07. レリッサの困惑3

 その日、ラローザ邸は朝から慌ただしかった。


 侍女に早朝から叩き起こされ、ホーリィと共に全身洗い上げられ、磨き上げられる。丁寧に柔らかいタオルで水分を取った後は、保湿力が普段の倍以上という、こういう時しかお目見えしないクリームで、指の先から足の先まで、入念にマッサージ。続いて、少しずつ時間をかけてコルセットでウエストを締め上げていく。ここに一番時間がかかり、その間、まともな食べ物はほとんど口にできない。料理長が作ってくれた一口サイズの小さなサンドイッチをつまみながらお茶を飲んでいると、すっかりお年頃のライアンが偶然にも通りかかってしまい、バスローブ姿の姉二人から挙動不審に視線を逸らしながら、「女性は大変ですね」とかなんとか、労りの言葉をかけて逃げていった。


 ちなみに宣言していたサマンサは元より、エメリアもまた、前回に引き続き今回の夜会も不参加だ。これにはホーリィが「お姉様、このまま独り身を通されるおつもりじゃないわよね?」と心底いぶかしげに呟いていた。


 時間をかけて締め上げたウエストが落ち着いた頃、デコルテから顔にかけて、キラキラした粉の入った白粉で化粧をしていく。レリッサはあまり濃いメイクは好まないので短時間で終わってしまうが、ホーリィはアイラインの濃さから何から細かいこだわりがあるようで、小一時間かけていた。化粧が終わると、髪を結う。レリッサは、今日はドレスに合わせてハーフアップにしてもらった。これもまた、ホーリィにはこだわりがあるようだが、レリッサは基本的に侍女にお任せである。レリッサ付きの侍女マリアは、髪結いにかけては屋敷一番の腕を持つ。全面的に信頼しているのだ。


 ここでようやくドレスの出番である。


「お嬢様。本日のドレスでございます」


 そう言ってマリアが持ってきてくれたのは、美しい苔桃色のドレスだった。肩はオフショルダーで、腰から下にかけて、少しずつ色が薄くなっていく美しいグラデーションのティアードスカート。その上には、丹念に刺繍の施されたレースのオーバースカートがかかっていて、マリアがドレスを揺らすたび、キラキラと刺繍に使われた銀糸が輝く。


「綺麗…」

「ええ、本当に。こんな素敵なドレス、めったにお目にかかれるものではございませんわ」


 ですから、とマリアは言った。


「本日は、侍女一同、いつもよりさらに気合いを入れてお支度させていただいております」


 それは、言外に「自信を持って」と励まされているようで。

 レリッサはふっと微笑む。


「いつも本当にありがとう」


 マリアはにこりと笑って、ドレスのファスナーを下ろした。


 侍女三人がかりでドレスを着つけていく。苔桃色はレリッサだけでは決して選ばない色合いだ。ちなみに残り二着は、どんな場面でも使える紺と銀のドレス、それから今シーズンのトレンドから山吹色のドレス。偶然にもそのどちらも、リオネルの軍服の刺繍の色や、その瞳の色をどこか連想させる色で。


 レリッサが、自分では選ばない色を今日あえて選んだのは、リオネルを連想させるドレスを着るのが、妙に気恥ずかしかったせいだ。


「可愛らし過ぎないかしら? 大丈夫?」


 ドレスを身につけたレリッサは、鏡の前でくるりと回ってマリアに尋ねた。


「大丈夫ですわ。お嬢様の年齢でしたらなんの問題もございませんし、お嬢様はお綺麗というよりはお可愛らしい顔立ちでいらっしゃいますから、良く似合っておいでです。さすが、マダム・モリソンですわね」

「そう…」


 マダム・モリソンが気合いを入れて作ってくれたドレスだ。ホーリィも意見をたくさん出してくれたし、二人を疑うつもりは元よりない。ただ、自分がその期待に応えられているか、が問題なのであって。


「わぁ! お姉様、綺麗!」


 部屋の扉を勝手に開けて、ホーリィが顔を覗かせた。


 彼女もすっかり身支度が終わっているようで、今宵はその金髪が良く映える真紅のドレスをその身に纏っていた。化粧も髪もしっかりと出来上がっていて、…なんというか強そうだ。今朝、「今日は何としても王太子様と踊って見せるわ」と意気込んでいたので、その心意気が全てその姿形に現れているようだった。


「ホーリィも素敵ね」

「ありがと。私、先に行くわね。迎えが来たから」


 そう言うと、ホーリィは颯爽と部屋を出て行った。


 今日はさる公爵閣下にエスコートをしていただくのだと言っていた。公爵と言っても、妻に先立たれた老紳士である。ホーリィの方にそのつもりはないし、公爵の方も後妻を迎えるつもりもない。ただ一日、一緒に踊って話せればそれで良いのだと言う。ホーリィとしても、大本命は王太子なので願ったり叶ったりということらしかった。


 妹ながら、彼女の交友関係がさっぱりわからない。


「ふぅ」


 ため息が漏れる。

 後ろから、くすくすと笑い声が聞こえて、レリッサは振り向いた。


「マリア。休憩に行ってくれて構わないのよ?」

「もちろん、お嬢様が出発されたら頂きますとも。ですけれど、先ほどから時計を見てはため息を溢されているお嬢様を、どうして一人にできますかしら」

「…そんなに?」

「ええ、先ほどから、何度も」


 そう言うと、マリアはまた抑えきれないと言うように笑う。


 マリアはレリッサに付く侍女の中では一番の古株だ。レリッサが八歳の時からなので、もう十年になる。当時十六歳だったマリアは、学園に通い始めてから忙しくなった兄のパトリスや、主に剣術の習い事であまり構ってくれなくなったエメリアに代わって、レリッサの姉がわりだった。よくその後ろをちょこちょこと追いかけ回していたものだ。思えば、邪魔でしかなかっただろうに、洗濯物を干したり畳んだり、掃除をしたりと、レリッサがやりたいと言ったことをなんでもさせてくれた。レリッサが令嬢の割に生活能力があるのは、マリアのおかげと言って良かった。


「少し遅いですわね」


 マリアも時間が気になってきたのだろうか。時計を見上げてそう呟く。

 窓の外は薄暗くなり始めている。


「下に降りておきましょう」


 立ち上がって部屋を出る。

 階段を降り始めたところで玄関のベルが鳴って、ダンが応対に出たのが手摺越しに見えた。


「お嬢様」


 ダンが、階段を降りてくるレリッサを見上げる。


 そして扉を開くと、リオネルがすっと顔を覗かせた。彼はダンの視線を追ってレリッサを見つけると一瞬目をみはった後、微笑んだ。


「遅くなってごめん」

「構いませんわ」

「行こう」


 差し出された手に、手を重ねる。


 外に出てみれば、二頭立ての四輪馬車が待っていた。中はそれほど広くなかったが、ふわふわの手触りの座面や背もたれ、繊細な模様の描かれた内装は、華美ではないものの上質な造りだ。


 レリッサの隣にリオネルが乗り込み、馬車が動き出す。


 ラローザ邸から、今日夜会があるマルセル公爵邸までは馬車を使えばすぐに着く距離だ。だが少しでも揺れを抑えようと御者が気を使っているのか、馬車の進みがゆっくりな気がする。


 リオネルとの距離はほとんどない。手を下せば彼に触れてしまいそうで、レリッサは手のやり場に困った末に、胸の前でキュッと握りしめた。


「あの…」

「何?」


 窓の外を眺めていたリオネルがこちらを向く。思った以上に顔が接近して、レリッサは慌てて俯いた。


「あの、素敵なドレスを、ありがとうございました」

「ああ…うん」


 リオネルが少し身体を乗り出して、レリッサの顔を覗き込んだ。


「良く似合ってる」


 合わさった瞳が輝く。

 胸がやかましい音を立てて鳴り始めるのを、誤魔化すようにレリッサは慌てて口を開いた。


「あの、妹が…ドレスを作るのに、妹に相談に乗ってもらったんですけれど、うっかりというか、あれは確信犯と言いますか、ドレスを三着も作ってしまって…! マダムと妹に任せきりにした私も悪かったんですけれども、申し訳ありません。二着分、代金をお返しできればと思っていまして…!」


 怒涛の勢いで言葉を連ねると、リオネルがきょとんとした顔をしてこちらを見ていた。

 しまったと思ったがもう遅い。もう少し穏やかに話を進められなかったものか。

 レリッサがどうしようと思っていると、リオネルが「ふはっ」と零すように笑い出した。


「ははっ。良いのに、別に」


 口元を押さえて、笑いをなんとかこらえようとしているが、押さえきれていない。

 レリッサはその笑い声につられるように頰を緩めて、「もう」とつぶやいた。


「私は真剣にお話ししているのです。笑うだなんて酷いですわ」

「だって、あんまり君が生真面目だから。きっとそんなことわざわざ言ってくる人、君以外にいないんじゃないかな? 俺、他にドレスを贈ったことがないから分からないけど」


 リオネルはそう言うと、まだくつくつと笑っている。

 あんまりに笑われるので、レリッサはむぅと眉を寄せた。


「大事なことですわ。リオン様が働いて得たお給金ではないですか。私にだってお金の価値が人それぞれなことくらい分かっていますもの。それを平気な顔で、二着も三着も頂くことはできません」


 リオネルは笑うのをやめて、ふっと笑った。


「おおよそ、貴族らしくない発想だとは思うけどね。君の意見には同意する」


「ただ…」とリオネルは言って、レリッサの頰をすっと撫でた。


「俺にも体裁っていうものがあってね。贈ったものを返されるのは、ちょっと格好がつかないかな?」

「あ…」


 レリッサは、父が同じようにつぶやいていたことを思い出す。

 確かに、贈られた物の代金を返すのは無粋なことだと言える。どうしようと、そのことばかり気にして、父やリオネルの言う『体裁』までは考えが至らなかった。


「どうしましょう…」


 けれど、貰いっぱなしと言うのも頂けない。

 少なくともレリッサは、彼の恋人でもなんでもないのだ。


「じゃあ、あと二着だっけ? それ着て、また俺と夜会に参加してくれる?」

「え」


 リオネルは、良い案を思いついたと言いたげに、満足そうに笑っている。


「せっかく贈ったドレスだからね。俺もそれを着た君を見てみたい。どうかな?」


 馬車が、緩やかにスピードを落とし始めた。

 マルセル侯爵邸に着いたのだ。

 レリッサは、返事を待ってこちらを見下ろすリオネルを見上げて、こくんと首を縦に振った。


「私で、よろしければ」

「決まり。さぁ、着いたようだ」


 リオネルが馬車の扉を押し開き、先に飛び降りた。それから、レリッサに手を差し伸べて降ろしてくれる。


 マルセル侯爵は、父の同僚でもあり、気のいい紳士だった。頰の刀傷と白い口髭がトレードマークのガタイの良い御仁だ。レリッサのことも昔から良く気にかけてくれて、まだ幼いレリッサが父のおつかいで軍の本部に行くと、小さなお菓子を必ず持たせてくれるような人だった。そんな人だから、ラローザ家の子供たちは皆彼のことが好きで、こっそりと『白髭中将』と呼んでいる。


「やぁやぁ。良くいらっしゃいましたな」


 正装用の白い軍服のマルセル侯爵が、受付を済ませたレリッサ達をわざわざ出迎えてくれた。軍服の胸には、金色のメダルにリボンが飾られた勲章がいくつも輝いている。


「本日はお招き頂き、ありがとうございます」


 レリッサはスカートをつまみあげて深く礼を取る。


「またお綺麗になったようだ。先ほど、ホーリィ嬢とライアン坊もいらしていましたよ」


 促されて見てみれば、広間の真ん中でホーリィが男性たちに囲まれて笑っているところだった。目があったので、小さく手を振り返す。

 その間に、マルセル侯爵はリオネルの方に向き直った。


「閣下がこのような場にいらっしゃるとは、どこか違和感を感じますな」

「そう言うな。今日はよろしく頼む」

「承知しております」


 後ろから次の招待客がやってきて、マルセル侯爵は一礼して去っていった。

 レリッサは、リオネルを見上げた。


「リオン様は、マルセル中将よりも上のお立場でいらっしゃるのですか?」


 佐官以上なのだろうとは思っていたが、中将より上となると想定外だった。

 リオネルは、「んー」と少し困ったように首をかしげると、結局口元に人差し指を立てた。


「それは秘密」


 秘密も何も、口調を聞いていればわかることだ。

 けれど、どうやら突っ込んで聞かない方が良さそうだと判断して、レリッサは広間の方へ向き直った。こうやって話を濁されることには、父や兄との会話ですっかり慣れている。


「もう少し奥へ参りましょうか」

「そうだね。では、どうぞ」


 腕を差し出されたので、その腕に手をかける。

 前回も思ったが、リオネルのエスコートは完璧だった。レリッサが歩く速度に歩幅を合わせてくれるし、レリッサが人とぶつからないように上手く誘導してくれる。


 今回は王宮での舞踏会とは違い、もう少し気軽な夜会だった。ファーストダンスを踊る前に、すでに軽食に手をつけたり、ドリンクを飲んでいる者もいる。レリッサとリオネルも、近くにいた給仕にドリンクをもらって、グラスを交わす。


 不意に、リオネルが広間の奥に視線をやった。


「…来たか」

「え」


 レリッサもその視線を追う。広間の奥で、王太子が令嬢を一人伴って入ってきたところだった。すぐに何人かの取り巻きが王太子を囲む。取り巻きは皆男性で、どうやら政府の高官らしいとレリッサは気づく。王太子のそばにいる令嬢は、このマルセル侯爵家の長女ステイシアだった。もちろん彼女も婚約者候補の一人だ。


 ふと気になって視線を移せば、そのステイシアを忌々しげに見つめるレベッカ・シンプトンの姿があった。分かりやすいことだ。不意に、そのレベッカがこちらを向いて、目が合った。分かりやすく目を逸らされる。


 レリッサが小さくため息をついていると、手に持っていたグラスがすっと手の中から抜かれた。リオネルだ。彼は近くにいた給仕に自分の分のグラスと合わせて返すと、レリッサの手を握った。


 楽団がバックミュージックとして流していた静かな曲を一旦やめていた。ファーストダンスの時間だ。広間の奥にいた王太子も、ステイシアを伴って広間の中央の方へと出てきていた。

 レリッサはリオネルの肩に手を掛けた。音楽が流れ出すと、リオネルのリードで踊り出す。


「やっぱり踊りやすいですわ」

「そう? なら良かった。君も上手いよね」


 前に比べて、踊りながら話す余裕がいくらかできていた。


 レリッサはリオネルの肩越しに視線を他の招待客へと向ける。ライアンがまだ幼さの残る令嬢と、緊張した面持ちで踊っていた。令嬢の方は、うっとりとライアンの顔ばかりを見つめている。その可愛らしさに、レリッサはふふっと笑む。続けて視線を向ければ、ホーリィが例の公爵と何やら楽しそうに話しながらゆったりと踊っていた。レベッカは、今日はアイザックがパートナーのようだ。


「何か面白いものでも見つけた?」


 リオネルに声をかけられて、レリッサは声のした方、リオネルの顔を見上げる。

 思ったより至近距離で、リオネルが微笑んでいた。

 レリッサはまた顔が熱くなるのを感じながら、少し視線を落とす。


「弟が…。同級生のご令嬢と踊っていて。微笑ましいなと…」

「そうか。弟君おとうとぎみは今年デビュタントだったね。君は? 最初はどうだった?」


 レリッサは首を傾げて少し考え込む。デビュタントの日のことは覚えていても、それ以外のことはあまり記憶になかった。


「あまり、覚えていません。デビュタントは、同級生と踊ったんですけれど。その後は、確か父か兄とばかり踊っていたような…」

「ああ…」


 リオネルがくすくすと笑いだした。


「そういえば、パトリスが自慢してたな。君と踊るたびに、どんなに君のダンスが上手くて、どんなに素敵だったか、いつも手紙に書いてきていたよ」

「お兄様ったら…」


 自分の知らないところで、兄がリオネルに自分のことを話題にしていたというのは、なんとも居心地が悪い。帰ってきたら、抗議してやろうなどと思う。


 考えていることが顔に出ていたのか、リオネルが笑いながら首を振った。


「パトリスのことをあんまり責めないでやって。俺が知りたくて聞いていたんだ」

「え…」


 音楽が終わりを迎える。くるりと最後に回って立ち止まる。

 リオネルが、繋いだままのレリッサの手を口元に近づけた。吐息が掛かる。


「もう少し、早く会えていれば…」

「リオン様?」


 その囁きはほんの小さな声だったので、周囲の雑音に紛れてレリッサにはよく聞こえなかった。レリッサがなんと言ったのか聞き直そうとした所で、次の音楽が始まる。


「もう一曲良い?」


 手を繋いだまま、そのままもう一度リオネルに手を引かれて、音楽に乗って踊り始める。心の準備ができていなかったので、リズムを捉えるのに必死で、やっとダンスが安定した時には、すっかり聞き返すタイミングを失ってしまっていた。


 顔を見上げると、朗らかな笑顔を向けられる。


「こんなにダンスが楽しいとは知らなかった」


 嬉しそうに細められた琥珀の瞳の輝きに、どくんと胸が打つ。


(どうして、こんなに…)


 この人の笑顔がこんなにも心を乱す。

 こんなことは、今までなかったのに。


「…私も、です」


 レリッサは小さく答えた。


 それから少しためらいながら、彼の肩に頰を預ける。ざらりとした軍服の感触がする。自然、胸元に輝く勲章が目に入った。リオネルのそれは銀色で紅いリボンがささやかに飾られている。通常、軍の勲章は金色が普通で、レリッサは銀色のそれを見たことがなかった。どんな紋が彫られているのか見たかったが、光が反射して上手く見ることができない。


 ファーストダンスが終わると、踊る人数は半減する。その分スペースが空いて、より動きやすくなっていた。


 前回の舞踏会と同じく、リオネルは人目を引いた。鴉の羽のように艶やかで黒い髪に、金にも見まごう美しい琥珀色の瞳。何より、彼の所作と佇まいが、妙に人を惹きつけるのだ。


 曲が終わる。レリッサのスカートが、ふわりと弧を描いて垂れた。

 その途端、タイミングを見計らっていたのだろう、何人もの令嬢たちがレリッサとリオネルの間に割って入った。


「次は私と踊ってくださらない?」

「いえ、次は私と」

「ずるいですわ。私も踊りたいと思っていましたのに」


 レリッサはすっかりその輪の外に追いやられて呆然としてしまう。

 輪の中心では、リオネルが困った様子で眉を下げていた。


(助けた方がいいのかしら…)


 夜会では、一人のパートナーとしか踊らないということはほとんどない。その社交の目的柄、決まった相手がいても、情報交換や世間話をするついでに異性と踊ったりすることは普通だ。もちろん、踊らずに食べて飲んで話すだけでも構わないのだが、皆、見目の良い異性とは踊りたいと思うものらしい。


 視界の端で、楽団が譜面をめくり、改めて楽器を構え直すのが見えた。また次の曲が始まるのだ。


 どうしようか。そう思った瞬間、不意に、後ろから手を引かれた。


「えっ」


 振り返る。


「アイザック?」


 赤みの強い茶髪に、ペリドットの瞳。


 彼はレリッサを見下ろすと、にこりともせずに「踊らないか」と言った。

 本来ならもっとスマートかつ丁寧に誘ってもらいたいところだったが、彼らしいと言えば彼らしかった。


 レリッサは、ちらりとリオネルの方を振り向く。彼はこちらの様子には気づいていないようで、令嬢たちの対応に苦慮しているようだった。


 弱く手を引かれる。促されていると感じて、レリッサは小さくうなずいた。


「一曲だけなら」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る