06. レリッサの困惑2

 所狭しと並べられる、色とりどり様々な材質の、布、布、布。


「こちらの素材など如何でしょう。ブレンダ産の最上級の布ですわ。ご覧になって。この透け感」

「きゃあ、素敵! 光が当たると虹のようね! あら、こっちは?」

「さすがはお嬢様。こちらは新しく入荷いたしました白頭熊ホワイトヘッドベアの、しかも頭の毛だけを使った希少なストールで――」


 レリッサは目の前で繰り広げられる、マダム・モリソンとホーリィの熱のこもった会話を、ソファに腰掛けて呆然と見守っている。この盛り上がりようときたら、こちらが口を挟む隙もない。


 朝一番でマダム・モリソンがやってきてから、もうかれこれ三、四時間はこうしている。


「ねぇ、お姉様。どれが良いと思う?」

「さぁ…」


 布を見せてくるホーリィに、レリッサは曖昧に微笑んで首を傾げた。するとホーリィはぷくりと頰を膨らませた。


「もう! お姉様のドレスを作るのよ? もっと意見を言ってくれなきゃ分からないわ!」


 そうは言っても、誰がこの二人の会話に口を挟めるだろうか。


「私は、できれば…その、シンプルで、動きやすくて、あとあまり目立たないのが…」

「何を言ってるのよ! シンプルとか動きやすいとか、そう言うのは美しさの前には二の次、三の次よ!」

「よくぞおっしゃいました、お嬢様。よろしいですか、レリッサお嬢様。こと夜会用のドレスにおきましては、ホーリィお嬢様のおっしゃるように、機能性は二の次でございます。何よりダンスの際に美しく膨らむスカート! 殿方を魅了するデコルテと肩! 自身を魅力的に見せる胸、腰、お尻のライン! これこそが、最も重要な問題なのでございますよ。機能性はダンスさえ踊れれば良いのです。そしてドレスは、目立ってなんぼでございます!」

「はぁ…」


 熱すぎる。レリッサはすっかり気圧されて、生返事を返してしまう。


「でも、私はホーリィみたいに、豊満なタイプじゃないし、こんな貧相な身体じゃせっかくの素敵なドレスも無駄になるんじゃないかしら…」

「何言ってるの。お姉様みたいなのは、華奢って言うのよ」

「そうでございますわ。こう言ってはなんですが…」


 マダム・モリソンが、ちら、と隣に立つホーリィを気遣わしげに見た。

 それを、ホーリィは頷いて「良いのよ、マダム。好きに言ってちょうだい」と先を促している。


「では…。レリッサお嬢様くらいの体型の方が、ドレスを最も美しく着られるのです。出過ぎ、凹み過ぎもかえってドレスの理想的な形を損なうものでございます。どうぞ自信をお持ちください。ご依頼主から、レリッサ様に最も似合う、最上のドレスをと依頼を受けて私はここにおります。私にすべてお任せください」


 腕が鳴りますわ。と、マダムは肩を回している。

 レリッサは手元にある小さなカードに目を向けた。


   『レリッサへ

      君にドレスを贈らせて欲しい。

      次の夜会を楽しみにしてる。

                  リオネル』


 今朝、マダム・モリソンはこのカードと大量の布とともにやってきた。

 早朝に父を介して依頼があったのだと言う。


 綺麗な字だな、とか。どういう顔でこのカードを書いたんだろう、とか。いろんなことをこのカードを見るだけで考えてしまって、胸が苦しくなる。


 もう何度目か、カードの文字の上をすっと撫でていると、横からやってきた手がカードをつまみ取った。


「ほんと、このリオネルって人、何者? お金に糸目はつけないだなんて。軍人って言ったって、生半可な階級じゃないわね」

「そうね…」


 下級士官程度では、こんな余裕のある真似はできやしない。まして彼は若かった。あの若さでどれほどの階級にあるのか。

 最初に出会った時、彼は佐官や将官と共にいた。と言うことはそれと同等の地位ということか。それにしても、あの黒い軍服である。軍服の色と階級の別は、スタッグランド王国の国民なら誰でも知っているような基本的な知識だ。だからこそ、あの黒の軍服の持つ意味を知らないということは、相応に彼が特殊な立場にいることの証でもあった。


「家名…ちゃんと聞いておくべきだった」


 レリッサのそれは些細なつぶやきでしかなかったのだが、そばにいたホーリィはそれを丁寧に拾って布から顔をあげた。


「今度聞けば良いじゃない。大丈夫よ。変な人じゃないんでしょ? お父様にも認められたようなものじゃない。このまま婚約してしまえば?」

「…そういうのじゃないわ」


 彼は、たまたま会っただけで。

 たまたま、お互い一人だったから誘ってくれただけで。

 別にきっと、レリッサでなくても良かったはずだ。


(でも…)


 レリッサは彼が触れた髪を握る。

 あの時、髪を耳にかけてくれた手の冷たさが忘れられない。


「婚約解消して二ヶ月しか経ってないのよ」

「あら、関係ないわよ。そんなの」


 ホーリィに促されて、立ち上がる。そして鏡の前に引っ張って行かれて、くるりと体の向きを鏡の方へと回された。

 鏡越しに、ホーリィが布をレリッサの肩にかけた。光に透けると輝く、薄く滑らかな布だった。


「ん、素敵。――言ったでしょ。恋に時間は関係ないの。たくさん恋をしてきた私が言うんだから、間違いないわよ、お姉様」


 そう言うと、ホーリィはレリッサをそのままほったらかしにして、マダム・モリソンの傍へと戻ってしまった。布は粗方決まったのか、今度はテーブルを挟んで、二人でデザインを、あーでもない、こーでもないと言い合っている。


「恋…」


 これを恋と呼ぶには、あまりに時期尚早な気がした。

 けれど一つだけ確かなことは、レリッサが彼のことばかり考えてしまっているという、そのことだけだった。




 夜会まであと僅か。


 レリッサのドレスは、マダム・モリソンによれば夜会の前日までには納品できるという。結局、ホーリィとマダムだけでデザインも何もかも決めてしまって、レリッサはどんなドレスが仕上がってくるのか全く知らない。

 おまけに二人が盛り上がりに盛り上がり、最終的に三着も作ることにしたのだと聞いたときには、冷や汗をかいた。

 人のお金である。


「あら、プレゼントしてくれるっていうんだから、もらっておけば良いのよ」


 と、男性の誘いが引きも切らないホーリィは軽々と言ったが、レリッサにはそんな面の皮の厚いことはできそうにもない。


 今度、せめて二着分はお金を返さなければと、レリッサは生まれて初めて父にお小遣いのおねだりをした。

 父は大いにため息をついて、「男にも体裁というものがだな…」などと言いながらも、本当に必要になるのならとお小遣いを融通してくれた。


「なんて香りの良い紅茶でしょう。皆さん、そう思いませんこと?」

「本当に! ラローザ家の領地は紅茶の茶葉も作っていらっしゃるのね」

「もしよろしければ、少し分けていただけないかしら。弟たちにも飲ませたいわ」

「もちろんですわ。ねぇ、お姉様」


 ねぇ、と再度声をかけられて、レリッサはハッと我に返って、カップから顔を上げた。


「え、ええ、もちろん。皆さんにお土産としてご用意しますわね。ダン」


 部屋の隅に控えていたダンに声をかけると、全て承知しているという顔でにこりと頷かれる。


「こちらの茶葉には、リリカローズの花弁が入っていますのよ。レリッサお姉様の発案ですの。お姉様は、リリカローズが大好きで。ね?」

「ええ…」


 レリッサは曖昧に笑う。


 普段、滅多に人を通すことのないラローザ家の談話室。

 そこで目下、レリッサ主催のお茶会の真っ最中である。あの分厚い手紙の束、全てのお茶会の招待をいちいち受けていては身体と時間がいくつあっても足りないと、ホーリィの提案で、いっそのことこちらで主催するお茶会にまとめて招待することにしたのである。あまりお茶会の経験のないレリッサに、ホーリィが「全力サポートするわ」と張り切って協力してくれた。もちろん、招待客もホーリィの助言を元に選んだ。こういうことにかけて、ホーリィの右に出る者はそういない。

 今も会話の手綱を握っているのはホーリィだ。妹ながら、頼もしいことこの上ない。


 女主人の居ないラローザ家ではもう長いことお茶会は開かれてこなかった。あるとすれば、レリッサやホーリィが個人的に親しい令嬢たち何人かを招く、気軽な会だ。だが本来であれば、邸宅で開くお茶会というのも立派な社交の一種であって、母の居ない今、レリッサがもっと頑張らなければいけないのだろう。いずれもっとちゃんと開く必要があるな、とレリッサは会話に耳を傾けながら心に留めておく。


「それにしても、先日は驚きましたわ」


 そう、頰に手を添えてうっとりと言ったのは、マルガレーテ・ブレンダ伯爵令嬢だった。

『来た!』とレリッサは少し身構える。

 マルガレーテに追従するように、他の令嬢たちもにこやかに視線をレリッサに向けてきた。


「新聞も読ませていただきましたわ。王太子殿下の想い人というのは本当ですの?」

「だとしたら、以前から面識がおありだったの?」


 ユールユール子爵家のメイリーン嬢。それから、ホルドール伯爵家のアナ嬢。

 このメンバーの中では、メイリーンが一番年上の二十歳。マルガレーテがホーリィと同じ十七歳で、アナは最年少の十六歳だ。レリッサは、いずれの令嬢とも学園に在籍していた期間が何年かは重なっていたはずだが、残念ながら、学園でも社交界でも言葉を交わしたことがほとんどなかった。一方でホーリィは、どの令嬢ともそれぞれに交友があるようで、特にマルガレーテ嬢とは学園での同級生と言うこともあって、気心の知れた仲であるようだった。


 いずれの令嬢も、レリッサの回答を待って、いかにも噂好きという感じにこちらに身を乗り出してくる。

 レリッサは首をふるふると横に振った。


「まさか。恐れ多いお話ですわ。私には王太子殿下のお相手なんてとても…。お声がけいただいたのも、あれが初めてでしたし」

「そうですの」


 そう頷くと、令嬢たちの目がさらに輝いた気がして、レリッサは心持ち上半身を引いた。


「「「では、やはりあの方が本命でいらっしゃるのね?」」」


 あの方、とはリオネルのことだろう。

 思うに、皆、王太子のことよりもそちらの方が気になって、今回のお茶会に応じたのではないかとすら思う。少なくとも、あの場にいた者であれば、王太子の手を取らなかった時点で、レリッサの意思は知れるからだ。


「本命…といいますか…。そう言う訳では…」

「あら、本当に?」

「素敵だったわぁ。王太子殿下から、レリッサ様を庇うように立たれたあの毅然としたお姿」

「どこのどなたですの? 夜会ではお見かけしたことはないように思うのですけれど」


 あんなかっこいい殿方イケメン、一度見たら忘れない。と、口々に令嬢たちは褒めそやしている。


(やっぱり、皆さんから見ても素敵な人なのよね…)


 レリッサは、自分が最初に抱いたリオネルの印象が、他の人々とそう変わらないことを再認識する。


 令嬢たちが口々に、あの黒髪が素敵だったとか、立ち居振る舞いも完璧だった、と言うたび、心の中に不快感を伴う靄が広がっていく。


(何かしら、これ…)


 ぎゅっと、手を握りしめる。

 けれどそれだけでは、心の靄はちっとも晴れてはくれない。


「お姉様!」

「っ!」


 隣に座るホーリィに耳元で囁かれて、レリッサはびくりと体を震わせて顔を跳ね上げた。いつの間にか、俯いていたのだと気づく。


「申し訳ありません。レリッサ様。私たちがあんまりしつこいので、ご気分を害されてしまいまったでしょうか…」

「ちがっ」


 いつの間にか令嬢たちはしょぼんと肩を落としていた。

 レリッサは、慌てて手と頭を振った。


「違うのです! ちょっと、物思いに耽ってしまって。謝らなければならないのは、私の方ですわ。本日のホステスとしてあるまじき失態です。お詫び申し上げますわ」


 頭を下げる。

 ああ、こう言うことは本当に向いていないのだ。


「っふふ…」


 漏れだすような、微かな笑い声。

 レリッサは、そろそろと頭を上げた。


「ふふふ」


 メイリーンだった。彼女の笑いが、やがて伝染するように、マルガレーテやアナ、そしてホーリィまでが笑い出す。


「え…っと…?」

「ふふふ。申し訳ありません。…レリッサ様って、こんな方でしたのね」

「え」


 メイリーンが言うと、マルガレーテとアナも顔を見合わせてにこりと微笑んだ。


「レリッサ様は完璧すぎて、少し近寄りがたいと思っておりましたの」

「え、完璧…? え…?」


 誰がだろうか。

 レリッサは、きょとんと首をかしげる。


「ふふ。でも、それ以上にこんな可愛らしい面をお持ちでしたのね。そして、とても素直な方」

「生真面目って、言われませんこと?」


 レリッサに代わって、令嬢たちがにこにこと言い合うのを満足げに見ていたホーリィが胸を張って答えた。


「そうでしょう? うちのお姉様ったら、家のことも完璧ですし、勉強も、ダンスも、マナーも、何をやらせてもソツがないんですのよ」

「ちょっと、ホーリィ!」


 身内にこうして褒められることほど、気恥ずかしいものはない。

 レリッサは、なおも何か言いかけるホーリィの口をふさぐ。


「ふふ。また始まった! ホーリィのお姉様自慢!」


 マルガレーテがそう言うと、メイリーンとアナが頷く。


「ほんとほんと」

「お茶会のたびに、何かあると、ご兄弟姉妹きょうだいのお話ばかり」

「羨ましいわぁ。うちは、兄がいるけれど憎たらしいったら」

「うちは、妹と弟が。生意気で、本当に嫌になりますの」


 口々にそれぞれが兄弟姉妹きょうだいの話を始める。

 ホーリィは、口をふさぐレリッサの手を避けると、今日も綺麗に手入れされた金髪の巻き毛をサラリと払いのけた。


「もちろん。うちは皆、シスコン、ブラコンですのよ」


 胸を張って言うことではない。

 だが確かに否定できる要素はどこにもなくて、レリッサは口をつぐむ。


「ぜひまたこうやってお話させていただきたいわ。今度は我が家へ遊びにいらっしゃって」


 アナが言うと、メイリーンやマルガレーテが「私も」と追随する。にこやかに話は移り変わって、お互いの領地の特産品の話や、最近の領地の話になった。

 レリッサは、隣に座るホーリィの袖をそっと引っ張った。


「何?」


 寄せられた耳に、そっと囁く。


「ありがとう」


 ホーリィはあでやかに微笑んだ。



**********



 セドリック・ラローザは、片腕に抱えた書類の束からひとつ選んで抜き取ると、目の前の執務机の上に差し出した。


 軍本部最奥の執務室。

 普段、将校達が仕事をこなす区画よりも、さらに奥にあり、この執務室への入室を認められる者は、軍内部でもほとんど存在しない。


 その執務室の、さらに奥まった執務机につくのは、黒い軍服の青年だった。

 長男と同い年の、まだ年若い青年。普段朗らかなその表情からは打って変わって、今は剣呑な空気が醸し出されている。


「まだあるのか」


 彼は――リオネル・カーライルは、セドリックが差し出した書類を見、それから腕に抱えた書類にさらに視線を移して、苦悶の表情を浮かべた。

 先ほどから、ひたすら自身の名前をサインし続ける彼の右手には、インクをこすった跡が色濃く残っている。


「明後日の夜会に出席されるため、仕事を詰めるようにとおっしゃったのはご自身でしょう」

「将軍のサインだけで構わないのでは?」

「そう言うわけには参りません」


 セドリックがにべもなく言い放つと、彼は諦めたようにため息をついて、再び手を動かし始めた。左手で書類をめくり、必要があれば右手で持つペンで何事か書き添えて、問題なければサインをし、サインするに満たないものは再考を促すために突き返す。

 言動に反して、やることには無駄がなく、ページをめくって文字を追う速度は目を見張るほど早かった。


「この、ミルドランド領の領境警備だが、なぜこれほど予算が必要なんだ。今はシーズンで、こんなに領地に軍兵を割くこともできない。ミルドランドは公爵家だ。自身の領の警備費くらい、もう少し負担させてくれ」

「承知いたしました」


 戻ってきた書類を、抱えた書類の束の一番後ろに戻す。

 次に書類を差し出すと、彼はまた紙面の文字を目で追い始める。


 その様子に、はからずも、いつも前のめりになってやはり物凄い速度で文字を追う、二番目の娘の姿が重なった。あれは昔から文字が好きで、文字ならば紅茶の缶の裏の但し書きでもなんでも読むような娘だった。家の仕事を手伝わせてもこちらの期待以上の仕上がりでこなす。もし彼女が自分の娘でなかったなら、おそらく優秀な官僚になったことだろう。


 先日、彼からその二番目の娘にドレスを贈りたいのだが、と相談された時には心底驚いた。彼はおよそ、そういうことには頓着しないタイプだったはずなのだが。父親である自分に話を持ってくるのも如何なものかと、セドリックとしては正直複雑な心境ではあったが、それも致し方ない。彼には、そう言うことを気軽に相談できる相手など他にいないのだ。


 ふと、先日一番上の娘、エメリアから告げられたことを思い出す。彼の耳に入れておいた方が良いだろうと、セドリックは口を開いた。


「レリッサが、閣下の素性を気にしているようだと、一番上の娘から」


 リオネルが、ピクリと反応して手を止めた。


「知らぬ存ぜぬで通したようですが」

「恩に切る。エメリア嬢にも礼を伝えておいてくれ」

「それには及びません。娘は軍規に従ったに過ぎません」

「…そうか」


 リオネルは集中が途切れたようで、ため息と共にペンを置いた。


 セドリックは、腕に抱えていた書類を傍のサイドテーブルに置いた。それから、部屋の隅に用意してあるティーセットへと歩み寄る。ちょうど休憩の頃合いだった。軍に備え付けの無骨なマグカップに茶を入れて、執務机の上に置く。


「どうぞ」


 リオネルは目線でセドリックに礼を伝えると、躊躇いなくマグカップに口をつけた。「あちっ」と小さくこぼす様子は、年相応か、あるいはもう少し幼く見える。


「私の書斎には、軍の在籍名簿など閣下の素性に繋がる資料などもございます。娘の手の届かない所に移動して置いた方がよろしいですか」


 リオネルは少し考え込む仕草をした後、小さく首を振った。


「それには及ばない。…もし彼女が、本当に私の素性を知りたいなら…、彼女にはその権利があるからね」


 そう言うと、リオネルは眉を下げてセドリックを見上げた。


「将軍には気苦労をかける。娘を巻き込みたくはなかっただろう」

「いえ…。ある意味では、私の娘で良かったようにも思います。他の令嬢でしたら、より危険でしたでしょう」


 リオネルは、セドリックの言葉に数度瞬くと、苦笑いを浮かべた。大方、いかにもセドリックらしいなどと思っているのだろうか。

 だが彼はそれ以上のことはなにも言わず、マグカップに残っていたお茶を飲み干した。


「仕切り直すか。先日の賭博の件、市中での反応はどうだ」


 先程まで年相応だった表情は瞬時に切り替わり、途端、瞳の奥が厳しく光る。ある意味軍人特有の変わり身の早さだった。


「先だっての財務室の巨額横領の件もあり、市民も政府への不信感が膨らみつつあるようです。まだ表立って声高に叫ぶ者はありませんが」

「そうか…。警邏部隊には、今まで以上に警戒をするように伝えてくれ。――今は、まだ早い」

「心得ております」


 セドリックが差し出した書類を、リオネルが受け取る。

 ぱらりとページをめくりながら、彼が小さく呟いた音を、セドリックはあえて聞かぬふりをした。


「まだ、あと少しだけ――」


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