03. レリッサの憂鬱3
二週間は、あっという間に過ぎた。
マダム・モリソンに頼んだホーリィのドレスは、三日前には出来上がって納品されていた。
「実は、シーズンの始まる一ヶ月前からシーズン初日までが閑散期ですのよ。皆さん、オーダーはお早めになさるものですから。始まったら始まったで、皆さん周りの方のドレスの意匠を真似して追加なさいますしねぇ。ですから、実は穴場の時期ですの」
確かに他にこんなぎりぎりにオーダーする者がいようはずもない。
でも、ぎりぎりのオーダーが殺到しても困るので内密に。とマダムは茶目っ気溢れるウインクでそう言った。
レリッサは、結局新調はしなかった。けれど、仕立て屋というのは顧客の最新のサイズを、常に把握しておきたいものらしい。マダムはしっかりレリッサの頭の先から足の先まで、隅々までサイズを測って帰っていった。
ちなみにホーリィの言う通り、胸が少し大きくなっていたので、レリッサは密かに喜んだ。小ぶりだった胸が、それなりの見た目になったと言う程度だが、着られるドレスの幅も少しは広がることだろう。如何せんホーリィと違い凹凸の少ない体なので、ただでさえ地味な見た目だと言うのに、着飾ってもどうにもドレスが映えないのが昔からの悩みだった。
レリッサは時計をちらりと見て、小さくため息をついた。
今は自室の鏡台の前に一人。すっかり支度は終わって、迎えの馬車を待っているところだった。先ほどまで髪のセットや化粧をしてくれていた侍女達には休憩に入ってもらった。今日は朝早くから休みなく四人分の支度をしたので、さぞ疲れたことだろう。
ライアンとサマンサは、お昼過ぎには支度を終えて、一足先に王宮へと向かった。デビュタントの挨拶のためだ。デビュタントの挨拶をする者は爵位の低い順番に王宮へと向かい、国王に挨拶をする。全ての挨拶が終わると、一度国王は休憩と支度のために下がる。この頃に、他の招待客が順に登城していく。暗くなった頃、国王が再度現れて、言葉を述べた後にファーストダンス、という流れだ。
ここまでの間、デビュタントの者は待ちぼうけになる。長い者だと五、六時間は待つことになるだろうか。ラローザ家は伯爵家の中でも家格の古い部類に入るので、順番はかなり後の方だ。ちょうど今頃、国王の前に出ている頃だろう。
ちなみに、エメリアは本来市中の見回りの当番から外されていたのを、舞踏会に出るのが面倒だと言う理由であえて交代して、今日は不参加だった。今頃、シーズン初めで浮足立つ城下町を、あの麗しい軍服姿で見回っているに違いない。ホーリィは先ほど出て行ったばかりだ。
再度レリッサは時計を見て、またため息をついた。無事に双子が挨拶できているか、心配でそわそわする。だがこうして気を揉んでいても仕方ないと、レリッサは目の前にある鏡を見つめた。
鏡に映るレリッサは、編み上げてアップにした髪にパールと模造の花の飾り、耳には髪と同じ意匠のイヤリング。ドレスは、若草色。ストレートラインのデコルテに、パフスリーブ。ウエストはV字の切り替え。ボリュームをたっぷりとったスカートの裾には金糸で蔦と鳥の刺繍が施されている。若い娘のドレスにしては、シンプルな作りだった。
手入れが良いのでドレスそのものの状態は良かったが、ホーリィが言った通り流行遅れの感は否めない。
「ふぅ」
気持ちを落ち着けようと、鏡台に飾られている白薔薇を一輪手に取った。鼻に近づけると、控えめながらも甘い香りがする。
この花はリリカローズと言う。スタッグランド王国でしか咲かないと言われる花だ。大輪の白薔薇で、毒はないが棘が鋭く、気をつけないと指を傷つける。スタッグランド王家の紋章に使われる薔薇も、このリリカローズがデザインされたものだ。西の国境付近の断崖絶壁に、岩と岩の間から芽吹き、一つの枝につきたった一輪花を咲かせるのだと、かなり昔に兄が図録を見せてくれたことがあった。
幼い頃、レリッサが風邪で寝込んでいると、その兄がよくリリカローズを一輪差し入れてくれたものだ。丁寧に、レリッサの手が傷つかないように棘は全て削いであった。それ以来、リリカローズはレリッサが一番気に入っている花だった。
もう一度、リリカローズの甘い香りを吸い込む。その芳しさにため息が溢れる。余韻を楽しみ終わったところで、扉がノックされた。
「お嬢様。迎えの馬車が参りました」
ダンの声だった。
玄関ホールに出て行けば、赤みの強い茶髪にペリドットの瞳の青年が立っていた。
着ているのは下級士官の正装用の軍服だ。吊り上がった目が彼の人相を少々悪く見せるが、レリッサは彼がそう悪い人間ではないことを知っている。
「お待たせしてごめんなさい。アイザック」
「いや、こっちこそ悪いな。少し遅れた」
軽く手をあげて彼はそう言うと、早速レリッサをエスコートするために手を差し出した。その掌の上に手を重ねて、レリッサは引かれるままに家を出て馬車に乗り込んだ。
彼はアイザック・シンプトン。シンプトン公爵家と言えば、筆頭公爵家で、当主のシンプトン公爵は現宰相。彼はその長男だ。
家格ははるかに彼の方が上だが、レリッサとアイザックは学園の同級生で旧知の仲だ。エメリアがレリッサのパートナーを見つくろう為に部下に声を掛けていたところに、隣の隊に所属している彼がたまたま居合わせて、自分で良ければと申し出てくれたのだと言う。
レリッサは、動き出した馬車の中、窓辺に肘をついて外を眺めるアイザックの横顔を見て、ふふと笑った。
「なんだ?」
顔を上げて、アイザックがこちらを見る。眉間の皺を見るに、レリッサが笑ったことが気に入らなかったようだ。
レリッサは慌てて首を振った。
「あ、違うの。ただ、懐かしいと思って…。私たちのデビュタントも、こうしてあなたの家の馬車に揺られて、あなたの横顔を見ながら登城したな、と思ったから…」
「ああ…。考えてみれば、おんなじ状況だな」
彼は納得したのか、窓枠から肘を下ろしてレリッサに向き合う代わり、足を組んでゆったりと座り直した。
『同じ状況』とは、こうして夜会ぎりぎりに組んだ急
公爵家の長男、しかも精悍な顔立ちにすらりとした体躯。少々人相が悪く無愛想なところはあるが、親しくなってみれば根は優しい人だとすぐに知れる。そんな彼がモテないはずがなく、彼のパートナーにと願う令嬢はそれこそ山のようにいたのだが…。
(モテすぎるというのも、困りものなのね)
レリッサは少し同情を感じながら、アイザックを見た。その表情は、随分大人になったと思うけれど、デビュタントで向かい合った緊張した顔が重なって見える。
「お前、変わらないな」
「あら、あなただって変わらないわ」
アイザックも同じことを考えていたのだろうか。レリッサが言い返すと、アイザックは少しバツの悪そうな顔をして、また視線を窓の外へとやった。
王宮が近づいてきたのか、馬車の歩みは遅くなっている。王宮の馬車寄せが混んでいるのだろう。動いては止まり、止まっては動きとのろのろと進む。窓の外は薄暗くなって、商店の扉にはCLOSEの札が掛けられ、その代わり飲み屋が一足早く灯りを灯し始めている。
「仕事はどう?」
アイザックは学園を卒業すると、そのまま軍に入ってしまった。それから三年。すでにエメリアと同じ階級に追いついていると聞く。
アイザックは肩をすくめて見せた。
「まぁまぁだな。…ラローザ将軍には感謝してる。俺にも重要な仕事を任せてくれる」
「お父様は、家柄で判断したりするような方じゃないもの」
レリッサがそう言うと、アイザックは小さくうなずいた。
軍のトップであるラローザ家と、政府の実質トップである宰相のシンプトン家は、いわば政敵。実際、ラローザ伯爵である父とシンプトン公爵は、犬猿の仲だった。それは、レリッサたちが生まれた時には既にそうで、遡れば父達が学園の頃からの話だと言うから、軍とか政府とかそれ以前の問題なのだろう。
デビュタント以降、レリッサとアイザックがパートナーを組まないのも、これが原因だった。当時どうやってアイザックが父親を説得したのか定かではないが、もともと親子間の折り合いは悪く、アイザックは父親が官僚になることを望んでいたのに反発して、強引に軍に入ったほどだ。きっと、あの時も押し切ったのだろう。
とは言え、政敵同士の子がパートナーを組んでいると言うことで、デビュタントの時は周りがざわついた。その視線が煩わしかったのもあって、あれ以来パートナーは組んでいない。ただの友人だと言うのに、誰だって変に邪推されては良い気はしないものだ。
父は相手がアイザックだと伝えても、特に何も言わなかった。公爵本人に思うところはあっても、その息子は関係ないと言うことなのだろう。
一方で家柄や派閥を重んじるシンプトン公爵の方は、以降、レリッサに対しては特に敵意を隠しもしなくなった。レリッサが夜会の際に挨拶をしても、一瞥をくれるだけで口を開きもしない。
だが貴族とはそもそも、そう言うものだ。父のような人の方が稀で、シンプトン公爵は家格からしても、生粋の貴族らしい貴族と言える。軍も元々は派閥の考えが色濃くあったと言うが、父が将軍職についてからはその傾向は薄れつつあると聞く。
「そういえば、お前の妹」
窓の外を眺めていたアイザックがふと顔をこちらに向けた。
「妹? どっち?」
アイザックは、「あー…」と口ごもり、少し考えた上で「双子の方」と言った。
「サマンサが何か?」
「この前、大通りの本屋の外で変な奴らに絡まれてたぞ」
「えっ」
「一人で行かせるなよ。護衛ぐらいつけとけ」
初耳だった。いつのことだろうか、と考えて、そう言えば珍しくライアンとサマンサが別々に帰ってきた日があったことを思い出す。
「あの日、ライアンとサマンサは喧嘩をしていたの。だからだわ。いつもなら、ライアンがサマンサの護衛代わりなの。ライアンは剣の心得があるから…」
レリッサにしてもそうだが、少しの買い物くらいならラローザ家の
それにしても、とレリッサは微笑む。
「でも、助けてくれたんでしょう? ありがとう」
そう言うと、アイザックは鼻の頭に皺を寄せて、誤魔化すようにそっぽを向いた。
「仕事だからな」
「それでもよ。あなたがいてくれて良かった。あの子、最近だんだん魔力が強くなっていて…。心が不安定になると暴発することがあるから…。そう言う意味でも、あなたが助けに入ってくれて良かった」
下手をすれば、サマンサは魔力のコントロールを失って、周りの人々に怪我をさせていたかもしれないのだ。サマンサが魔力持ちであるということを知っているアイザックならば、それなりの対処をしてくれたことだろう。
このところ、サマンサの魔力が強くなっていることには家族全員が気づいていて、その扱いを危惧しているところだった。
アイザックはレリッサの言葉に、顎に手を当てて考え込みながら口を開いた。
「お前の妹、十四だろ。思春期に魔力が飛躍的に増えることがあるって聞くし、それかもな」
「学園を卒業したら魔術師団に入る予定ではあるの。…もちろん、試験に受かればだけど」
「暴発するくらいの魔力量なら、入団試験は余裕だろ」
「そうだと良いけど」
魔術師団に入るには、一定以上の魔力量を保持していることを確かめるための試験と、簡単な筆記試験、それから多少の献金が必要だ。
魔術師団は国に帰属しない独自の運営方法を取っているために、資金繰りに苦労しているのだと言われている。魔力持ちは希少だ。その上で、魔術師団の活動そのものの収益性が低いために、運営費に対して収入が見合っていないのだろう。そのため、魔力を有するが献金を用意できない平民出の魔力持ちが、魔術師団に入ることができずに行き場をなくし、魔力の暴発による事故を起こすことが時々あって、最近それがようやく問題視されるようになってきた。
「ところで」
アイザックの声に、レリッサは魔術師団について書かれた記事の内容を思い出そうとしていたのを止めた。
声をかけてきたにも関わらず、アイザックはこちらを見ていない。視線はまだ窓の外だった。
馬車の動きがいつの間にかスムーズになっていた。そろそろ到着するのかもしれない。
少しの沈黙の後、アイザックが再び口を開いた。
「婚約、解消したって?」
「あ…、ええ」
こうやって、パートナーを頼んだのだ。知らないはずがない。どこまで話したかは知らないが、エメリアも事情を話しただろう。
「そうか」
それだけ言うと、アイザックはまた口を閉じてしまった。
馬車がゆるゆると進んでいく。石畳の上をガラガラと回る車輪の音。さすが公爵家の馬車は揺れが少ない。
「お前さ…――」
アイザックが何か言おうとした。
けれど、その言葉が続くよりも先に、馬車が止まって、扉がノックされた。
「到着しました」
御者が扉を開く。
アイザックは、ため息をつくとさっと馬車から降りて、レリッサに手を差し出した。
「行くぞ」
「あ、はい」
差し出された手に手を重ね、馬車のステップに足をかけて降り立つ。
ちょうど王宮の扉の前だった。
階段が数段あり、その登った先にある荘厳な扉が、今日は開け放されている。
後ろからも次々と馬車が到着して、紳士淑女達が階段を登っていく。
その後に続こうと、レリッサとアイザックが一歩踏み出した時、レリッサは自分を呼ぶ声に気がついた。
「レリッサお姉様!」
声をした方を振り向くと同時に、見慣れた金色の巻き髪が腕の中に飛び込んできた。
「ホーリィ??」
あわや、バランスを崩して二人とも倒れこむところだったが、アイザックがレリッサの背中を支えてくれて、なんとか免れた。
レリッサは、ぎゅうと自分を抱きしめるホーリィの頭を、セットを崩さないようにそっと撫でた。
「どうしたの? セダック様は?」
そう尋ねると、ガバッとホーリィが顔を上げる。目が赤い。泣いているのかと思ったが、どうやら違うらしい。
「あの人、婚約者がいたの!!」
「えぇ? でも、セダック様から声をかけられたんじゃなかったの?」
「そうよ! あの人、親の決めた婚約者が気に入らなくて、あちこちに粉かけてたらしいの!」
許せない! と憤るホーリィの唇は、怒りのためか僅かに震えている。
なんでもホーリィが言うには、馬車から降りるや、そこに婚約者が待ち構えていたらしい。修羅場となるところだったが、ホーリィの方から一発平手打ちをお見舞いして、婚約者に引き渡してきたらしい。数々の男性と浮名を流すホーリィだが『婚約者のいる男性は断固お断り』が信条なのである。
ホーリィはひとしきり、「ありえない」とか、「本当にクズ」とか罵詈雑言を並べ立てた後、大きくため息をついた。
「はぁ。お姉様に聞いてもらったら、ちょっとすっきりした。私、もう帰ろうかなぁ。パートナーいなくなっちゃったし」
「帰るって…。王宮主催の舞踏会よ?」
「だってぇ…」
他の夜会なら直前の欠席も、後できちんと詫び状を入れれば済む。だが、王宮主催のものだけはそう言うわけには行かない。
ホーリィも分かっているのだろう、再びため息をついて、一人で階段を登り始めた。
「待って、ホーリィ」
気づけばレリッサは、その背中に声をかけていた。
そして、隣で成り行きを見守っていたアイザックを見上げる。
「アイザック、ホーリィのエスコートをお願いできない?」
「はぁ?」
「えぇ?」
アイザックとホーリィの声が重なる。
ホーリィが階段を駆け下りてきた。
「何を言ってるの!? お姉様はどうするのよ?」
「私なら大丈夫」
そもそも婚約を解消して間もない身だ。パートナーがいなくても、皆、事情を
それよりも、『社交界の華』と謳われるホーリィが一人でいる方が、レリッサよりもよっぽど居心地悪い思いをするだろう。
「ね。大丈夫よ、本当に。お願い」
最後の「お願い」はアイザックに。
ずっと眉間に皺を寄せていたアイザックは、盛大にため息をついて、頭をかいたあと、ホーリィに手を差し伸べた。
「ほら、行くぞ」
「でも…」
「良いから、ね?」
そっとホーリィの背中を押して、行くように促す。
ホーリィは少しためらう様子を見せた後、アイザックの手を取って階段を登っていった。
二人の姿が扉の奥に消えると、レリッサはふぅと息を吐いて、馬車寄せから脇に広がっている生垣の陰に移動する。馬車寄せに一人でいると酷く目立つ。このまましばらく人の波をやり過ごして、国王の御言葉が始まるぎりぎりまでここにいよう。そうすれば、最初は目立っても、すぐに皆国王の方に注目するだろう。
だんだん暗くなってきた。馬車寄せに入ってくる馬車が少なくなってくる。多くの招待客が入城を終えた頃だろう。
ライアンやサマンサはどうしただろうか。無事に挨拶できたか確認したかったが、家に戻ってからになりそうだ。姉の姿がいつまで経っても見えないので、不安になっていないと良いのだが。
ずっと立ちっぱなしと言うのも辛くて、レリッサはその場に膝を折って座り込んだ。あまり褒められた姿勢ではないが、こんな場所では見咎める者はいないだろう。――そう思ったのだが、それは思い違いだったらしい。
「あれ、君は…」
生垣の奥、暗がりから声が聞こえた。
レリッサは、驚いて咄嗟に立ち上がった。逃げ出すべきかどうか、動けずにいる間に芝生を踏む足音が近づいてくる。不意に、ぱっと頭上の街灯に明かりが点いた。
「あ…」
見かけたことのある顔だった。
先日、軍の本部で。
あの時の、黒い髪と琥珀の瞳の青年だった。
彼は、レリッサに近づいてくると申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん。驚かせてしまって。職業柄、人の気配を覚えるのが得意で。君だと分かったからつい声をかけてしまった」
「いえ…」
人のことは言えないが、こんなところでどうしたのだろう。彼は生垣のもっと奥から来たようだった。王宮の見回りだろうか、と思うが、彼が着ているのは明らかに正装用の軍服だった。この前見た時と同じように、黒い。左胸には勲章が輝いている。
彼は周囲を見回して、再度レリッサを見下ろした。
「一人?」
「はい。…ちょっと事情があって」
レリッサがそう言うと、彼はふっと表情を緩めた。
「じゃあ一緒だ。俺も一人」
笑うと、急に人懐こい雰囲気になった。
レリッサも知らずに入っていた肩の力を抜いて笑った。
「ふふ。一人だと、入りづらいですわよね」
「うん。この国のしきたり、面倒で困るよ。他国じゃペアだろうがなかろうが、気にしないのに」
「あら、他国で夜会に参加された経験がおありですの?」
レリッサが尋ねると、彼は「少しだけね」と答えた。
「ここ一、二年、アザリアへ交換派兵されていたんだ。軍事協力っていうことでね」
「まぁ、アザリアへ!」
アザリア公国は、母の祖国だった。急に近しいものを感じて、レリッサは少しだけ身を乗り出した。
「私の母はアザリア公国の生まれなのです。もう亡くなってしまいましたけど…。幼い頃、母が歌ってくれた歌や読んでくれた物語は、ほとんどがアザリアのものでした」
アザリア公国は隣国だというのに、なぜか読み物の類はほとんどスタッグランド王国に入ってきていない。王宮内の図書室を除けば、国一番の蔵書量を誇ると言われる学園の図書室にもほとんどない。
食品や織物、工芸技術の交流は盛んだというのに不思議なことだった。
彼は琥珀色の瞳を細めて、優しく微笑んだ。
「そうらしいね。今回の軍事協力も、ラローザ将軍が積極的に動いたおかげで叶ったものだ。君の父上は、母君が亡くなられた後もアザリア公国との繋がりを大切に持ち続けていたんだろう」
「そうだったのですか…」
思わぬ形で父のことを聞いて、レリッサは胸が温かくなった気がした。
彼は不意にレリッサの前に手を差し出した。どういうことだろうか、とその手を見つめ、レリッサは彼の顔を見上げた。
「もっとアザリアのことを話してあげたいけど、今は時間がなさそうだ。そろそろ国王の御言葉が始まる。一人者同士、今日のエスコートは私にお任せいただけませんか? ラローザ伯爵令嬢」
急にかしこまって言うのがなんだかおかしく、レリッサはふふっと笑った。
そして、その手を取った。
この人は、きっと悪い人ではない。軍の本部で父の居場所を丁寧に教えてくれたし、今だってほとんど初対面なのに、こんなにゆったりとしていられる。
こんなことは初めてだった。
「レリッサです」
「俺はリオネル。親しい者はリオンって呼ぶから、ぜひそっちで」
彼はそう言うと、レリッサの手を優しく引いて歩き出した。
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