笑って、頭を掻きながら立ち上がった。


「あー、慣れないことなんてするもんじゃないね。背中が痒くて仕方ないや」


 実際、本当に腕をかき始めるのだから、全く残念な男だ。さっきの口上は、口の震えさえ無視してやれば、見れたものだったのに。

 エドは抱えていた花束を片手でほい、と雑にホーリィに差し出した。


「これは? せっかくだからもらってくれない? わざわざこれ買いに戻ったんだから、俺」

「知ったことじゃないわ」


 そう言いながらも、ホーリィは花束を、やはり差し出されたのと同様に、雑に片手で受け取った。

 レリッサに渡されたものとは違い、こちらは紅薔薇の、棘が付いたままの代物だ。渡してきた相手にも、渡され方にも大いに文句があったが、花に罪はない。ホーリィはその花を隣にやってきたリズに差し出した。


「これ、私の部屋に生けといてくれる?」

「かしこまりました」


 リズが早速、花束を持って部屋を出て行く。

 ふと、ホーリィは部屋中の視線が自分に集まっているのを感じて、リズの背中を追っていた視線を部屋の中に戻した。

 レリッサが、リリカローズの花束を抱きしめながら、目を丸くして、ホーリィとエドを交互に見ていた。


「二人は、お知り合いなの?」


 問われて、ホーリィは答えをエドに委ねた。

 エドはにこ、と彼特有の、特別人好きのする笑みを浮かべた。


「そーなんだよねー、実は! ホーリィがデビュタント迎えてすぐだっけ? 夜会で出会ってさー。毎日、ここに来るたび会えたら良いなって思ってたんだけど、ホーリィ全然いないしさぁ」


 ペラペラと話し始める。だんだん、アプローチしてるのに全然応えてくれないだとか嘘八百を述べ立てだしたので、ホーリィはエドの頰を思いっきり引っ張った。


「ッて!?」

「余計なことペラペラ喋ってんじゃないわよ。行きましょ」

「わー、ホーリィ自ら案内してくれるなんて、俺、めっちゃ嬉しー。あ、お嬢様、手紙のお返事、ゆっくり書いてね〜」


 呆気に取られているレリッサや侍女達に、エドはひらひらと手を振って。ホーリィはその反対側の腕を掴んで、ぐいぐいと引っ張りながら、振り向かずにサロンを出た。

 バタンと背で扉が閉まる。その音を聞いて、ホーリィはエドの腕を離して、大きくため息をついた。


「ここじゃ話しにくいわ。こっち、来て」

「え、まさか秘密の逢引? 俺、今日何色のパンツ履いてきたかな?」

「殴るわよ」


 ホーリィが一段低い声でそう言うと、エドは降参とばかりに手を挙げた。


「すみません」

「…ったく」


 相変わらず軽薄な男だ。

 ホーリィはため息をつきながら、足先を屋敷の奥へと向けた。聞かれたくない話をするのに、気兼ねがないのは自分の部屋だったが、そのつもりのない男と二人で部屋に閉じこもっていると知られるのは、貴族令嬢としては外聞がよろしくない。他に人があまり来なさそうな所、と考えて、厨房の横の勝手口から庭へ出て、うまやの方へと歩みを進める。


 ここなら、人はあまり来ないだろう。

 天気の良い昼下がりだが、方角的に屋敷が太陽の邪魔をして、そこは暗がりだった。


「どう言うつもり?」

「どう言うって?」


 先ほどの、軽薄そうな男のなりは消えていた。

 エドはただいつもの人の良い男の顔をして、ホーリィに問うた。


「大事なお姉様に俺が近づいてること? それとも、ここ最近音沙汰がなかったこと?」

「それもあるけど。あなたの雇い主の話」


 ホーリィが一番問いたかったこと。


「リオネル・カーライルって、何者?」


 レリッサが、リオネルの話を信じたのは分かる。あまり人を疑わない人だ。

 だがホーリィには、リオネルが爵位を持たないという話には、違和感しか感じなかった。


 レリッサから話を聞く限り、彼は軍でもそれなりの地位にいるはずだ。そうでなければやはり、金に糸目をつけずにドレスを贈ることなどできない。マダム・モリソンは貴族の御用達服飾店の中でも、最高級の品を揃える名店なのだ。それに、彼が毎日レリッサに贈ってくるリリカローズだって、花屋に行ってすぐに買えるような代物じゃない。西の辺境地でしか採れないだけに、それなりの稀少性がある。そうなると自ずと価格も上がるというものだ。

 そんな人物が、爵位も持たず、地位もない。そんなこと、あり得るだろうか。


 エドは、ホーリィの問いに、すっと目を細めた。そして、ふっと少し意地悪な笑みを浮かべた。


「自分で調べてみれば? そういうの得意でしょ?」


 ホーリィは、キュッと唇を噛み締めた。


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